※…世界観に関して地味に突っ込んでたりかなりブラックな品が飛び出たりします   「んん?」とか「えー…」とか思う単語や展開があったらその時点でブラウザバックを強く推奨 あと作中で入れ損ねた軽いキャラ概要 真壁信護…銀髪碧眼。18歳。(作中16歳)バックラー型マギナ『キラハガネ』と『アマハガネ』を所持。設定あきマジゴメン 識島奈乃香…14歳。(作中12歳)本型マギナ『セファー』を所持。作中が初任務設定。設定あきマジゴメン ファリア・ライリクス…27歳教師(作中25歳)設定あきマジゴメン ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今から2年前の話。 俺が―“真壁信護”(まかべ しんご)が―16歳だった時の出来事。 いつもと何も変わらない一日。魔物を殺すだけの任務を受けてそれをこなす。 ただいつもと違う事があったとすれば、校門から出発間際、今回の任務担当のファリア先生から注意があった事。 『魔物の動きに不審な点がある。注意なさい』 いつも通りの険しい目つきでそれだけを告げると、“ファリア・ライリクス”先生はさっさと学園へと踵を返した。 基本的に任務は学園生徒だけで行われ、担当の教師は学園から小型の通信マギナによって指示を出す。 今回の任務のために編成された“僕”を含めた5名は、先生の背中を見送りながらも目的地に向かった。 道すがら、周囲が先程の先生の言葉に対して様々な意見を交わす中、僕はただ自分の世界に入りこんでいた。 当時の僕は、どちらかといえば魔物を倒す事に重きを置いていた。それが一番仲間のためになると考えていたからだ。 (動きがおかしかろうと関係ない。魔物を倒してしまえばそれで終わり……) 心の中で呟いて両腕のバックラー型マギナ『キラハガネ』と『アマハガネ』に力を込める。 無意識に流れ込んだ魔力が、淡く両盾を発光させていた。 任務の指定場所は学園とそれほど離れてはいなかった。 そこは、以前にマギナの製造と研究を受け持っていた『第6技術研究所』の跡地。 僕たちは辺りが一望できる廃ビルの屋上へと訪れ、殺風景な景色を見おろしていた。 研究所の周囲は完全に灰色に埋め尽くされ腐敗臭に似た臭いを漂わせている。 辺りには研究員やその親族など近しいものに与えられる特別な住宅街も見えるが、ほとんどが廃墟と化していた。 人の気配などない。肌を刺すように感じるのは、自分たち人間とは別の魔力の色。 「ひでぇ臭いだな、ここは。火事でもあったのか?」 鼻を押さえながらビルの縁から身を乗り出し、一人の少年が愚痴を漏らす。 彼は今回の任務の部隊長に任命された一つ上の先輩だったはずだ。 怪訝にひそめた眉と吐き捨てるような物言いに人柄が知れる。 そんな彼の独り言に、部隊の中で最年少と思しき少女が歩み寄り声を上げた。 「ちょうど一ヶ月ほど前に。この付近一帯を火の海にする程の大火災があったそうですよ。  火元は研究所で原因は不明。火災によって焼失したマギナの魔力が空気中に霧散した所為で最近は魔物が集まってるそうです。  ……最も、この辺りの人間が居なくなったのは魔物というより、火災が原因だったそうですが」 「ハンッ、魔力と上手に焼けた人間の匂いに釣られて魔物様が集まってるって訳か。  ちょうど良い狩場だな」 少年は嫌らしく口元を吊り上げて笑う。あの話を聞いて笑うのかと。 そんな部隊長の反応に、少女は少しだけ瞳を細めていた。 当の本人は少女の表情にも気付かずに言葉を続ける。 「おい、お前。あー……そうだ、“識島菜乃香”(しきしま なのか)だったか。  初任務の初仕事だ。索敵開始しろ」 「……わかりました、“部隊長”」 少女はぶっきら棒に応えると一冊の本を取りだした。 次の瞬間に“ソレ”が帯びた魔力を見ただけで、その本が彼女のマギナであると理解する。 奈乃香から送り込まれた魔力を受け、本がおびただしい光を放つ。彼女が本を開くと同時、本のページが無数に宙へと舞った。 まるでおとぎ話のような光景。空を舞うページたちは、次第に彼女を中心にドーム状に囲うと淡く発光しながら回転していく。 「“セファー”、基本展開。『集積』開始。半径1km指定後、最端の反応に合わせて縮小」 『了解(ヤー)』 彼女がマギナの名を呼ぶ。応える無機質な機械音。 ページのドームはさらに強く発光し、彼女の周囲を回転する無数の紙は勢いを強める。 やがて徐々に弱まっていく光が一定の光度を保つと、識島さんは小さく息をついた。索敵完了の合図。 「――出ました。一番遠い反応でここから656mです。セファー」 識島さんの呼びかけに応え、ドーム状のページがふわりとこちらへと飛んできた。 目の前に漂うそれを掴み取ると、紙面にはこの研究所近辺の簡易な地図とそれを動きまわる色とりどりの印。 「ははっ、この印がターゲットって訳か。便利じゃねぇか」 あぁ、成程。そういう事か。 僕と同じにページを受け取った部隊長が愉快そうに笑う。 他の面々も紙面を見つめながら魔物たちの動きを確認していた。 「でも何だかおかしいんです」 「あ?何がだよ」 突然疑問の声をあげた識島さんに部隊長が食いつく。 他のメンバーも部隊長と同じなのか顔を上げて識島さんの方へ向き直った。 納得がいかない様子の識島さんは部隊長にも物怖じする事なくキッとした視線のまま語る。 「その印、色が違いますよね。それ、別種の魔物って意味なんです。  見ての通り同種の魔物の方が少ないくらいなんですけど……。動きが変なんです」 「変ん〜?どいつもこいつもウロウロ動きまわってるだけじゃねぇか」 「そうですね。……“巡回ルートが被らないように動き回ってる”以外は」 「……識島さん、どういう事?」 反射的に口を挟んだ。彼女は僕の方に向き直る。少しだけ、先程より表情が柔かい気がした。 「先程も説明した通り、この一帯は同種の魔物の方が少ないんです。  異種同士の魔物がこんな狭い地域を規則的に巡回してるのに、近くを通り過ぎてもお互いを認識してる様子がありません。  ……まるで統制が取られてるみたいに」 「……本当だ、青と赤がこんなに近くをすれ違ってるのに見向きもしてない。  ファリア先生が言ってた不審な点っていうのは……」 「恐らく。今まで色々な事例には目を通して来ましたがこんなのは前例がありません。  この一帯に今まで確認された事のない何かがある事は明白でしょう」 識島さんの言葉に周囲の息をのむ音が聞こえる。 索敵型マギナ使いである彼女の言葉は、事態の異常性をより克明にした。 しかし―― 「ハンッ、何言ってんだ。要するにバラけてくれてンだろ?殺しやすくて良いじゃねぇか。  なら作戦は各個撃破で決まりだな。こっちもバラけて対処すんぞ、仲間呼ばれる前に殺れよ」 ……考えている事は同じだったらしい。 そうだ。要は魔物がここからいなくなればそんな疑問は無用の長物となる。 どっちにしろやる事は変わらない。僕らは魔物を駆除するためだけにここに来たのだから。 僕の思考を余所に、部隊長は自分の刀剣型マギナを鞘から抜き放つと再び指示を飛ばした。 「識島はここで待機、サポートに徹しろ。お前が一つミスったら一人死ぬと思え。  他の4人で四方にバラけんぞ。見敵必殺、見つかる前に殺せ。見つかったバカはあとで俺が殺す」 それだけ言うと部隊長は地面を蹴って駆けだし、廃ビルの屋上から大きく跳躍して飛び降りた。 