人は堕落する。  ルフト・エルディックもまた堕落した。  ――――だから、かつて彼は堕落していなかったのだ。                ダブル / ジョーカー                  六話:裏              『Disciple of the Vault』  サウリア市にも例に漏れず立派な教会堂があって、その荘厳さは確かに市民にとっては 救いなのかもしれないが、D機関員の一人ルフトにとってはそうではなかった。  早朝から彼がその入り口に差し掛かろうとしていたといって、別にそれは彼の敬虔さを あらわすわけではない。少なくとも今は。 (だが、ま、あんまりゆっくりしてるわけにも、いかねえしな)  僧侶の朝は早い。贅沢に慣れた上層の者は別として、守門だの侍祭だのそういう者達は 日の出よりずっと前から起き出している。彼らが何をしているのかも、ルフトは知ってい た……というより以前はまさにそういう生活をしていたのだ。西国のある教会で六年前ま で侍祭をしていた。  だから少なくとも、今のルフトが好んで近づく場所ではなかった。 (それが理由じゃねえ、と、は、思うけど……な〜ァ)  ニヤニヤしながら指示を出してきた相手を思い出し、やれやれと嘆息する。無論のこと 聖職者だったことが有利であるからルフトに任されたには違いない。嫌がらせでなく、気 のおけない関係というだけだ。クロアは堅物だし、ドリーは真面目すぎるし、その割には 気にせず舌の回る相手なのだが。 (やっぱありゃ性格だな)  いつまで聖堂の表を眺めているわけにもいかない。ルフトも僧侶になんぞ会いたいとは 思わないが、向こうだって体中に装飾品をつけ刺青だらけのいかにもチンピラでございな 人間はノーサンキューだろう。しかもそれなりに心得のある者が見たならば、彼にはそれ 以上の問題があることを知るだろう。  ルフトはぐるりと塀を回って裏手へと向かった。そのまま小走りでそそくさと突き進む と、少し離れた所に開けた場所がある。  サウリア市内最大の共同墓地。  世界の終わりに、ヴァーミリオンは世界を焼き尽くし、その炎によって焼かれたものは 次の世界で新たな命としてよみがえるのだという。それが破壊と創造の事象『はじまりの ヴァーミリオン』だった。だから死体を焼き尽くす事は最大の罰であり、罪無き者の死体 は残さねばならない。棺の中で彼らは眠るのだ。  それをルフトが今だに信じているかどうかは微妙な問題だった。 (……どっちにしろ、俺にゃもう関係のねえことだが)  墓地に入り込んだルフトは、教会の人間がもう朝の仕事を済ませて去っているのを確認 する。そうして、朝靄の中に立ち並ぶ墓石達をしばらく見つめた。 「……はっ」  乾いた笑いとともにすぐ近くの墓標を足蹴にし、しばらくは人も近づかないであろう敷 地内をぐるりぐるりと歩き出す。 (グラームズが来るってのがマジなら、やっとかなきゃならねえ仕事だからな……)  よぎる心中の言葉は、言い訳かのようだ。  ――――しかし一体何に?  かちゃんかちゃんと硬い音が響く。ルフトが垂らした鞭の先端に銀の装飾がついていて、 それは武器として使う場合は引っ掛けたり傷つけたり、またはちょっとした質量として使 うものだったが、今はそういう理由ではない。  魔力が鞭から銀へと流れ、それがルフトの歩く道に軌跡を描く。まだ可視化されていな いが、そこには魔力が残留している。 『コノ世ノアラユル被造物ハ』  呟きながら、彼は早歩きを続ける。  見つかると拙いからか、敵と接触すると危険だからか、居心地が悪いからか、ルフトが 足早に敷地内を歩き抜ける理由はどれであろうか。どれでもあるのだろう。 『アタカモ書物ヤ絵画ノゴトク』  かちゃかちゃかちゃ。  このやり方をルフトが知った頃には、彼はまだ聖職者――――下位だが――――だった し、このような行為を行う世界で生きていく事など想像もしていなかった。  信仰の行き先はともかくとして、もはや世間を知らぬ坊主の出来損ないではなくなった からには、ルフトもグラームズの名は知っていた。それがアンデッド系の魔族の集団であ る事も。 『ワレラニトッテハ鏡ノ内ニアル』  であるから、敵の墓地利用を阻止する為にこの不死者拒絶の結界は非常に有用なものな のだ。