ダブル / ジョーカー                  四話:裏                 『DANGER ZONE』  サウリア市の龍の鱗亭、つまるところD機関の者たちが泊まった宿の壁を、外から掌で 軽く叩いている者が居る。真剣な表情で何の特徴もない建物の壁を観察し、そして目を離 して辺りの道を確認する。巨躯の男が早朝からそんなことをしている様は、怪しい以外の 何ものでもなかったが、早朝だからこそそんな男を目に留める相手も居なかった。 「ああクロア。では私は行ってくる」  いや居た。真っ赤マントに身を包んだ紳士風の男。ホセだ。クロアと呼ばれた巨漢は相 手を一瞥すると、手だけ振って応えた。  ホセが歩いていくのとは逆に、クロアは宿屋の前に戻る。紫眼の青年を確認して、鼻息 を一つ吐いた。 「どうだ」 「問題はねぇよ。街路の方は、一昨日から把握してるしな」  やや面倒にそうに言って、顎をしゃくる。中に戻ろうぜと言うことだ。南の方だとはい え寒い。  その横柄な態度に対してだろうか、相手はやや苦笑を浮かべながら踵を返した。 『変わらんなお前は』  クロアはそう言われてるような気になって、扉をくぐりながらまた鼻を鳴らす。 「なぁ、本当に――――」 「来るさ。多分な」  いつもの物言いだ。これが出たなら、もう決まりで、だからこそクロアが朝も早くから 起き抜けの散歩のような形で外に出ていたわけだが。 「『長い腕』が言うんなら、そうなんだろうよ。多分」  言いながら、その相手を追い抜いて大股で一階酒場を突き進む。 「そうさ。だから頼むぞ、石(ストーン)…………」 「俺は」  背後で苦笑しているであろう相手に振り向くことなく、クロアはその言葉を遮った。 「建築家(アーキテクト)だ。石工(ストーンワーカー)じゃねぇ」  そのまま歩を進めたクロアは、酒場のテーブルでぼんやりしているドリー=ルーガーの 前に置かれたコップを無造作に手にとる。 「貰うぜ」 「む」  ドリーが抗議する前に、クロアはさっさと酒を手に二階への階段を上っていく。仕事は まだ先だ。  何より。 「まったく。あぁ親父さん、二杯」  耳に届いた言葉の発言者が、設営魔術師クロア=クレッスはずっと気に食わないのだ。  設営魔術師というのは、文字通り設営を行う魔術師だ。それは魔術の行使方法や流派と いったものとは何ら関係なく、単純に建築物等の設営をする為の手段を多く有しており、 かつそれを得意としているという傾向だ。いかなる手段にしろアンデッドを魔術で操るも のがネクロマンサーならば、設営が得意なら設営魔術師である。  ものを建てるというのは大仕事だ。それに特化した魔術が生まれるのは必然と言えるだ ろう。軍事行動において陣地の構築は重要であるし、平時の生活を安定させるインフラの 整備は非常に大規模な仕事である。  最も代表的なものは医療魔術師だろう。他には食料魔術師というのも居る。人が食べる ものを魔術的に生成するので、設営魔術師同様に独特の専門知識を必要とする。たとえば 攻撃用魔術で無造作に生み出された水は魔素を大量に含むので大量に摂取するとエーテル 病になる。だからクリエイト・ウォーターという飲料水用の呪文が存在するのだ。  とまれ、彼らは専門型魔術師である。魔術師というものはおしなべて専門的なものでは あるが、彼らはその特定技術のみでまず食うに困らない。生活密着型魔術師とでも言うべ きか。  ドリー=ルーガーは炭鉱夫であった頃、独自に編み出した螺旋魔法で掘削を効率化して いた。しかしそれは一人の人間と、場合によってはその者の一家を養うだけの「手に職」 を与えるほどの魔術技能ではない。彼はそれ以外の魔法をほとんど使えないし、聞きかじ りで一芸を身につけたのは非凡な才能としても、以前の彼はあくまで肉体労働者だ。  戦場は、多くの戦闘魔道士(バトルメイジ)を見ることができる。彼らは魔術をもっと も原始的な形で行使する。その大半は、研究者・専門技術者としてはかなり中途半端な位 置にいる。彼らはいわば「崩れ」なのだから。実践(戦)的だと言い換えてもいい。  