ざっと見積もって10階程度の廃ビルだが、マギナさえ持っていればどうとでもなる高さだ。 他の2人も適当に方向を告げると部隊長と同じようにしてビルの屋上から消えていった。 さて、こうなると出遅れた僕は残った方面の担当という事になる。 あとでお叱りを受けても堪らない。早々に仕事をするとしよう。 「それじゃ、僕も行くよ。何かあったらここから離れるかすぐに連絡を入れて」 「はい。……あ、真壁――先輩。その、お気をつけて」 「ははっ、ありがとう。識島さんも無理はしないでね」 社交辞令。それでも識島さんは本当に心配してくれているように思えた。 一人取り残される事が不安なのか、寂しげな表情の識島さんに笑顔で返す。 振り向いたと同時に駆けだし壊れた柵を蹴りつけて跳び上がる。 ビルの外へと跳躍した僕の体は、重力に従って勢いよく落下していく。 灰をかぶった街並みが近づき、僕の体は落下しながら風を切る。 そんな中。任務へと集中し澄み渡っていく思考の沼の奥で。 さっきの識島さんの顔が、似ても似つかぬ妹の顔と重なった。 息を殺す。心臓の音さえも煩わしく思いながらも景色に溶け込むようにして身を潜めた。 “化け物の通り道”から丁度死角になる位置。 住宅街の半壊したコンクリート塀の影に隠れながら、耳と肌に全神経を集中する。 ―ズシャリ 僅かに体が反応する。 離れた地面を“ナニか”の足の裏が擦りあげた音。 音から伝わる重量と威圧感。それは明らかに人間の足音などではなかった。 足音は一定のペースを保ちながらどんどんと大きくなっていく。近づいて来る。 周囲の空気がその様子を変えていくのを肌で感じながら、ただただタイミングを待つ。 一瞬。いや、数時間か。緊張感が時間間隔をふやかしていく最中、僕の視界に怪物の姿が飛び込んできた。 (シミターネイルズか……) 左腕の鉤爪を引きずる人型の魔物。周囲を警戒するように見渡しながら住宅街の路地を慎重に歩を進めている。 しかし気配を殺して死角に潜む僕には気付く様子もない。雑なものだ。 魔物はまるで“見回り”するかのように視線を泳がせながら僕の横を通り過ぎる。 (まだ早い) シミターネイルズに変調はない。一歩、また一歩と機械的に僕の近くから離れていく。 そして僕の居場所は完全にシミターネイルズの意識から外れる。目の前にあるのは、無防備な背中。 次の瞬間に僕の体は爆ぜた。 地面を蹴り飛ばして跳躍し、瞬く間に接敵。シミターネイルズの巨体を飛び越えんばかりに差し迫る。 振りかぶった右腕には先の一瞬で魔力の光刃を形成した僕の盾、『アマハガネ』が唸りを上げていた。 そこでようやくシミターネイルズが反応。背後の僕に向き直るため大きく体を捻ろうと膨れ上がった筋肉を軋ませる。 地面から浮き上がる異形の左腕は振り向きざまに僕を斬り伏せるだろう。 だが、遅い。 僕はそのままアマハガネごと右腕を振り払う。 盾から真っ直ぐに伸びた光剣は、僕の腕の軌跡に従って線を描く。 その刃は抵抗なくシミターネイルズの首の肉に埋まると、振り返る事も許さず両断する。 「ヒュッ――」 胴と分かたれた首から空気の漏れる音が声になる。 寸断された頭部は勢いをつけて飛び上がると、血飛沫を撒き散らしながら宙を転げまわった。 着地する。目の前のシミターネイルズの亡骸は、頭部を求めてユラユラと体を揺らしていた。 やがてバランスを保てなくなった胴体は膝をつき、砂埃を巻き上げながらその巨体を地に沈める。 (……これで4体目。今のところ同種はナシか) アマハガネの刃を収める。展開された魔力の刃は、風に吹かれたように掻き消えていく。 不意に、自分の顔に違和感を感じた。 拭うように頬を撫でる。ぬめりとした感触と共に手の甲には赤い液体がこびりついていた。 シミターネイルズの血。今まで何度か戦った事もあるが、血が赤い事になど今初めて気付いた。 もう少し上手く殺れば良かったかな。そうすれば汚れる事もなかったし。臭いでバレたりしないかな。 手の甲の赤を眺めながら、そんな事が頭を過った。 『……01?真壁さん、聞こえますか』 「――こちら01。聞こえてるよ、04」 耳に備え付けた通信型マギナから声が聞こえる。この声は識島さんだ。 『現在地の付近を魔物2体の巡回タイミングが重なる可能性があります。その場で少し待機してください』 「了解。少し休ませてもらうよ」 『02、背後から反応が近づいてます、注意してください。  03、そちらは今追ってる魔物で最後です。見失わないようにしてください』 『こちら02、了解しました』 『03!気付かれないように追ってるとキツいんだって、頑張ってるよ!』 識島さんの指示に他の部隊のみんなが応えている。 凛とした声。初任務という事らしかったがしっかりとこなせているようだ。 内容を聞き流しながら呼吸を整えていると、不意に耳に届く声色が変わった。 『00。00、応答してください。部隊長っ』 「識し――04、どうかしたの?」 『……それが、部隊長の方角の魔物の全滅を確認したんですが返事がなくて。通信型マギナも切ってるようです』 「何かあったのかもしれない。識島さん、セファーで強引に通信マギナに繋げられないかな」 『やってみます』 識島さんの声が途絶える。遠くでテレビの砂嵐のような雑音が鳴り始めた。 徐々にそれは鮮明さを増しながらハッキリと人の声へと変化していく。 まだ音が遠いな。僕は自分の耳を通信型マギナに押さえつけ、何とか聞きとろうと耳を澄ませる。 途端―― 『嗚呼あああぁぁぁぁっ!』 「ッ!?」 『ぶ、部隊長!?』 『――おい!今通信機から聞こえたの、一体何だ!』 悲鳴。思わずマギナを耳から離し頭を押さえる。 通信型マギナからは先程と変わらぬ絶叫に、事態を飲み込めない他の隊員の声が混じる。 そっと耳に通信型マギナをあてなおす。聞こえるのは隊長と識島さんの声のようだ。 『ひっ……やめろ!来ンじゃねぇ!俺に触るなぁっ!』 『隊長、どうしたんですか!?返事してください!』 『がぁぁぁあああぁっ!!』 『――ひっ……!』 『あぁッ!?ぎっ……ぁぁああぁ!』 『いやっ……いやっ……!』 不味い。 「04、すぐに00の通信を切るんだ。早く!」 『やめて……やめてよ……いやあぁっ!』 「04、04!――識島奈乃香ッ!」 『っ!?…………真壁、先輩……』 「一度隊長の通信を切るんだ。……早く」 『――はい』 先程の間も響き続けていた隊長の叫びが、識島さんの返事と共にぷつりと途絶える。 それから幾分かの嫌な沈黙。 部隊の全員と通信は繋がっているハズなのに、息遣いすら聞き取れない。 このままでは埒が明かない。 「識島さん。部隊長の座標位置を教えてくれないか」 『あ、はい……。X056,Y022です。現時点では真壁さんが一番近い位置にいます』 「そっか……。よし――とにかく、不測の事態が起った事だけは確かだ。  提案だけど、03は目標掃討後04の護衛、02はそのまま担当方向の掃討。  一番近い01の僕が00と合流を図ろうと思う。どうだろう」 『こちら03、異議ナシ。ちょうど今最後のヤツが終わった所だ、04の護衛に回るぜ』 『02、異議ありません。こちらも掃討後、一旦04と合流します。01、お気をつけて』 「ありがとう。状況がわかり次第、すぐに連絡を入れるよ」 それだけ告げてすぐさま通信を終えると同時、僕は一気に走り出す。 死角の多い場を選び家と家の隙間を掻い潜る。 近くを巡回する魔物たちの警戒網に掛からないように注意しながら全速力で指定されたポイントへと向かった。 