■天裂いて、尚遠く■   12.35 SEC. MEMORY FORMAT COMPLEAT.   ERROR CHECK...232.37 SEC. ERROR CHECK COMPLEAT.   LOAD EXE-CORE...66.62 SEC. STARTING ALTERFORGOL SYSTEM...   SCARIFY AS TORAH, ALL IN THE NAME OF PEACE.   SLAUGHTER IS TESTAMENT, AND THE DEATH IS MATRIX.   YE OUT OF GOSPEL FOR A VER.        † 悉くを平穏の名に於いて、戒律として刻印せよ。        †      殺戮は約定であり、死は胞衣である。        †汝等の窮極まで至福の外に打ち捨て置かれん事を。    RUN DAEMONS.  即応脅威確認。外気温:五一・八F。  筐体安定:仰臥位。生命反応:一。  対応不要。  状況再認開始。  星幽場雑音検知。情報合致。  第一次目標、対象の警護と移送。敵性存在、見敵必滅。  第二次目標、目標不特定。見敵必滅。  皮膜を可動させ、認識系を開放すると、AFG−03「雛獅子」は僚兵の存在を捉えた。 僅かに紗の掛かったグラスの奥で、その瞼が僅かに開き、瞳孔が収束する。他二名の僚兵、 他一体の僚機、共に不明。累積記録から、雛獅子は状況再認を中断して、僚兵との情報連 結を優先した。 「何をしましたか」  僚兵――奥岳烈人は慌てた様子で腕を引くと、視線も定めずに口を開いた。 「まだ何もしてないって!」  入力。  皮膜上の弱い感圧反応が消失する。入力。  待機符号の情報再認を並列符号に。  演算。〇・三秒。 「皮膜に接触していた事は判ります。それ以外により影響力の高い行動を起こしていない、 と言う事ですか」  発声を出力しながら、雛獅子は上体を起こす。 「何だよ」  逸らしていた視線を戻すと、奥岳は口を尖らせて言葉を続けた。 「知ってんじゃん。それなに? 嫌味な訳? 嫌なら嫌っつってくれよ」  情報に齟齬。雛獅子は即座に僚兵の情報を訂正する。 「知っていたのではなく、知ったのです。転移に際しては動的記憶を静的記憶にスタック し、動的演算系の再起動を行う事が最適行動です。動的記憶の情報は再起動に際して完全 に消去されます。ですので、因果関係上、動的記憶からの入力で何らかの出力を行ってい たとしても、その事実を今の処理系が記憶している事は考えられません。私が、何かしま したか」 「何なんだよ」  いっそ睨みつけるように顔を伏せ、奥岳は答えた。 「謝るって言ってんだよ。唇を指で突っつかれるのも嫌かよ。――仕方ないだろ、健全な 野郎ならさ。眠れる森の美女にはキスか、でなけりゃ落書きしたくなるんだよ」  再度情報に齟齬。可能性――再起動以前に何らかの出力を行った懸念。星幽場雑音の影 響により、動的記憶または筐体に何らかの問題が累積し、演算能力が低下している懸念。 僚兵の精神状態に何らかの心理的圧迫が生じ、錯乱している懸念。  可能性から最適解を算出する。演算処理の記録をモデル化して累積し、静的記憶内のモ デルデータと比較すれば、以前と以後の演算能力の差異は凡そ算出できる。また、正しく 再認された状況を共有すれば、第一と第三の懸念は解消される可能性が高い。  演算。〇・八秒。演算式構成。〇・五秒。問題解決の為の予備動作が完了する。 「奥岳烈人と雛獅子=オルトフォゴール――詰まり我々は、転移陣機関による任地への転 移を敢行しました。目標地点では既に星幽場雑音が確認されており、二つの転移陣機関を 用いた安定経路の形成を伴わない転移では、その到達地点に誤差が生じる事は考えられま す。また、構造の再構成に際し、之は天文学的な確率ではありますけれど――再構成に失 敗する可能性はありました。その為、星幽場雑音が危険域に変動する前に、早急に転移を 敢行した訳です。ですから、現状で確認される、奥岳僚兵と私、この一名一体以外の僚兵、 僚機が実体を喪失した可能性は限りなく低い。可能性から除外し、先ず味方との合流を行 うべきだと――」 「話を聴けよッ!」  苛立たしげに立ち上がると、奥岳は雛獅子を上から睨みつけた。 「無視か、それは。それとも、その長ったらしいお勉強の後に、『実は奥岳クン、今だか ら言うけど貴方の事、大好きなのッ! ブチューッ!』みたいなギャップに胸キュンでも 狙ってんのかよ。それより先にはっきりさせてくれよ。嫌か、嫌でないかをさ!」 「失礼」  雛獅子も、依然として横たえていた身体を起こした。そのまま、勢い込む奥岳のその両 肩を軽く抑える。 「重複して説明する部分が発生しますが、転移陣機関による転移が可能なのは、物理的実 体と星幽体だけだと確認されています。それは、動的記憶を実現する電磁的性質を含みま せん。稼働状態の電子機器を転移させた場合、辛うじて動作し続けた事例自体が、把握さ れる限りでも二割を下回ります。これは、実戦的な電子兵器の運用において致命的な運用 率です。電子制御を行うマギナに至っては、電子術式が致命的な変異を起こし、使用者の 心体両面に過大な損傷を起こす事例もあります。ですから、転移に際して私は、一度全て の情報を静的記憶領域に写し、全く原始的な時限装置を用いて再起動を行わなければなら ないのです。その状態で意味のある動作や対話を行えた可能性は限りなく低い。ですが、 無い訳ではありません。クイックフォーマットを行った場合、その可能性は僅かではあり ますが、増加します」  奥岳が雛獅子の手を振り払おうとする――その、僅かな挙動を察知して、雛獅子は手を 離した。 「触られるのも――嫌かよ」  奥岳の強い語調が、不意に尻窄みになる。 「どうせ俺は、イーズィーマギナも無きゃ、箸も持てない甲斐性なしだよ」  呟くように吐き捨てる。  同時に逸らした奥岳の視線の先で、雛獅子の無骨な手が僅かに震えるのが見えた。  前腕甲側に接続された複合攻性機構が展開、素早く半回転する。機構施錠の僅かな金属 音が、やけに大きく奥岳の耳に響く。  その拳より格段に長く、鋭い軍用銃剣の刃が、周囲の明かりを照り返し、ギリ、と鈍く 輝いた。 「あ――?」  顔を上げた奥岳の視線を、外気温と然程変わらない、冷めたブラウンの瞳が真っ直ぐと 見返している。  風圧に続いて、音が響いた。  奥岳は本能で死を覚悟した。僅かでも助かろうと、反射的に身を屈める。  その頬や首筋に届いたのは――冷えた金属の感触ではなく、生温い粘質の液体だった。 「――は」  思わず首筋に手を這わせる。傷も痛みも無い。指に纏いつくソレは、ヒトのそれより格 段に鮮やかな赤色で、それも端からぐらぐらと煮立つように泡を吐き出すと、即座にター ルのような色に黒く濁っていく。その泡立つ感触はまるで生きた蛆が無数に這うかのよう で、奥岳は思わず手を振って液体を払う。頬や首筋で起こり始めた同様の変化は、いっそ 横隔膜まで震わせて、笑いを誘った。 「は、は」  見上げれば、影のように黒い半人半蟲が、軍用銃剣の刃に貫かれ、空中で串刺しになっ ていた。  カサガサと関節を蠢かせ、それが刃を引き抜こうともがく。  それと雛獅子の視線が、同時に奥岳を刺した。  その双方ともが、奥岳にとっては全く異質なものだ。  それは奥岳にとってだけではなく――確かに異質な存在だったのだ。  半人半蟲の胴部に空いた疵口から、噴水のように吹き出ていた粘質の液体が、スイッチ を切ったように止まる。復元力が作用し、半人半蟲の物理構造が再構築され始めているの だ。  それは全く既存の生命とは根源を異にしている。  人間はそれを――魔物と名付けた。  雛獅子は吸気系を開放、外気を胴部の内演機関に取り込む。「落穂拾い」の陣核は外気 から大素を貪欲に搾り取ると、陣線を通して肩部から上腕、前腕を通して、大素を複合攻 性機構に魔導する。そこに埋め込まれた「氷」の陣核内部に大素が装填された。  鋳型に流し込まれた大素は「氷」の論理を獲得し、複合攻性機構へ――その刃先が潜り 込む「半人半蟲」の論理構造それ自身に干渉を始める。  半人半蟲の物理構造に、「氷」の論理が過剰記述されていく。  魔物の動きが、止まる。  それは一切の物理法則を無視して、内側から己の固化した血液に物理構造を串刺しにさ れていく。胴の内から芽生えた赤い結晶の槍が、その腕を削ぎ、刺し、弾き飛ばす。首か ら突き出た一本が、非効率的な形状で開閉を行う顎を突き破り、そのまま首をあらぬ方向 に捻じ曲げていく。強度を越えて千切れたその顎だけが、高々と太陽のほうへ掲げられて いく。  噴出し始めた血液が、「氷」の論理に触れて、無情な連鎖反応を起こした。