ダブル / ジョーカー                  四話:表                『Deception Point』  皇国軍団の長は、十三人のうち六人が人間種である。眼を剥くほど少ないわけではない が、半数以上が亜人か、魔人か、まっとうな生物でないというのは、皇国が元々そういう 点においては寛容なことに起因する。  皇国は寛容だ。そして非常に狭量でもある。皇国は全てを認める。それが皇国の内側に あるのならば。皇国人、という括りを作るには皇国はやや広すぎて、雑然としすぎている が、いやだからこそ、その中に生きる事が出来た者たちは大なり小なりそんな思考を持っ ている。「こちらに入ってくればいいのに」と。そう、内側でさえあれば、種族など問わ れない。身分の壁というものも、かなり破壊されている。 (――――大きなお世話だっつーんですよ)  そう考えるのはドクターが皇国という存在に根を下ろしていないからだろう。  皇国とは憧れだ。村の鐘の音が聞こえる範囲で一生を終える人間ですら、旅人や流れの 芸人に吹き込まれて夢に見る。全ての道は皇都に通ず。  最大の国力。最強の兵力。最新の文化。そして最古の名義。  かつて、二千五百年ほども前に生まれた、大陸統一国家『皇国』の名をこの地は持つが 故に、皇国は『全て』でなければならない。それがこの国が、この国として存在している アイデンティティの一つだからだ。『統一』という題目は、ただ題目というなかれ、決し て消える事はない。  サクセサー・オブ・オリジナル・ランド。  無意識に纏うその誇り。無意識に横たわるその傲慢。 「相変わらずネズミの穴でごそごそやっていると思っていたが、珍しいなドクター」  しかし結局のところ、眼前の男が言うような生き方が理由なのかもしれない。人より長 くそこに居るドクターが、その男のような『皇国人』たれないのは。  片手で頬杖をつき、片手できっちりと切り揃えられたひげを弄っている。歳は四十に届 こうかという頃だったはずだ。年齢にも増して落ち着いてみえる彼は、その地位と相まっ て年頃の女性から非常に高い人気を持っているらしい。テトラとは違う意味で。 「アンタこそ、ベッドの上でごそごそしているわりにはデキやがらねーですねー。検査し てやりましょうか?」  先手も先手なら後手も後手だった。双方とも、相手の無礼に対して薄笑いを浮かべて肩 をすくめるだけだ。  第二軍の長、ジェレミー=C=ハインライン。彼は軍団長の中にあっては『普通』だ、 とドクターは認識している。  根源的には敵性の存在であるクラウドや、空の覇者テトラの通り、皇国の戦闘力を担う 彼らは誰も彼も『まとも』ではない。ただ強いだけの兵士では足りない。ただ賢いだけの 指揮官では足りない。もしくはそんな枠などでは、測れない何かでなければならない。皇 国以外の全てと戦える者でなければならない。皇国が種族を問う事はなく、何をしてきた 者でも構わない。その者に力があり、そして皇国のために戦えるのならば。  そんな中でいえば、ジェレミーは所詮常識の範疇でしかない程度の存在だ。  ジェレミーは人間だ。皇国生まれの皇国育ちである人間種、という最も誇り高く狭量で、 傲慢にも寛大な『皇国人』の一種。それは十三人の軍団長のうちでは三人しかいない。そ の一人。  ドクターの心象においてもっとも遠い軍団長。  そしてドクターの人付き合いにおいてもっとも近い軍団長。 「しかし、我らが『共犯者』が、驚いたよ。空帝領まで行ったらしいな?」 「そりゃアンタんとこの部下のせいなんですがね……」  近いと言って、親しいわけではなかった。『共犯者』と男が呼びかけるのは、連帯感を 生み出す為の小賢しい手管なのだろうと考えて、心中で嗤う程度の親しさ。とはいえ、相 手の言うことは正しい。  『共犯者』。それがドクターと将軍の関係。 「まー、それはいいんですがね。でも落ち着いてきたじゃないですか?……あの『犯行』 については。今の皇帝になってからもう六年も経っちまいましたしね」  ドクターの言葉に、ジェレミーの口元のゆがみが深くなった。 (ふん、目が笑ってねーですよ、ジェレミー)  ジェレミーの笑いに、ドクターもまた笑いで返した。 「や、まあ正確には四年ほど経ったってとこかもしれませんがねー」 「ああ、助かったさ……その節は、な。実際お前が検査したいというなら、こっちではな いのかね?」  ジェレミーが襟元を緩めた。はだけた服の下から胸元が覗く。男色の気があるというわ けではない。いや、ドクターはジェレミーの性癖までは把握していないので、本当の所を 判っていたわけではないが、少なくともこの状況においてはそういう意味ではない。  