――三十分ほど、時間を遡る。      その時、桐生魔理佳は18Fの通路を進んでいた。鞘に納まった刀剣型マギナ『哭制刀』は、 腰のベルトに吊られて揺れている。  灯りといえば非常灯しかない。今夜の巡回任務の為に起動させたものだ。  そんな暗がりでも、少女の足取りに迷いはない。追うべき獲物の足取りを熟知している狩人 のようだった。   と、声が響いた。鼓膜ではなく頭の中に、である。  はっきりした幻聴のような声――M-Aの生徒が使用する念話通信だ。   『一人で突出しすぎているよ、桐生さん。二人一組(ランデス・ロッテ)を崩さないでくれ』 『――富美櫛くん』    級友である富美櫛クリフからの念話だった。今回の出動では、彼がチーム全体の指揮を執っ ている。  魔理佳とクリフ、それに別の階を担当している糸井狂平とアリス・ブレイゾンの計四人が、 今夜の出動チームだった。定期の巡回としては、まず平均的な人数構成だ。    魔理佳は歩を止めず、おもしろくもなさそうな調子で念話に応じた。   『私は一人でも大丈夫ですから。その方がやり易いですし』 『此処は最近、妖気の濃度が上昇している。何かの弾みで上級魔が出現してもおかしくはない』    魔の跳梁は、その場の相を彼らの生まれ育った向こう側≠ヨと近づける。  程度の低い下級魔しか通過できない綻びも、彼らがその近辺で活動する影響で活性化し、上 級魔の越境を可能にする大亀裂となる可能性を秘めている。   『もしそうなったらやり易い、やり難いという話じゃない。いくら腕に覚えがあろうが、自信 過剰は命取りだよ』 『そんなんじゃありません。ちゃんと自分の力を計れているだけです』 『過信の一歩目だな、それは。自分は見えているかもしれないけど、他所が見えていない』    いけすかない奴、と魔理佳は鼻を鳴らした。  共有霊波による念話はあくまで表層意識間でのやり取りだ。その意味では無線通話と同じで、 互いのプライベートな思考まで相手に伝わる訳ではない。  それをいい事に、大体女の子より顔が綺麗なのが気に食わないのよね、などと魔理佳の思考 の毒口は関係ない方面にまで飛び火し始める。     おかげで次の言葉を聞き逃す所だった。      『ニックが言っていた。この前の出動で彼と同じ隊だったそうだね』    ニック・ドウェルフは魔理佳達と同じM-Aの生徒だ。茫洋とした穏やかな人柄の肥満漢は、 また茶道についての知識も豊富で、その手の旧家出身のクリフとは仲が良いらしい、とは魔理 佳も耳にした事があった。   『前回は君がチームリーダーだったんだろう? しかし指揮を執るどころか、引き止める間も なく単騎で突っ込んでいったと苦笑していたよ』 『魔物は全て殲滅しました』そっけなく魔理佳は答えた。『民間人にも味方にも被害ゼロ。私 の計算通りです』 『その代わり、君は全治二週間の疵を負った。それも計算の内か?』    そうよ、と魔理佳は誰にも伝わらない声で応じた。  他の誰かに累が及ばなければいい。その為に私が傷ついたり、死んだりするのは何でもない。    だが、相手に送ったのは『病み上がりの足手まといが心配ですか』という冷笑だった。    『それとも私みたいな――魔物かどうかも判らない奴と組むのが厭だ、とか?』 『君は学園に来てから、毎月ごとに遺伝子検査を受けている筈だ。今までおかしな結果は出て いないと聞いている』 『先月までは。今月分の検査はまだですから、土壇場で味方に刃を向けても言い訳にはなるか もしれません。……試してみます?』    これぐらい悪態をついておけばいい、と魔理佳は口の端を歪めた。  これでクリフも皆と同じように――それは少数の例外を除いた級友達のように、という事だ ――私の事を疎んじるだろう。  頼りもせず、頼られもせず。そして私は一振りの剣でいられる。