夜。人は眠り、魔は動き始める。  それは魔物でも魔術士であったとしても。  罠かそれとも偶然か。  結界らしき空間に飛び込んだ少女は辺りを見回す。  見た目はただの公園でも、ただの人間が立ち入るべき場所ではない。  黒の中に血の滴り落ちたような模様の髪を靡かせ、少女は魔術式を構成し始める。  早速、気配が一つ。一直線にこちらへと向かってきている。  破壊音と地鳴りを引き連れて、愚直なほど真っ直ぐに。 「照らせ」  たった一言、彼女が言うだけで視界は明瞭になる。  気配の正体は一つの壁だった。  壁という描写は正しいのであろうが、壁としてはおかしいことが数点ある。  一つ、それには角がある。  二つ、大きさが自分の背丈ほどしかない。  三つ、殺意を持ってこちらに向かってきている。  むろんのこと魔物に違いない。  これに遭遇するのは初めてであったが、話には聞いていた。 「ラ・サノイラ……」  資料通りの魔物であれば、正面から戦闘を挑むのはスマートではない。  しかし彼女は動かない。魔物から一切目を離すことも逸らすこともない。  魔物との距離は既に30mを切る。到達まで2秒とない。  あと一歩、進んでいれば衝撃で砕けていただろう距離で、ラ・サノイラが上方に「逸れた」  見えない坂を昇るように、殺人的なスピードでほぼ垂直に上へ、上へ。  数メートル前、彼女が呼び出したマギナによって見えない斜面が作られていただけの話である。  荒技にも程がある、一流のマギナ使いならそこへ辿り着く前に魔物は死んでいる。  マギナを扱えるとしても、彼女はマギナ使いではなかった。  小細工が出来るだけの魔術士に過ぎない。  彼らのようにマギナの本領を発揮させることは出来ない。  だが、どんなマギナ使いよりも多くのマギナを扱い、どんなマギナ使いよりも魔物に対する復讐心の強さがある。 「ブレーキを掛けたって遅いわ。そんなスピードで昇ったら、間に合うわけないじゃない」  上昇することが終われば、次に何が起こるであろうか。  翼か、魔術的な要因がなければ例外なく、そう―― ――落ちるのみ。 「絶望して、死ね」  今まで表情の一つも表さなかった彼女の口元が喜悦に歪んだ。  誰よりも美しく、醜い笑顔を浮かべ彼女は掌をかざす。  魔物が地面と衝突する瞬間、その真下へ刃が一つ顕れる。  アストラル処理された刃が輝き、音もなく、一匹の魔物が二つに分断された。  分断というにしては、断面が荒く、鋸で切られたような跡。  これだけの損壊で、生きていられるわけもない。  断末魔すら上げることなく一体の魔物は息絶えた。  人のものとは明らかに違う血を浴びたことを気にも止めず、魔物に背を向ける。  魔脈を辿る、北に巨大建造物。  その中には強力な力と、学園の連中。  そして―― 「アツィオウスの壁=H」  上級魔の特殊広域結界が張られている。  ということは魔人が出現しているはずだ。  忌まわしい記憶の奥から、厭でも一つのシルエットが浮かぶ。  頭痛を払い退け、少女は下唇を噛みしめる。  そんなことはどうでもいい、ただ不愉快な事実が一つだけ。  どうあっても揺るがない一つの事実。 「私が舞台に迷い込んだ?気にくわない、気にくわない……っ!」  不機嫌を隠さず、少女はどこからともなく顕れた双剣で虚空を切り裂く。  瞬間、飛び出して来た魔物が数体、真空の刃に両断される。  魔術式を構成しながら、双剣を構え直す。  真空のアストラル処理を受けたマギナが現れる魔物たちを次々に切り捨てていく。 「ちっ!」  マギナから溢れる力は次第に扱い切れなくなる。  偽の使い手には限界がある。  握っていた双剣を魔物に投擲し、まだ冷たい、別のマギナを「取り出した」  出てくるマギナはなんだっていい、どんなモノでも扱って見せる。  少女の名は「サリー・スティレット」  突撃する刺突剣と名付けられた一人の魔術士である。