目的地に近づくにつれ鼻に着く血の匂いが、やたらと僕の胸を焼いた。 「部隊長……」 指定されたポイントへと辿り着いた僕の視線の先にはあったのは、1体の魔物の死骸。 そして――その横で腹に自らのマギナを突き立てて塀にもたれ掛かる、変わり果てた隊長の姿だった。 力なく項垂れる彼の亡骸を尻目に僕は通信型マギナを取りだし耳に当てた。 「01より04。……隊長を、『発見』した」 『マジかよ……』 『……真壁先輩。隊長の言ってた『私が1つミスすれば1人死ぬ』って……私――』 「――君のサポートに問題はなかったよ。これから細かく現場を調査するから、また連絡する」 それだけ言って通信を終える。申し訳ないけど、識島さんのフォローは他の部隊員に任せよう。 警戒しながら隊長に歩み寄る。周囲に僕以外の気配こそないが何が起るかわかったものではない。 しゃがみこんで俯いた顔を覗きこむ。……こう近づくと、やはり血の匂いが鼻につく。 何かに怯えるように虚ろな瞳。ぽっかりと開いた口からは未だ断末魔が聞こえそうな気さえする。 そして何よりも目を引く、突き立てられた彼の刀剣型マギナ。他に外傷は見当たらない。明らかな死因。 僕の視線は自然と横へと流れ、彼の近くに横たわる魔物の死骸を見つめる。 (マギナを奪われて攻撃された?武器としてだけなら可能だろうけど……。  ――いや、それはおかしい。彼が生きていた時、既にこちらの魔物は全滅していたはずだ。  となるとやはり……自分で?) もう一度マギナを見つめる。刀剣の刺さり方から考えても自分で刺したと見て間違いはない。 しかし納得できない。彼が自分から死を選ぶような人間には到底思えない。 あの程度の動向でも彼の我の強さは見てとれた。 (最後の通信……あの錯乱ぶりは尋常じゃなかった。原因になる“何か”がここにあったんだ) とにかく、ここでじっとしていてもこれ以上の情報はなさそうだ。 一度周囲をくまなく探索して、それでダメなら帰還―― ――ジャリ 「ッ!」 反射的に立ち上がり両腕の『ハガネ』を構える。 こちら側の魔物の全滅は確認してる……まさか尾けられた!? 心の中で舌打ちしながら両盾を構え、備える。 しかし重ねた両腕の隙間から見えた影は、魔物などではなかった。 「――砕子!?」 目の前の光景に妹の名が口をついて出る。背後の曲がり角から現れたのは年端もいかない一人の少女。 背恰好と髪の色は妹に近い。年も同じくらい。だがその髪はボサボサで顔を覆うほど伸びきり、身に纏っているのは一枚のボロ布だけ。 少女は僕の声に反応し、ビクリと大きく体を震わせた。 ――しまった。 少女は怯えきった視線を送ると、僕に背を向け逃げるように駆け出した。 「あっ、待っ……」 僕は反射的に少女を追いかける。 元よりそこまで離れていない距離と身長差で、あっという間に少女の背中を捉えた。 引きとめようと腕を伸ばした時、くるりと少女は振り向いて、彼女の顔を覆っていた髪が舞いあがった。 恐怖を称えた少女の右目。髪に隠れて見えなかった顔は左半分を火傷跡が生々しく埋め尽くしていた。 そして、“そんなもの”を霞ませるほどの存在感を放つ、少女の『白銀の左目』。 義眼、いや、違う。その瞳は振り向きざまに紅い軌跡を描いた。 高濃度の魔力が空気と反応して赤く変色している。あれは―― 「マギナ――!?」 少女が振り向いて、その『左目』で僕を見つめた。無機質なその視線に背筋に悪寒が走る。 急速に左目に収束されていく魔力。彼女の左目は強く紅光を放つ。発動の合図。 咄嗟に僕は『キラハガネ』をその視線に割って入れた。 途端、キラハガネを構えた左腕を押し返す衝撃。 (ッ、『反射』のアストラル処理を……押し返してるのか!?) 〜 キラハガネに施された『反射』は魔力のみならず物理衝撃すらそのまま反射する事が出来る。 さらにキラハガネには信護自身の魔力が通っている。 これにより反射された魔力はさらに信護の魔力をプラスされ、必然的に相手の攻撃以上の反撃とされ敵を返る。 この処理が正常に行われたにも関わらず、信護の盾には絶えず魔力の衝動が打ちつけられた。 これは反射した魔力を更に上回る魔力が続けて叩きつけられている事を意味していた。 〜 (何なんだ、あのマギナは……いや、何なんだ、この女の子は!?) 左腕を押し返す力はさらに強くなる。 もはや『反射』のアストラル処理の許容量など優に越え、キラハガネの機能など期待できなかった。 「あぁッ……」 少女は怯えた様子のまま呻くような声を上げ、左目を爛々と輝かせながら魔力を放ち続ける。 まるで自分のしている事が、わかっていないかのような。 反動を抑えきれず僕の左腕がガクガクと悲鳴を上げながらブレる。 保たない。 次の瞬間、キラハガネが大きく弾かれ、僕と少女の間に阻むものが消えて失せた。 僕の視界に火傷跡に義眼を輝かせる銀髪の少女の姿が映り込む。 「――――!」 途端、視界がぐにゃりと歪んだ。絵具を混ぜ合わせたように景色と景色が混ざり合う。 同時に足元から平衡感覚を無くなった。右足からガクリと力が抜けて落ち、辛うじて突いた膝が上体を支える。 続けざまに襲い来る頭痛。内側から響く激しい痛みに思わず頭を庇う。 「がっ……」 「……あぅぅ……!」 うずくまり唸り声を上げる僕を見て、少女が後ずさる。 少女は震えながら僕を見下ろし、ばっと背を向けると振り返る事なく駆けていった。 「待って、君は――ぐっ!」 上げようとした声も伸ばした腕も、一際激しい頭痛に阻まれる。 歪んだ景色の中、やたらはっきりと見える少女の背中を、僕はただ見送る事しか出来なかった。 「あぁっ、くそ、まだガンガンする」 適当な場所にもたれ掛かりながら座り込む。 二日酔いとはこんな感じなんだろうか。抜けない頭痛に頭が重い。 ようやく視界も正常に戻ってきたけど……足にはまだ力が入らない。 僕は虚ろな思考のまま左腕のキラハガネの表面を撫ぜる。 指先にざらりとした感触。キラハガネの肌は沸騰したように逆立っていた。 表面に施されたアストラル処理が剥がれかけている。許容量を超えた酷使にマギナが悲鳴を上げたのだ。 そこに端正に整えられた銀白の盾だった面影はない。 (元々『反射』は丈夫な方じゃないけど……たった一撃でここまで) 溜息一つついて後頭部を壁に預ける。見上げた空はどんよりとした黒雲に覆われていた。 瞳を閉じて体を休めると先程の少女の姿が瞼の裏に浮かび上がる。 恐怖に震え僕に怯えるその姿が妙に鮮明に焼きついていた。 不意に自分の頬を掻く。先刻浴びたシミターネイルズの返り血が渇いて、爪の間に入り込む。 (そういえば、血、浴びてたんだっけ) 指にこびり付いた血を擦りながらぼんやりと思い出す。 渇いた血の赤が少女の瞳が放った赤い光を思い出させた。 無機質な銀の瞳の放つ赤。それに隠れた恐怖一色の右目。 まるで“魔物”を見るような、あの表情―― (……一緒かな。武器持って血の匂いさせて) 瞳の中の幻を消すように、腕を瞼に押し付けた。 それでもソレは消えるどころかその姿を“とても身近で大切なモノ”に姿を変える。 暗闇の中で僕を見つめて、怯える妹。 ……今の僕を見たら、砕子もあの女の子と同じ貌をするのだろうか。 (おかしいな、僕は――) 僕は大切な人たちが護りたくてマギナをとったのに。 ――ブルル 耳につけたままの通信型マギナが小さく鳴った。 意識を少しだけそちらに傾けて魔力を流す。