クロア=クレッスは、設営魔術師という技術者なのだ。だからこそ彼は現状に不満を抱 いている。しかしそれが自分の選んだ道であれば、不満を抱く以上の事はできない。 「おはようございまーす」  二階の廊下で少女とすれ違う。エール=バゥ=リバランス。クロアも昨日のあの場には 居たが、まさか挨拶されるとは。丁寧な事だ。 (王族とは思えんぜ。全くいい娘じゃねぇか)  だから気を良くしたというわけではないが、その背を振り返るクロアの視線には同情が 浮かんでいる。  自分たちの目的は、彼女を護衛し、なんとかして皇都においでいただくことだ。  そして首尾よく連れて行った後は?  その地理ゆえに皇国でも連合加盟国でもない小国の王女。事象龍と因縁深い魔剣と、そ れを受け継ぐ血統の末。  皇国が用意する安全は、かつて彼女がまんまと抜け出した実家ほど緩くはあるまい。 (――――反吐が出る)  それでも、クロアはそれに協力する。  皇国の暗部の手先として働いて四年と少し。今年はついに賢龍団という外装さえあの青 年は取り払ってしまった。傭兵団を装うとは言うが、実のところファーライト王国で仮面 を脱いだ以上、かの国や、その加盟する王国連合の諸国で賢龍団はもはや活動できない。  D機関の長は元々そこそこ名の知れた傭兵だ。  サクセサーズ・オブ・ネームレス・レジェンド。  五年前に伝説的だった一人の傭兵隊長は姿を消した。傭兵を続けたその後継者はクロア 達のリーダーだけだ。とはいえ、所詮は若造。見ろ、一個中隊を率いるのが限界ではない か。少しばかり目端が聞く『長い腕』。そうも言われているようだ。 『五年以内に事象級の魔王を、一枚以上撃砕する準備がある』  だがクロアがその腕をとった時、彼はそう言い放ったのだ。  だからこそクロアはそれに協力する。  クロア=クレッスには願望(ユメ)がある。  ドリーが襲撃者を排除し王女とリーダーと共に宿から脱出するのを、クロアは冷めた目 で眺めていた。  ひらめく鋼。飛び交う魔光。鳴り響く破壊音。打ち倒される戦士。  クロアはそれらが嫌いだ。  こびりついた記憶が、胃の中をむかつかせる。唾棄しても、それはすぐにせりあがって くる。  東部の荒地が思い起こされる。クロアの生まれた場所。 (……くそっ、余計なもんを)  ドリーのようにもはや故郷に戻れない傭兵は沢山いる。クロアもまた、彼の故郷に戻る ことはできない。  故郷は、完全に失われてしまったのだから。  クロアはドリーらが進むルートを想定しながら、自分は別の道を走り進んでいく。  狭い街路を走り抜ける時、ふと思い出す。少年の頃もそうしたのだ。迫り来る死から逃 れんために。  戦争があった。それは後の世に東国継承戦争と呼ばれていた一幕だけれども、クロアに とってそんな事はどうでもいい。東部統一の為の二度目の動乱の中で、クロアの生まれた 街は灰燼に帰した。廃墟になびく平原騎士団の旗は、未だにクロアのまぶたの裏に焼きつ いている。それは今は東国騎士団と呼ばれているが。  聞こえてくる騒ぎの音に耳を立てながら、あらかじめ確認していたルートを進む。逃走 側との打ち合わせは夜のうちに殆ど済ませてある。元々の予定では、クロアは直接王女を 襲撃してくる相手ではなく、その援護の阻止と、ドリーらが一度敵を振り切った後に、そ の後ろを守る事になっていた。だが、ギリギリになって彼らのリーダーが得た情報とやら を元に配置を変更。リーダー自らがドリーに同道すると共に、クロアがその援護に入る事 となった。 『我との賭けは賭けにはあらじ、スライト・オブ・ハンド!』  探査魔術(サーチソーサリー)を起動。王女らのいる方向を遮り、道を構成している建 物の壁に手をつける。石造りのそれを通して、壁の向こう、そのまた向こうを知覚する。 (アンデッドの位置は大体わかった。術者は……さすがに感知させてくれねぇか)  王女らを襲撃している死体を操っている者もかなりの力を持つ魔術師と見える。そうい う魔術師が相手の探知に無防備な筈もない。  しかしあのアンデッドだけで彼らを追い詰められると思っているならば見通しが甘いと 言わざるをえない。