眼球と思し き赤い窪みから、耳朶のような長い筒状の器官から、そして顎の奥で蠢いていた棘だらけ の舌から、大小様々な霜柱がその間隙を広げ、押しつぶし、歪め、貫く。  動かなくなったそれを、最早――誰もが魔物とは呼ばない。  魔物に対し、最も効果的な打撃を与え得る、兵器。  それは全く既存の兵器とは根源を異にしている。  人間はそれを――マギナと名付けた。 「触るのは、構いません」  赤い氷の塊となった半人半蟲には見向きもせず、雛獅子は奥岳に言う。 「ですが、それは有用である場合です。奥岳僚兵が有用であり、その行為が有用であり、 その思考が有用である場合での事です。有用で無い場合も、しかし、有用足り得る可能性 を含んでいる限りに於いて、私は僚兵が僚兵足り得ると認めます。それは助ける事であり、 助けられる事であり、そして、共に一切の敵性存在に銃口を向ける事です」  雛獅子は僅かに首を傾げ、そのうなじに相当する部位に設けられたポートから、左手で 小さな機械を取り外す。バッテリーが接続された、単純な起動PINGを発振するだけの、 ほんの僅かなデッドウェイト。  演算性能、チェック終了。  当筐体に一切の問題無し。  雛獅子は機械をその掌で握り潰して遺棄し、その手を蹲った奥岳に差し出した。 「私は奥岳僚兵を有用足り得ると認めます。これより、僚兵僚機との合流を繰り下げ、最 適の状況を開始します」  奥岳は恐る恐る、その硬い雛獅子の腕に指で触れる。  一切の弾力を持たない感触。金属の、冷気。  その指先から胴の内側に至るまで――AFG−03「雛獅子」は、マギナだった。  それは魔物を殺す為だけに造られ、魔物を殺すべく演算し、魔物を殺す為に存在し続け る、一つの武器だった。   - 天裂いて、尚遠く -  奥岳烈人は、大袈裟に後悔していた。頭を抱えて蹲り、それはもう弱っていますと身体 で示していた。助け起こされたその直後にコレだ。相手が雛獅子で無くても不審に思う。 数秒経てば掛けられるであろう、「どうしましたか」という言葉が出る前に、奥岳は立ち 上がる。 「あぁ、その、気にしないで。マジで。多分ほら、アレ、混乱してんだ、まだ。転移とか、 慣れなくてさぁ。そのさぁ、雛もなんか言ってたじゃん、家電がどうとか。その、ソレだ よ多分。なんか影響あるんだって、人間にも」 「そうですか」  返って来た言葉に安堵する。そう言う事にしようと思った――所で、雛獅子の言葉が続 く。 「しかし、気にしない、という事は私の筐体構造上実現するのは困難です。奥岳僚兵が混 乱したというその言動全てを、私はモデル化して常に評価しています。前後の情報から、 より確度の高い、論理的に納得のいく因果を考えねばならないからです」 「常に、って今も? マジで? さっきまでの俺が雛脳内で超速リプレイされてる訳?」  うわあ超死にてぇ。等と思いながら顔を蒼白にした奥岳を、雛獅子は慰めず、ただ事実 を伝える。 「理想を言えば、そうです。ですが、当然私の演算性能には限界があります。モデル化と いうのは現象をより曖昧に、ファジーにする事です。当然、失われる情報も多い。ですが、 要点を抑えておけば、誤差は最小に、動作を高速にする事が出来ます。無論、奥岳僚兵に 関わらない所で、当該情報を評価する必要はありません。ですが、奥岳僚兵と接触する場 合、何らかのレベルで当該情報は評価され続けます。人間で言えば、気にしている、とい う状態に合致するのではないでしょうか」 「――あー、それってさっきのだけじゃなくて、俺がかっこいいとか、俺が大活躍したと か、そういう事もずっと気にしてくれる訳?」 「そのようにも表現できます」 「初めてあった日とか」 「革のジャンパーに、下はデニムでしたね」 「うわ何ソレ。俺が女だったら結婚するわ」 「奥岳僚兵が前腕部に接触しようとした際、それを攻撃行動と判断して迎撃に出た事は重 ね重ね謝罪しておきます」 「そんなんまで覚えてんのかよ! びっみょーだなぁそれ。夫的に」  目を丸くする奥岳を見て、雛獅子は情報に齟齬があると判断、訂正を始める。 「構造としては、人間の神経系もその様な評価手段を実行しているのだと推測されます」 「えー? 俺、座学の内容は数秒で忘れるぜ? あー、あれはそもそも寝てるから か。――あ、そうそう、逆に。その曖昧にする、みたいな事さ。タナボタラッキーで見 ちゃった桐生の裸とかな、それはもうはっきり覚えてっし。忘れるか覚えてるかの二択っ ぽいんだけど」 「覚えている、というのはどの程度ですか?」 「あれ? 怒ってらっしゃる?」  いやん、と裏声で囁き、肩を抱いて一歩引く奥岳を、雛獅子はただ見つめる。 「過去の桐生魔理佳の情報が、この状況に関わってくるとは思えません。ですので、私は 奥岳僚兵を批判する理由を持ちません」 「ドライだよなー、雛は。ボケ損じゃん」 「皮膜には水分は含まれていませんが、機関冷却用に水分を保持する機構はあります。乾 燥と表現する程の事とは思えません」 「ボケ返したよこの子!」  笑い出す奥岳を、雛獅子は僅かに首を傾げ、演算する。結局、話を強制的に元に戻す方 を選んだ。 「はっきり、と表現されましたが、それは、桐生魔理佳の体表面の色相から想定される各 部の体温や血流量を概算できる程ですか」 「風呂上りっぽかったから、ほこほこしてたかな」 「では、体表面に付着していた水滴の量と分布は。揮発と重力落下によるその変化は。そ れを時系列順に整理してグラフ化できる程ですか」 「あの、やっぱり怒ってらっしゃる?」  雛獅子は再び首を傾げる。 「同じ説明を要求されているのですか。それとも他に意図があるのですか」 「いや、確認したかっただけだし。そこまで覚えられるんだったら、エロ本なんてわざわ ざ買う必要ねぇし」 「――ですから、人間の神経系で、はっきり、というのはその程度だと言う事です。同様 に、私の記憶領域に蓄積される情報も、凡そ、そのような物と考えて差し支えありません。 それが情報のモデル化です。ですが、モデル化と評価に関して言えば、私のそれは、より 厳密に行われます。その上、蓄積された情報を任意に消去する事も出来ません。ですから、 奥岳僚兵の要求に応える事は出来ないと言えます」  今度は奥岳が首を傾げる。 「――俺の要求ってなんだっけ?」 「気にするな、という要求です」 「あぁ。――今、俺の事、若年性痴呆とか思ってね?」 「その可能性は低いと考えられます」 「あるのかよ可能性。ちょっと悩むわソレ」 「要求を実現できる手段が、一つあります」  と、不意に雛獅子は言った。 「あれ? 出来んの? 出来ないんじゃないの? 言い間違えた?――あ、忘れてたと か! 気をつけようぜ、お互いに」 「新しい解法を構築したと言う事です」 「俺の一言だけで大変な事が行われてる気がしてきたわ」  妙に居心地が悪くなって、奥岳が頭を掻く。 「解法は常に更新されます。ごく日常的な現象です」 「へぇ! で、どんなん?」 「錯誤情報を記憶する領域に、当該情報を写します。それは参照表から除外されます」 「おー、裏技っぽい。その線でいける?」 「当該情報を絞り込みます。演算に少々時間を頂けますか」  瞳を閉じた雛獅子を見て、奥岳はふと、ゲーム・メディアからのデータ読み込み画面を 思い出した。読み込み機器がカリカリと音を立てる、あの音。次に画面が切り替わるとき、 何か途方もない物が画面に飛び出してくるかもしれない、あの高揚を。雛獅子の中では、 確かに世界が切り替わるのだ。  雛獅子が瞳を再び開いたとき、「さっきの事だけど……」と切り出せば、なんと返答が 返ってくるだろう。「当該情報はありません」か? 「情報が不足しています」と か。――錯誤情報を記憶する領域、だって?  奥岳の頭が、本調子を出してくる。バカなダチと話す時、女の子にちょっかいを出す時、 下らない言葉を捲し立てる為だけによく働く脳は、他の事にも使いようがあるのだ。座学 に興味は沸かないが、それでも聞きかじりの知識を、奥岳は充分に活用してみせる。  錯誤情報の記憶領域、つったら、平たく言えばバグった時のデータを入れる所だ。バグ 処理を覚えてたって、猫の手程も役に立たない。でも、何でバグったか、という事は重要 で、だから記憶しておく必要がある。それのチェックは、雛獅子自身か、他の技術者がや る訳だろう。  要するに。  さっきまでの「恥ずかしい奥岳クン」が、じっくりたっぷり誰かに見られる可能性が激 高――という、お話だ。  それに思い至った瞬間、奥岳はわーわー叫びながら、手袋に包まれた両手で雛獅子の肩 を揺さぶった。 「ストップ、雛ちゃん――いやお願いヤメテやめてくださいカミサマ雛獅子サマ! もう やっちゃった? やっちゃったんですかどーなんですか!」  うっすらと雛獅子が目を開いた。 「行っているのは、当該モデル情報の抽出です。