それを合図に通信が繋がった。 僕は少しだけ溜息まじりに応答する。 「こちら01。識島さんかい?」 『真壁、聞こえるか。ファリアだ、ファリア・ライリクスだ』 「えっ、ファリア先生?」 通信機から聞こえた意外な声に思わず声が裏返る。 厳しさを含んだ凛とした声に思わず壁にもたれた上体を起こして姿勢を正してしまう。 しかしファリア先生は電話越しで慌てる僕を気にも留めない様子で話しを続ける。 『識島から連絡があってね。大体の流れは彼女から聞いたけど……。  アンタ、大丈夫?報告できる?』 「えっ、あ、はい。大丈夫です」 前言撤回。二言でコンディションを見破られたようだ。 僕は若干調子が乱されるのを感じながらも、ファリア先生に事のあらましを説明した。 『……そうか、彼は死んだか』 僕の報告にファリア先生の言葉が曇った。 彼はファリア先生の教室ではなかったはずだ。大概、教室の違う教師と生徒の交流は薄い。 今回の任務で初めて知った生徒の死を悲しむ先生の声に、僕は少しだけの意外性と、それを感じた自分を恥じた。 「すいません、現場で発見した少女も見失ってしまいました」 『――その少女だがな。心当たりがある』 「え?」 『お前たちが今居る“第6技術研究所”だが、何をする場所か知っているな』 「それは……試作型マギナの研究に試作、アストラル処理。量産手前までの過程の9割を担っていると聞いてますけど」 『うむ、間違っていない。技術研究などと呼ばれているがその実、マギナ製造所と言って過言でない。  ……では、そこでちょうど一ヶ月に前に大火災が起ったのは知っているな』 ファリア先生は矢継ぎ早に言葉を続ける。だが、その話は噛み合っていない。 二転三転し話題を変えるファリア先生。 先生の言った“心当たり”と今の質問とどういう関係があるのか。 マギナの製造場所で起った一ヶ月前の大火災。そこに現れた、見た事のないマギナを扱う少女。 ……? 「ファリア先生、どういう事ですか」 『一ヶ月前の大火災、当然、鎮火後に調査隊が派遣された。派遣されたのは同じ“お上”を持つ私たちMAの者だ。  データはほぼ完璧に残っていた。回収も無事終わり、あとはそれを他の技術研究所に渡してお役御免のハズだったんだがな。  ……そのうちのいくつかのデータに、妙なプロテクトのかかったデータがあったんだ』 「妙なプロテクト?解除できなかったんですか?」 『そっちは何とかなったんだがな、問題は中身だったよ。  あの研究所は違法的にマギナの無断製造・量産を行っていた。こちらにも上の方にも、そんな連絡も要請も来ていない。  ご丁寧に現場では大量のマギナの残骸も見つかっている』 「無断製造……。でも何の為に?マギナ適性を持つ人間は大概がMAか関連機関に所属しています。  無断で量産なんてした所で扱える人間もいないのにメリットも何も――」 『プロテクトの中にはまだまだ残っていたよ。  “実験体搬入記録”と“実験体別のマギナ移植時における適性率”……簡潔に言おうか。  第6技術研究所はな、マギナ適性のない人間を人身売買で入手して人体実験を行っていた』 人体実験……? ファリア先生の言葉に真っ白になった頭の中に、少女の姿が浮かんでくる。 彼女の左目。人体実験。まさかあの左目、失くしたものを補うためでなく……! 「でもマギナ適性ない人間にマギナを扱う事は不可能でしょう、そんな……!?」 『マギナを“扱う事”は不可能でも、“使用する”だけなら不可能ではない。使用に必要なだけの魔力を支払う事が最低条件だがな。  そしてもう一つ。移植、つまりマギナを自身の体と同化させる事はマギナ適性率を乗算する可能性がある。  ……だがそんなもの、無いに等しい可能性にすぎない。お前の発見した少女も十中八九がここに買われた娘だろうな』 「…………」 『確か、眼球型マギナだったな?少し待ってろ。……あったぞ、2種類開発されて片方だけ移植の成功例がある。  魔眼型マギナ『バロール』……“魔力で視界上の生物全ての精神根幹に自身の精神を介入させる”。  また大層な物を作ったものだな、マギナ適性のない人間に扱わせるものじゃないぞ。  ――これは推測だが、近辺の魔物の不振な動きは彼女のマギナによるものだろうな。  恐らく魔物を見た時、彼女の不安定な精神が流れて彼女を守るような動きを取っているんだろう』 「精神根幹……要するに生き物である限り有効という事ですか。魔物の巡回は彼女の自衛の意志が流れ込んで……」 『憶測だが研究所の大火災も少女が噛んでいる可能性がある。  暴発すれば一瞬でその場を混乱に貶める事が出来るマギナだ。  だがこれが正しいとすると真壁の見つけた少女は常識外だな。  単純にマギナ適性持ちか移植による適性率の上昇と考えても異常な適性率だ』 キラハガネに視線を移す。先程の彼女の攻撃で大半のアストラル処理を持って行かれた、左腕の愛盾。 識島さんからもらった紙に映った魔物の数。あれも10や20ではなかった。 あれら全ての精神に介入してこれだけの攻撃が出来る。確かに異常と考えれば異常としか言えない。 ……が、例えそうだとしても、あんな小さな女の子を放っておくわけにもいかない。 「わかりました。とにかく彼女の保護を最優先にします。他の皆と合流して……」 『その必要はない。識島たちには帰還命令を出した。真壁もさっさと帰ってきなさい』 「帰還命令?待ってください、まだあの女の子を保護してな――」 『言い方を変えるわ。真壁信護、今すぐそこから逃げなさい。……もうすぐそこに、“魔術核”が墜ちる』 〜 魔術核。その名の通り魔力による核兵器である。 マギナの要領で内臓魔力を爆発の瞬間数倍に跳ね上げ、生体に直接魔力を叩き込むという荒技中の荒技である。 容量を超える魔力を当てられた生体はその大小を問わず内から自壊を起こす。それは人間も魔物も例外ではない。 例えていうならば中性子爆弾。その強力さに一時は量産も考えられたがメリット以上のデメリットが数多く露呈した。 一つは上級魔に対して全くと言って良いほど効果をなさない事。魔力壁を持つ奴らに対しては恵みの雨以外の何物でもなかった。 もう一つは二次災害の甚大性。魔術核によって放出された魔力は空気中に強く残存。 さらに魔術核により霧散した魔物そのものが持っていた魔力も合わせて空気中に拡散する。 この大気中の残存魔力に反応し、さらに多くの低級、ひいては上級魔さえも被爆地に集まる事象が確認されている。 一番の決め手は有効範囲の違い。魔物と人間では魔力の絶対量が大きく違う。 これによって魔物に対する魔術核の有効範囲は狭く、代わりに人間の被害範囲が甚大すぎた。 一掃のメリットに対し3つの巨大なデメリット。戦術兵器としても不完全でありその使用は過去数度の試験運用以外で用いられる事はなかった。 〜 「魔術核!?なんだってそんなものが…!?」 『研究所と学園の“お上”は同じ。上はなかった事にしたいのさ。自分たちの管轄で起った不祥事を。  研究の跡も、その“成果”もな。学園の近くだが魔術核の余波なら学園の結界で防ぐ事も出来る。これ以上の適任はない。  お上のお題目はこうだ、“研究所焼失の際に集まった魔物たちの巨大コロニーを発見、早期解決のため已む無く魔術核を発射”。  今、他の先生たちも交えて審議中だが、恐らくもう10分もしないうちに発射が決定される。  ……わかっただろう、真壁。今すぐそこから離れろ』 ファリア先生の語調が強まる。