恐らく前衛か、術者本人が決めに来るはずだ。アンデッドの整然とし た動きから見て、よほど規格外な使い手でもない限りは術者本人も近くにいて監視してい るだろう。それこそ『魔王』と呼ばれるような存在でもなければ。クロアからすれば、彼 のその願望の為に、それはそれで現れて欲しい存在でもあるのだが……。 (さて……そろそろ仕事だな)  一つ息を吐いて、クロアは杖を肩に担ぎあげた。先端がハンマーのような形状のそれは 設営魔術師としての誇りを表すものでもある。彼の目指すところは偉大なる建築家、芸術 家の域なのだ。ただの石工ではない。  はたして、王女たちへと襲い掛かったのは大量の泥水だった。 (かぁ〜、狭い路地を生かしてってか。やるじゃねえか)  怒涛の勢いのそれをひっかぶれば、彼ら三人も無事ではいられない。何より短時間とは いえ行動を完全に封じられてしまうだろう。  だがそれは阻まれる。 『我は汝の来たるを拒む…………シフティング・ウォール!』  呪文と共に、槌状の杖頭を地面へ叩きつける。面に彫られた魔術用の陣が光を放ち、地 面にそれを刻み付けた。  刻まれた魔法陣は瞬間的に『他の陣』と連繋し、それらを起動させる。  サウリア市の下町に、巨大な魔法陣が突如として出現した。  クロアは昨日までに色々な場所に基点用魔法陣を配置し、隠蔽しておいた。それらは特 定の効果をもたず、単純に増幅の為の基点であって、それをクロアが呪文と共に刻み付け た起動用魔法陣とつなぎ合わせて、一つの大魔法を発動させる。  王女らを取り囲んでいた左右の建造物と、当然のように舗装もされていない路地の土が 形を変え、複数の壁を生み出す。それらは泥の鉄砲水を完全に推し留めるわけではないが、 流れに介入されて本来の威力を失い、王女らを巻き込むことなく文字通り受け『流され』 た。  更に簡易地形魔術を起動。足元の土を作り変え、盛り上げて、眼前の集合住宅の屋根に 到達する。次いで、屋根から魔術を起動し、足場と柱を作り出すと、王女らの方に走って いく。  王女らを越えて流れていった泥水が、待ち構えるように配置された路地を閉じる壁に当 たる。押し流すだけの力を殺されたそれはそこで留められた。 「く…………」  泥の中から浮かぶ、魔法陣に照らされた青白い肌の女。 「遅い。もうここは<危険地帯>だぜ」  それを視界に認めて、路地へと飛び降りたクロアが再度杖で地面を叩いた。 『地平は花びら。草の尖塔、花粉の枕を家とせよ。シティ・オブ・ソリテュード!』  現れた女魔術師の周辺の草と土が変異し、相手の展開した魔法陣を砕きながらその動き を阻害する。  現れた戒めは、相手を包み込むように作り出された大地の牢獄だったが、それは不必要 に細部が造形されてもいた。  余裕があったというのは事実だ。準備も万端だったし、相手術師との相性が圧倒的に良 い。上手くいきすぎて、背後にいるはずの紫眼の青年を思い起こしてやや気に食わなかっ たぐらいだ。  だからつい、自分が出た。  クロアは戦いに身を投じることを好ましく思ってはいない。本来は、その魔術技能を用 いて真っ当に働きたいのだ。だからこそ彼は名乗る。「俺は建築家だ」と。 「下らん作り物だ」  だからそれを、黒く輝く甲冑を纏ったケンタウロスが千切った時、クロアは激しく怒り を燃やした。 (俺の作品を!)  怒りは怒りとして、突如現れた騎馬を見てクロアは後ろへ退いた。彼は白兵戦には向か ない。その巨躯はドリーよりも頼もしく見えるが、所詮それは体質であって鍛え上げられ た戦士には比べるべくもない。  騎馬が繰り出した禍々しい槍を、ドリーの螺旋槍が受け止める。  一瞬のにらみ合い。  しかし勝負はもはやついている。相手の襲撃は失敗した。出てきた前衛の狙いは、あく までも撤退する態勢を整えさせることだろう。すぐ後ろのクロアと、更に二人を忘れてい るわけではあるまい。  甲高い金属音を鳴らして二つの槍が分かれた頃には、自由になった術師の方が、騎馬の 背に乗っていた。 (捕まえるのは無理だな)  反転して駆け出した騎馬を、クロアは眺めるだけだった。あの速度を捉えるには準備が 足りない。