ダブル / ジョーカー                  二話:裏                 『Desperado』  目の覚めるような赤。  南方とはいえ流石に冷え込んむ早朝のサウリア市街を、颯爽と歩いていくのは真っ赤な マントの男だった。彫りの深い顔立ち。つきでた顎。鼻と口の間から八の字に伸びた髭を 指で軽く撫でる男の指は、白い手袋に包まれている。頭には赤いマントにあわせた赤い二 角帽。人もまばらな道を堂々と歩くさまは、一端の紳士のようだが、ホセ・インデュライ ンというこの男は傭兵であった。  冒険者や傭兵といった人種の中には、やたらと目立つ身なりをする者も少なくない。そ うして自らのアイデンティティを確立させているのだろう。無論、それなりの格好が出来 るということは、それなりに稼げる人間だという事を示すものでもある。たとえばホセの 上着はビロードで飾られていたが、内側には竜種の皮があてられている。概観と実用を両 立したもの。それがピシリと、その男に合っている。  華がある。奇抜なだけなら彼より派手なものはいくらでも居よう。しかし薄明かりの中 を往くそのシルエットに、その足運びに、彼の全てに華がある。年のころを考えても、何 故このような男が、あの青年の下にいるのか、理解しがたい者もいるしれない。かの青年 は確かにかすかな風格を備えてはいるけれども、それはややもすれば軽薄さと受け取られ かねない溶け込んでいくような当たり障りのなさ、夜の陰であり、ホセのような星を霞ま せる月の光ではない。  そう、ホセも相違なくあの傭兵団の主要構成員で、紫眼の青年の下で現在皇国皇帝の命 による工作に従事している一人である。  彼が彼があの青年の元にいるのも、今こうして自らの存在を誇示するように堂々と往来 を行くのも、非常に単純な理由によるものだ。  ホセは、派手に踊りたい。  ホセたちの長は、舞台を整えるということに関して悪魔的な手際を見せる。何もかもを 見通したように「情報だよ」と嘯く。だからこそ彼は皇国の中枢にいる。そして彼は傭兵 としてこう渾名されるのだ。『長い腕』と。  その彼が整えた舞台で、ホセは踊る。それはなんと刺激的なことだろうか。己が目的の 為に国家を混乱に叩き込み、神話の存在を背景に組み込む。そんな男が伸ばした腕の先で しか、踊れないダンスがある。ただ命を粗末にするだけでは足りない。派手で、楽しくな ければ。  遠くに見える朝市へと、ホセは足早に、だが堂々と突き進んでいく。年末ともなると、 新年の祭りの準備と相まって、かなりの賑わいを見せている。すれ違う者たちが、鮮血の ような赤に道を開く。 「ファン=ベル=メルは確認した。このまま進め」  市の外れに商品を広げた店を見ていた男が、もっと中心へと向かおうとするかのように 振り返った。同時に呟く。その声を聞くのは追い越したホセだけだ。ホセは、相手を振り 返る事もなく、そのままの足取りで先へと進んでいく。背から更に「五人だ」という声。  ある意味で、『賢龍団』幹部に諜報員らしい技能を持っているのは今の男だけだった。 傭兵であるという身なりは、雑踏の中に滑り込む事を容易にはするし、それなりにやって きた身であればコネもあるが、ホセたちはシーフギルドの者たちのように特殊技能を身に つけているというわけでもない。  彼らはあくまでD機関長の手足として動く戦力なのだ。  それでこそ、ホセは愉しむことが出来る。  既にこのサウリア市には『敵』が潜んでいる。Dがやってきたように、彼らもまたやっ てきている。実際ホセらがサウリア市についたのは三日前だ。敵もたった今やってきたと いうわけではあるまい。ホセたちに圧倒的なアドバンテージというものはない。いつだっ て、暗闘は髪の毛一本の差で決まる。ホセたちの長は、その差を常に先んじるというだけ の話なのだ。  