有無を言わさぬ迫力が通信機から伝わった。 恐らく本当にもう余裕がないのだろう。 しかし。 納得ができない。 「見捨てろって言うんですか。あんな小さな女の子を!?」 『割り切れと言っている。上に逆らえば私どころかお前にまで何があるかわからん。  その少女は危険すぎる。それ以上深追いすればお前は――』 「――僕はッ!……僕がマギナを持ったのは、人を見殺しにして自分だけ助かるためじゃない……」 『真壁。私たち教師も、お前たちを殺すためにマギナを持たせたんじゃない』 「…………ッ」 『帰還だ。命令を復唱しろ、真壁信護』 淡々としたファリア先生の言葉。 わかっている。部隊長の死を悲しんだ先生が、少女を気にかけていないはずがない事くらい。 先生は僕の事も気にかけてくれている。わかっている。 でも。 それでも。 「――わかりました。真壁信護、命令を復唱します。」 「『現地で発見した“逃げ遅れた住人の少女”の保護』  ……これより行動に移します」 『バっ……何を言ってる!死ぬぞお前!?』 通信機からファリア先生の怒鳴り声が響く。先程までとは違う、感情むき出しの声。 きっとこっちが先生の地なんだろうな、などと悠長な考えが浮かぶ。僕はこっちの方が好きだけど。 心の中で苦笑し、先生の大声にキンとする耳を押さえながら僕は精一杯の屁理屈を並べた。 「僕はただ“逃げ遅れた住人”を保護するだけです。魔術核なんて撃たれる理由はありません」 『そこの住人は研究所の関係者ばかりだ、住人の確認が終わってる事なんて筒抜けだぞ!  目撃者のお前ごと消されて終わりだ!』 「それなら発射されるまでに保護します!そうなれば発射する理由はなくなる!」 『少女を無事保護しても向こうは研究所自体を消したがってるんだぞ!強行されたらどうする!?』 怒鳴り合い。そして訪れる沈黙。 先生の言う事は概ね正しい。僕はただ、あの女の子を助けたくて今思いついただけの御託を並べてるに過ぎない。 ファリア先生もそれがわかっているのか、此れ見よがしに溜息をつくと穏やかに沈黙を破った。 『もう5分もないぞ、それでもやるって言うのか。真壁、何がお前をそこまでさせる?』 「あの子の瞳を見ました。マギナなんかじゃない、あの子の怯えた両目を。……理由は、それだけです」 『……はぁぁ〜っ。お前、人を理由にして死ぬタイプだな。長生きできないぞ』 「…………」 僕の返答にファリア先生はひときわ大きな溜息とともに呆れ気味に吐き捨てた。 通信機越しの空気に眉間に指を押しあてて唸るファリア先生の姿が浮かぶ。 やがて無言に徹する僕に、先生の諦めたような声が通信機から響いた。 『――20分だ。一介の教師の私じゃそれ以上は引っ張れん』 「っ、ありがとうございます、ファリア先生!」 『生徒に「死ね」と言ってる教師に礼をいう奴があるか、この馬鹿者。  ありがたいと思うならきっちり保護して連れて来い。言っとくが、お前の骨など拾わんからな』 「はい、必ず」 ぶっきら棒に言ってのけるファリア先生。 20分。その間に少女を保護して報告する事が出来れば、魔術核発射は止める事が出来るはず……! 休んでいた時間と少女の脚を差し引いても、見つけられない時間じゃないはずだ。 とはいえ時間に余裕がある訳じゃない。 早速行動に移ろうと通信を切ろうとした間際、先生の声が届く。 『なぁ真壁。その女の子は何に怯えたんだろうな』 「え?」 先程とは少し様子の違う先生の声。試すような物言いだと思った。 返答を待つように返ってくる静寂に、僕は少しだけ言葉を選ぶように考えて。 自分の頬を強く拭って答えた。 「あの時、少しだけシミターネイルズの返り血を浴びて。でももう拭き取りましたから」 『ははっ。成程。お前、また怯えさせて終わるぞ』 「え」 笑われた。思わず拍子抜けする。 あの時、僕は血塗れで死体の横に居た。怖がられて当然だと。 『お前が少女の左目を見てマギナだとわかったのと一緒だ。慣れてるお前は内臓してる魔力が見えたろう?  マギナ自体が視覚になっている彼女にはお前の盾に通う魔力、彼女にとっての“武器”がよく見えただろうな。  ハガネで防御しようとした事ですら彼女には剣を向けられたに等しかったろう。  そのまま追えば、また少女を怖がらせるだけだぞ』 「でも、僕は――」 『真壁。先輩からのアドバイスだ。  マギナなんてなくても、人は人を護れるよ。……気張って来い』 一方的に通信が断ち切られる。耳に届くのは、開きっぱなしの回線の音。 通信機に添えた手を降ろしながら、少しだけ茫然と足元を見つめていた。 「――――」 頭の中を先生の言葉が反芻する。姉のような応援と助言。 しかしファリア先生の言葉は、僕のマギナに対する考えの否定と同じだった。 魔物を倒す事は人を護る事に繋がらないと。 それなら僕は―― 顔を上げ、少女が消えた方向の路地を見つめる。 廃墟と化した住宅街の寂れた通。目を凝らせば赤い残光が道筋のように薄ぼんやりと輝いている。 少女の『バロール』から歯止めもなく垂れ流された魔力が道標となっていた。 僕は頭に浮かんだ考えを振り払うように駆け出す。 やり場のない憤りを含んだそれは、走りっぱなしの今日の中でも疾く僕の体を走らせた。    マギナは魔物を殺すためのもの。それを行使する事が、人を護る事。    少女は、そんな僕を見て怯えていた。 変わらない景色。人の気配のない灰色の街並み。 彼女の足跡を辿る僕の体が、赤い残光を掻き消しながら走り抜けていく。 走った距離に連なってほんの微かに色味を強める魔力の残滓が、この道が正しい事を示している。 しかし、時間はない。 さらに歩を速めようとした僕の真上に、不自然な影が降り立った。 反射的に。弾かれるように僕は頭上を見上げる。 視線の先には僅かな太陽光を背負った人型の異形。逆光は支障ない。アレは―― 「――シギュワリ!?」 灰色の表皮にサメを思わせる面構え。ぶよぶよとしたその皮は見るだけで嫌悪感を引き起こす。魔物。 シギュワリは僕の真上を高らかに跳び上がり真っ直ぐに僕へと降下する。 家の屋根を渡ってきたのか、警戒を怠りすぎた……! 「ガガガガガッ!」 歯を鳴らすような笑い声。ヤツは奇声を上げながらその腕を大きく振り上げた。 空気を押し潰す音とともに巨魁の拳が僕に降り降ろされる。 2mを超すその図体からは考えられない速度と圧力を伴った正拳。喰らえば、肉片にされて終わり。 けれども。僕は既に反応を終えていた。 「キラハガネぇ!」 左盾のキラハガネに魔力が通う。幾千と積み重ねた工程はもはや呼吸と同じ。 キラハガネは僕の魔力を糧になけなしのアストラル処理を発動させる。 それで十分。シギュワリの拳が僕の顔面にかかる刹那、合間に差し込むようにしてキラハガネを構えた。 ――カァンッ キラハガネをシギュワリの拳が激しく打ちつける。 遠雷のような音。耳元でけたたましく鳴り響く。轟音と比例するように、届いた衝撃はほぼ皆無。 物理衝撃を“吸い込んだ”キラハガネは、僕の魔力とソレをアストラル処理によって混ぜ合わせ。 “反射”する。 「ガガぁッ!?」 キラハガネから光が放たれる。その光はシギュワリの腕をすっぽり包み込む魔力の光。 悲鳴と共に光から腕を引き抜いたシギュワリだったが、その腕は肉が見えるほど粉々に砕かれていた。 これが反射の威力だ。1℃の狂いもなく正確に真正面を捉え跳ね返す衝撃と魔力。 