Street Mars OP SS G.W.D.  視界全てを覆い尽くす、千切れた魂のような煙草の煙と、隙間を縫うように室内を照らす、ヤニ汚れた電球の灯り。  居るだけで酔いつぶれてぶっ倒れてしまいそうなドキツいアルコールと、近寄らずとも鼻がひん曲がりそうなケバイだけの化粧の香り。  ちょいと視線を巡らせれば、どいつもこいつも飲む事と、打つ事と、ヤる事しか頭にないようなロクデナシの面構えが雁首揃えてげらげら笑い、 耳を傾けなくとも勝手に耳に響いてくるものは『お上品』な罵り合いと『誠実』な口説き文句のブラッドカクテル。  それがこの場を満たす全て。掃き溜めを絵に描いたような有象無象の森羅万象。  毎日、毎晩、人間の成れの果てが、飽きること無く吹き溜っては、最低に最高な夜を黒ペンキでもって塗りつぶす。 街でも『評判』の大衆酒場【キャンディ・ハウス】とは、つまりはそのような場所であった。 ***  そんな、ゴミ溜めのような店内の一角に何とも奇妙な取り合わせの二人組が、睨み合うようにして腰を下ろしていた。  一人は少女、ほのかに褐色がかった肌に、おそらくは流浪の民であろう――継ぎ接ぎのような民族衣装めいたゆったりめの 服に身を包み、頭の上に小さな帽子を乗せている。  珍しいとは言え、日常的に見れば有触れた存在だ。  奇妙なのは、その黒目がちな瞳に宿るまっすぐな意思の光だった。  彼女のような年端も行かない少女が、違法薬物は愚か、我が身までをも売ろうとする光景は、正直この店ではよくある光景だ。  だが、彼女の場合はそうではない。何かを決意し、貫こうとする者のみが持ちうる瞳。  何事にも動じず、芯を貫く強さを秘めたそれは、もっともこの場にそぐわない存在であると言えよう。  もう一人は男。ただし、少女と違って彼はこの場にふさわしい存在であった。溶け込んでいると言っても良いだろう。  黒いよれよれのノーネクタイスーツに身を包んだ銀髪。線は細いが、その身にまとう雰囲気は肉食獣のそれに近い。  それも、とびっきりに獰猛で狡猾な人食いのそれだ。  敵として対峙したものは、速やかに肉塊に変える――恐らく彼は今まで『そうやって』きたし、これからも『そうして』行くのだろう。  もしその鋭い眼光に射すくめられでもしたならば、並の人間では生きた心地がしないだろう。  幸いにも今は、サングラスをしている為、一見すると表情は分からないが、その奥から滲み出る敵愾心は、彼が今、どのような気分なのかを 遠目からでも簡単に読み取れた。  事実、雑言で満ち溢れたこの、爛れたオアシスにあって、今や彼らの周りにのみ喧騒は無く、となりの席で呑んだくれていた荒くれ者も、 まるで借りてきた猫のようにおとなしい。  だが少女は、そんな男の露骨な嫌悪を一身に受けながらも、決して瞳をそらそうとはしない。  ただ自分の言うべきことを言い終えて、相手の言葉をじっと待っている。  沈黙は深く、そして長い。男の傍らに置いてある空のグラスの中で、ロックアイスがからりと音を立てた。 「……チッ」  意外にも、先に折れたのは男の方だった。露骨に舌打ちをひとつすると、グラスをひっつかみ、溶けて小さくなっていた氷を口の中に放りこむ。  それを乱暴に、がりがりと噛み砕き終えると、今度は呆れたようにため息をひとつ。  そして、心底疲れたような態度で、堅くつぐんでいた口を開く。 「なあ……ナメてんのか、嬢ちゃん? 俺にあの馬鹿騒ぎに出ろだァ?  あの腐れ乱痴気祭りで、見世物の猿みてーにシンバル持って踊れってか? そいつは最高にクダらねぇ話だ。最高にぶっ飛んだオサソイだ。  頭に虫がワいてるとしか思えねェ、イッちまってるとしか思えねェよ……とにかく、俺の答えはノーだ」  恫喝ではなく、ただひたすらに嫌悪感を丸出しにしながら告げる。 