魔物どもを斬り、刃毀れし てなお斬って斬って斬り捨てた挙句、玉と砕けて花と散る剣として。  それで構わなかった。胸の奥が鈍く疼くのは気のせいに決まっていた。    だが少年は、蔑みの言葉を発しはしなかった。  代わりに口にしたのは、詩のような一節だった。     『戦を共に(Fight together,)=\―』      一拍置いて、少女は続きの句を唱えた。  それは学園マギアにおいて、常に死と背中合わせの青春を送る若者達一人一人が、互いの胸 の内に秘めし誓言であった。   『死を共に(Die together)=B……そんな大げさな状況じゃないでしょう』 『戦場は常に死地だよ。いつ、どこであろうと。僕と合流するまでそこで待ちたまえ』 『悠長にしていたら逃げられます。この程度の敵、私一人で問題ありませんから――交信終了 (アウト)』    クリフが何か言う前に、魔理佳は念話を切った。  階段の表示が見えた。そちらに向かいながら「そうよ」と低い声で呟く。 「私は、いつだって一人でやってきたんだから」        魔物の出現地点――彼岸と此岸の間を繋ぐ門≠フ性質は様々だ。  日々移動するタイプが最も多く、そしてこれ故に魔物の組織的な侵攻を妨げ得ていると言っ てもよかった。 向こう側≠フ住人にとっても、門≠フ気まぐれな変動は把握が困難なのである。  とは言え、大陸の北西に鎮座する『アフィキリ門』の如く、ある地点に固定されたままのタ イプもまた多数存在する。それらは決して太古の昔に穿たれた穴ばかりではない。  現代に至って不意に扉を開く箇所も珍しくなかった。風に落ちる花弁のように、誰にも判ら ぬ弾みで。      此処――今夜、魔理佳達が巡回している施設も、そんな場所の一つだ。  門≠ニ化したのはごく最近だ。特定の箇所ではなく、建物全体の次元の壁が揺らいでいる。 それが施設の廃棄が決まってからだったのは、人類にとってささやかな幸運ではあったろう。    どのタイプにせよ、固定力場や封呪結界で塞ぐか、さもなくば力技で破壊する事も不可能で はないが、それらはあくまで最後の手段だ。  科学と魔術は空間の謎をある程度理解しつつあったが、それだけに迂闊な対応は危険だった。 無理に門≠ヨ干渉した結果、こちら側≠フ何処にどんな影響が出るかは未知数なのだ。  門∴黷ツを潰した余波は、大陸の半分を水没させ得る――近年体系化が進む物理神秘学の 理論上では、そんな大惨事の可能性すら示唆されている。     従って、そうした固定された門≠フ周辺ではM-Aの生徒達が定期的な巡回を行い、出現した 魔物をその都度駆逐するという迂遠な方法が執られている事情も、半ば無理ないと言えた。       フロア内の光景は、さして階下と変わらない。無機質なだだっ広さも、薄暗さも。――西棟 19階である。  魔理佳はコンクリートの地肌が剥き出しの壁際を進んでいた。あちこちにセメント袋や建築 用の機材類が積まれている。  その気になれば足音も気配も殺せたが、敢えて足音高く歩いて行く。追っているものを燻り 出す為だ。    成果はすぐに出た。  何の前触れもなく、少女の肢体が宙に飛んだ。  一瞬前まですらりとした脛があった空間を、細長い何かが高速度で薙ぎ払ったのだ。    機材の山の影から、床すれすれに襲いかかったのは、黒い襤褸を纏った塊だった。  灯りが十分なら、表情のない面のようなそいつの白い貌が見えただろう。その両目から流れ 続ける永劫に止む事のない血涙も、尖端が利鎌のような刃物になっている腕も。  エグズ・スケアクロウだ。下級に区分される魔物は腕を振り上げた。少女が着地した所を再 度襲わんとぎらつく鎌は、困惑したように停止した。  少女が降りて来ないのだ。重力の法則が改変されでもしたかのように。  振り仰いだ異形の面は、驚愕に引き攣った。  魔理佳は床から二メートルほどの宙空で静止していた。