胸部の下方、肌が結晶のような輝きと、鱗のような凹凸に覆われていた。 「へぇ……、そこまで広がってきたってんですか。意外と早いですねー。って、これじゃ あ確かにデキるわけないか。ベッドに入れやしませんね。ご愁傷様」 「ご同情痛み入るね。…………何もかも失うよりはマシだ」  『共犯』。それはまだ前皇帝の治世だったころ、ジェレミーが犯した裏切り。彼の友人 だったツヴァルト卿を失脚させ、皇国騎士団を解体に追い込んだ謀略。ジェレミーは独断 でドクターと接触し、騎士団に仕込みを済ませた。その甲斐あって、西国の高名な騎士と 混乱状態で衝突する事になった皇国騎士団は、皇国最後の騎士と呼ばれた男を頂いてたっ た二日後に壊滅状態に陥った。そしてそれを最後に高等戦闘集団としての騎士団は皇国か ら消滅することになる。当時は、派手な実験場を欲していたから、ドクターにとっては有 用なデータが沢山とれた。  しかしそれが、ただ皇帝の意向を受けて、邪魔な懐古主義者を排除する為に行われたの であれば、そこまでの話だったのだろう。  『共犯』。現皇帝即位後に、ジェレミーは皇帝より『事象剣』を下賜された。しかし実 際のところそれは、下賜などというありがたいものではない。それはドクターがある研究 の途上で生み出したものだ。剣とはいうが生きた魔剣に近い。それを持つことは、それの 実験体になることだった。ジェレミーは、かつての協力を理由に、その実験体に自分を推 挙するように圧力をかけた。ドクターはそれに応えてやった。  ジェレミーはそのとき、新たな『利用価値』がなければ、彼は軍団長を罷免される寸前 まで追い詰められていたのだ。  騎士団という、守旧派の剣が完膚なきまでに叩き潰された時、実権も実体も失っていた それらは、掲げる旗をも失って再起不能となった。常備軍団はまさしく皇国の戦力そのも のとなった。  それから二年後に、突如として前皇帝が崩御した時、後継者の後見となるはずの弟が立 て続けに死亡し、皇都を中心に緊張が走った。皇帝の息子たちは、その後ろ盾にあるもの を欲する。『戦力』……その指揮権を皇帝より借り受けているのは常備軍団の軍団長たち であり、その瞬間『皇帝』は存在しなかった。  結局は、突如として現れた前皇帝の庶子――――現皇帝が全てを治めたが。  前皇帝の弟の死は、あまりにもタイミングが悪かった。  緊張が走った前後、前皇帝の次男はジェレミーと密に連絡をとりあっていた。  現皇帝即位後の初陣で、第二軍は投入されなかった。 「安心してくれたまえよドクター。そう簡単に階段を落ちはしない……」  顎髭を撫ぜる指の動きが、やや早くなっているように見える。  階段にしがみつく為に、その男もまた『普通』からはみ出した。ドクターとしても、彼 が実験体として申し分ないとは思っている。何の興味もわかない肉体であったが為に、変 化を観察するのにうってつけだったのは確かだ。 「潰されて死ぬような失態を見せる気もないよ。しかしなドクター、しばらくはお前の興 味は他に移ると思うね」  過去を掘り出しながら、そろそろ本題を切り出そうとしていたドクターは、ジェレミー の言葉に眉根を寄せる。 「…………他?何か出やがったんですか?天空城の調査とか……」 「いや違う。まさにこれさ。本物がな」  ジェレミーが自分の胸元を指す。  『事象剣』。ジェレミーの肉体を変質させているそれは、事象龍という神の化身に関す る研究から生まれた。神を宿す寄り代になる肉体を製造した事もある。その過程で、化身 より更に低位の、神々の代行者として現れる者たちの力を再現しようとしたのが、その剣 だった。本来ならば、事象龍の加護を得たものは、その司る事象概念そのものが具象化し、 その身を包む。その変化は恐らく一瞬で発生し、かつ可逆的なものだと思われるが、模造 物であるドクターの剣では、今のジェレミーのようにこのまま肉体がゆっくりと変質して いくことになりそうだった。  本物。 「アウラム……?」  ドクターが真っ先に浮かべたのはその名前だった。ある王国に伝わる事象龍の縁故と思 われる魔剣である。事象剣製造時、資料が欲しいと思ったから覚えている。 「お、正解だ。それを手に入れる為に、動いているのが居てな。お前は知らなかっただろ うが、リバランスの姫がアウラムを持ったまま出奔しているのは有名な話なのだよ」  ジェレミーの言う通り、ドクターはそれを知らなかった。しかしドクターは、それより もある言葉に反応する。 「動いている、の…………?