絶対的なものではないが、設置側の労力と突破側の労力、そしてここを利用された 時のデメリットを勘案すれば、とっておいて損のないリスクブレイカーだと言えた。来る 者と来る事が判っている限りにおいて、彼ぐらいの使い手であれば。  かちゃり。 『私タチハイマ鏡ニオボロニ映ッタモノヲ見テイル』  ルフトはそこで息を一つ吐いた。  湿った紙のように未完成の結界が千切れたのは、全く同時である。  ルフトの得物がたてる細かい音の代わりに、細い細い踵の音が響いた。  既に。 (居た――――のかよ)  虚を突かれたルフトは、一瞬動きを止め――――体を翻しながら飛び退るように前へ出 た。  ルフトが通ってきた軌跡の向こうに、黒い女。ベールで顔を覆った喪服の淑女と言えば、 確かに墓地には似合いだったろう。前にもう一人薄く透けた影のような女が立っていなけ れば。そして、露わになっているそちらの顔が血に塗れた青白い顔でなければだが。 (いや、違う。使い魔か!?まだ墓地から引き出してるわけじゃねえ。結界を張ろうとし た所にギリギリ来やがるとは!)  ルフトの思考はポジティブな回転を見せたが、一歩二歩先をとられたには違いない。 『我は汝の来たるを拒む……』  彼がそう唱える間にも、その影は恐ろしい速度で真っ直ぐに擦り寄ってくる。ルフトも 鞭を振り回していたとはいえ、動きの差はいかんともしがたい。暗黒の力を纏った影の爪 がルフトの左腕を切り裂いた。 『……シフティング・ウォール!』  顔を歪めながら後退し、ルフトは鞭をくるりと回す。叩いた墓石がすぐさま変質。影を 弾き飛ばしながら小さな壁となってルフトへの路を塞いだ。 「時間稼ぎね」 「時は金なりだからな」  黒い女の呟きに軽い調子で返しつつ、 「……焦らすのがお好きなのかしら?さあ、行きなさい」  女が薄く笑う。影は再び獲物を求めて壁に突撃した。 「かも、なァ」  立ちはだかる壁を死の爪が突き崩そうとして 『流れて消えろ――――エグザイル!』  しかしその影は、白光にまとわりつかれて消えていく。光はそのままルフト自身へと注 がれ――――左腕の傷が消えた。 「これで割りとチャラ…………でもう一丁壁だ」  間髪入れず、ルフトが先ほどと同じように墓石の壁を作り上げる。それは先も今も、同 僚であるクロアが作り出す大きさとは比べ物にならなかったが、この墓地で敵を防ぐだけ ならば何ら不足ない。  女はベールの下から真っ直ぐにルフトを見つめる。 「――――クハハッ、照れるぜ」 『残酷と、より残酷を繰り返し、それを生とせよ、チョイス・オブ・ダムネイションズ』  女より闇が伸びて、ルフトを包み込む。凄まじい魔力の奔流が吹き荒れ、逃れ切れない ルフトはあちこちから血を噴き出た。 「ぐ、お……おおっ……『意気高きこと神秘家の夢のごとく、ライフ・バースト!』  それでも、速やかにそれらの傷が光で照らされる。傷は失われ、血は戻る。  だが魔力の流動は終わらない。 『……死か!無視か!エンフィーブルメント!』 『暁光よ、魔を退けろドーン・チャーム!』  走る瘴気は、またも太陽のごとき輝きに阻まれて消えた。 「なるほど」 「次の朝までお相手しても構わねぇぜ。俺ってタフだからよォ、ハッハァ!」 『……トレイターズ・ロア』  地獄の底から響くような叫びに哄笑は中断され、内部から湧き上がる痛みにルフトは体 を折った。口から赤いものが流れ落ちる。 「何……っだよ今の、問答無用……か……よ……冗談じゃねえぜテメェらは……本当ッ、 にやりたい放題しやがって――――『ライフ・バースト』  愚痴った時には既に魔法が完成している。気の流れが正常化し、生命力はむしろ先ほど よりも増すほどだった。  魔族による大魔法を含む猛撃を、ルフトはひたすら凌いでいく。  膠着。  沈黙。  そして女の甘い声。 「連れない返事ばかり…………酷い殿方ね」 「ハアッ、ハ!ハ!そうか?」  壁越しにルフトの笑いが響く。 「結構優しい、って『女子修道院』の奴に言われた事、あるんだぜ」  一瞬、女が沈黙する。相手に見えないルフトの貌が、言葉の調子に反して鋭い警戒を見 せた時、しかし壁の向こうに強烈な魔力の胎動。 『我が力を夜の涙に変えよ……ダーク・リチュアル』 (……来るか!?)  