それを行わないで、再起動から今までの 記憶情報を全て、錯誤情報領域に写す方が確かに高速です。これには、敵性存在の討滅情 報が含まれますが、現状から考えて、状況達成に支障を来たすとは考えられません。そう しましょうか」 「やめて! 気にして! 気にしまくって! ナシナシ、ノーカン、要求やめますか、は い、やめます! ちょっと大人気なくて情けない、でも超絶かっこいい等身大の奥岳クン のままでいさせて!」 「そうですか。では、状況を開始します」 「ええ!? えー、あー、うん。そう。そうしましょう雛獅子サン」  恐ろしくあっさりと切り上げ、歩き始めた雛獅子の背中を見て、奥岳はワンテンポ遅れ て胸を撫で下ろす。  雛獅子の製造者――「お母さん」、リリアンナ・オルトフォゴールの事を、奥岳は名前 と姿くらいしか知らない。独立した機関で複合型マギナを研究、開発する様な人種と、学 生である奥岳は接触する機会が無い。製造者なのだから、雛獅子の調整も担当するだろう。  奥岳が記憶する限り、彼女はそこそこ美人で、まぁそんな美人に恥ずかしい姿を見られ るというのは、露出趣味としては上等なものだろう。奥岳にその趣味は無いが。  ああ、この子は、人間じゃないんだなぁ。  奥岳は、今更のように思い知る。 「なんつか――桐生みてぇ」  振り向きもせず颯爽と――というよりさっさと先を行く雛獅子の背を追いながら、奥岳 はぽつりと零した。 「桐生魔理佳は、本状況に参加していません」 「知ってる。雛と桐生が似てる――訳じゃねぇや、なんか相手にしてると同じ気分にな るってコト。なんか、もっと人間みたいなモンだと思ってたから」 「桐生魔理佳は人間です。私は人間ではありません」 「ああ、うん――知ってるって。聞き流して」  悪い癖だな。  思い返して、奥岳は手を――その両手に装備したマギナ「碧疫」を擦る。いつの間にか、 誰かと――人間と話す時、身構えるような癖が付いている。不意を突かれると、ナイーヴ な地の部分を覆い切れない。茶化して、勘繰って、突き放して――。  人間を、怖がってる。  奥岳は小さく呼気を吐き出した。  崩れたビルの外壁は、すっかり端が丸くなっている。其処此処に転がるコンクリートの 切れ端。砂粒ほどまで細かくなった硝子片。古い、ゴーストタウン。街と言うより荒野の 様相を見せる其処に、鈍い、赤み掛かった陽光が降り注ぐ。 「蝕ってんなぁ――そら、ノイズも出るわ」  奥岳は空を見上げて呟いた。真円の陽光は、中心ほど、暗い。蟲に喰われたような太陽 は、円というより輪だった。 「悪精腫の影響は未だ増大しています。四大規格で、これと言った偏りは発見できません。 五行規格では陰極、周期は相乗で安定しています。星幽場雑音が発生している場としては、 閾値内と言えます」  奥岳を一瞥して、雛獅子が答えた。  目に見えない微細な論理構造――精霊種は、魔術の余波で発生するものだった。魔物の 論理構造が余波で発生させるものは、区別して悪精腫と呼ばれる。悪精腫は強い光ほど、 強く吸収する性質があった。位置からすれば正午過ぎ、もっとも陽が明るい時期だという のに、だからこの古い廃墟の街は、ぼんやりと薄暗かった。人が光で世界を見るように、 魔物は闇で世界を見るのではないか、等と言われる所以だ。  魔物は、人を喰らう。だからこそ、大きい街ほど魔物に襲われる事が多い。草食動物が 草を求めて常に移動するように、魚が微生物の多い海域に自然と集まるように、魔物は 「ここではない場所」――異界から、人間を求めて現れる。  人間同士の戦争のように、剣や銃では傷も付かない非常識の生物。魔物。例え抵抗して も、ゆっくりと喰らい尽くされていく。この街のように。  剣や銃より格段に効率が悪く、扱いづらい、埃の積もった手段――魔術こそが、この魔 物に効果的であると知れて、国はより組織だった抵抗、より安全な領域の確保の為に、一 つの機関を創り上げた。  Magina-Academia。国家を挙げた魔術の――そして、それを利用した、より新しい剣、 より新しい銃――マギナを、研究する機関だ。  魔物そのものは、千数百年も前の文献の中にも顔を出す。異界から来るそれらと、人類 は今まで幾度と無く衝突してきた。しかし、工業革命と大開拓の時代を経て、爆発的にそ の支配領域と人口を増やした人類の殆どは、魔術の存在を忘れた。  人類の総人口に比すれば、ほんの一握り――しかし、大国同士の戦争並みの犠牲者の数 が数十年もの間、確実に魔物の餌食となるに至って、国家は漸くその重い腰を上げた。  手遅れだった。  人類と同様に、その総数を圧倒的に増やした魔物の跳梁。その事実は、人類を更に減ら し、焦らせ、圧力を掛けた。国家の垣根を低くし、魔物の行動原理を探求し、より逃げや すい環境を構築する。破壊される事を前提に都市を建築する。人類内部に蟠る軋轢の調整 に時間を食っている内に、世界の半分は魔物に奪われた。  再び陽の目を見た、魔術という手段。魔術師という人種。それらは手品や詐術から、人 類の希望へと変わっていった。それに伴って、社会構造もまた、様変わりした。  魔術は、その多くを才覚に委ねられる。例え魔術を使っていても、誰でも上手く扱える ような代物は、魔物が相手では役に立たない事の方が多い。そもそも、魔術を扱えない人 間も、居る。守るべき人類の総数や、魔物の想定される総数と比べて、充分に魔術を扱え るものは圧倒的に少ない。僅かな素質を持つ人員を生き長らえさせ、戦わせる為に造られ たマギナという手段を積極的に用いても、それは変わらない。戦う事もまた、相応の才覚 を必要とするからだ。  Magina-Academiaは問い掛ける。素質を持つもの全てに。黙って死ぬか。戦って死ぬか。 対価の報酬の分だけ、それに否と唱えるものは、減っていった。  奥岳烈人もまた、その問いに応えたものだった。年齢は十八――まだ学生の身だ。だが、 素質を持つものは皆、前線に立たされる。異界からやってくる魔物に、拠点や周期は存在 しない。存在したとしても、それを人間の側から予測する事は、限りなく難しい。知識を ただ詰め込む事に専念できる安全な銃後など存在しない。一定以上の能力に達したものは、 即、戦力として作戦を任される。それが例え子供であっても。  若く柔軟な兵士を擁する為に、Magina-Academiaは学園としての側面を自然と構築して いた。  燻ったような陽光の下で、奥岳は廃墟の一角を睨みつける。かつての交差点は、罅割れ て隆起し、その周りに崩れた砂礫がシュガーパウダーのようにまぶされている。 「どの辺?」 「予想進行経路としてはかなり確率が高いと言えます。三時方向、距離四〇、タイプ・ バンカーで目標地点を起爆始点にすると効果的でしょう。発見されて消費される事は避け るべきです」 「うぃっす、雛サマ」  応えて、奥岳は瓦礫に深々と開いた亀裂に指を入れる。その指までを包む手袋――マギ ナ「碧疫」に意識を集中する。内素から「碧疫」へ――自分の内側から沸いてくるソレを 流し込むイメージ。魔術を操作する為のキー・ヴィジョンだ。内素が体内で流動している のが、ヴィジョンへのフィードバックで判る。「碧疫」の陣核に汲み上げられた内素を、 曲げ、押し、或いは引き、目的に沿った陣線に魔導していく。この手間は小型で多目的な マギナに特有のものだった。  ヴィジョンを片隅に意識しながら、奥岳は周囲を窺う。援護に雛獅子が居るからといっ て、気を抜いてたら一発で頭をカチ割られました、では笑えもしない。  生活費や諸雑費も含めれば、手元に残る任務の報酬は割のいいアルバイト程度。実績が 上がれば話は別だが、奥岳は戦う為に生きるよりは、生きる為に戦う事を選んだクチだ。  遊べて、生きれて、残りは羽振りのいい奴にたかれば良いと思っていた。その点で、扱 いが難しいとは言え、補助の小道具に資金を掛ける必要の少ない「碧疫」は、奥岳にとっ てお誂え向きのマギナだ。弾薬等に魔術付加を施す類のマギナなど、支給分の弾薬だけで はすぐに足が出る。度胸があって、その上勘の鋭い奴で無いと、残弾を気にしている内に 足元を掬われる。奥岳にはどっちも望めない。  陣線を通った内素が意味を獲得し始める。奥岳の掌が僅かに熱を持つ。周囲の熱量を取 り込んで、論理構造が構築されていく。「爆薬」の論理。確固と存在し始めた論理構造が 固定しない内に、奥岳は論理構造を成形していく。  タイプ・バンカーか。考えながら、奥岳は炸薬を含まない、ただ硬質の弾頭を成形する。 貫徹力を重視した流線型。タイプ・バンカーは自律推進する爆薬だ。噴進弾と言った方が より近い。相手が軟質なら良いが、甲殻を持つものが「群れ」に含まれていると、素のま まではそこで弾かれてしまう。