モード・エヴラールが3-C教室の前を通った時には、もう午後十一時半を回っていた。    腕時計を見ずとも判った。完全に意識を失わなければ、体内時計との兼ね合いでおおよそ の時刻は知れる。  周囲は静かだった。  照明の類いは全て点いていない。暗いフロアにはモード以外の人影はない。  ここは学校の廊下だ。中学か高校か、それなりに格式のある学校だったのか、全体的に広 々として、造り自体もいかにも金がかかっている。    それも昔の話だった。  現在のこの校舎は荒れ果てている。人気がないのは、窓辺の向こうに欠片のような月が細 々と輝く時刻だから当然として、その窓ガラスもその半分は割れ、寒々しい夜風が入り込ん でいる。おまけにひどく埃っぽい。    廃校になって久しい校舎内を、モードは足音を立てずに進む。  気配も出来る限り殺している。そういう訓練を、まだ年若い彼女は受けている。  半ば閉じたモードの双眸は、幽かな燐光を帯びていた。淡雪のようなほの白いその光。      不意に、モードの脳裏で声≠ェした。  はっきりとした幻聴のような声。若い男だ。彼女と同じ年頃だろう。   『モード、こっちは所定の位置についたよ。――どう、敵さんの様子は?』    そう訊いてくる相手へ、モードは歩みを止めず、同じ声なき声≠返す。   『ええ。シギュワリが九体の他は、大妖量反応はないわ。九体は全てニ階の音楽室前を、北 側へ向かって移動中よ』 『了解。大物がいないのは助かったな』    相手は気安そうに嘆息した。   『……おっと、こっちでもご一行様の接近を察知した。ドンピシャの位置だな、ここは。俺 の方で連中の鼻先を抑えられる』      ほっそりとしたしなやかな肢体を、モードはブレザーのような制服に包んでいる。――別 にこの学校指定のものではない。  機能的な黒いグローブとブーツを着けた彼女は、両の瞳に宿るそれの他に、いくつかの光 を纏っていた。    美貌がまず一つ目の、そして一番人目を引く輝きだ。高貴に通った鼻梁、雪をあざむく白 い肌、そして豊かな金髪。――全てが水晶を磨いたように整っていながら、怜悧さより先に 優美さを感じさせる。  瞳は、ふしぎな色をしていた。これが二番目の光だ。  瞳と白目の双方が青白いのだ。元々青だった瞳の色が、滲み、溶け出して白目と混ざり合 ったのではないか。――そんな奇怪な妄想をたくましくさせる。  それは今、双眸に宿る燐光の所為、という訳ではなさそうだ。    口元から覗いている光は、牙だ。  花のつぼみのような朱唇とは不似合いな、肉食動物じみた歯列。特に犬歯が目立つ。肉を 噛み裂ける鋭さがある。    片手に物騒な品を下げている。これもまた夜光を跳ね返している。  抜き身の剣である。  ひどく大きい。彼女の身の丈ほどもある刃渡りは、人の手足の上に乗せただけで、自重で 真っ二つに切り落としそうだ。そんな無骨な造りとは裏腹に、その刃は名匠の業による品だ けが持つ危険な煌きを放っている。  この莫迦げたサイズの剣を、少女はこともなげに取り扱っていた。こちらの方がよほど冗 談ごとだった。    最後の光は剣身の根元にあった。  二つの赤い宝珠が不揃いに埋まっている。生あるものの眸(め)のように、それらは赤く 輝いていた。      物音を立てず、モードは声=\―念話通信と呼ばれる精神感応手段で、自分の思惟を相 手に送った。   『打ち合わせ通り、先攻は宗助くんでお願い。あなたの制圧射撃後に私が斬り込みます』 『了解であります、モード・エヴラール分隊指揮官どの』    おどけた調子で相手――咲中宗助(さくなか そうすけ)は続けた。   『ひょっとしたらニ、三発、指揮官どのに当てちゃうかもしれないけど、そん時はすみませ んであります』 『大丈夫。私の制服もあなたと同じで耐衝撃仕様だから、アストラル処理がしてあっても小 銃弾くらいなら平気よ』 『……いや、冗談だよ。いくら俺が射撃下手でも味方に当てないって』    宗助は苦笑した。あくまで真摯に応対していたモードは現実に赤面した。   『ご、ごめんなさい。気が回らなくて』 『いや、そこは任務中にふざけんなって怒っていいけどな。桐生あたりだったら、生ゴミで も見下ろすような気配≠送ってくるぜ、多分』 『魔理佳にそういう事を言って、実際にそう反応された事、あるのでしょう?』 『あーその、実を言うと、うん』    二人は声を出さず、くすっと笑い合う。  