第十軍団ではねーんですか」  ドクターが実験体になろうかという相手以外に興味を示した事に、ジェレミーは驚いた ようで、目を見開く。その目が細く細くなって苦い表情に変わるのに、そう時間はかから なかった。 「ハインライン…………?」 「…………闇哭のやつらではないな」  その歯切れの悪さに思い当たる事が、今のドクターには存在した。 「D機関……ってわけですか」  ため息と共に吐いたドクター。ジェレミーはその言葉にも驚いたようだが、今度はただ 表情を固くしただけだ。 「私に会いにきた理由はそれか。そうだ、皇国情報保安室だ。皇国技術研究室の室長とし てはどうだね」 「は、なんです?僕様が対抗心を燃やすとでも思ってやがるんですか――――」  一笑に付そうとするドクターは、しかしその笑いを止めた。ジェレミーはただじっとド クターの顔を見つめている。 (なんです?これは…………緊張?) 「恩のあるお前にだから言うが、止めろ。関わるべきではないぞ」  ドクターに浮かんだのは疑問だった。 (何故?何故これほど警戒してやがるんです?コイツらしくもない……)  ジェレミーを緊張させるもの。ドクターはたった一つしか知らない。 「まさか、アンタの尻尾を掴んだのは……」 「即位まもない初陣で黒星だ。しかも私は警戒されて投入されなかった。あの時は狂喜し たな…………半年で終わったがね」  アテが外れた、とドクターは落胆覚えた。 「アンタが連れてきたと思ってたんですがねー」 「何故関わろうとするのかね。お前に何のメリットがあるのかな」  ドクターの婉曲な質問をジェレミーは意図的に無視した。もはやその手は髭をいじって はいなかった。ただ顔の前で組んだ手の向こうから、じっとドクターを見ている。 「最初はちょっと暇だっただけですよ」  コキコキと首を鳴らしながら、億劫そうにドクターが呟く。 「スポンサーのことを知っておこうってぐらいはね、僕様だって考えるっつーんです。自 分の立ち位置ぐらいは、理解してるつもりですからね」  一息吐き、ジェレミーを見据える。視線を受けて、男は表情を変えない。 「でも面白くなってきちまいましたよ。ねえ、ここ数年だけで『研究室』は一体どれほど の事をさせられてきたと思ってんです?」  人造魔人の量産。  神の寄り代。  事象の転移装備の開発。  模造勇者の製造。  古代機械の解体と調査。  ……。 「覚えてますかジェレミー。十二賢者の『道楽』が此処にしばらく居たでしょう。結局は いきなり出ていきやがったといって、そもそも皇国に協力するなんて、本来考えられませ んよ。だが奴は協力したんです。そしてそれを僕様は活用させてもらいましたよ」  いっきにまくし立てると、ドクターは長く長く息を吐いて、吸った。 「使うから、造ったんでしょうが。『あんなもの』らを、使うんでしょう?はは、こりゃ いいです。その果てには、一体どんなに沢山の検体が僕様の前に転がりでてきてくれるん でしょう」 「だが、皇帝に仕えることと、結局差はないはずだ」 「いーや、彼は真っ当な人間種ですからね。あんなものを全部用意できる者が、ただの生 物であるはずがないでしょう?ねえ、だから僕様は会わなきゃならない。メスを入れるだ けが研究じゃあねーんですよ」  ジェレミーが鼻を鳴らす。それを見てドクターは微笑した。彼らがそういう貌を見せる 事は非常に珍しい。 「いや確かに、ワリはあいませんね。ぶっちゃけ不必要な危険に首を突っ込んでるっての は自覚しちまってますよ」  ドクターが肩をすくめ、「でもね」と次ぐ。 「アンタだって十分恵まれた地位にいるじゃあないですか。少し弁えれば、そんな危険に 身を晒す必要だってなかったっつーんですよ。地方で悠々自適に暮らせばよかったんじゃ あないですか?そういうこと、あっちまいやがるでしょう?」  組まれた手の裏で、ジェレミーの頬も緩んだ。 「ああ…………そうだな、理屈ではそうだ」 「「だがオトコノコは、そうもいかない」」  やはりこの二人は『共犯者』なのだろう。 「……奴を連れてきたのは、ナチだ。あの第十三軍だ。想像はついているだろうが、五年 前の東部からだよ。そこで一体何があってやってきたのかは判らん。魔同盟の魔王が二人 も消えた場所だ。何だって起きたろうさ。まあ大体の生い立ちはわかっているが、お前に は残念な内容だろう。ヤツ子飼いの人員もある程度のデータはあるがな……」  言って、ジェレミーが紙束を取り出す。それを見たドクターは呆れ顔を隠そうともしな かった。 「はっ、そんなもの作ってんじゃないですか。アンタも変わりゃしませんね」  その言葉への返答は笑いだけだった。 「使われるのではなく、組もうというんだろ。