何が起ったか理解の及ばない化物は、自らの腕を掴んで悶絶する。 そんな余裕があるのなら、逃げれば良かったのに。 僕はそれ以上の自由を許さない。次の瞬間、展開されたアマハガネの刃がシギュワリの頭部を貫いた。 刹那に精製されたアマハガネの刃。幾万と積み重ねた工程は心臓の鼓動と同じ。 剣を抜く動作すら時間の無駄。光剣とアマハガネの連結と断ち切る。 供給元を無くした剣はシギュワリの頭部を貫いたまま、まるで砂絵のように風に融けていく。 両のハガネを振り払うと、僕はシギュワリの脇をすり抜けて再び駆け出した。 僕は振り向く事もせず、肉塊が大地に沈む音を聞きながらそこから走り去る。 (この周辺にはもう魔物は居なかったはず。僕の方から流れて……いや、呼び寄せられてきたのか。  彼女のマギナの所為で僕に襲いかかってきたのなら、彼女が僕に気付いているという事になる。  つまり――この道の先に居る!)    違う。僕はあんな小さな子を怯えさせるために戦っていたんじゃない。    僕はあの子を救おうとしたのに。その為のマギナなのに。なんで―― 走り続けていく内に狭い路地へと出る。道標はもう目を凝らす必要もない程赤々と輝いている。 この道で間違いはない。魔力の濃度から見ても、ここを通ったのはそんなに前でもない。 確実に僕は少女へと近づいている。けど、それは同時に―― 「くそっ、もう次か……!」 獣の匂いが近づいて来る。隠す気もない野生の敵意。 バロールの支配下に置かれた魔物が僕を目指しやってくる。 そしてそれは途端に。 路地の真正面、進行方向を遮るように空から“弾丸”が着地する。砂埃の中から現れた異形は、蟲。 “ラフィドフォリダー”。巨大なカマドウマの化物。 ラフィドフォリダーはニッパーのような顎をギチギチと鳴らし、粉塵の中から僕を見据える。 不味い、状況が最悪だ。この狭い路地で突進でもされたら避けようがない……! 「シャアアァァァッ」 「ッ!?」 ラフィドフォリダーを前に動けない僕の背後から唸り声。 反射的に振り向くと、後ろの曲がり角からズルリと姿を現すもう一体の化物。 背中にびっしりと棘を生やしたトカゲの……いや、ワニと言っても差し支えない大きさの魔物。 “ベルゲネ”。大人しくて鈍いハズだけど、こいつだって瞬発的な動きは油断できない。 前門の蟲、後門の鰐。 ――どうする!? 次の瞬間、僕の思考も待たず二体は最悪の事態を行動に移す。 二体は狭い路地を弾かれるようにして、同時に僕に向かって跳びはねた。 両者の速度は弾丸。その巨体は狭い路地を埋め横に避ける事を許さない。 既に三点の距離は数十cm。魔物たちは僕に食いつこうとその大口を開ける。 二体の歯牙が僕にかかる刹那。僕は地に這いつくばるようにして一瞬で身を伏せた。 僕の真上を二つの弾丸が掠める。そしてその一瞬、“三点”が縦に重なった。 頭上に見えるのは無防備な腹二つ。考えるより先に展開したアマハガネの刃。僕はソレを大きく空へ掲げた。 ――ズンッ 肉の感触二つ。輝かしく伸びた光剣は、下からベルゲネとラフィドフォリダーを貫いた。 飛びかかった勢いを無くさぬまま突き進む死体は、腹から下を両断されながら行き交わす。 頭上を交錯する二つの死体が同時にコンクリートの上を滑走し動きを止めた。 二体は腹から内臓を垂れ流しながらピクリとも動かない。 それを視線だけで確認。軋む体に鞭打ってゆっくりと体を起こす。……無茶な動きをした所為で体が痛い。 とにかくするべき事をしよう。姿勢を直し進む先へと体を傾ける。 瞬間。 僕の真横。コンクリート塀を突き破って、もう一体のラフィドフォリダーが現れた。 ラフィドフォリダーの突進の前に塀は壁の役目を果たさない。複眼は真っ直ぐに僕を捉える。 (しまっ――) 奇襲。回避。間に合わない。防御――! 咄嗟に僕は体を捻り両腕のハガネを構える。 そしてほぼ同時。僕の体は紙くずのようにして、ラフィドの巨体ごと反対のコンクリート塀へと突っ込んだ。    『マギナなんてなくても、人は人を護れるよ』    それなら何の為に。    僕は“こんなモノ”を持っているんだ。 (ぐっ……、モロに背中打った……!) コンクリートの残骸に埋もれながら苦痛に顔をしかめる。僕の体は残骸に体を固定され座り込む形になっていた。 咄嗟に飛ぶ事が出来れば突撃の衝撃を少しは軽減できたのに。 (くそ、余計な事を考えなければ……さっきから油断しすぎだ……!) 眼前に構えたままの両盾。その隙間から見え隠れする薄茶色の蟲の皮。 「ギチギチギチッ!」 ラフィドフォリダーが巨大な顎を僕のアマハガネに突き立て嘶いている。 租借するように動き続ける顎がアマハガネの表面に刃を立てては削りとる。 不快な金属音。この障害物を食い破って“エサ”に辿りつくために、化物は口を動かし続ける。 ラフィドフォリダーが食い破ろうとしてるのはアマハガネ。僕にとっての唯一の攻撃用マギナ。 光剣を出し反撃しようとすれば、その間にコイツは僕の腹を食い破るだろう。 そもそも押し倒されているようなこの状態では身動ぎがやっとである。    僕は―― 耳障りな音が未だに僕の耳に届く。ギチギチと泣き喚く金属音。 「がっつきやがって……ッ」 僕は苛立ちに任せてアマハガネに魔力を叩き込んだ。 ハガネの表面のアストラル処理に光が走る。それはまるで血管に血が通うように。 ここまでの工程は光剣と同じ。 しかし剣として排出される事のない魔力は行き場を失い表面のアストラル処理へ流れ続ける。 徐々に加速しその濃度を増す魔力の奔流はアマハガネを光に包んだ。 「メシの時間だ!口開けろ、佃煮野郎!」 「ギッ!?」 魔力で溢れかえるアマハガネに最後の一滴を注ぎ込む。 それを合図にアストラル処理に流れる魔力の向きが変わる。指定先は当然、目の前の化物。 溜め込まれた魔力が堰を失い、一気に放出される。 「撃て、アマハガネ!」 ――ドォッ 爆音を立てて内部に溜めこまれた魔力があふれ出る。 アマハガネの表面から真っ直ぐに放出された“光の柱”は、濃度と圧力をもってラフィドフォリダーを串刺しにした。 まるで光の槍。それはラフィドフォリダーに大きな風穴を開け、大気中へと融け空へと消えていった。。 許容量を超えた魔力を叩き込まれたラフィドフォリダーの死骸は徐々に膨れ上がると風船のように破裂する。 のしかかる重みから解放されて体を起こす。 吹き飛んだラフィドフォリダーの肉片が、ボタボタと雨のようにして周囲に降り注いだ。 死臭。いつから平気になったんだろう。 不意に体に触れる肉塊すら気にもならない。 足元のそれを無感動に眺める自分。 「違う――」    僕は魔物が殺したくてマギナを持ったんじゃない。 「そうだ、僕は……」    『僕は大切な人たちが護りたくてマギナをとったのに』 空を仰ぐ。一向に晴れる事のない曇り空。黒く染まった雲は陽の光を通さない暗雲。 視線を落として行く先を見据える。先程の攻防で周囲の魔力の乱れがあったものの、未だに『バロール』の足跡は光り輝いている。 これが少女のSOSだとしたら。この先で、もう一度あの少女と向かい合う事が出来るなら。    僕は人を護るためにこの盾をとったんだ。 思い出したものが、形に出来る気がした。 気付けば体は既に走り出していた。こうなればもう、進むだけ。 少女の軌跡を掻きわけて進む体は、羽根のように軽くなった気がした。 残光を追って辿りついた先は第6技術研究所の跡地だった。 