ルフトの魔力が白い塊を中空に作り出す間に、女の呪声が立て続けに突き刺さった。 『ブラッドカードラー』                     『モーウニング・スピリット』         『ミスシェイペン・フィーンド』  女から沸き出るように死霊が浮かび上がっていく。それらを満足そうに眺めてから、女 は最後に謳った。 『頌歌響かずとも、称えよ暗黒の十字軍を――――バッドムーン!』  突如として墓地を覆い尽くしていく闇。上空には青白く輝く月。 (結界か……!?……やべえな、おい、一気に全部突っ込んでくるつもりか)  ルフトは視線を上げた。偽りの月の下、夜の結界越しに、墓地を併設しているその建物 が見える。それらを見るたびに、ルフトはそれが囁きかけているように思えるのだ。 ≪思い出せ――――その指輪を手にした事を。お前が失ったものと得たものを≫  閃光――――信仰/愛/欲望/力/生命――――フラッシュバック。  瞬くものの中で、ルフトは言霊を紡ぐ。 『我は自らの主の影の中に立ち、大霊堂の闇を飲み込むだろう』  仲間たちは――いや仲間たちでもなくとも――誰もがそれなりの過去を持っているだろ う。教会から破門される事になったので宝物だった指輪を盗み出して逃げたという事は、 同僚たちは知っている。ドリーが炭鉱町から出る際に迎えた一人は自分であったし、クロ アが東国の戦災で全てを無くした事も聞いている。ホセの戦歴や戦闘癖や、ワディノの過 去と名前も。  知らないこともある――――何故そうなったのか、彼が語っていないのと同じ事だ。  闇の力に沸き立った死霊たちが突き立った壁を悠々と飛び越え、ルフトへと襲い掛かる。 「ぐ、お、あ、くそっ…………がっ」  女は壁越しの悲鳴を贅沢なご馳走のように笑って迎えている。 『病無き物を癒やせ…………サンビーム・スペルボム』  先にルフトが維持してあった魔法が中空に浮かぶ魔力から発動し、壁の向こうで暖かな 光が瞬いた。しかし、もはや女はそれを軽く笑い飛ばすだけだ。 「また回復……しかしいくら生命力を高めても、もはやその場凌ぎにしか」  力の溢れる死霊たちはいまだ月下にあり、再度攻撃を仕掛けようとルフトの頭上で旋回 している。それでもルフトは笑い飛ばし返した。 「でも無ェ――――もうそいつらは居なくなるんだからな」  壁の隙間から溢れてくる清らかな輝き。 (先に保険を張ろうとしたのは、魔力集中の為だったのね…………)  破砕音が中空に響き渡った。 『完全なる清浄は何もなきが故に!プレーナー・クリーニング!』  聖光が場を満たし、空間に空いた純白の裂け目に全てが飲み込まれていく。墓地を覆い つくしていた闇も、不吉に輝いていた月さえも。暗黒の死霊たちも、そしてルフトの前に 立ちはだかっていた壁すらも―――― (でも、これだけなら痛みわ、け、!?)  輝きに照らされた女の顔が、それに気づいて動きを止めた。白い虚空に消えていくルフ トの魔導兵器たち。左手で握りつぶされた魔術の炸裂塊。それらから霧散していく魔力が、 崩れた壁の向こう、姿を現した男の右手に圧縮され漆黒に染まっている。  そして、死霊の攻撃によって露わになっていたその右手は、人のものではなかった。  どす黒い硬質の何かは右の指先から手首まで侵し、更に肘まで伸びて、更に体全体へと 行き渡ろうとしていた。指に嵌められた指輪が重苦しく煌くたびに、断続的に幽かな光が 走った。  それは、明らかに指輪から伸びた呪いだった。しかしその否まれた腕さえ、人の技はそ れに使い道を見出させたのだ。崩壊する召喚物体から霧散していく魔力を掴み上げ凝縮・ 変質させる。  ルフトを呪う腕は、敵をも呪う栄光の手(ハンズオブグローリー)となった。  笑いを浮かべるルフトは、ここに彼を遣った者のそれと似ていた。あまり積極的に認め る気にはならない事だが、ルフトも似たもの同士だとは思っている。 「……それ、は」 『我は<大霊堂の信奉者>、罪を惜しみ過去を苦痛する堕落の使徒なり』  宣言と共に喪失を嘆く呪いの閃光が女へ。 「――――ちと、信仰を疑いすぎたのさ」  痛撃。  生体死体を問わぬ破滅の波動に音のない叫びを上げる女を見ながら、失った過去を懐か しむようにルフトは微笑んだ。  