脇の壁へ突き刺した『哭制刀』のみ を支えにして。    片手で掴んだ刀の柄を心棒代わりに、美麗な両脚が振り子のように弧を描いた。揃えた爪先 が相手の顔面をしたたかに捉える。  表記不可能な悲鳴を上げて怪魔は吹っ飛んだ。魔理佳は着地し、壁に刺した一刀を引き抜き ざまに敵を追う。  二つの光芒が蒼い糸を引いた。眼鏡の奥で、爛々と光る少女の瞳だ。  叩きつけられた床から跳ね起き、両腕の鎌を構える余力が魔物にはあった。  ありはしたが、黒光が閃くまでだった。     さかしまに跳ね上がった黒き彩――すくい上げるような魔理佳の斬撃に、二つに切断された 怪魔は赤黒い体液をぶち撒けつつ屑肉のように転がった。  魔理佳は後ろに飛び退る。血しぶきを避ける為の、優雅な動きであった。      エグズ・スケアクロウは、核(コア)を一撃で破壊せねば裂かれた分だけ増殖する特性を持 っている。まるで趣味の悪い奇術のように、し止め損なった肉片は無限に増えていくのだ。  未熟な攻撃で相手の戦力増強を助けてしまい、数の暴力に屈した者はごまんといる。  急所を見切り、ただ一太刀で息の根を止めて見せた魔理佳の手際は、点の辛いM-Aの教官ら が見たとしても十分に及第点をつけたに違いない。    やや乱れた髪を片手で整えながら、   「せっかく呪符を色々持って来たのに、この分じゃ使わずに済みそう……」    ですね、と続けようとした少女に、突如戦慄が走った。  魔術を行使する霊的器官の中枢――眉間の奥で眠る松果体で、疼痛にも似た振動が生じたの だ。途轍もない妖気の放射を受けて。  発生場所は五メートルほど背後。数は一つ。  声がした。それだけで聞くもの全てを総毛立たせるような声が。 「――見事だ」  何かが裂ける音がした。       『――確かなんだね、アリス君』と、クリフは相手に訊き返した。   『はい、デルフォイ・システム≠フ反応に間違いはありません。こんなに大きなアストラル 係数値、私も初めて感知しましたわ』    送られてくる念は少女のものだ。木苺をぎゅっと潰したような愛らしい声は、不安そうな響 きを帯びている。  魔理佳ではない。今夜は糸井狂平とコンビを組んでいる少女、アリス・ブレイゾンである。 彼女達は同じ施設内の別フロアを担当していた。    デルフォイ・システム≠ニは、アリスが持つカチューシャ型マギナ『ワイズマンメモリ』 の一機能だ。  所有者の魔力を大幅に増幅させるこのマギナは、蓄えられた膨大な情報を統御・分析する事 により、ごく近い未来に関する予知(プレコグニクション)――それも危険のみに特化した事 象への超推理機構を備えている。  自動発動する確率は因果渦動の大小により大幅に上下するものの、的中率は七割を上回る。  もっとも伝達形式はその時々で様々だ。具体的な情景が浮かぶ事もあれば、俗に言う虫の報 せに近い感覚がもたらされる場合もある。  今回に関しては、   『イメージですわ。黒くて鋭くて、まるで剣――いいえ、爪のようなもの。不鮮明でしたけれ ど、そんなイメージが喚起されました。それ以上の事は……』 『黒い爪、か』クリフは眉をひそめた。『判った。念の為、君達二人もこちらに合流を――』    クリフは言いかけた言葉を止めた。アリスが息を呑む気配が、念を通して伝わってくる。   『――い、今の妖気は一体何ですの!?』 『どうやら、招かれざる客のお出ましのようだ』  二人は、巨大な妖気が生じたのを感知したのである。  再び魔の波動がうねるのを、クリフの霊的知覚は感じ取った。ただ現れた最初とは違い、今 度はある種の技巧的な意思が介在している。――少年はそう読んだ。  クリフは天井を仰いだ。妖気はその方向から放射されていた。  氷像のような美貌がわずかに歪む。   