笑いを引っこめた宗助の念信は、一転して生真面目なものになる。   『それはそれとして、いつもの事だけど、君は出来る限り止めを刺すなよ。動けなくさせる だけでいい。後は俺が始末する』 『何とかやってみる。――気を使わせてごめんなさい、宗助くん』 『それも謝る事じゃあないな』    モードは足を止めた。  ちらと廊下の奥に目を遣った。少し先に階段が見える。   『こちらも所定位置についたわ』 『了解。じゃ、おっぱじめるか。――武運を(ゴッドスピード)』 『あなたにも、ね』      突然、くぐもった破裂音が連続した。  銃声だ。遠雷のような響きは自動小銃から発射されたものだ。  発生源は別の階層だが、音自体は妙に近い。    銃声の中には叫喚も混じっている。  複数だ。人の声ではない。獣の声でもない。  強いて言うならば赤子の泣き声に近いが、時に鈍重で、時に甲高い。何より耳を塞ぎたく なる程のおぞましさ。こんな声を出す生き物などこの世にはいない。  驚いた様子もなく、モードは視線を足元に落とした。銃声も叫喚も、そこから発せられて いた。    モードは空間の一点を、そこよりも遥か彼方を見通すかのように光る目を凝らす。  ――現在モードはスピリチュアル・リンクを試みている。自然界に存在する精霊、乃至微 量なその残滓と精神的同期を行い、それらを通じて周囲の状況を探知する術法だ。  かなり遠隔地までも見通すことが出来るが、完全な入神(トランス)状態に陥らず、意識 を保ったまま情報を引き出すのは、精霊魔術の中でも高等技術に属する。  牙持てる少女の脳裡には、一つの映像が浮かんでいる。雑霊(ノイズ)の干渉波で幾分ち らついているが、現在真下の階で行われている戦闘の図だ。    モードの足の下、二階の廊下では、轟音と閃光とが踊り狂っている。  すぐ先にある階段、その二階部分の入り口脇に潜み、小銃を連射している人影がある。  やはり制服を着た少年だ。黒髪と同じ色の瞳。目立たない顔立ちは、登下校の生徒の群れ に混じれば、すぐ見分けがつかなくなりそうだ。  モードの相棒(バディ)――咲中宗助だ。  黒いグローブの両手が執るのはカービン・タイプの小銃だった。銃身(バレル)の短いフ ォルムは、いくつかの国の軍隊で採用されているごく標準的な品と似ているが、細部はやや 異なる。銃身の下部には小型のグレネード・ランチャーまで装備している。    カービン銃が火線を浴びせているのは、奇怪な一団であった。  ぶよついた灰色の巨体――どれも二メートルを越す――は、十近い数がいるだけで、廊下 全体が埋め尽くされたような圧迫感を与える。  一度も陽の光を浴びた事がないような灰色の肌は、何の薄物も纏ってはいない。  砲弾のような流線型の頭は、あろうことか鮫そっくりだ。ただし目はない。  二重に並んだ乱杭歯が、そこかしこで弾ける銃弾の雨に向かって剥き出され、音程のねじ くれた怒号が発せられる。  それぞれが手斧や槍、棍棒などの武器を手にしている。それを扱える程度の知能はあるの だろう。      こんな生き物はこの世にはいない。――いる筈がない。  魔物だ。  シギュワリというのがこいつらの分類上の名称である。向こう側=\―次元を隔てた異 世界より現れ、こちら側≠ノ仇なす侵略者(インベーダー)なのだ。      宗助の念信が入った。銃撃戦の最中だというのに、先程軽口を叩いていた時と様子は変わ らない。中々どうして、見かけほど只者ではないようだ。   『いい感じに敵さんをかき回せたかな。今度はそっちがよろしく』 『はい。――カウント・スタート。三』    銃声が止んだ。  モードは大剣の切っ先を床に向けた。    『―― ニ』  僅かに腰を落とすや、鉄塊が、金髪が舞った。  軽やかに、かつ優雅に。コンパスで円を描くように、モードは自分を中心とする円周を、 回転させた大剣の切っ先でなぞったのである。    階下では、銃撃に足止めされていた怪魔の群れが、どっと宗助目掛けて殺到する。   『―― 一』    ブーツの片方が上がり、ぽんと床を踏み鳴らす。『ゼロ』と告げた少女の体勢が、がくん、 と下がった。  モードのいる階の床が――下のフロアにいるものからすれば天井が崩落したのだ。モード が揮った剣閃により、直径三メートルの巨大な円形にくり抜かれた部分が、階下のシギュワ リどもの頭上目掛けて。  その鉄筋コンクリートの円盤に載ったまま、少女自身も諸共に落下した。    