現在、十三人の軍団長はほぼ全員が皇都に集結している。例外はドクターが既に訪ねた テトラだが、彼もそろそろ降りてくる筈だ。  各地方に駐屯している軍も、部下に任せて軍団長たちは皇都に帰ってきている。  皇帝の召集によって年末年始の期間、皇都に待機するように言い渡されたからであるが、 つまるところそれは皇国武官の重要人物がほぼ全て皇都に存在しているということだ。  ある意味では、現在皇都は非常に安全な場所といえるかもしれない。  だがそこで軍団長の一人が乱心したらどうだろう?  しかもそれが、軍団長個人として『最大』の『戦力』を持つ男だったら?                ダブル / ジョーカー                  五話:表                 『Deadman's Q』  皇国の軍団長は正確なところ兵をもってはいない。  というのはおおよそこの『大陸』の感覚で言って、ということだ。  例えば皇国の最大仮想敵である王国連合のファーライト王国の軍。皇国軍は半年近く前 に彼らと交戦しているが、彼らの軍勢はガーベラ博士が後に著書『世界機構<システム・ ザ・ワールド>』で表現するところの『封建制軍』である。大づかみに言ってこの形態の 軍は、最高指揮官が直下の部下に出撃を命じ、その部下は更に部下に出撃を命じ、そして ……というような指揮系統をとる。王が出陣を決めても、ある公爵との仲に問題があると か力関係に問題があるとかすると、彼の下にある兵力が動員不能だったりして、非常に分 権的な軍勢とならざるをえない。兵員は最高指揮官に直属しない。  例えば『傭兵』軍というものがある。封建軍のように動かしづらい軍勢などを使うより、 傭兵を使う方が自由にやれる。彼らの最大の難点は、むしろそれは雇用者の問題だったの だが、金で雇われている為に、金が途切れるとコントロールを失うということだ。そもそ も契約においてその道のプロたる傭兵隊長が集めてきた戦力である為、傭兵隊長個人の私 兵となりかねない。さらには戦で食べている彼らは『戦いを好みすぎる』。実際五年前の 東部での戦争で、ファーライト王国の伯爵でもあった『伝説の傭兵』が、その動員兵力を 背景にして完全に独断専行していた。もし彼が突然戦場で消息を絶たなければどうなって いたのだろうか。  皇国軍団兵は違う。彼らは常に君主――――皇国皇帝の戦力である。最後期型傭兵軍の 更に先とも言え、トルケ第三女公フランセのように皇国を手本に目指した者も多い。彼女 の場合はあまりにも土台の国力が低すぎるという理由で有効的ではなかったが、つまりは それを支える経済力と愛国心を必要とする。上にたつ軍団長は確かに並外れた有能者では あるが、兵士たちは彼らのものではない。そうでなくては軍団兵は各々の将を祭り上げ、 軍団の力関係によって軍人皇帝が幅を利かせる事になっただろう。いや、実際にそうなり かけたのだ。ジェレミーの画策したことはそういうことだった。  クラウドは魔同盟メンバーであり魔王『世界』の部下だけれども、裂攻軍団の団員はそ うではない。テトラは空帝領を最大活用できるけれども、それはただ惜しまれているだけ だ。ジェレミーは有能だけれども、安易な野心の為に罷免される直前までいってしまった のだ。  だが一軍だけ、軍団長と『軍団としての戦力』を全く分割できない軍団がある。 (しかもそれは、ここですら容易に全戦力を展開しうる……)  皇宮の廊下。眼前の男に声をかけるのを、ドクターは一瞬ためらった。  その男は全てを覆い隠した鎧の下からでも、その体格の大きさが良くわかる。  鎧。  男は鎧を装着していた。がっちりと全身を覆っている。そしてその頭には、やけに時代 がかった円筒型の大兜を被っていた。何の変哲もない、やや時代がかっているだけの代物 だ。  いささか独特な風体ではあったが、それがただ独特であるだけならば、ドクターとて何 も躊躇することはない。  それが魔族の将軍、魔鎧の長ザーフリドでなければ―――― (どっちです?これは、本人?ザーフリド?)  もし最悪の想定通り彼がその身に装着した魔鎧に隙をつかれ、皇都のど真ん中で堕落し てしまったというならば、何も展開していない今のうちに抹殺すべき。いや、しなければ ならない。  だが違和感は、あった。  ドクターの情報結界を完全な形で解除する、という行為自体がそれが可能な存在を特定 させうるものではないか?どのようなものであれ、絶対はない。時間さえかければ……だ がドクターの不在は突発的なものだ。