「桐生さん……」    ――まさにこの時、特殊広域結界アツィオウスの壁≠ェ張られた事を、クリフ達は暫く後 に知る事となる。        最初に現れたのは爪だった。  黒い棒杭のような幾つもの爪が、次元の壁を――向こう側≠ゥらこちら側≠ワでを貫き、 まるで布を破くような音を生じさせたのだ。     振り返った魔理佳が凝視する先で、爪が空間そのものを掴んだ。そのまま下方へ、力任せに ねじる。  上質の絹織物を破るのとそっくりな音を立て、空間は裂けた。  ずるり、と中から何かが現れ出た。  巨体だった。二メートルを遥かに上回る。異邦の鎧兜とも、奇怪な虫の甲殻ともつかないフ ォルムで構成された体は艶やかな黒一色だ。  両腕には、鉄だろうと岩だろうと引き裂くと、一見しただけで断言できそうな爪が並ぶ。思 わずそれが揮われる場面を想像し、魔理佳は少し青褪めた。  胸部中央で血のような光を放つ紅玉が、少女の蒼白な表情を射た。   「妙な匂いを感じたのでな、向こう側≠ゥら見物させて貰ったが。……おもしろき奴よ」    魔物は人の言葉を喋った。そうした知性の有無も、彼らを上級と下級に分類する要素である。 あくまで人間側からのカテゴライズに過ぎないが。   黒き魔物の姿を全て吐き出すと、空間の裂け目は人間の視覚では表現できない色を混在させ ながら消失した。    思わず止めていた息を吐き出してから、少女はそれ≠フ名を叫んでいた。   「――バルナ・ガルグリフ!?」 「ほう。俺を知っているのか」と黒ノ魔人≠ヘ何の感情も篭らぬ声で言った。      知っているどころではなかった。この漆黒の上級魔に関しては、M-Aの戦闘教本にも特別な 記載がある。他の危険存在と比べても格段に多いそのページの書き出しはこの個体との一対 一での交戦は必ず避けよ≠セ。  余りの武威ゆえに、『聖典』とだけ題された古えの聖賢の行跡録にて、最初の救い主となっ た男を荒れ野で試した魔物と同一視する向きもある。  試練とは拳足による血みどろの闘争だったと読み解く研究者もいるが、これなどは流石に眉 唾だろう。    一般的な上級魔の中でも際立って長期間に渡る出現例から、黒ノ魔人≠ニは一個体ではな く種族だとする説もあった。個々の目撃例における微妙な差異――体色や形状、または行使す る特技など――からもこれは裏付けられるが、そうなると疑問が一つ残る。  習性だ。  人を喰らう事ではない。そうでない魔物を挙げる方が至難だ。  それは強者と、それも一対一で戦い、敗北せしめたものだけを喰うという行動だった。  過去の接触例の全てにおいて、そうした異様な騎士道めいた振る舞いが観測されているのだ。     「この辺り一帯には囲いをした。邪魔は入らん」    アツィオウスの壁≠フ事だろう。敵と定めたものとの一騎打ちを円滑に進める為に、バル ナ・ガルグリフがよく使うとされる結界呪法である。     「我が所望は唯一つ、頓(ひたぶる)に死合わんことのみ――俺と戦え、人間」      魔理佳は相手をまっすぐに見据えた。  高位の魔が発する言葉は、ごく自然に強烈な呪力を帯びている。精神が脆弱なものなら、聞 いただけで恐慌状態に陥りかねない。   「いいでしょう。受けて立ちます」    眼鏡の位置を直しながら、しかし吐かれる言辞に揺らぎはない。そんな大敵と相まみえた事 実に、魔理佳は竦むより奮い立っていた。   「そちらのご高名、憶えておくのは今日までです。明日からは忘れます。だってあなたは今夜、 ここで私に斃されるんですものね」 「これは、見込み違いか」 「何ですって?」    魔物の口調に落胆の成分を感じて、魔理佳は思わず声を荒げた。   「口が立ち、腕も立つ奴は中々おらぬ。こちら側≠フ輩は大抵口ばかりが達者よ」 「……そういうのを早計って言うんです。私は、ちゃんと両立させてますから」 「なれば、身を以って示せ」    黒い巨体が動いた。