最前、宗助が念じたかの如く――モードの動きは神速(ゴッドスピード)だった。  落下の途中で円盤を蹴り、脇に飛ぶ。階下の動きを読みきり、狙い済ました円盤が怪物軍 団を押し潰した時には、それを逃れた一体へ宙空から斬りつけている。  ひと太刀で首を刎ね、着地しざまに別の一体への突き。分厚い胸板を薄紙のように徹して、 更に突く。再刺突の勢で吹き飛ばされ、剣身からすっぽ抜けたシギュワリは床に叩きつけら れた。斬首された個体ともども、陸に上げられた魚のように痙攣し、すぐに動かなくなる。    唸り声とともに円盤状の天井板が持ち上がった。  いくら崩落してきた天井の下敷きになったとはいえ、それで死ぬほどやわな魔物ではない。 すぐさまコンクリートを押しのけて這い出してくる。    雄たけびを上げる魔物の群れを、今度は火線が万遍なく縫った。  階段脇から飛び出した宗助だ。モードの動きには決して抵触せぬ射軸を取りながら、彼女 へ襲いかからんとする個体には牽制の域を越えた必殺打を叩きつける。  斬られ、或いは撃たれ、魔物どもは野太い悲鳴を発した。  有り得る事態ではない。魔物の中では低級に分類され、ごく下等な知能しか持たぬシギュ ワリらもそれは理解していた。  こちら側≠フ武器は、それが刃物であれ銃火器であれ、向こう側≠フ存在に対しては その威力を大幅に減衰させる。何らかの祈り、念、呪いといった隠秘学的被膜(コーティン グ)なしでは、異界の理に支配される存在に決定的なダメージを与える事はできない。      それは厳然と存在するのだった。モードの揮う大剣にも、宗助が撃つカービン銃にも。  アストラル処理と称される各種の特性を施され、科学と魔術という異質のテクノロジー同 士を止揚させた兵装。魔物たちへの鬼札(ワイルドカード)。――マギナ。  それを揮うもの達こそ、特務学術機関『Magina-Academia』が養成した対魔戦闘のエキスパ ートなのであった。        モードの黒いブーツが床を蹴った。振り下ろされた大ぶりの鉈は、旋転して飛び退く少女 の影にすら届かない。  そのまま三百六十度を回転。典雅な秀貌には似合わぬ凛然とした表情で、美しき乙女は死 の刃を薙ぎつけた。  モードの大剣は、本来なら室内で揮うには大きすぎる。描き抜かれる弧線の切っ先は、当 然周囲の壁や天井にも抵触しているが、それでいて剣速はいささかも低下してはいない。  壁を斬り天井を割り、まるで何もない空間を通り抜けたかのように、魔物の強靭な肉体を 骨肉ごと断ち切るのだ。  今も一匹が、壁際のロッカーごと腰の辺りで横一文字に両断された。    シギュワリたちも手をこまねいていた訳ではない。各々が得物で突きかかり、斬りかかる。 どの攻撃も人体など容易く破壊するだけの威力があるが、いかんせんモードの軽妙さを捉え られるものではなかった。  槍の、斧の、魔物の一撃が巻き起こす風圧に乗ったかの如く、モードは繚乱と躍る。    たたらを踏んだ魔物どもに銃弾の雨が降りかかり、彼らを怯ませる。  その隙を逃さず、少女は火のように攻めた。怪物は瞬く間にその数を減じさせていく。      一匹が叫びながら襲いかかった。  美しき剣士ではなく、冷徹なる射手へと手斧を叩きつける。  宗助は銃把から左手を離した。斧の刃先を恐れぬのか、大きく踏み込みながら左掌底を眼 前に旋回させる。  黒いグローブの手刀は手斧を揮ってくる怪物の手首を強打した。  同時に火花が散るような足払い。  運動力学上の理法に導かれ、一回転した怪物の巨体は頭から床に激突した。    呻く魔物の口中へ、宗助は銃口を突き立てる。片手保持で三点バーストをニ射。  シギュワリの頭部は熟柿のように四散した。    と、カービン銃の筒先が、電光の速さで上を向く。  銃口の先にはモードがいた。大剣を構えながら宗助目がけて馳駆してくる戦乙女が。  引き締まった二人の表情は変わらない。  大剣が振り上がる。銃口が流れる。モードと宗助は、互いに必殺の一手を放った。    飛び違い、背中合わせになり――各々の敵へ目掛けて。  唸る飛剣は一体のシギュワリを真っ向唐竹割りにし、銃弾の牙は最後の一体を噛み砕いた のだった。       「――状況終了」    念信ではなく口に出してモードは言い、大剣型マギナ――『ネガキャリバー』を虚空に一 閃させた。剣にこびりついた血脂が振り飛ばされる。  剣の根元にある宝玉が光を帯びた。びくりとモードの体が震える。  