仰角の指定は無し――火薬量から調整するとして、一先ず は範囲と威力のバランスが取れる四十度ラインで固定しておく。  ふと思いついて、弾頭にモンロー効果を仕込む。より硬質な魔物に当たったとしても、 中身の「爆薬」の論理術式だけは目標地点に届けなければならない。余分の「爆薬」を消 費して、肝となる論理術式を半実体のゲル上で成形。封をすると、今度は推進剤となる 「爆薬」の成形を始めた。 「五行規格で、なんだっけ?」 「相乗です。周期は六〇から七五/毎秒」  奥岳は素早く指を引き抜く。翳る陽を照り返して、細い糸が指先からつ、と引く。起爆 術式を送り込む為の安定経路だ。この安定経路は物理的実体に左右されず、奥岳――「碧 疫」と「爆弾」を繋ぐ。戦域をカヴァーできるだけの領域は事前に確保してある。 「キモいな。心臓と同じくらいのテンポか。ギャグかなんかか」 「ユーモアを実現できる構造を持つ魔物は、今の所観測されていません」  応えを期待していなかった問いに、返答が返ってくる。もしかしてお笑いとか好きなの か? 考えた可能性をすぐに打ち消す。高等位階の魔物が居ない、という事を言いたいの だ、雛獅子は。 「火行、見といて。ちょいと合わせるわ」 「はい――対応完了。何をするのですか」 「ま、見てなって。かっこいい奥岳クンのブラックメールがすぐ出来上がっから」  言って、再び「碧疫」を起動、宙に指先で真円を描く。霊的実体を成形、操作する為の 予備行動。真円の中心に僅かな輝点が八、煌々と輝き出す。 「カウント3で」 「――3、2、」 「ブラックメール」 「――1、今」 「送信――っと」  八の輝点を掌で押し出す。鳩ほどの飛行速度で真っ直ぐ飛び出した輝点は、途中で散開、 軌道を反転させて奥岳の元に――彼の設置したバンカーへ向けて突入する。貫通。瓦礫の 中に潜りこんで見えなく成った輝点が、遠近から再び顔を出す。バンカーの周囲を緩やか に周回する不整列な軌道。その輝きも直に見えなくなり、完全に物理的な干渉能力を失う。 「火行炸薬ですか」 「そ。振幅、どうよ? 触れ幅大きくなってんじゃない? 周期に多少のズレが出ても、 魔物が出る頃には全消し確定っつーノリよ。俺の伝説ベストテン!――って感じ?」  周囲の悪精腫に干渉して、それ自体を「爆薬」に書き換える論理術式。バンカーの爆発 に反応して動作するこの受動術式に、起爆の為の安定経路は必要ない。  これから「やって来る」魔物への致命的な罠。奥岳烈人のキル・ゾーンが完成した。  魔物が異界からやって来る為の入口――「門」は、悪精腫の濃度が高いほど開きやすい。 魔物の数が多ければ多いほど、魔物の質が高ければ高いほど、向こう側からも魔物が到達 して来る。低級な魔物は通常、自力で「門」を構築する事が出来ない。が、一度でも此方 側に来てしまえば、それが集まる事で「門」を構築できる事がある。此方側の気候や魔術 的な要因が絡む事も多い。  一部の大都市やMagina-Academiaの周囲では定期的に居付いた魔物――在来種を討伐す る事で、そう言った被害を拡大する事を防いでいるが、地方となるとそうは行かない。後 手の対応となるが、その為の転移陣機関だ。人員を可能な限り迅速に「予想出現地点」に 送り、確実に後の先を取る。  その後の先を取る事に関して、奥岳以上の人材はそう居ない。  ヤバい。奥岳は思う。ハマり過ぎてヤバい。これは一気にマギアのエースになるかも。  自分の手際にニヤニヤしていると、雛獅子から無表情に容赦のない突っ込みが飛んでき た。 「確認すべき点が、あります。一つは、記憶領域の占有率はどれ程ですか」 「あー、そんなには……うわ、二割持ってかれてる」  「碧疫」に指を添えて、奥岳が呻く。「爆薬」は無尽蔵に設置できる訳ではない。物理 的な媒体を持たない論理術式は、時間が経つ程に劣化する。劣化を防ぐには、霊的な管理 をする必要があった。「碧疫」が持つ陣核は、その大部分が管理情報を記憶する記憶領域 で出来ていた。  魔術的な才覚が高ければ高いほど、より多くの情報を管理できるが、奥岳烈人は劣等生 組の方に近かった。陣線に内素を魔導するだけで、半年は費やす必要があった位だ。ただ 扱うだけなら、通常一月と掛からない。  「碧疫」が比較的扱いが難しいマギナであるとは言え、半年の間、教師からせっつかれ るわ余分な間食も出来ないわで、出来の悪い苦学生気分が十二分に味わえたものだ。 「でもさ、ここ、結構集まるんだろ?」 「可能性は可能性でしかありません。当地点に魔物が出現、到達しない可能性は充分に考 えられます。その為の僚兵、僚機です。以後、殲滅より、損耗を重視してください」 「いや、ちょっと待って、解体すっから」 「それ程の時間的余裕は期待できません」 「マジで? 急ぐの?」  それから、もう一つ。と言い出した雛獅子の顔を、奥岳は更に青くして眺める。 「規模が小さいとは言え、霊的実体は魔物の興味を引きます。魔物の予想進行経路が大き く崩れる可能性があります」 「あ――それは、その、そう!」  慌ててポケットを探りながら、奥岳が言う。背に腹は変えられない。つるつるとした包 装に指が触れ、急いでソレを摘み上げた。 「ほら! 聖餅! これで気を逸らそう!」  ポリプロピレンの包装に包まれた煎餅の様な物体。見てくれはその辺の駄菓子だ。見て くれの割りに、「聖餅」は驚くほど高価だ。物理的には、ただの種無しパンだが。  霊的に高等な物理場――いわゆる魔法陣や、聖域の中で、時間を掛けて「聖別」された 物体は、ある霊的な特質を獲得する。大気中に存在する外素を吸収し、生物に特有の魔 力――内素を生成するのだ。  低級な魔物が魔方陣や聖域、聖別された物体を好んで破壊するのは、それを生物と誤認 するからだと言われる。魔術的な疲労を回復する為の滋養物だが、魔物狩り用のエサとし ても使える訳だ。理屈を抜きにして、奥岳はその点だけは理解していた。  なんだか戦場でブービートラップを張るゲリラの気分から、軒先で近所の小鳥を捕まえ ようとする貧乏人の気分。余りかっこよくないが、背に腹は変えられない。 「それを、私に」 「食うなよ」 「その必要が考えられません」 「いや、ネタだって」  苦笑いしながら、封を切った「聖餅」を手渡す。必要あったら食うのか――などと考え て、雛獅子が何をするのかと眺める。  雛獅子は、それを投げた。 「そこでボケんのかっ!」  無造作に投げたように見えた「聖餅」はしかし、フリスビーの様に回転しながら宙を飛 ぶ。三時方向、距離四〇――まさにその位置に、綺麗に落着。 「うわあ――えーっと、ナイッシュー、雛獅子サマ」 「移動します」 「ハイ」  やっべ、惚れそう。等と思いながら、奥岳はとぼとぼと雛獅子の後を追う。  それにしても、と、顔だけ振り返りながら奥岳は考えた。  ――ここまで人っ子一人居ない場所に、門を開ける程度に魔物が集まるってのはどう言 う事だ? 苦労して頭を捻るが、魔術的な理屈など、頭を逆さにしても出てこない。理論 より実戦、予想より勘。気楽に生きるならその方がいい。  考えても判らない事より、考えて判る事に頭を切り替える。誰かが暴れまわれば、起爆 術式の為の安定経路が切断されてしまうかもしれない。「碧疫」を繰り、一つの糸だった 安定経路を操作――霧のように拡散させる。  記憶領域が更に〇・五パーセント占有される。残りの空き領域の数字と頭の中で睨めっ こしながら、奥岳は次に設置する爆弾の構造を考えた。  ゆらゆらと揺らめく安定経路の輝線を眺め、奥岳はおー、と呑気な感嘆の声を上げた。 霊視の素養など欠片も無いから、わざわざ内素を魔導して視覚化していた。無駄この上な い行為だ。  単純な爆薬なら十は詰めそうだ。「碧疫」を撫でながら、その動的記憶領域の占有率を 確かめる。三十は置いたかな――ゆらめく輝線を数えようとして、目で追いきれずに諦め た。  宛ら、蜘蛛男――でなければ、人形遣い。ちらりと雛獅子を見ると、頭部に接続された マギナ「LIVElita」を展開して、周囲の星幽場を監査していた。頭部から伸びるその長い 機械が稼働する様は、一層、雛獅子を人間で無いと思わせる。着込んだ学園の制服が悪い 冗談に見えた。  「阻害」の論理術式を演術する「LIVELita」は、その論理構造を薄く、広く展開する事 で、プローブのように動作する。霊的抵抗を掛ける事で、周囲の星幽場の状況を感知する のだ。同時に、その長く複雑な構造は、特に加熱する頭部の電子演算系の放熱フィンの役 割も負う。  耳を済ませる動物を眺めている気分。ゆらりと輝線が雛獅子に流れる。大素の流動の影 響だろうが――それは全く、くだらない事を考える奥岳の感性を刺激した。 「よし、パンチだ、雛!」  ばっと手を翳して奥岳が叫ぶ。 「敵性存在が確認できません。それとも、奥岳僚兵は敵性存在を視認しているのですか」 「ごめん、なんでもない。