魔理佳の方へ。  悠然と見えたのは最初の一歩だけだった。いや、魔人は確かに緩やかに歩を進めている。  それなのに流れるような速度だ。彼我の距離は急速に狭まりつつあった。   「――ッ!」    魔理佳の左手が閃いた。手指で形作る複雑な印を目まぐるしく変化させる。その一つ一つは 十数行分の呪文詠唱が圧縮された代用呪形なのだ。   右手の『哭制刀』を足元へと突き立てた。  と――魔人を取り巻くように黒い光が湧いた。  数は十余り。全てが切っ先を黒い甲殻へと向けた剣の群れであった。『哭制刀』と瓜二つの。     「天魔盡殺(アシュ・ラ・テンペル)=\―!」      魔理佳の呪言に導かれ、全ての刃金が神速で走った。斬り、突き、薙いで払って撃つ。  エヴェレット解釈を応用した闇量子(ダークマター)の魔術だ。出現地点を多重に設定され た、『哭制刀』と同等の魔刃は十と二本――上下左右に前後ろ、次から次へと飽きれるほどに、 たばしる刃は敵を八つ裂く。   黒い巨体が同色の刀林の中に埋もれる。勝利を確信して浮かべた魔理佳の笑みは凍った。  澄み切った音色が一つに連なって躍った。夥しい黒い破片を、不吉な吹雪のように散らせな がら。   「え――?」    魔理佳は呆けた声を上げた。  黒い甲殻に斬り込んだ瞬間――十二の魔刃は一本残らず破砕したのである。  相手は構え一つ取っていない。ただ歩いて来るだけだ。それなのに。   「人間」と、バルナ・ガルグリフは錆びた声で告げた。「喰うぞ」    黒い暴風が奔った。  右の突き。間髪いれずに左の突き。  絶大の自信を込めた技を破られ、魔理佳がまだ呆然自失の状態にあった事は、かえって助け だったかもしれない。  頭で考えるよりも速く、少女の体は反応した。汗血を絞り尽くすような鍛錬が生んだ反射運 動は、左右の連続拳に対し精確な斬撃を合わせている。      鋼と鋼が衝突する音――いいや、マギナが硬度に於いて鋼に勝り、魔物の拳もまたそれに伍 するなら、これは妖剣魔拳が奏でる武曲であった。      双拳を捌いた黒刀を上段に構え直した。  両手が痺れている。全身が痺れているのだと魔理佳はすぐに気づく。  凄絶なまでの打撃であった。  その右拳がまた来る。直突きのようなモーションは緩やかだ。溜めから始動までが肉眼で追 える。かわして反撃を入れるなど造作もない。  頭ではそう判断しているのに、かわすことなど出来はしなかった。  横に寝かせた刀身で受けるのがやっとだ。体の痺れがなかったとしても同じだったろう。緩 急を自在にして放たれる瞬撃が、少女の距離感と時間知覚とを眩惑しているのである。  断じて知性なき獣が持つ苛烈さではなかった。ある種の理に裏打ちされているからこそ、魔 人の挙動は美すら伴う。――己以外を如何に効率よく破壊殺戮するか、という武の哲理に。    防いだ衝撃に逆らわず、むしろその威力を利して魔理佳は数メートル背後へ跳んだ。  同時に黒き魔人も、全くの同距離を追いすがる。更に後追いとなって迸る右の貫き手。  その時、魔理佳の命を救ったのは鍛錬の結果でも天賦の才でもなく、ただの偶然だった。  足が滑ったのである。切り捨てたばかりのエグズ・スケアクロウの血、それに足を取られな ければ、少女は魔爪の早贄に饗されていただろう。     黒い剛拳は、よろけた左肩をかすめるにとどまった。  それでも裂けた。血汐が飛ぶ。    「くッ!?」    体勢を立て直しながら、堪らず魔理佳は呻いた。  半ば自失の状態で、謂わば夢想剣を揮っていた少女は、この疵の痛みで初めて我に返ったと 言っていい。クリアになった頭の中に先程の魔物の宣言が反響した。       マギナ使いとして、魔物との戦闘は幾度も経験してきている。生死の境をくぐり抜けた事も 一度や二度ではない。  だが、魔理佳は初陣の時のように震えた。  