■ヤオヨロズSSS■ 〜自転車をこぎながら〜  今日に限って自転車で帰る羽目になったのは、大した理由でもない。  綾川が乗ってみたいと言い出しやがったからであって、それを引き受けたのも最終的には偶々 気分が乗ったからだった。  とは言え、目の見えない、と言うかそれ以前に自転車に乗った事もない綾川を一人で自転車に 乗せることなど出来る訳もなく、こうして二人乗りで運転手を仰せつかってしまってる訳だが。  つーか、せっかく自転車なんだからって遠回りする意味が分からない。余計に時間も体力も使 ってる気がする。  第8区を流れる河川の土手の上の道を走りながら、内心でそんな愚痴をこぼす俺。  何より。 「ねぇ、もうちょっと身体離してくんない? 暑苦しいんだけど」 「やです。先輩の運転ってば荒いんですもん。  しっかりしがみついてないと振り落とされちゃいます」 「そーかなぁー?」  にべもない綾川の言葉に釈然とせず首をひねりながら、とりあえずペダルをこぐ力を強めてス ピードを上げてみる。  目の見えない綾川には自転車の速さでも怖いかもしれないと思って、ゆっくりを心がけていた けれど、そのおかげであっちこっちへふらふらしてしまってたから、その蛇行運転の方が却って 怖かったのかもしれない。  拗ねた様な口調と裏腹に本当に怖いのか、荷台に座る綾川はしっかり俺の腰に手を回して身体 を押し付けてきている。  正直こぎにくいことこの上ないのだけど、くっつかれるのはまあしょうがない、と最近は思っ ている。  スキンシップ。視覚の無い人間にとってのそれは、手探りで進むしかない世界で触れられるも ののの確かさは、多分見える人間の何倍かは大事なものだと思う。  先輩として少しは綾川の世界を知って見る必要もあるかと、試しに目を塞いで一日過ごしてみ た時の不安感。誰かの手と体温があんなに頼もしく思えたのは人生初だった。  こんな身体でも役に立っているのなら、まあ喜んでおくべきところなのだろう、と思う。遠慮 なくしがみつける彼氏でも早く見つけろ、とも思うけど  とりあえずこの子に抱きつかれて恥ずかしいとか思いはしない。背中にくっつく肉のやわらか さとか、そんなつまらないことは思わない、思わないったら思わない。見た目より実はボリュー ムのある胸を背中に感じるのが、嫌なわけでもない。ない、のだけれど。 「ごめん。お前乗せて自転車こぐのやっぱわりとキツい、そしてひっつかれるとマジ暑い」 「先輩の根性なし!」 「あると思われてたのが心外だよ」  大体もう秋口だと言うのに30℃近いこの暑さが悪い、手を回して背中を抱え込まれているに はこの気温は少しハードすぎる。  溜息をついて、さりげなく引きはがそうとそっと手を伸ばせば一層強く抱きしめられて阻まれ る。俺の夏服のシャツと綾川の厚めの長そでのブラウスごしに互いの生温い肌がふれあって、体 感温度はきっと気温以上だ。ああ、暑い。 「どうせ俺に良い所なんてありませんよ。分かってる事じゃねえか」 「もう、ちょっとじゃれただけで拗ねないでくださいよぉ。それはわたしだってそんなに変わん ないですってば」 「お前は良い所いっぱいあるじゃん」 「どんなところですか?」 「まず顔が可愛い」  いきなり気温が上がった気がした。俺もそこまで鈍くはないから原因は分かる。多分後ろのお ぜうさま。怒ったか?  まあ良いや。続けよう。 「そんで優しい」 「あう」 「でも言うべき事はちゃんと言う」 「あうう」 「素直で気配りが出来る」 「あうあうあう」 「明るくて話が面白い」 「あうううううう」 「世間知らずなようで、頭が良い」 「あうあうああああああああ」 「笑顔が良いってのは、特にポイント高いよな」 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」  抱きすくめられた体に激痛が走る。綾川がその身体のどこに溜めてあったんだというバカ力で さらに強く抱きしめてきていた。やわらかな胸が俺の背なかで潰れる感触と俺の肋骨が握りつぶ される感触に悶えながら、何とか自転車の舵を立て直そうとする。 「ちょ、悪かったマジ悪かったから、離して骨折れるマジ折れるつーか自転車転ぶ転んじゃうぅ!」 「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」  結論から言うと、転んだ。  この状態で自転車のバランスを保てるはずもなく、ついでに言うと土手の上の道が割と細狭く、 自転車はあっさりと道から外れて土手を転がり落ちようとし始める。  やべ、と咄嗟にわざと横倒しにしてコケた。このまま下まで駆け降りたらもっと悲惨な事になる。  綾川は何とか庇おうとするけど、体勢が無茶だったもんだから代償として腹から落ちた。  顎と腹をしたたか打って背骨に高1女子の体重の直撃を受けて、はいKO。 「もーダメ、死ぬ」 「自業自得です。いたいけな乙女をからかった罰としては全く軽いです」  夕暮れの土手で夕日を浴びながら二人並んで寝っ転がる。下の方で自転車がテトラポッドの群れ にダイブ下音がした。こりゃ買換えるしかないかもな。 「悪かったよ。転んだ時、怖くなかった?」 「全然。楽しかったですよ。先輩が庇ってくれるのが、分かってましたから」  ほら、先輩の良い所あったでしょ?  そう言ってにひひと笑う彼女の顔は、本当にポイントが付けられないぐらいに眩しかった。 end