道の上。  稲妻のように進む漆黒の騎馬。  その『足』に刻まれた魔法陣が高速で回転し、緑色の光が飛沫のように後ろへ。後ろへ。  切り裂かれていく風景の中、しかし彼女たちの身は防風結界によりいささかの圧力もな く進む。 「何キロだ」 「500を超えますわ」  背後へ応えたのは若い女の声で、その顔は跨るものと同じ色のフルフェイスのヘルメッ トに隠されて、『馬』よりも、夜よりも濃い。  そしてひたすらに黒の中を緑の花吹雪が散っていく中で、銀色が幽かに輝いている。  硝子のようなそれは、誇張もなく光を放っている。もはやそれは人間の髪の毛ではない のだから、あるいは道理なのかもしれない。  そして目。  本来ならば白く見えるはずの外延部は黒く、瞳だけが髪と同じく白銀に輝いている。  後ろに跨った異形の男の視線をその首筋に感じながら、女騎手は速度メーターを見る。  漆黒の騎馬――――バイク型の魔導機械≪マギナ≫、グリフォンはその速度を上昇し続 けている。 (……足りない)  だが上がり続ける数値も、消し飛んでいく景色も、彼女には不足しか感じさせない。 (もっと速く……もっと速く)  苛立ちがそれを加速させる。  世界が揺れる。 (もっと速く。速く。速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く 速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く 速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く)  ――――彼女の、その胸の鼓動に並ぶほどを求めて。  加速し続ける鋼の塊。その先端が闇の中に浮かばない黒い影を弾き飛ばし、真っ赤な華 が割いた。  それは一瞬。地に落ちた雪より速やかに、速度の前に散って消える。  だが鼓動が彼女の視界を赤く閃かせるなら、そんなに儚い華など見えようはずもない。 「進入します、先輩」  果てしなき前にして十数秒後の現在。そこで無数の影が蠢いている。  彼女らは踊り込む。  少女の貌は見えない。  背後で魔が嗤っている。  鷲塚叉夜という少女は、付き合いやすい人間ではない。それは彼女が他者に対して非常 に攻撃的であるという一点に尽きる。  しかしその欠点は、彼女の価値をそれほど下げるには至っていない。  人々が長きに渡って異界より現れ世界中に溢れる魔物と戦っているならば。そして鷲塚 にそれらを打倒するに必要な才が備わっているのであれば。 「亞悪あアあ亞ァぁッ!!」  鷲塚がその身を焦がす熱を吐き出すかのように吼えた。戦吼に重なるのは破砕音。速過 ぎる漆黒の凶器が影を粉砕する。吐かれた気合と共に、意識がグリフォンの回路にマナを 流し込んで、車体の左右よりイシルディン製ブレードが展開。  咲く華を増やした。  その度に、鷲塚の鼓動は激しくなる。  道路一面を満たすものを、肉塊と肉塊と肉塊に変えていく。散華したそれらは、それを 肉塊たらしめていた異界からの存在情報≪アストラルデータ≫による結合を失って、虚空 元素≪エーテル≫へと気化していった。  そしてノイズ交じりの幻聴。 ≪花の都は地獄の釜だね。いや、パリスはカリスになったか≫ 「オー、シャンゼリゼ」 「在る(待っている)のはクズどもだけですわ!」  二人がそれに応える間に、グリフォンは門を失った星の広場を突き抜ける。  見えた途端に眼前に迫るのはギロチンの落ちた広場。  少女がブレーキを踏み付ければ、グリフォンの後部で魔法陣が輝く。  グリフォンに組み込まれた『加速』のアストラル処理が逆転し、600km/hを超える速 度を一瞬で殺した。  更に『旋風』のアストラルをホイールから発動しつつ、ハンドルを無理矢理切ってスピ ンする。吹き荒れる風が放たれ周囲を吹き飛ばす。  捩れた風が咆哮する。  それを塗りつぶすように 「かはははははははははははは…………!」  減速したグリフォンから飛び出した悪魔が嗤う。  銀髪の悪魔は空白になった広場の中央に立つ。手には黒い剣。  回転し終え停止したグリフォンの上。今度は少女が悪魔の背を見る。エンジンが断続的 にいななく。  360度に並ぶ異形たち。彼女らが蹂躙して突き進んだにも関わらず、数える気もおき ない量だ。  