「顔瀬くん。これから、どうするつもりなの?」 「何が?」 「綾川さんとの事」 「どうも何も。先輩と後輩で、何か考えなきゃいけない事なんかあるか?」 「それで通せるなんて、もう自分でも思ってないんでしょ?」  真紀に図星を突かれて詰まったと言うよりは、彼女の本気具合を見てとったのだろう。  顔瀬はしばし虚空を見上げて考える様な素振りをしたが、 「九条は、どうすれば良いと思う?」  首を傾げて、逆に他人事の様に質問してくる顔瀬の顔を見て、思わずがっくりと肩を落とした。 「真面目に聞いてるの! 真面目に答えてよ。顔瀬君は綾川さんとどうなりたいの?」  そりゃあ、確かに部外者のお節介かもしれないけれど、こっちだって真剣に問うているのだ。  顔瀬はお世辞にも他人と付き合うのが上手い部類の人間ではない。そんな彼がこうまで誰かを近くに置いているのは、真 紀の知る限りでは綾川景が初めてだ。そして、或いは最後かもしれない。  盲目でアルビノというハンディキャップのある人間と付き合うという事は困難を伴うだろうが、それならば自分たち周囲の人 間が支えてやらねばならない。  他の戦友に思うのと同様、真紀は彼にもまた、幸せになって欲しいと思っているのだ。  「俺さあ、妹がいたんだよ」  唐突に。真紀の思いなどどこ吹く風といった風に、何の脈絡もない話を顔瀬は始めた。目はどこか遠くを見て、真紀とは目 を合わせようとしない。  いよいよ韜晦に入ったのは明白だったけれど、ここで問い詰めては逆効果にしかならない事を真紀はこれまでの付き合い で学習していた。  彼と会話を続けたければ、ここは黙って聞いておく方が吉だ。 「赤んぼの頃から体弱くて、性格も凄い内気って言うか人見知りしてさ。  親が忙しかったから、面倒見るのは畢竟、俺の役割だった。いつも俺の後ばかり付いて来て、鬱陶しいたらありゃしねえ。  まあ、友達付き合いの誘いを断る口実には丁度良かったしさ。ずっと面倒見てたら何つーの、責任感とか義務感とかも湧 いて来る訳。  若気の至りって言うか、兄貴なんだから妹を守ってやんなきゃなんて、柄にもない事考えてたよ。何となくだけどさ」  初めて聞く話だ。それに、以前聞いた話とも違う。彼の家族は確か、父親と母親と……そこまで考えて思い至る。 「……そう、里親斡旋制度ね。顔瀬くんも適用者だったんだ」 「そ。暴走ヤオヨロズに住んでた街、滅茶苦茶にされてね。目出度く被災孤児になって、って。まあ今日びじゃ有りがちな話 だよ。  それに俺はかなり運が良い方だと思うぜ、すげえ良い人たちに引き取られて本当の息子みたいに育ててもらえて。  今の両親には心底感謝してる」    ヤオヨロズ災害被害者支援プログラムの一環である、里親斡旋制度は、暴走ヤオヨロズなどで家族を失った被災孤児た ちに里親を斡旋する、文字通りの制度だ。  ヤオヨロズという概念の登場により、子供たちは皆潜在的な超兵器としての可能性を持つ事になった。故に、そんな未来 の兵器の整備―特に西側、聖護院なれば、メンタルケアも含めて―に心を砕く事は、ある種当然の処置ではある。  戦闘機の整備やミサイルの配備に比べれば、この程度は大した予算も必要無いし、福祉面でもアピールが出来る。  人間ではなく、機材として見られるようになって、より手厚い保障が受けられるようになるというのも何か皮肉めいているが。  とは言え、行政の施策の常、穴は勿論ある訳で、基本的には里親の志願者を募り、子供たちとのマッチングを図るのだが、 志願者が足りない場合などは半ば強制的に志願者を挙げる事もある。  また、里親志願者につく諸々の優遇措置を目当てに名乗りを上げるよろしくない人間も決して少なくない。そういう連中によ る虐待や育児放棄なども問題になっている事を考えれば、なるほど、顔瀬の場合は同情など失礼になるほど恵まれたケース だろう。  そして、聞いているうちに、関係無い話でもないと分かって来た。  災害で家族を、妹を失った顔瀬良亮。そんな彼が妹と同じ年頃の少女の世話を焼いている。それも、言ってしまえば柄に もなく。  それは、つまり。 「だから、妹さんと綾川さんを重ねてしまうから、どうしても綾川さんは妹の様にしか、見られない?  でも、綾川さんは妹さんとは違うよ。どんなに似てても、綾川さんは綾川さんで、妹さんじゃ、ない」  その言葉を聞いて、顔瀬が口の端を吊り上げるのが見えた。