恐怖に。  この黒い拳で殺される恐れに。この黒い魔物に貪り喰われる怖れに。  彼女らの日常で茶飯事として扱われる言葉が、まるで別物のような切実さを以って精神を揺 さぶった。    再び、黒き拳が振り被られる。必殺必中の角度だ。   「あ――」  悲鳴より先に、魔理佳の思考はある命令を出していた。その命に導かれ、ブレザーの右袖口 から何かが飛び出す。  小さな長方形の紙だ。表面にびっしりと書き込まれた幾何的な紋様は、精密機械の部品図の ようにも見える。  意思あるが如く飛翔した紙片が、棒立ちの少女と放たれた魔拳との間に割り込んだ瞬間――  音もなく、凄まじい白光が爆発した。    フラッシュの十数倍もの光の濁流が、通路に溢れた時間はごく僅かだった。五秒もない。  そしてその光が痕跡一つ残さず消失した時――魔理佳の姿もまた何処にもなかった。     「跳んだ≠ゥ」漆黒の魔物は突き出した拳を引いた。「しかし壁≠ヘ越えられまい」  敵を屠る筈だった拳が、己の腹部にそっと添えられた。  磨き抜かれた黒曜石の如き甲殻に、一筋の小さな亀裂が入っている。  ささやかなその亀裂では闇色の液体が薄く滲んでいた。――異界の血であった。  天魔盡殺≠フ一撃は、僅かながらも確かにダメージを与えていたのだ。   「俺の護りを抜くとはな」    巨岩が軋るような声音に幽かに混じっている感情は、これは歓喜なのだろうか。   「やる。それにあの人間――些か、おもしろい匂いだぞ」        ――時は戻り、現在。      桐生魔理佳は闇の壁を背に立ちすくんでいた。魔人の到来を目前にして。    一旦は彼女を魔拳より逃れさせた紙片――使い捨ての簡易転送デバイスが印刷された機巧符 スピードデーモン≠ヘ、本来なら術者を戦闘区域外まで無作為転送(ランダム・テレポート) してくれる代物だが、黒き魔人が推測した通りアツィオウスの壁≠越える事までは出来な かった。  決闘者達の檻とも言うべき壁≠ヘ、侵入も脱出も容易に許しはしないのだ。    彼方から――バルナ・ガルグリフは接近しつつあった。ほどなく足音が聞こえるだろう。  苛立ったように青い瞳が泳いだ。床、左右の壁、天井の換気ダクトを視線が走る。もっとも 壁≠ナ線引きされたフロア内を駆け回り、逃げ道がない事は彼女自身がよく知っていた。  片手が左肩に添えられる。術で痛覚を鈍らせている筈なのに、痛みはいや増した。    魔理佳の脳裏に、先程クリフと共に唱えた学園のモットーが浮かんだ。  口が何かを呟くように開きかけ、すぐ閉じた。ふっと嘲笑う。   「臆して尻尾を巻いたくせに。何が頼りもせず、頼られもせず、なんだか」      ブレザーの左袖から何かが落ちた。  小さな紙片だ。様々なデバイスを非可逆印刷した機巧符ではない。魔術語による記述(コー ド)で埋めつくされた呪符である。  延々と袖口からこぼれ続け、既に数十枚を越しながらも、床には一枚も落着しなかった。  全ての呪符は、そこに玄妙な対流圏でもあるかのように浮き上がり、ゆらゆらと少女の周囲 を漂っていた。    紙の雪が舞う中、魔理佳は『哭制刀』を上げた。剣尖が宙を指し、獅子宮のサイン――火の 象徴をえがく。その軌跡は赤い燐光となって空中に残った。     「斃すわ」と、少女は掠れた声で言った。「もう逃げない。斃してみせる。――私一人で」      両の瞳は、鬼火のように冷たく燃えていた。     【To Be Continude】        ■学園マギア■ 魔術と科学が混濁する世界。 人は”マギナ”と呼ばれる武器で魔術を行使し、科学をもってこれを鋳造した。 マギナとはマギ(魔法)とマキナ(機械)が組み合わされた造語である。 人は戦わねばならなかった。 心を持たぬ機械のように無慈悲な殺戮を繰り返し、飢えた獣の如く人間を喰らう異界の魔物達。 