サリー・スティレットは不機嫌だった。  常日頃態度の悪い彼女であるが不機嫌と特に不機嫌な時の差は大きい。 「なあ、なあ、サリーちゃん?」 「喋るな失せろ死ね変態ロリコン性病持ち童貞」 「………もう一回言って?結構ときめくそのフレーズ」  今は特に不機嫌な時である。  誰だってそうだ。  包帯ぐるぐる巻きでやたらとテンションの高い留年生に付きまとわれれば、 そうならないのが不思議なくらいだ。  任務中、それも修羅場となれば怒りのボルテージは上がり、戦果も必然と大きくなる。 「喋ってる暇があれば戦え!サボるなバカ!」  しかもサリーが必死に戦っているにも関わらず、のんきに雑誌など読んでげらげら笑っている。  運良く現れているのが低級の魔物であるからサリー一人でも何とかなっているが、怒りは収まらない。  手に伝わってくる熱、否、魔力の感触に舌打ちして、ソウル・サッカーの核目掛け、槍型のマギナを投擲する。 「攫え、我が手に鋼を」  サリーが唱えると、その手に新しいマギナが顕れる。  今度のマギナは青竜刀型。  感覚で、どのようなアストラル処理を施されたものかを判別し、魔物に向かって振るう。  真空刃がソウル・サッカーを切り裂き、新たな死骸を作る。  手首のスナップを利かせ、数少ない魔物を殲滅していく姿は演舞のようにも見えた。  一通り、魔物を片付けたところでジャスリルは雑誌を捨てて立ち上がる。 「ワオ。次は俺の番かな」 「次?」  サリーの感覚に、魔物が近づいてくる気配は感じ取れない。  三十分ほどかけて、丹念に殺し尽くしたのだ。  同年代のマギナ使いとは違い、魔術士であるサリーは人一倍そういう感知技能に長けている自負もある。 「飛びっ切りの大物だ。援護したいなら、俺以外を狙ってくれよ?俺を狙って良いのは、プライベートだけだぜ」  無駄口を叩きながら、包帯男、ジャスリル=キンシャーサは二本のダガーを引き抜く。  ふざけた口調とは正反対に、付け入る隙の一つもない。  サリーは考えるよりも先に魔術構成を編み、本格的な魔物の探知を始める。 「な」 「だろ?」  探知魔術を発動して、まもなく声を漏らした彼女へ振り向きジャスリルはにやりと笑った。  それは巨大な蟹のように見えた。  大きい、ではない、巨大、だ。  彼女の目測が正しければ高さは5メーター強。幅は10メーターはあろうか。  三対の尖った足と、大剣が意思を持ったような腕。  月も見えないような、闇の中である。  しかしながらそれの存在感はすべてを圧倒していた。  そんな化け物。 「……前倒した時は三人がかりだった」  ジャスリルの言葉に、不安を覚えつつもサリーはありったけのマギナを”持ち出し”た。  学園の教師でさえ、戦いたがらないようなクラスの魔物である。過剰な準備も必要だ。  しかし、サリーがそれを手にする前にはもうジャスリルは魔物に向かって走り出している。  迷いも恐れも、策すらないような動きだ。  外殻の僅かな突起を足場に駆け上り、大剣の腕目掛けマギナを押し込む。  『分解』のアストラル処理を施された刃は、抵抗すら許さず大剣が如き腕を半分に切り裂く。  味方ながらぞっとする破壊力だが、いかんせん敵の規模が大きすぎた。  ダメージなどないように巨体が身を振り乱し、ジャスリルを払おうとする。  さすがに攻撃の手を止めてバランスを取ろうとした彼の腹部を貫くものがあった。 「っ!?」  血が吹き出るどころの話ではない、破壊された背骨の一部が背中から腹部を通り、 同じように千切れた大腸と絡まって飛び散ってサリーの目の前に叩きつけられた。 「………っ!!!!」  彼は魔物の腕に腹を貫かれた格好のまま、力なく垂れ下がっている。  ジャスリルだった肉体は振り回される度に、地面へ赤い水滴をまき散らしている。  これ以上なく致命傷だ。もう助かりもしないし彼の軽口を聞くことも二度と無い。  ひょっとしたらあれだけ不快で面倒くさい、関わりあいになりたくないと思っていた彼のことは嫌いではなかったかもしれない。  だというのに血はちっとも熱くならない。  ただ、ただサリーの思考は冷め切り、目の前にいる魔物を打倒するための策を編み始めた。  弱点は火炎。  ならば、火の出るマギナをありったけ奴に叩き込んでやるだけである。 「攫え、我に焔を。煉獄の焔を以て貴様を……」  額に鋭い痛みが走る。左右から太い針でこめかみを貫かれるような痛みだ。  許容量は限界、ただのしがない魔術士に出来る限界を振り絞っている。  顕れたマギナは、もう数え切れない。  いくらでもいい、どれだけ過剰でもいい。  目の前にいる奴をただ確実に。 「殺す!」  大きさも形も不揃いなマギナ全てに魔力を込め、発動させる。  一つ一つの出力は50%にも満たないが、それらを補うだけ数はある。  暗闇だった空間が、紅に染まった。  数百本のマギナに寄る火炎攻撃で火柱に包まれる。  炎上しながらも、桁外れの生命力を持つ魔物はサリーへ向かって突撃を始めた。  当然、そんな単純な動きが読めないサリーではない。  しかし、許容範囲を超えた魔術の行使は予想以上に彼女の体に負担を与えていた。  要は、避けることすら出来ないのだ。 「ここで死ぬ予定じゃないんだ……私は」  動けないながらも決して、殺意だけは衰えさせず魔物を睨みつける。  彼女まで残り5メーターを切ったところで、魔物は崩れ落ちる。  不自然なほどあっけなく巨体が真っ二つに分かれ、地に伏した。 「ヒロインの危機には王子様って、夢見がちだよな。ミカは大好きだっつうけどよ」  崩れ落ち、炎に焼かれる巨体の陰から人影が一つ。  時間を巻き戻したような姿で、傷の一つもなく、包帯が解けるようなこともない姿で。  ジャスリルが立っていた。炎を背に、包帯に覆われてない口元が大きく歪む。  王子様とは言えない。むしろ悪鬼羅刹が如き立ち姿だった。  非常識過ぎる光景に、サリーは声が出せない。  というよりも、意識を保てているのが不思議なほどにサリーは消耗していた。 「細かいこと言っておくと、もうちょっとさ、苦戦してくれればもっと格好良く参上できたのに……。 次からは本気とか出さないこと! わかったか、サリー?……ヘイ、サリー? サリーちゃーん?」  ジャスリルが言い終わる前に、彼女の意識は深い眠りの中に落ちていた。 続く。