破滅≪ドゥームズデイ≫を越えた日から、人の住まない場所はこんなものだ。こんなも のだから人の住めない、という方が正しいのか。鷲塚も、悪魔――――彼女の先輩である センリもそんな事は知らない。それはもはや過去の話だ。  じょじょに押し寄せてくる異形が鷲塚たちを囲む空白の円の半径を狭めていく。 ≪Zillions Of Restorable Omnipresent Mediumistic Entity Setが実行する≫  その空白へ。 ≪Emulate≫  大量の魔法陣が浮かび上がった。  発光に闇が塗りつぶされる。それは誘蛾灯のようだ。闇と異形の空白に出来たそれらは、 上空から見るなら、光る一つの魔法陣に見えるのかもしれない。  鷲塚は、おもむろに一歩を踏み出したセンリの方へフルフェイスに覆われた顔を向けた ままだ。微動だにしない。その幽かな輝きを、光の中で見失わないように。  黒い異形らへ向けて、光る魔法陣から黒い異形が浮かんだ。  鷲塚の周囲にも次々と現れる。黒ずんだ異形たち。幻像のように朧気だったそれは、し かし瞬きするうちにはっきりと存在しはじめる。  そして彼女の目に映る背のすぐ上には、白い装甲に覆われた異形。 ≪召喚終了したよ。とりあえず128体≫  響く幻聴。  人間がその身一つ、全くの自力で行う術式には限界がある。それはあるいはマナの消費 かもしれないし、時間的拘束かもしれないし、作業に必要とされる精密さかもしれない。  それらはあまりにも膨大で、あまりにも長久で、あまりにも繊細すぎる…。  それでは役に立たない。  生物にとって最も原始的な危機状態――――つまり闘争において。  だからこそマギナというものが存在する。用途を絞る事で極限状態での戦闘においても 不安なく運用できるツール。構築された、固定された、洗練された、限定的略式魔術行使 用増幅機構兵装。  彼女らが、マギナ・アカデミアと呼ばれる機関からこの地に向かう最初に、最寄の安全 地区へ送られる為に使われたような、転移召喚魔法術式。そういったものは、その為に生 み出された巨大な装置をもってしてそれを可能にする。  鷲塚にはグリフォンがある。  鷲塚が見つめているその相手は、まだそれを使っていない。  一歩ずつ歩いていくセンリの背に、光の線が浮かび、次の瞬間にはそこに彼を包む蒼い 上着が存在していた。  背の真ん中に刻まれた文字が見える。  Deus-Z.O.R.O.M.E.S.  全てはそこにいる幻影。異形。デウス・ゾローメスにより行われている。  完全に独立した、完全に安定した、そして完全に制御された魔物。  少女の眼に映る彼は、それをその身に宿している。魔物のように振る舞いながら、魔物 を喰らう。狂う事はなく、もしくは既に狂いきっている。だからこそ彼は少女が憧れるほ どに凶暴で、しかし破滅にほど遠い。  彼らの行使する擬似召喚≪emulation ≫は、保存された魔物の情報をアストラル界で再 構築し、現界化させるのだという。魔物であるゾローメスがアストラル界側での行動を限 定されない為に労力が違うとはいえ、それは短期的な視点に立てば魔物一体を高速で作成 しているに等しい。  それは人にしてなんという過負荷≪Overload≫。  それは人にしてなんという大君主≪Overlord≫。  魔物と呼ばれる異形たちの動きが妙な事を察知した事で判明した情報は、かつて大都市 だったその場所でなんらかの魔術的機構が生きていると推定した。もしくは停止していた ものが何らかの拍子に偶然復活したのだと。  その確認調査は決して優先度の高いものではなく、また、当該地区には大量の魔物がひ しめいている。  多数の対異形実務機関の手が足りない為に、研究機関にして教育機関たるマギア・アカ デミアは、そこに対異形戦闘員として養成中である人員――――つまり機関における学生 を投入した。  投入戦力は一人。  それは鷲塚叉夜ではない。  鷲塚叉夜の任務はただ一つ。作戦実行者センリ・ヴェルキオットを転移先から作戦開始 地点までグリフォンで以って輸送する事。  彼女が他に命じられ事など何もない。  それでいい/それがいい。  グリフォンの車体の上。ここで少女は彼を見続けるだろう。振動が、彼女の股座の下か ら響く。  だが、 「どうした鷲塚、何をぼうっとしてる」  ひとしきり嗤った彼が振り返った。 