黒い手の先で、摩滅した宝玉が鈍い輝きを放っている。 「人間の傭兵一人と、見くびってはならなかったようですね…………」  その黒い衣もボロボロに擦り切れ、女は墓石にもたれかかるように立っていた。 「伊達にな、俺一人じゃねーってことよ?ん?」 「お名前をお聞きしておりませんでした」 「…………ルフトだ」 「ミモザ・エプワースと申します」  言いながら、ベールの下の瞳はルフトを観察している。  既に朝靄は失われ、時間は出血し続けていた。ミモザの猛攻はルフトの無尽蔵の回復に 凌ぎ切られ、破滅の痛撃は断続的にその身を切り裂いている。 『はじまりには安らぎのみを』  鐘が鳴っていた。教会の、時を告げる鐘が。 『次ぐのは自身の足音』  ルフトが、はじめて距離をつめた。 『ため息とともに来たれ――――デターズ・ネル』  鐘が響き、純白の翼が舞う。 「時間だ。終わりにしようぜ」  歩み寄るルフトの横に浮かび上がった天使は、邪悪を斬伐する剣を彼に手渡した。黒い 腕に握られた白い剣が陽光を受けて煌く。それがミモザを守ろうとした悪鬼の一体を切り 裂くと、同時にルフトの傷が癒えていった。 「まあ、まだやったっていい、が…………もはや俺が血を流す事はないと思ってもらって 構わねぇよ」  女の返答は笑いだった。 「…………しかしルフト様、この時間の浪費は、我々にとってもまた意味のないものでは ないのです。貴方のような回復役の有無は、戦闘において大きな意味を齎すとは思われま せんか」 「あ?」  とルフトが聞き返したところで、轟音がそれ以降を断ち切った。  天使。  ではなかった。それは翼を持っていたが、ルフトの呼び出した魔導生物とは全く違い、 その翼も体も紫色に明るく輝いていており、肉に血管が走るかのごとく表面には赤い紋様 が浮かんでいた。  それは、そう、むしろ悪魔(デーモン)と呼ぶべきものだったが、しかしルフトは何故 か墜落してきたそれを天使かと思ったのだ。 ≪――――俺だ≫  立ち上がったそれにルフトが何か言う前に、それが先に口を開いた。 ≪生きていたか、ルフト・エルディック≫  その口調に、ルフトは覚えがある。ありすぎた。 「…………リーダー?オマエ、え?何?は?」  ルフトは剣を取り落としそうになった。少なくとも自分たちを率いてきた男は人間だっ た筈だし、そんな格好をしているのをルフトが見た事は――少なくとも見た記憶は――無 かった。だが言葉の調子はまさに自分たちの知る者だったのだ。 「ど、ドリーはどうした?クロアは?姫さんはどこいった?」 ≪やられた。やはり魔族が噛んでくると…………きついな≫  苦々しく言い捨てる悪魔に、ルフトは「そうか」と淡白に応えた。ありえる事態ではあ るのだ。危険を察知したルフトの脳が、前の前の男のカタチや、仲間の死を押しやって、 冷静に状況を見ていた。 「『アレ』か――――」  紫色の視線の先を追ったルフトにも、新たな敵が見える。 ≪グラームズ幽撃隊の長、ダムド・ウィンザーだ≫  説明を受けるまでもなく、ルフトにもわかる。ミモザが凝縮させた魔力を発した時より も更に濃密な気配が、近づいてくる影から強烈に漂ってくる。いやそれは漂ってくるとい うよりは突き刺してくるかのようだ。 「ほう…………此処には一人か。驚いたな」 「申し訳ありません、してやられましたわ」 「僧侶か。厄介だな、確かに…………では仕切りなおしと行こうか。2対2で丁度良かろ う……?」  敵としてやってきたというグラームズの、その長は骸だった。いわゆるスケルトンだの と言われるような、むき出しの骨だけの体に武装している。しかしその頭部は人のそれで はなく、ドラゴンのような頭蓋だった。不死の竜人傭兵、ダムド・ウィンザー。その名も その姿も、人の口から聞けるものだ。 「勝てるのか」 ≪さあな≫  姿はまるきり違っていても、ルフトの言葉に応えたのは間違いなく自分たちのリーダー であった。空から墜ちてきたにも関わらず大したダメージがないように見える以上は、彼 を援護する形で戦うような予定を立てるしかない。 ≪なるほど、同数正々堂々の勝負というわけなら、それもいいが……ならば一つ名乗って おく必要があるな≫  長がダムドに返した言葉はルフトにとっては不可解なものだったし、眼前の二人にとっ ても同じらしかった。 