元々クロアは魔術の構築は緻密だが、マナ使用の効率があまり良くないので、 用意した増幅なしでは魔術を連続使用できない。あらかじめでなければ、離れた逃げ道を 塞ぐことも難しい。  後ろから指示が飛んできたわけでもなく、クロア個人としても追いたくなる相手ではな かった。 (あぁいうのじゃ、ダメなんだ)  もしもクロアの求めるものが手に入るならば、彼はリーダーの指示など無視して追撃し たかもしれない。  求めるのは、魔力だ。  『魔王』などと呼ばれるような存在を打ち倒した時、その骸に残る魔力的な要素は膨大 なものになる。時にはそういったものが結晶化することもある。それらを取り込む事が出 来れば、彼に欠けている魔力量というものを補い、いや人並みはずれたものにすることが 出来るだろう。たとえば皇国十二軍団第四の長ブラックバーン=アームに並ぶような大量 の魔力だ。  それさえあれば、『街』を丸ごと生み出す事だって出来る。いや、その為にクロアは技 を磨いてきた。  彼の育った街は、いまだに瓦礫のままだ。  だからこそこうしていなければならない。設営魔術師として、政府や都市の機関や金持 ちに雇われ、己の技術を高めながら生活するならば、それは安全だし、建築家としてしっ かりとした経験を積むことも出来る。  だがそれでは足りない。  明らかに人の、クロアの分を超えたものを手に入れられない。  命を掛け金に乗せ、安定した生活というもの犠牲にする代わりに、彼はその為の道を得 た。それは、眼前の青年でなければ与えてはくれないものだ。 (今のやつら、魔族だな…………) 『五年以内に事象級の魔王を、一枚以上撃砕する準備がある』  その長い腕をとって、もうすぐ五年目を迎える。  クロア=クレッスには願望(ユメ)がある。  己の手で、美しき記憶を建築するのだ。  上手くいった、と思ったのは束の間の事だった。 「この度は大変ありがとうございます」  硬い声が、ただ形式的に礼を告げるのを、クロアらは見ている。ことリーダーは、相手 が頭を下げた一瞬、目を細めた。  やってきたファン=ベル=メルは、丁寧に、そして慎重に、王女を救った恩人たちを迎 えた。そしてスムーズに、有無を言わせず、王女を確保して、彼らから距離をとった。  障害を一旦排除し、本来の同行者にして王女の正式な護衛者が追いついてきてしまった 以上、彼らには踏み込む事ができない。まだ危険だから手伝おうという提案も、ファン= ベル=メルは遠まわしに拒絶した。  まだ手はある。強制的に連れて行くという手は。  それをとるのか、とらないのか、指示を待っているうちに、彼女らは行ってしまう。旅 人エリス、王女エールが申し訳無さそうな顔で一度二度こちらを振り返った。  クロアの心情としては、このまま彼女らを帰してやりたいと思う。故郷へ。クロアが帰 ること叶わぬ場所へ。  彼女らは帰るべき場所は帰る。それでいいではないか。そんな事は毎度考えている。か つて更に南方で各国の綱引きがあった時に、更に裏で暗躍していた時も。東で国の首都一 つを混乱に陥れた時も。  己の道を敷く為に、一体何をどれだけ地ならししてきただろう。  そんな事は考えないであろう相手へ、クロアは振り向いて―――― 「これでよかったのかも、か。そうかもしれんな」  吐かれた言葉は、クロアが眉をひそめるに十分なものだった。 「――――だが俺の野望(ユメ)と、呪いがそれを許さん」  継いだ言葉と共に、閃光。  その中でクロアは見た。青年を中心に展開していく大量の魔法陣。 (なんだこりゃ…………魔術言語が判ら…………まさか神代魔法か?)  クロアには全く未知の構成言語による魔法陣。しかも伺える情報量は驚異的だ。街一つ ぐらいならば簡単に影響下に置きそうではないか。それが、彼の想像を超える高圧縮言語 であり、しかもただ別所に用意された大規模な陣の起動用魔法にすぎないなどと、想像で きるはずがない。  今はまだ、理解できない。 『ロード』  その対象が、『世界』だということも。  その男が、一体何を踏みにじってきたのかも。  そしてそれを、どう思っているのかも。