何かを嚥下するような少女の震えは、すぐに収まった。    その時には、モードの双眸に宿る燐光は消えていた。スピリチュアル・リンクを解除した のである。  辺り一面に狭霧のような白煙が立ちこめている。硝煙だ。それともう一つ。  床には散々に切り刻まれた魔物の骸が散乱し――と見えてそうではない。    ふつふつと、何かが煮立つような音がしている。  モードたちが斃したシギュワリの死骸だった。  頭部、手足、或いは胴体。斬られ、撃たれた死体の全てが溶け崩れ始めている。骨も肉も、 見る間にタールのようなどす黒い粘液になったかと思うと、悪臭と白い瘴気を放ちながら蒸 発していく。  魔物がこちら側≠ナ肉体的死を迎えた場合――その死骸は速やかに粘塊状に変わり、更 に急速に気化・霧散する。種族や個体によって差異はあるものの、この現象自体は概ね変わ らない。魔物に対する生物学的研究が遅々として進まぬ所以だ。      周囲の壁には、巨大な爪で引き裂いたような痕が縦横に走っている。『ネガキャリバー』 が猛威を振るった結果だった。  モードは小さく嘆息する。傍らの宗助を振り返り、恥らうように、   「その……少し派手にしすぎてしまったかもしれないわね」 「少し≠ゥかなり≠ゥで言ったら、間違いなく後のほうだなあ」と、宗助は相棒が切り 崩した天井の瓦礫を眺めた。  腰のベルトから予備弾倉を抜き、カービン銃型汎用マギナに素早く交換する。   「しかしま、終わり良ければオールオッケー……なんでない? 多分」  にやりと笑い、宗助はまだ熱い銃口を軽く吹く。  立ち上る硝煙は闇のどこかに消え去った。     【To Be Continued】       ■学園マギア■ 魔術と科学が混濁する世界。 人は”マギナ”と呼ばれる武器で魔術を行使し、科学をもってこれを鋳造した。 マギナとはマギ(魔法)とマキナ(機械)が組み合わされた造語である。 人は戦わねばならなかった。 心を持たぬ機械のように無慈悲な殺戮を繰り返し、飢えた獣の如く人間を喰らう異界の魔物達。 そして、それを利用する悪しき人間達と。 魔物の肌は鉛も火薬も通す事無く、ただ、マギナによる攻撃と魔術でのみで駆除する事ができた。 しかしマギナを自在に扱う才を持ち、魔物を駆逐できる力を持つ人間は極わずか。 そして素質ある一握りの子供たちを集め、実戦を経て人を守る教育機関が創られた。 特務学術機関「Magina-Academia」 年端もいかぬ少年少女に高度な魔術とマギナによる戦闘技術を教育し、 形だけの学生生活を味わわせるその機関を、人は『学園マギア』と呼んだ。 社会を守る為の生贄の兵士。彼らは何を思い、何を成すのか。     ■学園マギア■ モード・エヴラール 特務学術機関「Magina-Academia」所属。18歳の金髪ロングストレートの少女。 白い瞳で口元には鋭い牙が生えている。 物静かで思索的な性格でやや内罰的な傾向がある。 人当たりがよく面倒見もいいので、後輩達からは慕われている。 「吸魂」のアストラル処理が施された両手剣型マギナ『ネガキャリバー』 人間でも魔物でも斬り殺した相手の魂魄を吸収し、自分の傷を癒したり魔力に変換したり出来る。 しかし異質な存在である魔物の魂魄を過剰に吸い続けると、使用者は徐々に魔物へと変貌していく。 歴代の使用者は完全に魔物化する前に全員戦死している。 彼女も元々青かった瞳が白くなったり(視力は逆に異常向上)、牙が生えたりと魔物化の兆候が 出始めており、魔術や薬品で症状の進行を何とか抑制している。     ■咲中宗助(さくなか そうすけ)■ エヴラールと同年代。黒髪黒瞳(但し絵柄によって若干変化する) 性格は普通で容姿も普通だが妙にもてない。魔物に恋人を殺された為、自らマギア学園に編入。 魔力を操る才能が無いため、後天的に自ら四肢へマギアを移植。隠れて肉体鍛錬や識学向上に励んでいる。脱ぐと凄い。 経歴について黙秘を貫いているため、周りからはちょっとアホでそこそこの能力の普通の子という印象。その他の設定は、ストーリー構成上の都合に任せる!     ■学園マギア■ シギュワリ 下級に分類される魔物。群れをなして出現する事が多い 体長二メートル強で、灰色のぶよぶよした人間の体に目のない鮫のような頭部を持つ 槍や斧などの武器を持ち、怪力で振るう反面、素早さには欠ける そこそこの魔法無効化能力があるので、魔法のみの使い手は苦戦する恐れがある 凶暴だが知能は低く、大抵は上位の魔物などによって使役される