だが気をつけろ。奴の動きは皇帝とナチし か知らん。お前が組もうとしている腕は、まさしく皇帝の『片腕』なんだからな」  ジェレミーが言い終わる頃には、ドクターは背を向けて手をひらひらさせていた。苦笑 しながら、扉が閉まるのを待つ。  扉の音を最後に静寂がやってきてからも、ジェレミーはそのまましばらく微動だにしな かった。表情の一つさえ。  唐突に、声。 『ドクター・ストレインジは狙い通り動いてるか』 「はっ……」  ジェレミーが応えたのは、やや高い男の声だ。力強いが、透き通っている。 『お前としてはどんな感じだ』 「あぁいう火のつき方をした彼は初めて見ますな。五年……まあ四年近く煽り続けてやっ と燃えるというのは、なんとも」  言いながらジェレミーは視線を動かした。ぐるりと自室――――まぁ正確には軍団長の 皇都滞在用オフィスだが――――を見回す。  あの時も、その時も、ここが<策略の場>だった。 (しかし、悪いなドクター。少年はいつか大人になる。己の力を知り、己の限界を知り、 諦めと感傷の中で、しかし己の人生というものを手に入れるんだよ。その身体を犠牲にし てでも仕えるべき主を、私が見出したようにな。お前は少し、モラトリアムが長すぎる) 『ま、アレだけの才能が、遊んでてもらうわけにはいかないからな』 「Yes, Your Majesty(はい、皇帝陛下)」  だが<騙られた真意>を、ドクターはまだ知らない。  ドクターが異変を知ったのは、押入れの棚が開け放しになっていたからだ。  正直そこを覗き込むまで、そこに何が入っているのかすらドクターは覚えていなかった が、何もないそこを見た瞬間に思い出す。 「ザーラスが……ない?」  『研究室』で扱うものはどれも皇国の機密だ。暗部だ。いくらただの技術屋狂いでも、 その管理責任を逃れるなどということはない。他者にとり憑き、その全てを乗っ取る魔鎧 種。元より改造ザーラスを手元に放置したまま会話相手にしていたのは完全にドクターの 職権濫用だ。管理を怠り皇宮に解き放ってしまった事が発覚すれば……。 (バカ言えってんですよ…………『研究室』の存在を知るのは皇国上層部の一部だけ。研 究員は……いや、改造していない下っ端の動向は僕様の作品が監視している。っていうか 情報結界も解除されてやがるじゃないですか。くそっ、侵入者の特定が!)  皇国最暗部の魔術セキュリティを全て気づかれないように解除し、機密生物を盗み出す という離れ業。何の準備もなく突発的にドクターが数日皇都を離れたという理由もなくは ないが。 (内部犯…………?)  すぐさま頭をよぎったのは、財務官など文官のトップたちだ。彼らは元々好き勝手に金 を使い機密費で済ませる『研究室』を良く思っているはずがない。表の組織としてコント ロールする事をいつも狙っているわけで、不祥事は願ったり叶ったりだろう。  だがその懸念を一瞬で塗りつぶした一人の男がいる。  第四軍団長、ブラックバーン=アーム。  魔鎧の長、ザーラスの本当の主、魔鋼将軍、『鉄壁不倒』――――ザーフリドをその支 配下に置いた男。ドクターがザーラスを検体として手に入れることが出来た理由。  もし彼が逆支配を受けたとしたら。  軍団長個人として最強の『戦力』を持つあの男が、今ここで魔族に乗っ取られたとした ら。  そもそも、通常の術式構成型魔術師としても一級に位置するドクターの全セキュリティ を、そこらの飼い犬が破れるわけがない。ドクターがうぬぼれてみるに、皇国内の魔術師 では五人ほど。  ドクターは虚空に叫ぶ。 「『娘たち』よ、全員集合しろ。死鋼軍団に接触試行準備!これより『研究室』は戦闘態 勢に入る!」  失態は握りつぶさなければならない。  軍団長一人を抹殺してでも。 ●蛇補  寄り代になる肉体の製造:ナナミ『冒険者たち』  六人:ハインライン、ブラックバーン、イザベラ、ゼファー、キルツ、ナチ  ツヴァルト卿:ジーザス=ツヴァルト、失脚した元皇国騎士団長、『〜の冒険』  西国の高名な騎士:スエイ回想『西国最強の――』  後見となるはずの弟云々:昔、皇国皇帝の叔父の設定が投下されていて              なんか突っ込まれて結局ひっこめたりしてた一連の流れを              ただぼーっと眺めていた記憶から生み出されたエピソード              投・突どちらに対しても特に意見はないけど              それを記憶している上にエピソード化する時点で誰よりも性格悪いというか              いやいや全てを包み込む愛ですね、っていう繕い方はどうかなって