そして、彼の仲間が伝えてきたように、今もまた、その細い線上に、ホセの戦場は現れ る。  朝市を分け入るごとに、予感に心臓が高鳴る。  視界に入った。昨晩目にした女。旅人エリスの同伴者であり、エール=バゥ=リバラン スの護衛である、ファン=ベル=メル。今はミドルネームのベルで呼ばれていたか。くす んだ灰色の髪を持つ彼女が、何故エールが出奔した時点でそれを連れ戻そうとせず、黙っ て付き従ったのかは不明だ。無表情の下は、案外情に流されやすいのかもしれない。  とはいえ、彼女の理由などホセには興味がない。彼女が今ここで独りで居るという事実 のみが問題だ。彼女の油断を責めるべきだろうか?だが魔剣アウラムにしろ、エールにし ろ、今までならば複数の国家・勢力がその影を以って追い詰めるほどの存在ではなかった のだから、とホセは彼女に同情した。  そうするほどに、激情に血が沸き踊る。  人々がホセに道を譲るのは、彼が一見すればどこかの紳士に見えるという理由も大きく ある。だがやはり、ホセは紳士ではない。  冒険者なり、傭兵なりになる者は二つに大別される。すなわち生きる為に行うものか、 もしくはそうせずにはおれないものか。そして長く残るのは後者だけだ。もはや、その刺 激なくしては生を実感できぬ者たち。  ベルを目前にするホセに道を譲った最後の一人。彼は、ホセの身格好を見て、面倒を避 ける為に道を譲ったのだろうか。それとも、ホセが浮かべた薄い笑みがあまりに獰猛だっ たからだろうか。  灰髪の女が市場のメインストリートを外れた。それは、エールの元へ速やかに帰る為の 近道であったろう。平時ならば、それでよかった。それで正しかったのだ。  放たれたクロスボウの太矢は、ベルには当たらなかった。  横合いから突きこまれたダガーを、ベルは王族の護衛たるにふさわしい動きで受け流し た。鈍く輝く金色の篭手を装着する程度の武装は、彼女もしている。  だが背後から迫る影への対応は、一歩遅れた。  ベルの頬がわずかに歪んだ。それは彼女としては最大級の感情の発露だったが。  彼女に向けて放たれた二発目の太矢は、その背後の影が巻き起こした旋風により壁へと 突き立った。  真紅のマントが揺れ、ベルが、この男は昨晩宿で見た、と判断する瞬間にも、ホセの抜 き放ったレイピアが、今しがたベルへ突きかかった男の手の甲へと吸い込まれた。  ホセがその胸に昂ぶっていた激情を解放すると、それに反応したレイピアが炎を纏い、 刺客は手から炎を噴き出す。 「ぎぁぁあっ」  なんとか抑えようとする声は、しかし炎の、文字通り身を焼かれる痛みによって吐き出 される。  服に引火し火達磨になっていく襲撃者を横目に、ベルは力ある言葉を高速で唱えて指を 振った。魔術による投射物防御は、生存率を上げるためには必須である。風がうねり、ベ ル本人と、ホセを包む。 「感謝を」  最大限に簡潔な礼。既に彼女の黒ずんだ瞳は太矢の飛んできた方向へと向いている。  ホセはそれに満足そうに頷いて、地を蹴った。彼の身を包むマントは、風の力を発揮し、 ホセを軽々と家屋の屋上へと運ぶ。  眼下では先ほど炎の刺突を受けた襲撃者がのた打ち回っている。騒ぎを聞きつけた市場 の者たちが、火達磨を見下ろし、そして飛び出したホセを見上げた。  その中で、灰色の彼女は走り出している。  エールの従者ファン=ベル=メルを狙う者がいるならば、それはそれで派手な踊りにし てもらう。投げ入れられた波紋は、あらゆるものを浮かび上がらせる。それが各々にとっ て有利にしろ不利にしろ。激動は行動を強制するのだ。しかも相手が先に動いてくれると いうなら、願ってもない。  その方が今回はやりやすいとD機関は判断し、ホセは喜んでその役を引き受けた。 (今は五人と言っていたが、その先はどう来るかね……?)  ホセは紳士ではない。<命知らず>の<ならず者>だ。  