ダブル / ジョーカー                  五話:裏                 『Drag & Drop』 「グラームズ?」  そう女が聞き返した言葉は、傭兵団の名前であった。ただの傭兵団ではない。アンデッ ド系上級魔族ばかりで構成された古き――それより旧いものは『暁の鐘』しかない――傭 兵団だ。 「何故?」  頷いた青年へ、女はまた一言のみで問う。  その疑問が求める理由が、『そんな相手に介入を許してしまったのは何故なのか』だと 判っているから、彼女らの長たる青年は苦笑した。それは無愛想さと共に、過去の彼への 無限の賛辞に他ならないだろう。 「ファーライト王都での出来事を、『奴ら』もある程度は把握したということなんだろう な。事象龍に関わる品物……しかもほぼフリーな状況……狙わない奴なんていないよ」  そう、たとえば自分たちのように。 「逆に今までノータッチだったってことは、向こうさんとしても新情報という事だ。やり がいを感じるだろう?」 「それにしても早い」 「……そうだな、カーメンも嗅ぎつけてきたようだしな」  ただ視線を真っ直ぐぶつけてくるだけの女に、青年はかぶりを振って窓の外を見た。  サウリアの暁光はまだ遠い。 「まあ、だからさ、お褒めに預かり光栄ではあるんだが……お前たちには頑張ってもらわ なきゃならないってことだ。なあ、パティシャ」  あえて姓で呼ぶ男を、ワディノ・パティシャは無表情でただ見ている。何を考えている のかといえば、彼女自身もよくわかっていなかった。  パティシャを名乗る一族が生み出し、その身に刻み込んだ魔法は致命的だった。接触し た物体に含まれるある成分を瞬間的に置換し操作する。その作用対象が限定的だったとは いえ生物に含まれる成分であったことで、それは恐るべきものになった。接触によって人 体を強制崩壊に追い込むことが出来る上に、食料の多くまでが利用可能なそれは、特定個 人の殺害にあまりにも有用すぎた。  彼らはそれを禁呪として門外不出のものとし、彼らの主人の為に、そして彼ら自身の為 に活用する――――こうして『暗殺貴族』パティシャ一族は完成した。 「では、私はファン・ベル・メル嬢をマークするということで、カヴァーは……彼がもう 出ましたっけ」 「いや、あいつにはお前が到着次第戻ってもらう。お前一人で問題ないはずだ、ホセ」  ピシリとした装いに身を包む壮年の男が任せろというように笑みを作る。 「ドリーはこのまま、俺と共にエール王女のガードに入る。クロアは今最後のチェック中 だ。で……」 「グラームズはアンデッドと聞いてるけど」  唐突に挟まってきたワディノの言葉に、青年は少し考えてから、頷いた。  ワディノの言葉は懸念だ。不死系モンスターは肉体の組成が通常と大幅に異なる事があ る。霊体などになるとエレメンタルと同じく、肉体自体が存在しない。それが全てではな いにしろ、パティシャの技では接触による一撃必殺という大技が封じられる事となる。 「ああ、わかってる。お前にやってもらうのは、グラームズ幽撃団の阻止じゃあない」  そうして青年が、もう一度窓の外を見た。 「俺たちがいるのは都市だ。皇国に在る、防御機構に囲まれた、内部に秩序を維持する、 生物集中領域だ。そして公的には存在しない俺たちの活動は、彼ら地方自治体の秩序を乱 すものであると共に、彼らの活動に対して俺たちが行使できる権限はなにもない」  芝居じみた台詞に周りの幾人かが呆れを見せたが、ワディノの碧眼は何の動きも見せな かった。 「だから、邪魔なものには少し遠のいていてもらう必要があるだろうよ」  皇国情報保安室――――D機関の存在を認めうる物証は僅かしかない。特殊工作員だと しても軍人である者たちとすら違い、彼らと皇帝の繋がりを第三者に証明することは困難 なのだ。  他人にも、そして当事者達にとっても。  既に往来は騒然としつつあった。ふりかかる陽光が低く鈍いせいか、ざわめきもまた一 種の寂しさを感じさせる。  原因をあえて求めずとも、ワディノは知っている。自分たちの長がそうさせたのだ。全 員を伴ってエリス嬢=エール王女に接触する事で同じ目的を持つもの達を刺激し、エール の付き添いファン・ベル・メルのガードをあえて薄くする事で敵を誘引する。  錆びたような匂いのする雑踏を進んでいく。それは冬の寒々しさがかもし出す潮の匂い だった。サウリア市は皇国ほぼ唯一の海運都市でもある。季節柄、港の賑わいには遠いも のの、進むほどに鼻が海を知覚する。  ホセは目的を果たし、ただ一人で陽動を完了したようだ。漏れ聞こえてくる市民の情報 交換は、謎のカーメン人の死で持ちきりとなっている。ここサウリアはカーメン王国との 国境にも近いから、彼らの興味が強いのも当然だろう。  