そして、それを利用する悪しき人間達と。 魔物の肌は鉛も火薬も通す事無く、ただ、マギナによる攻撃と魔術でのみで駆除する事ができた。 しかしマギナを自在に扱う才を持ち、魔物を駆逐できる力を持つ人間は極わずか。 そして素質ある一握りの子供たちを集め、実戦を経て人を守る教育機関が創られた。 特務学術機関「Mgina-Academia」 年端もいかぬ少年少女に高度な魔術とマギナによる戦闘技術を教育し、 形だけの学生生活を味わわせるその機関を、人は『学園マギア』と呼んだ。 社会を守る為の生贄の兵士。彼らは何を思い、何を成すのか。     ■学園マギア■ 桐生 魔理佳(きりゅう まりか) 特務学術機関「Magina-Academia」に所属する18歳。 茶髪のロングヘアで赤縁のメガネが特徴の女子。瞳は青い。 赤いラインの入ったベージュのブレザーに赤のプリーツスカートが基本スタイル。 日本刀型の接近戦用マギナ「哭制刀(こくせいとう)」を扱う。 「漆黒」のアストラル処理の施された刀身は黒く、魔物の皮膚を容易く切り裂く。 黒魔術に精通し闇の力を身に纏う。 異界の扉付近で見つかった捨て子で学園マギアの教師に拾われた。 高いマギナ適正を持ち、魔物の弱点を見抜く鋭い洞察力を持つが、 想定外の事が起こると脆く、一流のハンターには程遠い。 クールを気取るが感情の起伏が激しく、挑発されるとすぐカッとなる。 「計算通りです」が口癖。     ■学園マギア■ 富美櫛クリフ(ふみぐし-) 18歳 男 特務学術機関「Magina-Academia」所属。 ブレスレットと一体化している弓型マギナ「観鴬(みのう)」を使う。 「観鴬」は「氷繰」のアストラル処理が施されており、 氷の矢を放ち対象を凍らせる事ができる。 姫カットでポニーテール、長身。 年齢に対し不相応なまでに落ち着いた青年。 有名な茶道裏千家の跡取りで、茶道を身に着けている事もあり、身のこなしが美しい。 性格的にも能力的にも前に出ることはまずなく、指揮や補助を行う。 怒ると怖い。無表情で切れる。 弓道部所属。     ■学園マギア■ アリス・ブレイゾン 特務学術機関「Magina-Academia」に所属する少女。13歳 金髪ロングヘアーで青いツリ目を持ち、小柄な体型が特徴 真っ赤なエプロンドレス姿で、下は白のハイソックスを穿いている お嬢様育ちで頭はいいが、プライドが高く子供っぽいので、周囲と衝突する事が多い しかし根はいい子で、いざという時の行動力には定評がある 所有するマギナはワイズマンメモリ。赤い宝玉の付いた大きなリボンカチューシャである 宝玉の中には様々な知識と膨大な魔力が封じ込まれており、装着者の知力と魔力を向上させる 炎系の魔法が得意で、主に後方からの支援や現場指揮などを担当している ただし効果を発動させている間は精神的な負担が大きい為、長時間の使用はできないのが欠点     ■学園マギア■ エグズ・スケアクロウ 血の涙を流す白い面長顔で黒いマントを羽織ったような外見の魔物 ちゃんと二本の足を持つが何故か動かすことは無く両腕だけではいずりまわる 手は鎌になっており人間を足元から切断してゆき目玉だけ食べるという習性がある 体内にある核を破壊しないと幾ら攻撃しても分裂する きもい。     ■学園マギア■ バルナ・ガルグリフ 複眼で昆虫っぽい顔の魔人 胸に赤いコアを持ち肉体にフィットした黒い甲殻を身にまとう この甲殻は魔術を大きく減衰させ、 アストラル処理したマギナでなければ効果的なダメージをあたえられない 自我を持ち知性があるため魔物としては上級にあたる 人間を襲う時は必ずマギナ使いを襲い 一対一で倒した相手しか食べないという不思議な魔物 武装は両腕の拳のみ 他の魔物の横槍などが入り一対一を邪魔されると横槍を入れた魔物を殺した後、 「食欲が薄れた」と言って元の世界へ帰ってしまう