一人は下で戦闘不能。視線の先には、あの射撃間隔なら当然というべきか、クロスボウ を手にした襲撃者が二人。そして視界の隅に映る二人は地上にいる。全て分厚い布の下に その正体を隠している。 (これで五人になるね)  ホセの仕事は囮だ。そういう危険の中でなくては心が奮わないのが彼の性向だ。それは ただ単に無謀な戦いならばいいというものではない。  突然の出来事に声をあげる民衆が彼を見る。逃げる目標を追いかける為に、襲撃者が立 ちはだかる彼を見る。  この瞬間。  この愉悦。  クロスボウを手放し、短剣を手にした二人がホセに踊りかかる。  未だベルによる風の防護は生きており、奥の二人から射撃の気配はない。魔法が来るか もしれない。ベルの防護はあの簡素さからして恐らく魔法までは防御できまい。  だがホセはそんな心配は振り切って、迫り来る二人へと自らも飛び込んだ。  涼やかな笑顔を浮かべながら、沸騰した熱情に身をゆだねるのがホセのやり方だ。そう でなければ一瞬を生き残る事などできない。  風のマントが翻り、轟々と風が叫ぶ。屋根と屋根を飛び越えた襲撃者は、その片方が風 の抵抗によって着地のバランスを崩した。ホセの持つマントの加護では、そして彼らの身 のこなしの前ではそれが限界。  だが十分。  転がることもなく、すぐさま態勢を立て直した襲撃者はの眼前では、しかしもう一人が 既に敵との間合いに入っている。  赤い剣を奮うホセ。  先行した襲撃者は身をひねる。避ける。腰を落とす。  突き込まんとする一瞬、視界が揺れた。 (陽炎――――)  冷えたサウリアの空気に、ホセの火剣による高熱がぶつかり、乱れたそれは揺らぎを生 む。不自然に強くとも、所詮儚い陽炎でしかないそれは、しかし生死の境界では致命的。  外した、という認識とともに襲撃者に衝撃。  風圧の牽制は気流操作の為でもあったのか。そう考えながら、先行した襲撃者は宙を落 下し、地面に叩きつけられた。 「がはっ」  背中を強打。肺の空気が無理矢理押し出され、潰れたような音を吐き出す彼の前に映っ たもの。それは自分の上に落ちてくるもう一人の背中だった。  二度目の衝撃。一度目よりはよほど軽い。彼の右眼に何かが降りかかった。それが赤い とは判らなかったが、その熱が、恐らく仲間は切られたのだろうと推測する。  彼は急いで体を起こそうする。しかし、すぐさま飛んだホセが、そのホセの構える剣の 切っ先が、吸い込まれるように自分たちへ落ちてくるのを残った左目で見るところで、彼 の時間は切れた。 「悪いが放置はできないのでね」  突き立った赤い細剣を引き抜き、ホセは顔を上げる。そこには言葉ほどの同情は読み取 れないが、しかし死に向かう彼らとて、そこに同情など欲しくはないだろう。  数拍のうちに二人を処理した男の視線は、既に残る二人に移っている。  屋上の二人がホセに向かう以上は、その残る二人は元からホセに相対する気などないの だろう。ホセは障害にすぎない。ファン=ベル=メルを追わなければならないのだろう。  既に彼らは走り出している。ホセへとではない。回り込むのだろう。目標の宿泊してい る宿ぐらい、彼らとて知っているに違いない。 「だが、そういうわけにはいかないな」  頬に散った血を拭い、手袋に赤い斑が生まれる。その赤は、まさしくホセの心でもある。 赤は人を滾らせる。広がっている血の斑のように、もはやその奮えはひたすらに膨れ上が る。  ホセはその興奮を風のマントに叩きつけながら地を蹴った。風が吼えて、ホセを吹き飛 ばす程に押し進める。  剣は、もはや種火や陽炎ではなく、燃え盛るほどに刀身を包んでいる。  焼け付くような熱風となったホセが、残る襲撃者へと喰らいつく。  一人が立ち止まる。もう一人は走り続ける。  片方を足止めにして、最低でももう一人だけはあの女性の後を追わせようというのだろ う。  