――いや」  敢えて言葉を続けると、雛獅子の認識系が奥岳に向いた。それに気を良くした奥岳は、 更に無駄を重ねた。 「水魚のポーズ!」  複雑に指をくねらせて、叫ぶ。 「奥岳僚兵が口誦演術を行える事は、事前データに無い事柄です。或いは、私に対する要 求でしょうか。何れにせよ私は、その有用性を問います。内素を必要以上に浪費する事は 推奨されません。論理演術の管理に支障を来たす可能性があります」  すぐに視線も外れてしまった。 「すんません、なんでもないッス」 「そうですか」  有用性かぁ、と奥岳は考え込む。視線だけは思い出したように周囲に配った。  出頭で魔物に襲撃されたが為に生まれた警戒心は、見所の無い観光地を廻るようなこの 数時間で、完全に吹き飛んでいた。奥岳の脳は全力で迷走を始めていた。  パンチはオッケーだったんだから、待てよ、水魚のポーズと言うのをしっかり教えてあ げれば、やってくれるんじゃね? いやそれだったら脱げとか。  有用性ね。服を無駄にするのは良くないよな。よし。よしって言うか、服か。下着まで 着てんのかな。初めに見ときゃ良かったじゃん。服の下どーなってんだろ。  あー、結構尖ってるよな、肩とか。隙間に挟まったりしねぇのかな、身体の。  周囲にくれていた視線は、結局、雛獅子の方にばかり向かっていく。視線が合わないの はむしろ好都合だった。  ――いや、雛は、真っ直ぐ見ていたとしても、俺じゃなく、俺の有用性を見てるんだ。  ふと、奥岳は思いつく。視線に怯える必要なんか無い。役立たずだと思われるなら、そ の方がいい。キツい仕事をしなくて済む。  どうして人間の姿をしてんだろ。ノーパンノーブラですとか確かにエロいけどさ。エロ いから人間の形をしましたとか――ありえねぇよなぁ。  風で揺れるスカートの裾を眺めるのは、劣情からではなく、純粋な興味からだった。  よし、言おう。いいか奥岳、脱げ、だ。脱げ、だぞ。有無を言わさず、自信満々に、も う脱ぐ事は必然で運命だみたいな態度だ。差し迫ったような言葉で言えば、わざわざ聞き 返してくる事も無いって。戦うのに必要だから、脱ぐんだ。そう全身で言えばきっと―― 「雛ッ!」 「僚兵、伏せてください」  叫んだ瞬間、頭を思いっきり抑えられた。数歩分は離れていた距離を、叫んでいる内に 零にする機動で。反応が遅れていれば、首は間違いなく痛めていたに違いない。  複合攻性機構の稼働音が、奥岳の頭の後ろで響く。金属と金属が擦り合う音。火花を散 らして、重い一撃がすぐ上を掠めていく。  視線だけで振り返れば、直立した昆虫のような魔物が見えた。リッパーホッパー。識別 付きの固有種! その血の様に赤い体躯の半ばから、刺突剣の様にしなう爪を振るってき ている。  巨大な棘だらけの上腕を振るい上げ、今しも押しつぶそうとしながら、だ。  雛獅子の対応は、迅速にして精緻。魔物の構造に直に干渉できなければ、その完全な破 壊は難しい。リッパーホッパーの甲殻の強度は尋常ではない。通常の弾薬なら、狙撃銃の ソレでも貫くのは難しい。それならばこそ、より物理的に干渉し、戦術を立てる。  左腕の陣核――「雷」の論理構造を生成するそれに大素を魔道する。大素圧射撃。 「雷」の論理構造を二度、斉射。目標は魔物の両上腕。  僅かな痺れ――その隙に奥岳の首を掴んで、一息に跳躍。奥岳の悲鳴。その頚椎も苦鳴 を上げる。感銘と共に、不満が織り交ぜられる。低い姿勢のまま、土煙を上げて雛獅子が 地を滑る。  遅れて振り下ろされた魔物の上腕が、瓦礫を洋菓子のように易々と砕く。 《愛です、愛! それは貫徹される純愛! 生きる事の喜びを分かち合う、その愛を貫徹 しているのですね! ああ、逃げて、逃げて! 愛に障害は付き物、だからこそ燃え上が るんですね!》  触角を蠢かせて此方を睨むリッパーホッパーの横で、人間染みた影が周囲をふらふらと 飛びまわっていた。爪も牙も無い魔物――識別コード、ソロピィ。小うるさい事を覗けば、 邪魔にもならない魔物。  問題は、それが存在すると言う事は、それだけ魔物が居る可能性が高いという事だ。  蝕が酷い。咳込みながら、奥岳が問うた。 「雛サン、もー、始まってたり、しマス?」 「まだです。門の固有周期は検知できません」  「LIVElita」を細かく稼働させて、雛獅子。その認識系がくるりと回転する。邪視演術 模造マギナ「ZIas」。「低下」の論理構造で魔物に干渉を始める。青い瞳孔が正確に魔物 を捉えた。  リッパーホッパーは、粉塵を巻き上げて、跳躍した。瞬間で、射程外。その邪視の焦点 が対象を追いきれず、細かくブレる。巻きあがった粉を吸い込んで、ソロピィの小うるさ い嬌声が止む。奥岳を抱え上げ、雛獅子は再度跳躍。  直前まで居た、その場所に、リッパーホッパーが落着する。地を揺るがさんばかりの轟 音。二メートルを誇るその細い体躯からは想像も出来ない重量。  周囲を見れば、下位種のラフィドフォリダーが数体、じりじりと距離を詰めてきていた。 「わお、大人気じゃん」 「その様に表現してもいいでしょう」  一人と一体は、視線を交わす間も惜しんで、素早く散開した。  雛獅子はリッパーホッパーに。奥岳はラフィドフォリダーに。  下位種のラフィドフォリダーに、それ程の敏捷性は無い。元々が群れて高所から奇襲を 掛け、死肉を啄む弱い個体だ。そこそこの運動神経があれば、逃れる事くらいは出来る。  そして、そこから攻めに転ずる手段を、奥岳は持っているのだ。  雛獅子は脚部に大素を魔導する。組み込まれているのは、「闇」の陣核。その論理構造 は最良の食餌――濃い内素を含有する奥岳をリッパーホッパーの目から隠し、相応の脅威 である雛獅子の存在を浮き立たせる。食欲より自己保存欲を優先させ、当然の帰結として 魔物の赤い視線が雛獅子に向く。  その様子をちらりと見てから、奥岳は迷わず、右に大きく一歩を踏み出す。ラフィド フォリダーが二体、小さく跳ねて跳びかかって来ていたからだ。予想通り――然程の知性 を有さないラフィドフォリダーは、奥岳の急な動きに追いつけず、硬い瓦礫に脚を振り下 ろす。  音を立てて瓦礫に亀裂が走る。当たれば、ただでは済まない。止まらなければ当たらな い、という単純なものではない。真っ直ぐに逃げ出せば、すぐに組み付かれる。狙いを定 めさせない、それなりの勘と、相手の呼吸を読む観察眼。それがあっても、運が無ければ、 ただの人間は助からない。  運が無ければ?  マギナ使いの奥岳は、軽く口を歪めてこう答える。もちろん、こうする。低い姿勢で子 供ほどの背丈しかない一体に正面から近付く。喰う為には何の用も為さない、分厚く平た い顎が目前に迫る。食欲を優先させたそれが顎を開くより早く、奥岳は大きく首を捩じっ てその一撃を逸らす。 「公務執行妨害、減点一ぃー。ちょいと黙ってもらいますよぉ」  魔物の腰に手を置く。「碧疫」。「爆薬」を中心に、「剛体」を被せる。丁度、掌で掴 めるような、丸く硬い感触。破裂。「剛体」の論理構造に触れた熱と衝撃が、開放面に殺 到する。指向性爆薬。効果範囲は無いが、狙い通りに魔物の甲殻を貫通、内側にまで届く。 重心を崩し、転倒。動きの止まったその脚に、奥岳は微かに手を触れさせる。  身を更に低くする。その背を追う個体の、胴の中ほどから伸びた鉤爪が、直に届く距離。 奥岳は迷わず、足を大きく踏み出して方向を真逆に変える。粘液の滴る顎が、赤黒い複眼 が、すぐ前に再び迫る。鉤爪の一閃――伸びきったそれが懐に潜り込んだ奥岳の肉を裂く 訳も無い。 「オオハズレ〜、残念でした」  その脚を撫で、顎を指で弾く。そう長くふざけては居られない。無機質な複眼が、それ でも漸く奥岳に焦点を合わせ始めた事が、頚の傾きで判る。奥岳は迷わず横に跳ぶ。  僅かに警戒を強めたラフィドフォリダー達が、方針を変えてじりじりと遠巻きに囲んで きていた。倒れ込んでいた個体もガチガチと甲殻を鳴らして起き上がった。復元力――ラ フィドフォリダーは核を持つ種だ。核の論理に損傷が無ければ、物理構造を破壊されても 少しの傷なら直ぐに復元する。 「うっひゃあ、うっぜぇなぁ」  魔物連中を刺激しない速度で、奥岳もじりじりと移動する。地を手で撫でながら、身を 更に屈めて魔物を注視する。距離、位置、速度――自分の靴に手を伸ばす。  「碧疫」。  同時に、ラフィドフォリダーの跳躍。復元を完了した個体――復讐? 意趣返し? 馬 鹿馬鹿しい。アレには食欲しかない。流動する内素の動きにつられ、低い姿勢で飛び込ん でくる。起爆――靴底に仕込んだ「爆薬」が、奥岳の身体を大きく跳ね飛ばす。  勢い込んだ次の個体が飛び込んでくるのが見える。起爆。二体の脚に仕込んだ「爆薬」 が、狙い通りにその動きを鈍らせる。  