行きはドクターさえ意図しないもので、帰りは完全 にドクターの意思に拠る。だからこそ、限られてしまう。  そんな事をして、真っ先に思い当たる相手が、のんびり皇宮を歩いているなど。  今更に違和感だけが膨れ上がり、ドクターが何の言葉を紡ぐかも決めかねたまま口を開 きかけたその時、全身を冷やす痒みのような感覚が走り抜けた。 (魔術、)  床から足に膨れ上がる黒い圧力。  兜の下からくぐもった声、「話は聞く」  周囲に配置した魔導人形から、感応型魔術を通して送られてくる何らかの衝撃。 ≪襲撃対応開始≫  かざした掌から奔る魔力と式、そしてイメージ。  横合いから伸びてくる金属の腕。 「ブラックバーンっ!」  ドクターが相手の名を叫んだ時、その腕は石畳から煙のように、だが一瞬で現れた鋼の 鬼に掴み取られていた。背後からは別の鋼によって刃をつきつけられ、隠すように配置し ていた魔導人形達から、何者かによって襲撃を受けたという感応報告が煩いほど繰り返さ れる。  ドクターの掌から放たれた魔の電流はあらぬ方向に向かい、有効距離を越えて虚空で霧 散した。それは、精霊銀級の防御までなら容易く切り裂いて目標を蒸発させる致死の一撃 だった。 「…………用件を聞こうか」  ドクターと第四軍団長ブラックバーンが両者とも魔術師であるとしても、そしてむしろ ドクターの方がより多くの高度な魔術を習熟しているとしても、これが皇国軍常設十二軍 団の長と皇国技術研究室の長の違いだった。ドクターは戦闘員ではない。  しばらくドクターはブラックバーンに応えなかった。唸るようにブラックバーンを見上 げる。そう、ブラックバーンだ。少なくともこれが魔鎧ザーフリドであれば、突きつけら れた刃がドクターの喉を破らない理由が存在しない。 「行動から見るに、ザーラスか」  結局相手の方が言葉を続けた。 「思ったより迂闊だな。ドクター。ザーラスが居ないぐらいで、おたつくものではない。 …………技術者に胆力を求めるのも、外れた考えかもしれんが」  内容は訂正する部分もない。よってドクターは舌打ちした。 「アンタが正気で、僕様がアホ丸出しだったのは認めますから、いい加減この死人どもを どけてくれませんかね」  ドクターが視線で指すのは微動だにしない人型の鋼。それが煙と灰のようにぼんやりと 消えていっても、別に中から青白い顔が覗くというわけではない。その体は眼前の魔術師 が魔術によって構成した金属的物質に過ぎない。それはつまり、ドクターという人間が水 分や脂肪やで出来ているように。問題はつまり、何で動くか、だ。  精霊使いは精霊と呼ばれる非物質的知性体に働きかけることで、それらによって間接的 に物質を動かしうるだろう。現在ブラックバーンとドクター双方の視界の外にいる、ドク ターがつれてきた魔導人形は、高度な魔術式によって複雑に条件分岐した反応が肉体を挙 動させるよう構築されたゴーレムである。そしてネクロマンサーであるブラックバーン= アームは死者の魂を使うのだ。  生命体に宿るエネルギー。それらは死した後も形を変質させながら流動していく。生前 の人格等を維持するかいなかはさておき、生命の源もしくは残り粕に働きかけるのがつま りネクロマンシーだ。  物体を制御するのに、かつてそれを行っていたであろうものを使うというのは、なるほ ど合理的な考えであろうとドクターも思う。今回のブラックバーンは用意した物体に魂を 入れ込むことで一瞬で活動可能な兵士を出現させてみせたわけだが、勿論のこと器の方も ありあわせを利用する事は多いわけで、つまり死体の操作だから、肉体の研究者たるドク ターとしては親しんでいる技術ではある。  そもそもがそう嫌う相手でもないのだ。ザーラスを手に入れ思う存分弄り回す事が出来 たのはブラックバーンのお陰である。実戦派とはいえ高度な魔術師でもあり、ドクターが 研究内容について語ってみた場合にずっとついてきてくれる皇国将軍は恐らくこの男だけ だろう。やったことは、ないのだが。  何よりブラックバーンは独りだった。  第四軍死鋼軍団はその名の通り、そしてその長の力の通り、兵力全てがアンデッドで構 成される屍兵の軍団なのだから。補給も進撃路も休息も必要のない、軍団長へ完全に付随 する戦力。  兵の人望を集める事も、軍団を運営することも、号令をかけることもない。  一から十まで自分でやる。いややりたがってしまう。のだろう。ドクターがそういうと ころにシンパシーを感じてしまっているのは否定できなかった。 「失態、だな」  とはいえ今のドクターにとっては、ブラックバーン将軍はまずい所を知られた居て欲し くない人間である。