大火災の火元であるここは未だに焦げ臭さが強く残っている。 焼け焦げて黒く変色した壁。天井は抜け落ちて焦げた壁と同じ色の空が覗いていた。 一際強い異臭に思わず手の甲を鼻にあてる。焼失したマギナの影響か、大気中の魔力濃度に眩暈がする。 こんな所にあの少女が?それでも僕の目の前には赤く光る魔力の道筋が照らされていた。 この魔力濃度の大気の中で悠然と光り輝く軌跡。僕は出来るだけ音を立てずにそれを辿った。 (いた……!) 視線の先。研究所の部屋の隅、剥き出しになった配管に背中を預ける少女。 無防備な背中を隠し、僕の隠れ潜む曲がり角をじっと見据えていた。 僕自身には気付いていないだろう。恐らく魔物が倒された事で警戒しているのだ。 その肩は小刻みに震えながら弾み、呼吸を整えようとしている。 先程まで走って、いや、逃げていたようだ。……僕から。 周囲への警戒は酷く少女の体力を摩耗させていく。これ以上、身を潜める意味はない。 何より。僕はあの子を、“今度こそ”助けるためにここに来たのだ。 僕は足元の砂利を踏みしめ、ゆっくりと音を立てながら角から姿を現した。 「あぁぅ……っ!」 物影から姿を現した僕を見て、少女がびくりと体を震わせた。 泳ぐような視線は僕を捉えているが定まっていないようだ。バロールの影響はまだない。 少女の肩は大きく弾み、動悸が荒い。その表情には恐怖と警戒がありありと浮かんでいた。 ダメだ、このままじゃさっきの再現になる。とにかく落ち着かせて、話を―― 「待ってくれ、僕は――!」 「あぁぁっ!」 すがるように手を伸ばして一歩踏み出す。同時に響いたのは拒絶の絶叫。 少女は自分の体を庇うように抱き締める。呼応するように赤光の魔眼が僕を捉えた。 次の瞬間に放出された魔力は紅色の波浪となり隙間なく部屋を覆うと、高波のように僕へと迫りくる。 それは先の攻防とは比べ物にならない、列記とした攻撃。 (不味い――避けられない!) 素早くキラハガネとアマハガネを構え胸と顔を庇う。 “波”が盾に触れるのと同時。まるで車と衝突したような衝撃が僕の体を貫いた。 ビリビリとした振動が腕を震わせる。腰を落として堪えようとした体が僅かに押し戻された。 距離は目算4m。にも関わらずこの魔力波は数十cm程度の距離で受けた初見での攻撃と大差ない。 (彼女の意志がバロールとリンクして威力を増してる……自分を追う“敵”への攻撃として……!) 少女の視線を辿る。それは僕、というよりも両腕のハガネに集中していた。 魔力の波も盾で庇いきれない体より、小さなバックラーにアテられる魔力の方が何倍も強い。 今のハガネにはバロールを防ぐために僕の魔力が通っている。先生の言う通り少女にもそれが見えるのだろう。 バロールの魔力は衰えず、尚もハガネを打ち鳴らし続ける。 人を救うためのマギナ。でも。 『マギナなんてなくても、人は人を護れるよ』 (本当にそうなら……) 『僕は人を護るためにこの盾をとったんだ。』 (そのためにこれが障害になるのなら……) “こんなもの”は要らない――! 僕は両手のハガネを振り払うように投げ捨てた。 勢いに任せて身を乗り出すが、盾を失くし晒された僕をバロールが阻む。 「ぐっ……!」 生ぬるい魔力の流れが一瞬で僕を包み込む。 頭痛なんてものじゃない。鈍器で殴打されてるのと同じだ。 悪寒。四肢の感覚が消えて失せる。視界が歪み地面を見失う。 それでもその視界の奥で佇む独りの少女だけが、やけにハッキリと見えた。 「……っ!?」 少女は僕とハガネを交互に見つめる。まるで信じられないものでも見るかのように。 もう僕にマギナはない。自分の魔力も彼女のバロールと反応しないように、極限にまで抑えている。 今の僕は裸で北極に居るのと同じ。魔力を視る事が出来る彼女の魔眼にもそれがわかるのだろう。 狼狽のお陰か少しだけバロールの魔力が緩む。 僕は木偶のような右足を意志だけで前に推し進める。 感覚を伴わない前進は砂利を踏みしめる音だけでしか確認できなかった。 少女の体がビクリと震える。一歩進んだ僕に怯え、ただ震えながら留まる事しか出来ないようだ。 それでもバロールは止まらない。 それどころか少女の感じた『恐怖』をそのまま僕の頭に叩き込む。 抗う術のない僕の思考に注がれる、“僕以外の何か”。 頭を犯す不快感に胃液が逆流する。咽てえずき、吐き気を堪えるも思わず下を向く。 追い撃ちをかけるように俯いた僕の目に有り得ないものが映り込んだ。 僕の左足にしがみつく人影。いや違う、人の形をしているコレは。 (魔物!?) 僕の左足を抱き抱えるようにして組みつく、上半身だけのシミターネイルズ。 響く頭痛。それに伴って痛んだ右足には、いつの間にか体中穴だらけのベルゲネが噛みついていた。 (違う、これは幻覚だ!バロールの精神汚染!  彼女の恐怖心が僕に投影されてるんだ。隊長が自分を刺したのもコレか……!) 肩が抜けそうな勢いで左腕が引かれる。袈裟掛けに両断されたシギュワリが片腕で僕を引き留める。 傷口から臓物を垂れ流しながらダラリとした肉塊が僕に血を擦り付ける。 腐臭。噛みつかれる右足の激痛。血の感触。慣れたはずの全てが神経を逆撫でした。 これが全部幻覚……!? 「あ……うぁっ……」 不意に聞こえた声に顔を上げる。目の前に浮かぶ少女の表情は先程と何も変わっていない。 あぁそうか、これは僕の幻覚だからあの子には見えないんだ。 「――めんね」 「……?」 視線が重なる。初めて少女が僕を見た気がした。 「怖がらせて、ごめんね。もうちょっとだけ我慢して……っ」 「あ……!?」 鳴り響く頭痛と消えない幻覚を抑え込み精一杯の笑顔を向ける。 少女は驚いたように目を丸くして少したじろいだ。意識が逸れたのかバロールの魔力が僅かに軽くなった。 一歩。左足にしがみ付いたままのシミターネイルズを引きずり強引に前へ。 たった一歩近づいただけで濃度を増すバロールの光に全身から脂汗が噴き出た。 体に纏わりつく幻影はさらに克明にその姿を現す。 痛い。微塵の感覚も残ってない癖に、痛みだけが脳髄に響き続ける。 「助けに来たんだ、君を。だから――」 一歩。右足を持ち上げた瞬間、ベルゲネの牙が肉を抉る。 バキバキと聞こえる音は骨が噛み砕かれている事を脳に教える。幻覚だ、僕は立っている。 視界は虹色に染まり耳の奥でナニかがけたたましく鳴き続ける。 それでも僕は唯、少女に笑いかけた。眉一つしかめればあの子にも伝わってしまう。だから。 「君くらいの、妹が居るんだ。ちょっと生意気、だけど……」 「あぁっ……あぅぁぁ……」 一歩。踏み出した途端、シギュワリの掌の皮がズルリと剥け僕の左腕にこびり付く。尚も幻影は離れない。 痛覚だけを伝える脚が邪魔にすら思えた。それでも、ここで膝を折る訳にはいかない。 全身に走る耐え難い痛みに頭と体が一斉に悲鳴を上げる。無視した。 「きっとす、ぐに……仲良、なれるから……だ、から……」 「うぁ!あぁぁーっ!」 声が続かない。喉がカラカラだ。 気付けば少女の声色が変わっていた。 (あぁそうか、喋れないんだ) 今さらになってそんな事に気付いた。耳鳴りの遠くで少女の叫びが微かに届く。 悲鳴には拒絶と違う感情。バロールの魔力に混じって流れ込む少女の想い。 (心配してくれてる……?) 歪んだ景色の中に立つ銀髪の少女は悲痛な面持ちで僕を見つめる。 一歩。少女の声に「大丈夫」と笑顔だけで返し踏み出す。 腹部に激痛。脇腹を内側から食い破って、ラフィドフォリダーが顔を出す。 