急速に遠ざかる食餌を追うべく、真っ直ぐに飛び込んできた他の連中が、止まった二体 に衝突してギチギチとオシクラ饅頭を始める。いや、玉突き事故かな。珍しく綺麗に受身 の取れた奥岳は、笑って中指を突き出した。 「残念、免停モンだわ」  起爆。タイプ・クレイモア。  地面に敷設した「爆薬」が、砂礫を銃弾のように撒き散らす。この指向性の「爆薬」の 論理の残りカスを纏った砂礫が、固まった魔物どもを貫いていく。衝撃による受動起爆。 硬い甲殻の中で熱と衝撃が跳ね回る。コイツでコアまでコッパミジンコ。思い浮かんだフ レーズに軽く噴出す。この決め台詞、無ぇわぁー。 「保険の効く奴ぁ居るかな。居ても相手にゃしねぇけど。こっちゃあ、お仕事詰まって るんでね」  一息ついて、雛獅子の方を向く。スコアはまだまだ伸ばせそう。それには、雛獅子の合 図が要る。動かない魔物の塊から距離を置きながら、周囲に目を配らせた。  「闇」の中から、雛獅子が飛び出してきた。中空で一転――その左脚が「闇」に触れる。 「光」の陣核に大素が流れ――模糊とした闇が一斉に輝き始めた。  一息に青空の下に出たような、眩暈に似た感覚。光の中心から、輝く粒子が散って行く。 雨粒のように降る粒子を裂いて、雛獅子は奥岳のすぐ傍に降り立つ。土煙を上げて滑る筐 体を脚で押し留める雛獅子から声が響く。 「カウント、三」 「おうさ」  奥岳は思う。逸れた味方の事を。定石通りに立ち回っていれば、自分の「爆薬」に巻き 込まれることも無い。 「二」  「光」の中からリッパーホッパーが飛び出してくる。ほぼ無傷。タイプ・バンカーでも 貫けないその表皮に纏いつく「氷」と「雷」の論理を振り払い、その赤に輝く目で周囲を 睨め回す。 「一」  その声と同時に、奥岳の心臓が大きく脈打つ。背筋を百足が這い回るような悪寒。周囲 を奇怪な輝線が取り巻き始めた。「門」だ。うねり、周り、歪み、アメーバのように常識 を侵食する―― 「今」  誘われてるとも知らずに。  それはオセロ盤に投じる最後の一手だった。歩みを塞ぐ騎士を裂いて王手に掛かる女王 の一閃。全くの不利から、完全なる勝利へ。  奥岳はただ、手を差し出す。「碧疫」を通じて掌に内素が意味を獲得しようと跳ね回り 始める。指先から、空へ――輝線が渦を巻いて奔っていく。 「おウチに帰んな、不良ドモ!」  「碧疫」の管理情報数を示す数値のイメージが、急速に〇へと近付いて行く。  ――「門」は一層輝きを増して、内側から異形の生物を吐き出し始めた。  いっそ、静かだった。  節を持つ目の無い線虫が空中から雨のように落ちてくる。手当たり次第に死肉に潜り込 むそれらは、瓦礫の上を無様に這い回り、ぶつかり、困惑したように揃って身を擡げる。  それを上から丸太のような奇怪な生物が押し潰す。足も無いそれがぐるぐると回転を始 め、線虫をペースト状に押し広げて行く。  蝙蝠染みた生き物が、羽根の無い腕を羽ばたかせて羽虫のように沸いて来る。黒々とし たその群れは、夏の雲のように上へ上へと延びてから、触手のように群れを広げて周囲を 旋回し始める。  瘤だらけの腕がそれを叩き落す。その持ち主の巨躯を裂いて、小さな甲殻類が産声を上 げる。のたくる巨大な蛇がそれらを押しつぶす。嬉々として互いを喰い、貪り、潰しあう。  趣味の悪い無声映画のようだった。  その中で、声を上げていたのはただ、奥岳一人だった。 「おい――おい! クソッたれ! 止まれ――止まれよ!」  起爆術式を強制的に切り上げて、「碧疫」を強く抑える。爆音の一つも聴こえない。な のに管理情報だけが目減りして行く。「爆薬」が起爆していないのなら、管理情報が消失 する事はそうそうない。「起爆」と「解体」を間違えるなど、前線に立つ様な奥岳がする 筈も無い。  じゃっ、じゃっ、と汚泥のような魔物の血を跳ね上げる。すぐ傍で狂態を晒すそれらは、 自身らが引き起こした大渋滞に気を取られて奥岳たちに気付く気配は無い。まだ。まだ間 に合う。冷静に情報を復元しながら、奥岳は内素を魔導した。  「爆薬」との連結を確認する為の単純な通信コードを――  ――怨ぅん。  どこか遠くで音がする。  と。   勢で語る事ではない。勝者は時間が決めるの   得ない。霊長の主たるが、斯様に生存圏を脅   望みなら だからだ。それを存続させる媒体   有様とはどうだ。皮肉 バランス。一時の趨   かされ、人権を剥奪され、抵抗した先にこの   されなければならない。進化、ただ進化。   だ。我々自身がそれを裁定しよう等と 人で   と福音の齎される事が、我々人類にとってあ   らゆるリスクを厭い為されるべき、生命種に   個の思考、文化、形式だろう。我々にはその   準備がある。生殺与奪の内に生き続ける事が   は常に内に込められた情報自身によって刷新   も魔物でも。まして神でも。存在するのは一   よって全く定められた事である。だが 在り  音がする。耳の傍で、瞼の裏側で、首で、胸の内側で、肘の先で足の裏で。蟲の羽音と は比べ物にならず不快で、意味を持ちながらそれを掴ませない多くの会話の混交。言葉と 言うより音でしかない。  それが「碧疫」を伝って全身に響いている事に奥岳は漸く気付いた。気付いた時には、 魔物の赤い視線が其処此処から自分を貫いていた。 「何をしているのです」  その無機質で鮮烈な声は、差す日のように奥岳の頭に潜り込んで来た。  次いで、痛烈な痛み。  猫の子のように首を掴まれて、奥岳は盛大に地面を転がった。鋭い風圧と粉塵が後を追 う。  魔物が迫ってきている。投げ掛けられているのは、不可解なモノを見る目だ。奥岳は思 う。  恐怖だ。魔物が理性無く、原始的な存在だからこそ、恐怖が先に表立つ。魔物だって、 死にに来た訳じゃない。生きる為に門を潜り抜けてくる。生きている限り、それは食餌で はなく、敵だ。  リッパーホッパーが鉤爪を振り上げる。脚が震えてくる。身体の内素が振動を始める。 何が出来るのか判らなくなってくる。まだ響き続ける音が、迷いに拍車を掛ける。  死ぬ事など、恐ろしくは無い。何も出来ない事が怖かった。 「僚兵」  左腕を銃剣に構えなおして、雛獅子が割って入る。リッパーホッパーの全重量を掛けた 一撃を交えた腕で受けた。「雷」。接触と同時に、魔物の全身で火花が散る。だが、姿勢 が崩れたのは雛獅子の方だった。抗しきれず、膝を地に付けて瓦礫を抉る。  魔物の視線が、ふと雛獅子に向く。  何故だ。奥岳は胸の内で叫ぶ。  敵意より一層、無関心が恐ろしかった。  半ば見捨てられ、学園に売り払われた制御不全の魔力持ち――それが奥岳烈人と言う人 間だったから。  手を伸ばせば届くような場所での出来事から跳ね除けられている。「爆薬」を設置する 暇も無い。声だけが煩く、煩わしい。  畜生。 「この――ガラクタぁ!」  全身をバネにして立ち上がる。「碧疫」をリッパーホッパーに叩き付けた。当然、ビク ともしない。勢いを殺さず、奥岳は魔物に飛び掛った。  音はもう聴こえない。間近に響くのは魔物の甲殻が上げる軋り。代りに、心臓を圧迫し そうなほど胸に凝縮した内素が肋骨を振るわせて跳ね回る。それが出口を見つけた。  肩から肘へ、そして手首を越えて掌へ。筋肉を炙り、血管を浮き立たせ、痛みと共に魔 力が外へ流れて行く。奥岳は手を伸ばして魔物の甲殻に触れた。  「奥岳烈人」という存在そのものを示す魔力が、リッパーホッパーの論理構造に潜り 込んで行く。  ふつふつと沸騰するように甲殻がうねる。それを触れた掌で感じたのはたったの一瞬だ。  魔物が、煙と閃光を上げて――吹き飛んだ。 「はっ――はは、ザマァ」  開放感に近い快感。魔力がストレートに抜けて行く感触は心地良かった。相手がこの数 だ。ジリ貧で俺は死ぬな。遠い事のように奥岳は思う。仲間を――雛獅子を守る騎士にも なれない。  派手に吹き飛ばすのがやっとの力。何れリッパーホッパーも立ち上がってくるだろう。 精々派手にやろう。まだ蹲る雛獅子を見て、奥岳は肩を竦めた。 「見ろよ、雛。ヘマって、ヘバって、ヘタってるのを、引き起こされても何も出来やし ねぇの。笑えるだろ?」  競争相手が減ったと見たか、周りの魔物がじりじり距離を詰めてきた。這い回るムガデ 染みた死肉漁りの頭を爪先で蹴上げて、奥岳は続ける。 「どうする、雛。お前一人ならどうにか逃げられんだろ。俺が居るから出来る事が減る。 笑えよ――俺は笑うぜ。あばよ世界って、連中並べて笑い飛ばして言ってやる」  言ったって聴きゃあしねぇだろうな、と奥岳は小さく笑う。雛獅子は武器だ。恐れとは 無縁だ。奥岳が死ぬまで、雛獅子は僚兵を護り続ける。そう出来てる。 「僚兵」 「何よ」  そら来た。 「矢張り、貴方は有用です」  奥岳は声を上げて笑った。飛び掛ってきた魔物の顔面に手を付ける。閃光。 「馬鹿言え石頭! 