「ほう…………」 ≪俺たちは殺し屋ではなく傭兵だからな。そうだろう?ならば誰の手となりその剣を振る うのか、旗を立てておかねばな!≫  しばしの沈黙の後、ダムドの頭蓋がカタカタと鳴った。 「それがお前の冥土の土産か?求めるなら先に名乗ったらどうだ」 ≪我が名はザ・プレイヤー。皇国皇帝の傭兵『賢龍団』の長≫  プレイヤー?  ルフトは訝る。自分たちの長の渾名は『ロングアーム』だった筈だ。しかしその疑問は 竜人の言葉で消し飛んだ。 「…………ダムドだ。グラームズ幽撃隊は魔導王ルシャナーナの依頼を遂行する」 「ルシャナーナだと!?『魔同盟』の事象魔王じゃねえか!?」  紫の悪魔がそれをどう受け取っているのか、表情の読み取れないその容貌からは判らな い。だがルフトからすれば、眼を見開き、かぶりを振るだけのものには違いない。  長がグラームズの名を出した時点で、魔族の介入はD機関全員が覚悟していたものだっ た。南国でも、ファーライトでも、彼らは殆ど介入していなかったし、ヒンメルでルフト らが活動した際は、まさに事象魔王と関わったらしいが、それは間接的であって、長も彼 らも後方にしかいなかった。 ≪そうか、なるほどな………………≫  頷く相手を見据えたまま、竜人が動いた広げた両手から暗黒の光が伸び、爪のように鋭 く収束する。 「では、戦争開始だ」  ミモザもまた立ち上がり魔力を練り上げ始めている。ルフトは先ほどまでのように魔力 を篭めた塊を中空に設置しながら、自らの長に問うた。 「おい、どうするよ。どう戦う」  返答は三人の出鼻をくじくものだった。 ≪――――いや戦う気はない≫ 「おい」 ≪俺とお前ではアイツらには勝てんだろう≫  光。 「貴様、それは何だ――――」  敗北を断言した肉体から、白い魔法陣が凄まじい速度で展開しはじめた。あまりに情報 量が多すぎて、一体何の魔法なのかすら想像がつかない。ルフトがその一部をようやく認 識した時には、もはやそれは視界のほぼ全てを覆っていた。 ≪『天球』限定起動――――≫     DEAN DRIVE ≪引力に逆らうモノ≫  全てが、差す陽光すら逆巻いていく。裂かれて消えていく空間の狭間に、ルフトは己自 身を見た。  過去を。 「ノエル…………」  名を呼ぶ。女の名。それは過去の断片。ルフトが己の心の中にしまいこんだ。もはや語 られる事のない喪失。 ≪ D A T A   L O A D ≫  高らかに唱えられる理外の言葉の残響の中で、ルフトは結局唱える事のなかった結界呪 文の最後の一文を呟くのだった。 『動ジナイ、動ジルコトハナイノダ、主ハ』  その文句に意味などない。  ただ、ルフトはかつて聖職者だった。それだけの事なのだ。 ●DADADA 凍てつく影/Frozen Shade 変容する壁/Shifting Wall 流刑/Exile 滅びへの選択/Choice of Damnations 生命の噴出/Life Burst 弱体化/Enfeeblement 暁の魔除け/Dawn Charm 裏切り者の咆哮/Traitor's Roar 暗黒の儀式/Dark Ritua 陽光の呪文爆弾/Sunbeam Spellbomb 不吉の月/Bad Moon 凍血鬼/Bloodcurdler 嘆きのスピリット/Moaning Spirit 奇形の悪鬼/Misshapen Fiend 囁きの大霊堂/Vault of Whispers 大霊堂の信奉者/Disciple of the Vault 次元の浄化/Planar Cleansing 摩滅したパワーストーン/Worn Powerstone 債務者の弔鐘/Debtors' Knel 悪斬の天使/Baneslayer Angel ルフトのフラッシュバック  女子修道院は娼館の隠語だが、  もしかするとルフトの言葉は本当の女子修道院の修道女に、という意味だったかもしれない  ノエルはノエル・ダークフィールドかもしれない  ルフトの過去は語られるのかもしれないし、語られないのかもしれない  別にその内容に意味はない 過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