僕の血に塗れたラフィドフォリダーがギチギチと鳴いている。これも幻覚……! 痛みを噛み殺し足を引きずるように歩きだす。 少女は僕を見つめ続ける。視線の先、真正面の僕にバロールの魔力が最短距離で届く。 それでも彼女が僕の姿を見てくれている事が嬉しくて。 「もう、怖がらせたり……しないから。……一緒に行こう」 「……………!」 少女を見上げた僕の顔は自然と微笑んでいた。 さらに一歩。幻影の魔物はさらに僕に纏わりつき踏み込んだ衝撃が刃のように全身を貫く。 もはや少女との距離すら測れない。感覚だけが頼りの前進。 例え何歩かかろうとも足は止められない。 ファリア先生だって魔術核を止めようと頑張ってくれているんだ。 ここで僕が諦めたら全てが無駄になるんだ。 (マギナなんてなくたって護ってみせる……僕は……!) そのためにここに留まったのだから。 幻影を振り払うようにして力強く踏み出した一歩には、もう痛みなんて届かなかった。 「……あれ」 本当に痛くない。目覚めた直後のようにぼやけていた視界が次第に冴え渡っていく。 ハッとして自分の手足や腹を確認するがどこにも魔物や傷なんてなかった。 (本当に幻覚だったのか……アレが) 事前に聞いていたからわかっていたハズなのに、途中から自信なんてなかった。 でも、何で急に。 ふと視界に映った影に視線を上げると、魔眼の少女が僕のすぐ前に佇んでいた。 不意をつかれて思わずびくりと体が震える。が、少女はそんな僕の顔を覗きこむようにしてただじっと見つめている。 (制御……したのか。無理矢理移植されたマギナを……) 少女は身動ぎ一つせずにただ僕を見上げている。 僕はそっと少女に向かって手を伸ばした。ボサボサの髪を撫でると少しだけくすぐったそうに身をよじる。 依然バロールの内側には膨大な魔力が伺えるが何の影響も見られない。 あぁ、間に合ったんだ。 やっとの思いで辿りついた少女。頭を撫でる掌に思わず力が入った。 少女は変わらず僕を見上げる。無機質な白銀の左目。その奥の少女の瞳には、もう恐怖は映っていなかった。 僕は彼女に向かって心から微笑んだ。 「さっきはごめんね。……助けに来たよ、今度こそ」 「――――っ」 「わ……っと」 僕の言葉と同時に少女が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。 寸での所で割って入って抱きとめた少女の体は少し冷たく感じた。 ふと、腕の中で力なく項垂れる少女から規則正しい呼吸音が耳についた。 (あれ……寝てる?) 抱き直し少女の姿勢を整えると、右目を閉じて小さく胸を上下させていた。 その寝顔は先程まで怯えきっていた子の表情とはとても思えなかった。 (そうか、火災があったのが一ヶ月前で……その間ずっと……) 魔物ばかりのこの跡地で少女はずっと独りで彷徨っていた。身を護るのは“左目”だけ。 緊張の糸が切れたのかもしれない。 「……ん?」 少女を抱き抱える腕に違和感を感じて視線をよこす。 見ると眠りについた少女が僕の服の袖をがっしりと握っていた。 あれだけ追いまわしたのにそんな事などどこ吹く風で眠り続けるお姫様。 今じゃ目の前でこんなに無防備な姿を晒している少女の姿が可笑しくて思わず笑みが零れた。 穏やかな少女の寝顔を眺めながら、誰にともなく呟いた。 「――ありがとう」 零れ落ちた胸の内は、誰も居ない研究所で静かに融けていった。 “アレ”が二年前の出来事。今でも時折、ふっと思いだす事がある。 校内の廊下の窓から身を乗り出して物思いに耽る。学校を取り巻く大気の魔力濃度が何となくあの時の事を思い出させるのだ。 結局、第6技術研究所に魔術核が落ちる事はなかった。 細かい事は聞いていないがファリア先生が上手くやったのだろう。 心配されていたあの子の処遇も、お偉いさんの使いが“俺”の所に来て口止めに留まった。 上の事情に興味もなかったから条件付きで承諾。勿論、『今後一切あの子に関与しない事』。 保護されたあとも予想してたよりは滞りなく進んでたみたいだ。怖いくらいに。 運び込まれて目が覚めた少女のバロールの魔眼が発動してちょっとした騒ぎにもなったけど。 事情を聞いた魔眼タイプのマギナ使いのアイザック先生の協力で『耐魔眼マギナ眼帯』の入手に成功した。 こっちの方もどうやらファリア先生の根回しがあったようだ。 その後も稀に任務担当で会う事があるが、未だに頭が上がらない。 あの日以降、俺のマギナでの立ち回りも当時とは少しずつ変わっていった。 元に戻っただけ、でもあるんだけど。 仲間を護るように立ち回る俺の姿はファリア先生にあの件を引き合いに出され思う存分からかわれた。 なんにせよ、眼帯によって保護された少女は普通の女の子としての生活が送れるようになった。 保護当時はこちらの言葉も断片的にしか理解出来てなかったようで暫くは大変だったようだけど。 でもまぁ。それが今じゃ―― 「シンゴーーーー!」 「うげはっ!」 横腹、不意打ち、ロケット頭突き。 完璧なコンボを喰らって悶える俺を余所に、人の横腹に顔を埋める少女の影が一つ。 「シンゴ!おなかへったぁ!」 「ろ、“ロコ”……廊下は走らな……というか、頭突きしない……」 「シンゴごはんたべたか?いっしょにいこっ」 「まだだけど、って、人の話を聞きなさい……」 俺の服の裾を掴みながらガンガンと振り回す銀髪の“眼帯”少女。 今では“ロコ”という名で呼ばれMAの保護監察下という事になっている。 もう少ししたらMAへの編入も考えられているようだが、正直保護した俺の方が不安である。 というか、ロコには一応お守がついているはずなんだけど。 なんて考えていると、ロコが飛んできた方角から埃を巻き上げて何かが突っ走ってくる。 見覚えのある銀髪に、赤いリボン。 「あっ、兄貴!ロコ見なかった……って!ナニしてんの!?」 「“砕子”、ロコから目を離すなよ」 「ちょっと余所見しただけだってば。っていうか、くっついてないで離れなさいよ!」 「サイコ!シンゴもいっしょにごはんっ」 「わかったから離れなさいってばー!」 妹の真壁砕子が俺にしがみつくロコを強引に引っぺがす。 ロコは気にも留めない様子で逆に砕子の手を取るとぐいぐいと引っ張り始めた。 「サイコもシンゴとたべたいな?みんなでごはんいこー!」 「ちょっ、アタシは別に……」 「いや?」 「う゛……わ、わかったわよ。ほら兄貴、行こう」 砕子はそういうとロコの手を握り返し誘導するように前に立った。 しかしロコはあれだけ急かしていた割に動こうとしない。 「どうしたんだい、ロコ。忘れ物?」 「シンゴ」 名前を呼ばれる。 首を捻りながら歩み寄ると、ロコはもう片方の手を俺に向かって差し出した。 「――いこっ、シンゴ!」 「――――」 差し出された小さな手。 少し呆気に取られたあと、何だか可笑しくなった。 俺は緩む口元を抑えきれないまま、そっとロコの手を握った。 「あ、ロコ!ズル――あーもう、さっさと行こーよっ」 「えへへっ」 何やらご機嫌ナナメの砕子とは対照的に楽しげに笑うロコ。 小さな手が力いっぱい俺の手を握ってくれる。 何だか妙なくすぐったさと心地よさを覚えながら、砕子とロコに引かれて食堂を目指す。 途端、ロコがくるりと僕に振り返って。 満面の笑みで、微笑んだ。 「――ありがとう、シンゴ」 ――あぁ。俺の方こそ、ありがとう 『たとえ貴方が拒んでも、俺は貴方を守り抜く』