お前は、何も分かってないと嘲るように。  いや、それは自分に向けたものだろうか。俺は、何も分かっていないんだと。 「俺の妹さ、身体が弱かったんだよ」 「それはもう聞いたってば。今はそれよりも」    本題から外れた話を何度も繰り返そうとする顔瀬に、真紀も流石に苛立ってきた。  遮って話を戻そうとするが、顔瀬の言葉は止まらなかった。  ニヤニヤと。あの嫌な笑みのまま、語気を強めて先を続ける。 「そりゃまあそうだよなあ。劣性遺伝なのか突然変異なのか、俺の妹、先天的にメラニン色素が無くてさ。太陽の光なんて浴 びたら紫外線で火傷しちまうぐらいだったんだよ。髪も肌も漂白したみたいに真っ白で、瞳は血の色がもろに出てるせいで、 真っ赤でさ。  知ってる? 先天性白皮症。俗に言うアルビノってやつ。知ってるよな?」  場が、凍りついた。いや、凍りついたのは真紀の全身だった。  訳も分からず、いや脳が理解したくないとパニックを選択しようとしているのを自覚した。 「それ、って…………?」  思考が千々に千切れ飛んだままに、自分の唇からかすれた声が漏れるのを他人事のように聞く。 「どうもこうも。言葉のとおりだよ。俺にはアルビノの妹がいた。小さい頃に離れ離れになって行方も知らない妹が。  そんで、この学院に入って、妹と同じ年頃のアルビノの女の子に出会った。  そりゃあ、思うよな。ひょっとしたら、死んだと思ってた妹が生きてたのかもしれない、って」  じゃあ、独りぼっちだった綾川景に、他人を怖がっていた彼女に、この他人と関わる事を避けたがるクラスメイトが柄にもな く手を差し出したのは、妹を重ねて見たから、ではなく……妹だと思ったから、だということか? 「で、でも、暴走ヤオヨロズの被害に遭って、孤児になったって……。里親斡旋制度まで受けて……」 「俺さ、家族の死体をいっこも見てないんだよ。その時丁度、俺、小学校にいたから。親は仕事場、妹は自宅だか保育園だか、 とにかく全然違う場所にいた。  俺のいた地区が一番被害大きくてさ。もう何が何だか分かんないまま逃げ惑って、保護されて、泣くしか出来なくて。当時の 記憶はもう曖昧だけど、俺、多分倒壊しただろう自宅にすら一度も戻ってないんじゃないかな」  確かに。暴走ヤオヨロズの被害は震災や火山噴火などの自然災害に等しい。なれば、その時の行方不明者、離散してしま う人々の数などを考えれば、それも十分あり得る話ではある。 「で、でも、それじゃ、その、顔瀬君が思ってる様な事の証拠には、な、ならないはずでしょ……」 「そうかもしれない。妹と同じ世代に、アルビノで盲目の少女がいなかったって証拠も無い。  綾川景は俺の妹なんかじゃなくて、俺の妹はとっくに死んでるか、どっか別の所で元気に生きてるのかもしれない。  でも、そうじゃないかもしれない」  最初はゆっくりと噛みしめる様に紡ぎ出した顔瀬の声は、だんだん大きく荒くなっていく。  彼自身、どう扱ったものか分からないまま、ずっと考え続けていたのだろう。ずっと閉じ込めていたものを吐き出す様に。  彼がまさに今、真紀に自らの思いをぶつけていると考えれば、それは図らずも彼女の望みどおりではあった。 「DNA鑑定でもしてみれば、はっきりするかもしれない。でもDNA鑑定だって全然絶対なんかじゃない。  或いは、本当に兄妹だろうが黙ってれば分からないかもしれない。一生誰にも分からなければそれも良いのかもしれない。  でもいつか分かってしまうかもしれない。分かってしまったなら、その傷はもう、あらゆる意味で取り返しがつかない。  綾川に出身地とか昔の事聞けば分かるかもしれない。俺と同じ街に住んでた事あるかって。住んでたんならほぼ確定だし、 違ったらほぼ違うってことになるかもしれない。でも、違うかもしれない。日本のどこかにいたかもしれない妹以外のアルビノの 少女が、あの街にはいなかったなんて保証はどうやったら得られる?」  そこまで一息に喋って、いや殆んど叫ぶようにして、顔瀬はぜえはあと肩で息をする。  青ざめたまま、何も言えないでいる真紀に対して顔を上げると、また、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。  嘲る様に、突き放す様に、縋る様に。 「分かんないんだよ。何が本当なのか、どうすれば良いのか全然分からない。  なあ、九条。俺は一体どうすれば良いと思う?」