俺が何を出来るよ、お前がなにをしてくれるよ! どうせ素直に死な せてもくれねぇ、その上なんだよ、俺の台詞を全否定か!」 「そのようにも表現できますね」 「な――ン、だと」 「僚兵、貴方の提案は相応に有効な手段です」大口を開けて突進をしてきた魔物の顎を雛 獅子が切り飛ばす。「――ですが、それよりも有用な手段がある場合、その選択はナン センスです」  雛獅子の認識系がくるりと回る。「ZIas」の術式が切り替わる。「倍化」の論理。  こいつは。 「じゃあなんだ、お前を切り捨てて俺が生きるって線か。俺がそいつを――」 「貴方が必要なのです」  こいつは。  俺を切り捨てられる。呆気ないほどに。完膚なきまでに。  その、同じ冷徹な方法論で――この俺を生かすと言っている!  こいつは、俺の事実だけを、見てくれる。  奥岳烈人は笑った。ただ、笑った。笑って蹴上げた魔物の首に、雛獅子の銃剣が追撃を かける。 「いいぜ」  抵抗を無くす魔物の手応えを足の裏で感じながら、奥岳は言った。 「賭けてやる――何をすればいい。何を見せてくれるんだよ」 「貴方を、使うのです」  雛獅子が右腕の攻性機構に手を掛ける。枯れ枝を折るように容易く剥がれる。蝕した陽 の光を受けて、青い「氷」の方程式が陽炎のような光を放った。 「出来んのか」  話が呑み込めてくる。放っておいても溢れるような魔力の塊が、ここに一つあるのだ。 「実行します」  理論は単純。実現は困難。ただ魔物を殺す為に研ぎ澄まされた武器に、融通は利かない。  拳銃に戦車の砲弾を放り込もうと言っているのだ。  無茶を言う。だから、奥岳は言った。 「――やれよ」 「了解」雛獅子が右腕を上げた。奥岳の目の前に青い光が差し出される。「カウント、 三」 「上等ォ」  テイク2って訳だ。こいつは意外とシャレてる。奥岳は歯を剥いて周囲を睨みつける。 鼓動が耳の奥までも振るわせる。魔物も息を潜ませて此方を眺めている。観客席は満 員――悪くない。 「二」  VIPが此方に視線を投げ掛けてくる。リッパーホッパー。四肢を広げて、開幕を心待 ちにしている。 「一」  上空を飛び交う群れが輪を狭めてきていた。羽音が五月蝿く耳朶を叩く。気の早い歓 声――まだだ。弾が吐き出されても薬莢が残る。食い潰されては笑い種だ。 「今」  すべてが動いた。  跳び上がるリッパーホッパー。我先に群がる羽音の主達。潰され、跳ね上げられる蛆に 節足。出鱈目に唸りを上げる巨躯。空を裂く鉤爪。開かれる顎。糸を引く粘液。痙攣する 舌歯。  突き出された瘤だらけの爪を屈んで潜り抜け、奥岳は頭の上に変わらず掲げられている 魔法に無心に手を伸ばす。  掌に金属の冷たさ。それが瞬く間に焼けるほどの熱に変わった。  爆ぜる。  右腕に衝撃を受けた雛獅子は、地面とほぼ水平になるまで倒れ込んだ。筐体を捻る。長 い髪が弧を描く。受けた衝撃を殺さず、踊るように回る。屈めた膝がキリキリと音を立て る。引き絞られた弓弦の音だ。二歩――三歩。雛獅子は一際強く地を叩く。  リッパーホッパーが上から噛み砕きに掛かっていた。真っ直ぐ――雛獅子は其処に手を 伸ばす。肘の先まで飲み込まれる。皮膜が牙に引き裂かれる。  その巨躯に比べて小さな雛獅子は、猫に咥えられた昆虫のように振り回される。肩が鈍 い音を立てる。左腕で鉤爪を抱え、雛獅子は中空で身を捻った。上下が入れ替わる。  衝突まで、秒も無い。牙が皮膜の下に到達する。圧搾に耐えかね               イマダ イタラズ てフレームが軋みを上げる―― 未  至 。雛獅子は短く演算した。  魔物が大きく顎を開く。噛み砕こうと言う気配。  その間から覗く青い光だけを雛獅子は真っ直ぐ睨み付けた。  巨躯が、墜ちた。  飛礫を裂いて鈍い轟音が走り抜ける。奥岳に群れた魔物がひき潰される湿った音。巻き 上がる砂礫を、奥岳は顔の前に上げた両腕で庇う。  その隙間から青い光が覗く。 「全工程、完了」雛獅子の声だけが響く。「当筐体に重大な損傷はありません」  腕の隙間から、奥岳はただ光を見つめた。シェードグラスを毟り取って目を見開く。何 が起こっている? 踏み出した足先が、奥岳にそれを伝えてきた。  キン、と音を立てて割れたのは、魔物の体液だった。黒く濁って泡立つソレ――泡立っ ていた、ソレ。冷気が白い靄となって周囲に広がって行く。  カツ、カツ、と微かな音が響く。粉塵が晴れて行く。雛獅子が――それから、下敷きに なった魔物が見えてくる。  甲殻の上に白い霜の筋を浮かせて、リッパーホッパーは雛獅子の腕を噛み砕こうとして いた。痙攣するように顎を蠢かせる。白く濁った瞳で中空を睨め回し、ただそれだけを繰 り返していた。  白い陽の光を照り返して、雪のように何かが降り注いで――そうだ、と奥岳は声を上げ そうになった。蝕が、晴れてる!  ちらりと奥岳の方に視線をくれて、雛獅子が言った。 「僚兵。共闘に感謝します」  すっと腕を引き抜く。  その瞬間、魔物は大きく膨れた。甲殻が罅割れ、砕ける。その隙間から氷柱が顔を覗か せる。空を飛び交っていた魔物達がバラバラと落ち始めていた。突き出した氷柱に触れた そいつが、一瞬で氷の塊となって弾ける。  堰を切ったように変化が始まる。血を死骸を伝って霜柱が津波のように寄せてくる。未 だ生きているものも、死に掛けたものも、逃れる暇も無い。其処此処で氷の華が裂いて行 く。 「うは、ははは!」  荘厳だった。壮観で、爽快。  魔物と名の付く周囲の全てが――すべてが白く陽の光を照り返し始めている。  氷となった巨躯の上から、雛獅子が告げた。 「目標消失――状況を続けます」  こいつは。  腹を抱えて笑おうとした奥岳のすぐ傍を、突き出た氷柱が掠って行った。 「――っぶねぇ!」 「何をしているのですか」 「あい」両腕を掲げて、降参のポーズで奥岳は答えた。「奥岳ちゃんは黙秘に徹します、 サー」 「そうですか」  言って、雛獅子が投げて寄越す。「碧疫」だ。 「不利な点と、有利な点が双方一つずつあります」  「碧疫」を掌に被せながら、奥岳は変化の落ち着いた魔物の死骸に腰を下ろした。 「アゲていこうぜ――悪い方から」 「直ぐに第二陣が到達します」雛獅子の視線を追うと、瓦礫の間から蠢く黒い生き物たち が遠くでひしめいているのが判る。「魔物は悪精腫に影響されていない場所に集まる性質 があります。先ず間違いなく、この地点に到達します」 「良いトコなんもねーじゃん」 「それは、我々の僚兵、僚機も同様です。我々の行動の結果であると疑う要素はほぼあり ません。――何よりも、貴方には再び布陣を敷く為の時間があります」 「時間ね」伸びをしながら、奥岳は言う。「すぐだろ、ありゃあ」 「無ければ、そのように言います」 「頼むぜ」  寄せてくる黒波を眺めながら、奥岳がひらひらと手を振る。 「いまいち話が読めねーの。不安で泣いちゃうぜ?」  口端を吊り上げる。共犯者の笑み。 「――当機は、これより目標を第二陣と定め、之を陽動します。奥岳僚兵は――」 「――スーパー僚兵である所の俺は、味方との合流を待ちながら、でっけぇ落とし穴を でっち上げる。だろ?」  雛獅子の言葉を遮って、奥岳が続けた。 「その様に表現してもいいでしょう」  奥岳は立ち上がって、声を張り上げた。 「さらば平穏――おはよう戦火! 分からず屋の鋼鉄女とちょーかっこいい奥岳烈人クン、 これより――」 「状況」 「開始」  雛獅子が一歩を踏み出す。  キリキリと筐体が悲鳴を上げる。  右腕は重く垂れ、姿勢は不安定にブレる。  真っ只中で、全力で稼動していたのだ。損耗が無い訳は無い。  それでも奥岳は笑った。こいつが、出来ると――言ったのだ。  嫌と言うほどコケたんだ。  立ち上がり様に蹴りかましたって良い頃だ。  「碧疫」の感触を確かめる。クリアになった記術式の構造が手に取るように把握できて くる。  雛獅子が出来るように――奥岳の頭は出来る事を考え始めた。  雛獅子=オルトフォゴールは演算する。  筐体の機能は五割にも満たない稼動率に低下していた。  AFG−03は、マギナだ。  その機能の半分以上を魔術で実現している。  物理的な機能はほんの一部でしかない。  胴部の「落穂拾い」から胸部の「PREfig」に大素を魔導する。「反転」の論理構 造が石積みのように組み上がって行く。負荷を受け破損した筐体の各部――「動かない」 論理を過剰記述して行く。純論理駆動。各接続部の固定部が開放され、その隙間を術式が 埋めて行く。  雛獅子は演算し続ける。  視界に入る魔物の一体一体の情報を吟味し、その特質を理解、または推測する。雛獅子 の僅かな挙動への反応の度合いを演算する。視界に入ったその時から、接敵は始まってい る。同時に、筐体のバランスを再認する。