出来る事は再びの舌打ちだけなのだが。  ブラックバーンとて、魔刃ザーラスの処遇については思うところあったろう。上級魔人 の一人を、殺し合いにおいてはド素人の放蕩老人に委ねてしまったのだから。ザーラスは その主たるザーフリドが囚われた事によって皇国への協力を強いられていたが、本来なら ばその身柄は、一部隊か、下手をすれば一軍をもってしてようやく制圧できる、そういう 存在なのである。もしくは、英雄などと呼ばれるほどの一角以上の士を必要とする。  実際、『研究室』に配置された後のザーラスは、ドクターが状況を整えた上で、そのよ うな人物もろともに潰しあわせてようやく沈黙させたのである。  それほどの魔人であれば、研究材料とすることで得たものは大きい。しかし危険度を考 えれば、データの取得が一段落した時点で完全に破壊なり封印なりするのが順当なところ である。それを弄り回して自身のゴーレムと連動する装具に仕立て上げたのは、全くドク ターの余興にすぎない。  有用性を説いて皇帝に許可を貰った当人が、不注意によってザーラスを解放してしまっ たのだとしたら、もはや弁解の余地はないだろう。  あまりにもあっさりとドクターは追い詰められていた。ただ数日、急遽留守にしただけ だった筈なのに。  空帝領の土を踏んだ時のように、視界がぐらりぐらりと揺れる。 「…………捜査に協力してやろうか」  その言葉と、突きつけられた刃が離れている事にドクターが気づいたのは、数拍を置い てからだった。幾度も瞬き、そうしてからこれ以上は寄せられないというほど眉根を寄せ る。 「は……あ?え?」  言ってから、間抜けぶりを自覚する。あわててドクターはかぶりを振った。 「いや、いや、協力……って」 「お前の様子なら情報結界は解除されていたのだろう?ならば次は霊情報でも漁ってみる しかあるまい……」  ブラックバーンの言葉は理にかなっては居た。たとえばそれが21世紀の地球であれば、 このような台詞になる。 『監視カメラには映っていない。目撃者がいないか聞き込みに行くぞ』  ドクター眼前の男は肉体を離脱した生体エネルギーの専門家であり、それらは不確実な がらも研究室に留まっていた可能性があるのだ。  『研究室』の、ドクターの部屋の真ん中に、ブラックバーン=アームが立つ。ドクター は部屋の隅でそれらを眺めていた。鋼の将軍と、<死者の列>を。  霊体と思しきオーラがブラックバーンを取り囲んでいる。真っ青に揺らめくソレは、高 く熱せられた炎のようだ。そしてその真ん中で、鋼の鎧を赤黒い魔力に輝やかせる男が詠 唱を続けている。  <炉心の問い>が終わり、一つを除いて青い揺らめきが散っていく。 「……見つかったみてーですね」 「ああ、運がいいな……では、お前が見ろ」  壁から背を離したドクターへ、ブラックバーンが掌をかざす。残っていた炎がぐるぐる と螺旋を描きながらドクターの頭へと向かった。  歪む光。 (いつやっても、降霊は気色悪いですねー……)  光が弾けて、白く掠れたドクターの部屋が移る。普段ドクターの背の高さが見る事のな い、見下ろした視点。あの霊体の視点。  時々に視界が白い帯に覆われる。これが本当に死者の視界なのか、それは判らない。た だ、場に残留した記録なのは間違いないのだが。  男が現れた。  男、であろう。服装はやや厚着だが皇都でよく見るようなもので、これといった特徴は ない。顔だけは布と帽子で覆ってあるようだった。やや猫背だが、それであの体躯ならば 人間の女性ではないようだった。ただ皇国には亜人もハーフも多く、断言は出来ない。  侵入者は部屋のあちこちを探ると、押入れの棚から紫色の金属物体を取り出す。 (げぇ……)  というのは降霊中のため発声出来なかったが、ドクターが頭を抱えたくなったのは変わ りない。 (僕様、あそこ封印してなかったっけ……うっわ…………忘れてましたっけ?)  あっさり取り出されたそれを見ながら、ドクターは汗の流れるのを感じていた。それは 降霊による影響ではあるまい。 (流石に棚は普段封印してたってのに……外された?ようには見えませんでしたねー…… っていうか情報結界は最初に解除されちまたんでしょうか……?)  そうして、部屋を後にする侵入者と一瞬目が合った。いや、それは偶然に過ぎないが。  蛇のように光る金色の眼と、その周りに浮かぶ浅黒い肌。 (……カーメン、ですかね?)  それは、皇国の南西で境を接する国の名だ。また、対皇国の為の連合である王国連合に 名を連ねる国の名でもある。