襲い掛かる赤い切っ先を、抑え役の襲撃者は一歩引いて回避する。更にホセが踏み込も うとした瞬間、剣に鎖が絡みついた。  ホセが身を退こうとするも、相手もがちりと剣を喰らい込む。服の下に隠し持っていた だろう暗器を見すえ、ホセが静止する。  それも一瞬のこと。  ごくりと抑え役の喉が鳴った瞬間、ホセの剣が盛大に火を噴き出す。  目を細めた抑え役は、しかしすぐに目を見開いていた。わき腹に刺すような痛み。いや まさに刺された痛み。  抑え役が視線を落とすと、ホセの左手から、ナイフが飛んでいた。 「囮さ」  ホセは緩んだ鎖から引き抜かれた剣を再び突き入れる。喉を破り、内側から焼かれ、抑 え役はまさしく息を途絶えさせた。  炎の剣に血も油も残りはしない。そのままホセは最後の目標へと走り出す。軽やかに、 だが激しく。その背を追う。激昂した猛牛のように。一直線に。  狩り立てられた襲撃者が通りに出て行く。だがホセは躊躇しない。彼の仕事は派手に立 ち回る事ならば、このまま往来で焼き尽くしてしまって問題はない。  その炎が、襲撃者の背へと最後の一歩を踏み出した時。 「か……っ」  小さな声を上げて、追われていた者は倒れ込んだ。  ホセは最後の踏み込みを停止し、剣に燃える火を治める。 「ふむ、なんだ…………」  そうして、今までが嘘のようにゆっくりと通りに出て、襲撃者へと歩み寄っていく。  市場での騒ぎにまだ気づいていないのだろう。通りにいた人々は突然現れて倒れ込んだ 誰かを怪訝そうに見ている。そしてその視線はすぐホセにも移動した。  ホセが一つ息を吐いて、襲撃者が向かった方向、更にその先を見やれば、先ほどここに 来る直前にいたあの男が屋根の上に見えた。かぶりを振っている。必要なかったな、とで も言いたいのだろう。確かに、あのままいけばホセが追いついて倒していた。  仰向けにさせると、眉間のど真ん中に太矢が突き立っている。ホセそれを引き抜いて、 その顔を包む装束を剥ぐ。  特徴的な浅黒い肌が覗いた。 「なるほど、カーメンか」  それを遠目に見ながら、弓士のほうが呟いていた。それは、ここサウリアより更に西、 巨大な砂漠であるパシティナ砂海付近にある国の名だ。また、対皇国の為の連合である王 国連合に名を連ねる国の名でもある。 「なるほど」  昨日から逗留することになった宿の一室で、ホセは自分たちの長と会っていた。報告を 終えると、彼は頷いて、しばし思考に入る素振りを見せる。  時刻は昼前。そこに他のメンバーたちはいない。彼らは彼らで既に動いている。あの弓 士もまた他の行動に移っているのだろう。あれだけの騒ぎを起こせば都市の警備団も出て くるはずだ。とりあえずあの場は去ったが、ホセは目立つ。というより目立つように動い たのだから、そのうち絡んでくるだろう。サウリアは皇国の都市だが、だからと言って一 言で話がつくものでもない。元より皇国皇帝直属の組織としてのD機関など、知られては いないし、名乗る事もないのだから。あくまで彼らは傭兵の集団でしかない。  従者が襲撃を受けたという事は、エールがいた此処なり、他所でも動きがあったはずだ が、青年は動く風もなく座ったまま考え込んでいる。 「そうか……アイツの援護は必要なかったか。ファン=ベル=メルはそのまま移動か…… そうなると……」  紫眼の青年はぶつぶつ呟きながら、何かを書きとめている。単純な文章ではなかった。 文書を囲って線で繋いだり、数字を書き込んだりしている。  何を書きとめているのだろうか。  そんな疑問が顔に出ていたのだろう。青年はホセを苦笑混じりに見上げた。 「ああ、これは攻略本を書いているんだ。一度書かないと忘れるからな……どうせ書き直 さなきゃならないんだが」  だがホセがD機関たる青年からその言葉を聴いたという事実は、残らない。  光。  そして、目の覚めるような赤――――