物理的な駆動部が効率良く純論理駆動を補佐す る為の最適解を構築し続ける。  駆動率は、常態から更に一割増加した。  未至。  雛獅子は演算を続ける。  身軽な魔物がゆっくりと包囲の輪を築いてくる。回避、不要。互いに射程圏内。雛獅子 は更に一歩、前に出る。  目の前で地が砕けた。  不意に飛び出してきた一体が、上空から雛獅子に狙いを定める。  演算。実行。  「雷」、「反転」、「氷」。  周囲へ散る放電に右腕で触れる。「PREfig」の補佐を受けて、その論理構造を即 座に「氷」に切り替える。  「氷」の槍が周囲の魔物を貫く。上空のソレだけが範囲から逃れていた。  雛獅子はただ、首を傾げて演算する。  熱波がその頭部を掠めた。  「炎」――周囲の空気を焦げ付かせて、それが真っ直ぐに上空の魔物を打ち据える。 「風」がぐるりと魔物を取り囲む――落下。同時に吹き飛んだ飛礫が不意に方向を変えて 魔物を隙間無く打ち据えた。「地」の論理。  立ち上がったソレは、魔物ではない。  雛獅子は演算する。  リニ カナワヌ 「 無 理 」  ソレ――僚機が言う。AFG−02「姫獅子」。近接戦においては雛獅子を超える性能 を誇る、一機のマギナ。 カ ナ エ マ ス 「 適 応 」  ただ短く応えると、姫獅子は僅かに演算して、言う。  ア ワ セ ヨ 「 合 意 」  僅かの逢瀬。魔物が距離を詰めるのには充分な時間。遠巻きに、あるいはにじり寄り、 魔物が全周を埋めていた。  演算終了。  雛獅子は、各駆動系に掛かった制限を開放する手を選んだ。  その状態なら、近接性能は姫獅子の領域にまで接近する。  雛獅子は口を開いた。  ――我等、万の軍勢が響かせる軍歌。    我等、千の縦列を揃える軍靴。    我等、百の隊列に翻る軍旗。    我等、十の軍犬が掲げる軍律。    我等、一切の例外無く構えられし銃口。    我等、剣よりも鋭く盾よりも堅い意志である。    我等の裡は永久に平穏たれ。    人、窮極に其を勝ち得んが為に。    斯く進軍し給え。  口誦演術によって、各部の制限が開放される。  甲殻の隙間で、紫電と旋風が、爆ぜた。                                     - 了 - _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/  解説  _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ――星幽場雑音(アストラルノイズ)  場の理論を基礎として構築された魔力や霊的実体をより科学的に扱う体系を「星幽場理論」と呼称する。  星幽場雑音は、その霊的素粒子の交換が効率的に行われない事(その度合い)を表す語句であり、星幽場(アストラルゲージ)がよりマクロに影響する(そして、物理的な場にマクロに作用し得る)事を保証する現象であると言える。  三世紀前の「稀代の詐欺師」藤村貞夫のメディアへの公開透視実験が失敗に終わったのは、当時の魔術に対する根強い不信が、メディアという観測媒体によって集合され、星幽場雑音として投射されたとする向きが強いが、歴史学では「証拠が薄い」として意見が二分されている。 ――待機符号の情報再認を〜  動的記憶内での処理。ジョブ・リストの最初に付加される、ジョブの処理優先度や処理方法を表現する符号の事。 ――転移陣機関(テレポット)  Magina-Academiaが運用する公的な儀式陣(慣例的に言う魔法陣)の一つ。特定の座標に対し物体を瞬間転移させる為の物。その敷設コストや消費する電力、再運用までの待機時間から、物資の運用には余り使用されない。 ――電子術式  動的記憶に電子的に書き込まれた、魔術を運用する為の演術式の事。  物質に演術式を刻み込むマギナに比べ、書き換えの可能な電子術式は可塑性が高く、演術式を記憶させたファームウェアを多岐に渡って組み込めば、それだけ運用の幅が広がる。  また、知識が無くとも魔術的才覚があれば比較的容易く運用できるという利点もあるが、故障の可能性がより高く、運用性では若干劣る。  尤も、致命的なレベルではない為、その選択は魔具鋳造師の好みに委ねられているのが現状である。 ――イーズィーマギナ  簡易マギナ。何らかの不具を持つマギナ使いを補佐する為の代用品の事。また、戦闘用ではない魔具も、慣用的にこう呼称される。 ――複合攻性機構  ハイブリッドウェポンシステム。  AFG−03は刺突・斬撃様の軍用銃剣からの流用品と、大素圧銃の複合攻性機構を両手に接続されている。マギナの陣核を含めれば三つの攻生機構のハイブリッドと言うべきか。 ――内演機関  内燃機関と大素演術機関を組み合わせた高効率の発電システム。安定稼働時の動作効率は第二種永久機関に相当する。 ――落穂拾い  内演機関に組み込まれた陣核。基礎となっているのは、大素を陣線に魔導する原始的な演術式。が、電子術式による多重演術によって、その流入圧を飛躍的に高めている。  反面、周囲の大素を容易く空にしてしまう為、効率的な駆動には向かない。 ――陣核  高密度集積儀式陣の事。陣線に魔力を魔導する事で、魔力から論理/論理構造を生成する。 ――大素  マナ。大気中の魔力の学術的分類呼称。 ――バッテリーが接続された〜  純物理的な(発条など)仕掛けによって回路を繋ぎ、通電させて信号を送り出す、非電子機械。 ――蝕って〜  誰もが日蝕を連想する。 ――悪精腫  LarvaeElementh。瘴気とも呼ばれる。  魔物の論理と同質の、魔物に成り切らない論理構造の事。 ――精霊種  Elementh。属性とも。大素の論理的な偏りの事。現象に成り切らない論理構造。 ――四大規格  火、水、土、空気の四要素が温、冷、乾、湿の四態を帯びる事で論理構造を構成するとする、魔力変動に対する線形的理解の為の規格。  大素や物質、固定対象の表現に多く使用される。 ――五行規格  木、火、土、金、水の行と呼ばれる五要素が上位様態の陰極と陽極、下位要素の八卦等を帯びる事で論理構造を構成するとする、魔力変動に対する周期的理解の為の規格。  内素を含む物質や、大素の揺らぎの表現に多く使用される。 ――悪精腫は強い光ほど〜  厳密に言えば陰極を帯びる悪精腫に限定される現象である。光をより強く照り返す陽極の悪精腫も、存在は確認されている。 ――キー・ヴィジョン  特定の思考を反復する事で、内素を体内で操作する儀式陣として、活性した脳神経が働くのだと言われているが、仮説の域を出ない。無思考で内素を魔導する魔術師も多く、鍛錬によってその技能を獲得する事もある。 ――内素  オド。生物特有の魔力の学術的呼称。  演術式魔術は、内素を核にして大素に働きかける技術であり、内素はその一つ一つがそれを生成する生物の性向を表現している、個体特有の魔力である。  生体に於ける細胞や遺伝子に相当する、代謝される霊的実体と言える。  対して、儀式魔術は大素を核として現象に働きかける技術であるが、内素による指向性の修正を行う事が多い。 ――魔術的な才覚が〜  ビットを用いた物理メディアのように、才覚があれば、同じ領域上でより微細に情報を保持、操作できるという事。 ――識別付きの〜  元来が異界の生物である魔物の研究は滞っている。その中でも種として明確に捕捉されているものは、その性質が特定されていても十二分に厄介な為、学園でもその情報の共有は徹底されている。  こういった固有種は「此方側」の環境に魔物が適応、進化した結果であるという観方も根強い。 ――小うるさい事を除けば〜  人間側の言語を操る魔物はかなりの数確認されているが、明確に意志の疎通が図れた例は殆ど存在しない。  被捕食者の性質に興味を持つ事はあるのだろうが、それはより捕食を効率的に行う為に過ぎないからだろう。 ――門の固有周期  魔物それぞれに個体差があっても、その目的が「渡河」である以上は一定の方向性や法則を捉える事は充分に可能である。 ――下位種の〜  リッパーホッパーは「羽化」する魔物である。実際に数件、その瞬間を確認されているが、基礎となる骨格や体型にそれほどの違いは無い。「脱皮」と言う表現がより近い。 ――「闇」の陣核  通常の暗闇ではなく、認識自体に作用する論理的な「闇」である。魔術的な動作をしない認識機で確認を行えば、実際に光度が変動していない事が判る。 ――模糊とした闇が〜  両腕、両脚といった対に接続された雛獅子の陣核が生成する論理構造は、意図的にその基礎構造に共通点を持たせている。また、魔術的にもその相対性(シンメトリー)は意味を持つ。展開した論理構造を過剰記述して、比較的容易にその論理を転換する事が出来るのはその為である。特に「光」と「闇」はそれ自身が相関関係を持つ為、常態でも充分に実現できる。