唐突に香ばしい匂いがした。見れば、呼び売りの女が焼いた小麦粉をチョコレートでく るんだものを売っている。「プレジール、プレジールだよー」声を上げる女の周りに、朝 早くから元気に駆け回る子供が二人三人。  十分な貿易網の発達した社会において、地元産業の守護者たる同業組合は、流れの行商 を歓迎しない。後ろ盾を持たない彼ら彼女らは制限された範囲の中で仕事をしていくしか ない。彼女も夜はまた別のものを売るのだろう。『プレジール(快楽)』、子供ではなく 大人を相手に。  それらは傭兵と非常に近しい存在だ。  その事について、ワディノの同性の仲間には許容する者もいるし同調する者もいる。そ して嫌悪する者も。ワディノと同じように。 「一つ貰う」  言って茶色い菓子を口へ運ぶ。甘い。 「ありがとう」  代金を支払い、すれ違う。  そのまま港へと歩いていく間にも、チョコレートの風味が口の中でいつまでも残り続け ている。  その甘さを、ワディノは好きではない。  自らが騙るパティシャの名と同じように。  港近く、荷揚げされた品物が行きかう広場も、今は比較的混雑していないと言うべきだ ろう。それでも凍結した港でもなし、塩漬けにする魚などが水揚げされていたり、市内に ある蒸留所から、ラム酒のタルがいくつも転がされて来ていたりする。 「こんな時期に、こんなに持って行くの」 「ああん?こりゃ殆どは輸出用だよ。ロンドニアに送るんだ」  一角でラムの樽に腰掛けていた水夫は、ワディノに問われて船着場を顎で指した。この 酒は、船乗りにとっては馴染み深い酒で、彼らに常飲されているものだ。海運国家である ロンドニア海軍に限らず、皇国水軍でも常備されている。  とはいえ、大陸最強の陸軍国家である皇国だが、海軍力はお粗末と言わざるをえないレ ベルであってその規模は小さい。真っ当な港がここにしかない国なのだから、当然と言え ば当然なのだが……。 「ソレイアから入ってきたのを、ここでラムにしてな」 「ふうん。そう、ありがとう」  ワディノは見渡す。サウリア港。皇国の『出口』。  皇国にとって『出口』とは貴重なものだ。周囲は全てが強度の仮想敵国であり、いつど の方向で戦が起こっても不思議ではなく、いやむしろ全方位で起こることすら想定しなけ ればならない。それが大陸内最強国家『皇国』だった。その皇国にあって、大規模の港を 持つサウリア市の存在意義は大きく、であればこそ、中央政府や市議会の人間に限らず、 市民でもよくわかっている事がある。  港で何かあるのは、ヤバい。  だからワディノ・パティシャがここに居る。港に近い倉庫へと歩いていく。前を通り過 ぎる荷運びとぶつかりそうになり、一歩退いた。 「……あ、ごめんなさい」  過ぎていく男の背を追って、ワディノは倉庫を見やる。いかにも怪しい者があまりウロ ウロとしていれば警戒する程度の、まっとうな、セキュリティだ。倉庫にまで魔力を遮断 したり消失させるような反魔導処理が施されているようには見えなかった。  だからワディノはもう踵を返した。  足取りは軽いとは言えなかった。歩くごとに重くなっていくような錯覚。『使った』時 はいつもそうなのだ。過去が背中から忍び寄る。そういうものは、同僚の誰もが抱えてい るものの筈だ。そうして今に至った。または生き延びるなら、そうなる。彼ら彼女らの世 界では……。  そうして追いついてきた過去の匂いがした。甘い匂い。それはラム酒の材料として海外 から輸入された春植えのサトウキビの匂いだった。  匂いを、残り香を、振り切るようにワディノは走り出した。  魔力を、おおよそ最も原始的な形で破壊に使用するのを『マナバーン』と言う。方法は 非常に簡単で、活性化した魔力を集めて外部に放出した状態でただ放置すればよい。行き 場を失った魔力は霧散すると共に熱的・霊的な衝撃波を生み出し、周囲を破壊する。その 性質こそが魔力の使用法として最もメジャーなものが戦闘である一番の理由であろう。  運び入れられるサトウキビの束の一部に通力されたマナは、ワディノの希望通り、その まま自己と同じ物質に反応し、それらを魔力化させた。しかしその魔力は全くその使用法 を設定されておらず、物質内部に滞留したそれらはしばらくして不活性化以外の道を見出 すことが出来なかった。  よって倉庫内に積み上げられていたサトウキビは、大量の熱と魔導衝撃波と化し、倉庫 内を一瞬で蹂躙した。  爆音。  それをワディノは振り返る。爆裂で破壊され火がついた倉庫は、その崩壊の仲間を求め てのたうち回っている。  一年前に皇国がファーライト王国に急襲し交戦、世界中が緊張したのは誰の記憶にも新 しかった。ファーライト王国は王国連合加盟国であり、そこには近い国境の向こうにある カーメンも名を連ねている。