「こんなクソ掃き溜めみてーな所まで来てご苦労なこったけどな……何と言われても俺は、あのクソ溜りみてーな見世物には出ねェよ  さあさ、お帰りはアチラだ。今直ぐ、腕の良い脳外科医の所にでも行って、脳みその隅から隅まで診てもらうんだな」  つっけんどんな物言い。どうやら少女が持ち込んだ話に心底興味が無いらしい。  しかし、少女は引き下がらない。それどころか瞳に宿した意思を一層強めてた。 「お願いします……勿論、タダとは言いません。もし、優勝されたら賞金は全てお渡しします」 「金ぇ? そんなもん欲しくもねえ……それに、俺を雇うのにあのクソ大会の賞金っぽっちたぁ、安く見積もりなンだよ。  俺を小間使いにしてえなら、最低でもこの星が丸々買えるくらいは用意しやがれ」  話題に登っている大会で獲られる賞金は、恐らくひと一人が一生豪遊して暮らせるだけはあるだろう。  だが男は眉ひとつ動かさない。空になったグラスの縁をつまらなさそうに指でなぞりながら、あくびをひとつついただけだった。 「それから……」  まだ続けようとする少女に向けて、男が「黙れ」と言いかけ―― 「自らの身に煙をまとい、周囲を煙に撒き、そして煙の様に姿を消したヒト……その行方について」 「ッ!?」  歌うような少女の言葉が、男の喉元まで出かかっていた拒絶を、胸の奥に無理矢理に押し込んだ。  外れていた視線が、再度少女を睨みつける。値踏みするように上から下、下から上へ。幾度と無く往復し、向けられら視線と絡みあう。  相変わらず彼女の瞳の中には、確固たる意思の光が、揺らぐこと無く滾々と湛えられているだけだった。 「おいテメェ、今なんて――」 「取引です。もし、わたしのお願いを聞いていただけるなら、わたしはそのヒトについて、知っていることを包み隠さずお話します」  言及しようとする男を遮り、少女がぴしゃりと告げた。  その瞬間、男の纏っていた嫌悪感が一気に膨れ上がり、そのまま破裂した。  汚泥のような感情のよどみの奥から、鋭い牙を持った獣が貌を覗かせる。  先ほどまでと違い、明確な殺意混じりの視線が少女を捉えた。 「フカしてんじゃねえぞ!? アイツの行方なんざ、世界中が血眼になって、クロゼットの裏から便所のタンクまで  探し続けたんだ! それでも毛先ほどの事も分かってねえんだ! どうしてテメェみてぇなションベンくせぇガキが  それを知ってるっつーんだよ!?」  男は椅子を蹴って立ち上がると、少女に飛びかからん勢いで食ってかかる。  サングラス越しでもわかる憤怒の眼光。関係の無いはずのとなりのゴロツキが、むせび泣きながら土下座をして、許しを乞おうと しているにも関わらず、少女は極めて冷静に言葉を繋ぐ。 「それは言えません、取引ですから。  でも、わたしは知っています……スモーキン・ビリーと呼ばれる力を持った、そのヒトの事を」 「……俺が、テメェをボロ屑のように傷めつけて、吐かせるっつー手もあるんだぜ?」  男が獰猛な笑みを浮かべながら、ぼそりと呟いた。小さく、感情の起伏に乏しいものだったが、そこには一片の迷いない。  もし彼女が、お好きにどうぞとでも言おうものなら、直ぐにでも彼女に跳びかかり、全身の骨を砕くであろう。 「信じます」  だが、それでも―― 「あ?」  例え彼女は、自らの瞳を抉られるような事になろうとも―― 「信じます、あなたを。あなた自身の誇りを」  ただまっすぐに、猛獣の瞳を正面から見据え、告げる。  二人の視線が絡みあい、いつの間にか周囲から雑然とした音が消えていた。  その場に居た全ての人間が、固唾を飲み、あるいは状況を理解できぬまま、二人を注視していた。 「……チッ」  不意に男が、呆れたように視線を少女から外した。