「こっから?」 「目標は地下ですわ。メトロ一号線跡だと推定されているようです」  魔眼が見ている。漆黒に覆われた少女の顔。 「じゃあおい……アクセル開けよ、テメェもいくンだろ?」  瞬間、低音の轟きが彼女の鼓動と同調した。 「心配しなくてもお楽しみは分けてやる。イカレた奴らと楽しく騒ごうじゃねぇか。」 「はい、先輩」  二つのホイールの表裏についた四つの魔法陣が緑に輝く。前方への超加速ではなく、周 囲を走り回り、なぎ払う為に。ブレードが展開し、フロントカウルの衝角が左右に割れて、 まさしくグリフォンは牙を向いた。  それを見てセンリは嗤う。  彼は少女の求めるものを知っている。戦闘の狂乱。強さの誇示。  蹂躙の愉悦を前に熱っぽい笑いを浮かべる少女の貌が、フルフェイスに覆われている事 などさしたる意味はない。 「かはは…………」  センリが前に向き直り、剣を肩に負った。  同時に、内側の異形が外側の異形へ向けて突撃する。 「かはははははは…………」  遅れて走り出すセンリに続いて、少女はグリップをひねった。 「かははははははははははははは!!」  グリフォンの牙と爪が魔物を引き裂き、飛び散った血を風が舞い上げる。  センリの生み出した異形と、襲い掛かってくる異形を判別などしていない。センリも別 に敵と味方を分けろなどとは言わなかった。襲ってくる方が敵で、襲ってこない方は肉の 壁だ。  グリフォンより二周り近く大きい四足獣の影を、牙が真っ二つに分断し、車体と彼女は 肉塊と肉塊の間を突き抜けた。 「かはははははッ!!」  エンジンの鳴動と引き裂かれる肉の音の合間に、彼の哄笑が聞こえる。 「アハハハハハっ!!」  そして己のそれが。  センリもまた眼前の敵へ剣を振り下ろしている。  剣の食い込んだ大きな人型の影が、突然その体躯を半減した。センリが蹴り飛ばすと、 擬似召喚されたらしき近くの異形がそれを引き裂く。 ≪既知のため取得データを破棄≫ 「一々報告すンな!勝手に消せ!はははっ」  剣を杖に、棒立ちで嗤う。周囲には召喚された側の異形が取り巻いて、迫ってくる魔物 もいない。  鷲塚のグリフォンが旋風を巻き起こしながら踊り狂っているのに比べれば、センリは別 段大暴れしているわけでもない。笑いながら無造作に剣を振り下ろすだけだ。  大剣型マギナにしてデウス・ゾローメスの演算媒体、デウス・ガルス。  その剣に篭められた『縮小』によって実質的に無力化された敵は、近くの召喚体のどれ かに引き裂かれて消滅していく。同じような魔物が、弱体化した己を殺せない道理はない。  そして縮小過程において失われたアストラルデータは、デウス・ゾローメスによって蓄 積され、擬似召喚の為の幻想情報≪イメージデータ≫となる。  異形たちがひたすらに潰しあう中で、敵が沸き出でるより早く擬似召喚体が増加してい く。 「先輩!」  血しぶきを撒き散らしながら降り立った機馬の上で、少女が声を上げた。 「かははは、やってんな」  悪魔が嗤いかける。  センリもまた人間だったのであれば、かつていつかその魂をデウス・ゾローメスに売っ たのだろう。  だが今となってはもはや彼自身が『魔』なのだ。少なくとも鷲塚にとっては、彼のかけ る言葉こそが。 「いい感じだぜ。だが、こんなもんじゃねぇだろ鷲塚?」 「勿論ですわ」  もはや鷲塚には、グリフォンの鳴動と自身の鼓動の差を判別できない。  ホイールの魔法陣から風を吹き散らして、異形の群れへと嵐のように飛び込んでいく。 「アハ、アハハ、アハハッ、フフフッ、ハハハハッ」  歌い。踊る。  少女も彼も華が咲くたび笑った。  それがいい。それこそが少女の望むものだ。  だから一晩中そうした後で、口付けを交わそうとも思わなかった。 ≪召喚数が1000越えてるよ。どおりで重いはずだ……≫  消えていく擬えられた異形の中で独り言に応える者はいない。  その夜明けの空に鳥はなく、長い夜を殺して殺して殺し尽くした二人はただぼんやりと 座り込んでいる。 ≪さあ、魔物も現界化してこなくなったし、地下に進もうよ。まったく、これじゃ調査し にきたんだか殲滅しにきたんだか判らないなぁ≫ 「くくく……かははは」 「フフフ……アハハハ」  道の果てで嗤いが響く。  咲き乱れた華は、魔学法則によって消えていた。 了