そういう場所で、早朝から何者かとカーメン人らしき者が騒 動を起こし、死体が複数転がるという事件が起きているというのだ。  これでもはやサウリア市の市民は戦争の二文字に惑乱され、その警察力は『竜の鱗亭』 において起こる破壊行為に対して本腰を入れて調査する余裕を喪失するだろう。  彼らは皇国内の秩序を破壊してでも、皇帝のためにその目的を全うする。  火炎に照る彼女の表情に変化はない。ただ瞳から涙が流れるだけだ。彼女は毎度そうし ている。D機関最大火力の破壊工作員ワディノ・パティシャは、パティシャ家の現当主に なる筈だった男エレクレイ・パティシャを求めて泣くのだ。 「どうして、どうして……どうして私を置いていくの」  己に、一族の掟を破ってまでその魔技を教えてくれた男。パティシャの家を捨てて、己 の良人になる筈だった男。だが結局彼はどちらにもなる事はなかった。共に逃げて、共に 戦い、共に逃げて、そうして終わってしまった。彼女がパティシャを名乗るのは、失われ た夢を守ろうとするとともに、女であることを辞めて一個の『死』たろうとする、そんな 悲壮に他ならない。  ワディノの未来は『パティシャ』に<引かれ、そして落ちた>のだ。  ふと気づけば、爆発に騒ぐ者たちの中に見覚えのある女がいた。さっきと同じように、 菓子の入ったバスケットを手に提げている。そこにはワディノが篭めた魔力が待機の命を 受けて留まっており、それは待機し続けて消費されつくすか、または何かの切欠を受けて 暴発し爆散していたであろう。  ――プレジール――快楽――愉悦――楽しみ――喜び――  そんなものはワディノ・パティシャにとってはもはや存在しない。 「だから……『誰も彼も爆ぜてしまえばいい』  魔力と化した『糖』が爆砕する。  !  ……。  ワディノが腰の辺りで二つに分断された女の体を見下ろしていたのはほんの数拍のこと だ。彼女はもはやこの場に用はなく、他の人々のように踵を返して都市中心部へ向かうだ けでよかった。  だからその言葉が前を遮らなければ、彼女はすぐにでも<通りと貯蔵庫>を離脱してい た筈だった。 「――――見つけたぞ、『D機関』」  だが離脱は不可能だった。その声がなかったとしても、ワディノの視界は周りに延びた 炎のように歪み、急激に膨れ上がる吐き気と寒気の前にくずおれるしかなかったのだから。 「か、は…………っ……?」 「今の真似は一体何だ。何故お前は自分の正体を誇示するような真似をした……?」  顔を上げたワディノの正面に、金の双眸。吹き込む風がワディノの頬を打ち、暴れる視 界が周囲の炎がその身にまで延びてくるような錯覚を起こさせる。 「お前が風下だ」  濃紫の光沢を放つ『それ』は手にした小袋を投げ捨てる。小袋からは何か粉のようなも のが飛び散って消える。  そして相手は、その姿がかたどるモノのようにゆっくりと滑らかに近づいてきた。 「…………な、ぜ…………名前…………」 「そう急かなくとも、すぐに死ぬ事はない」  毒蛇の牙が、接死の名に突き立てられる。 「お前には喋ってもらうことが沢山あるのでな」 「どうだ」 「……ダメだな。遅すぎだ。もう解毒できねぇ」 「何があったか聞きだせすら出来ない、か」  大きく開いた瞳孔を見下ろす男たちがいる。仰向けになった女は動かない。覗き込む者 達に反応する事もない。その意識はもはや薄暮の中にいる。 「どう思う」 「来てるんなら、カーメン、じゃねえのか。こういうのは十八番だしな」  ワディノは声を遠く聞く。声だけではない。何もかもが遠ざかっていく。甘い匂いも、 苦い記憶も、何もかも。  それはワディノの求めるもの。  だが沈みゆく暗がりは、ついに暗黒へと到達する事はないのだった。  黒は白に。 「なんだ!?おい、キャプテン一体何……」  まばゆいばかりの白熱が全てを塗りつぶして―――― 『――――ロード』  輝きの中に浮かぶ紫眼と同じものを、ワディノはいつかどこかで見た。  それは己を残して死に行かんとする男の貌と同じではなかったか。 ●だホ 現実のプレジール(中世フランスの菓子)はチョコレートクッキーじゃないです なんか小麦粉や卵で作った焼き菓子に甘く味付けた感じのはず あとプレジールの意味は快楽だけど、別に現実のプレジール売りは娼婦じゃないです そもそもこの話で爆殺された女が本当に娼婦かどうかは不明 パティシャの夫の名前が設定になかったので適当につけました 幻想辞典のワディノの設定文を読み 恋人の死で心の平衡を失い、子供等を運試しのように無差別に爆殺するようになった笑顔のない爆弾魔 というこの章の描写と設定文になんら文面上の齟齬が無い事を確認してから 君が俺に石を全力で投げるとしても 俺はそれを受け入れざるをえまい