身を投げるように椅子にどっかりと腰を下ろすと、うつむいたまま何事かをぶつぶつと呟き始めた。  途中、何度も何度も「クソッ! クソッ!」と言う、声が聞こえ、やがて沈黙。  そしてやおら天井を見上げると、げんなりとした、ため息を一つ。 「……ガナルさん?」  名を呼ばれ、男――ガナルは、物憂げな視線を少女に向ける。  そして、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら一言―― 「分かった」 「え?」 「分かったっつってんだよ、このクソガキ!」 「じゃ、じゃあ!」 「腐れ金持どもの暇つぶしに付き合って見世物になるのははムナクソ悪ぃが、報酬が報酬だ。  テメェのその、ちんまい手のひらの上で、踊ってやろうじゃねえか」  あまりにもぶっきらぼうで、つっけんどんだが、それはまごう事無く、契約了承の言葉。 「……あ、ありがとうございます!」 「クソが……なんて気分だ。最高に最悪で最凶に最低だ!」  そう言いながら、ガナルは椅子を蹴っ飛ばすように立ち上がった。  いつぞやに店内に響いていたラジオの情報を信じれば、その祭りの受付まで後、1時間ほどしかない筈だ。 「あ、ま、待ってくださ――ひゃっ!?」  店内をかき分けながら、外に出ようとしたガナルの背後から、不意に少女の甲高い声が響いた。  何事かと振り向いてみれば、そこには四肢をついて、床に這いつくばっている少女の姿。 「……何やってんだテメェ?」  時間も無いのに――と、苛立ち混じりに問うガナルに、少女は一言、 「あ、いえその……こ、腰が抜けてしまって」 「あァ?」 「いえあの……が、ガナルさん、と、とても怖かったものですから……」  何言ってんだ――と言いかけて、不意に気づく。  尻すぼみに答える少女の顔に、先ほどまで溢れていた意志の強さは微塵もない。  そこには、ただ不安に押しつぶされそうになる自分を、何とかして支え続け、その緊張の糸がぷっつりと切れてしまった、 歳相応の少女の姿があるだけだった。 「……あの、ガナルさん?」  問いかける少女に、ガナルはがっくりと肩を落とす。  自分はこんなにも普通の少女に、何も知らないようなガキに、良いようにあしらわれたと言うのか  それでは自分はまったくもって、ただの――  うつむいた口元からあの「クソっ! クソっ!!」と言う、嗚咽のような声が漏れる。 「あの、すいません。良ければ手を……あの、ガナルさん?」  小鹿のように足を震わせる少女に向けて、ゆっくりと幽鬼のように近づくガナル。  やがて、視線が絡み合う場所にまで来ると不意に―― 「名前は?」 「え?」  名を問われる。  唐突な事に、要領を得ない少女に向けて、ガナルは苛立たしげにもう一度、 「名前っつってんだろ、クソガキ!」  素敵なニックネーム付きで、怒鳴り散らした。 「はっ はい! サンディです……って、きゃあっ!?」  応えると同時、少女――サンディの体が宙に浮く。  何事かと思えば、ガナルが心底面倒くさ気な表情で、サンディを小脇に抱え上げていた。  しかも後ろ向きに。 「早くしねえと、受付が終わっちまうだろうが! このクソサンディ!」  どうやら、素敵なニックネームは解除されたが、冠詞だけは残るらしい。 「え、いやでもこの格好は……ちょ、ちょっと待ってください! 待ってくださいってば!?」  年頃の少女の悲痛な叫びも聞かず、ガナルは凍りついた人ごみをかき分けてゆく。  そうして彼らが店を後にすると、一連の騒動にざわついていた店内は、やがて何事も無かったかのような猥雑さを取り戻していった。  全ての人の全ての思いを飲み込みながら、祭りの前夜は深けてゆく。  戦神の名を冠した街の狂宴まで、後僅か―― To be continued 1st Stage! Get Set?