■YAO掌編■ 〜フラワリ―・ホワイトデー〜 「今日これから暇ある?」  いつもの帰り道の途中で先輩は、急にそんな事を聞いてきた。3月も半ばになって春の明るい日差しになりかけているけど、まだ少し肌寒い。 「えーと、これからですか?」 「あー……」  きょとんと首をかしげる私を見て、先輩は視線を左上に逸らしつつ頭を掻き始めた。これは何か失敗したと思った時の、先輩のいつもの癖だ。  面倒くさい人間を自称する割にそういうところが分かりやすいのだと、この人は未だに気付いていない。 「いや、忙しいなら良いから。うん、別に大した事でもないし、お前も色々予定あるだろうしな。悪かったな変な事言いだして」 「丁度とーっても暇なのですよ」    しどろもどろ言い訳を続ける先輩の慌てぶりをひとしきり楽しんだ所で、言葉を遮る形で軽い口調で答えを返しておく。  言い訳が途切れてしまうとこの人は意固地になるし、あまり気遣った様な返事をすると気を遣わせた事に気を遣う。慌てる様を愛でる楽しみと 両立させるにはタイミングが大事なのだ。  だけど、ベストのタイミングだったはずなのに、先輩はヘの字口を一層曲げるようにしてこっちを睨んできた。 「……どんどん意地悪くなるよな、お前」 「そうですか? なら、先輩のご指導の賜物ですね」  しれっと返すと、それ以上は何も言わずに、でも恨みがましい目だけは一層強めてきた。自分では怨念を精一杯演出してるつもりなのだろうけ れど、どうしても子供がへそを曲げてる様にしか見えない。  思わずくすっと笑いそうになるのを必死に我慢する。流石にそれをやってしまうと完全につむじを曲げさせてしまう。 「あーもう。とにかく暇はあるんだな。じゃあちょっとお付き合い願えますか、お姫様?」 「喜んで、王子様」  お姫様と呼ばれたのだから王子様と返すのは当然だと思うのだけど、聞いた途端に顔を赤くして頭を抱える先輩。  毎回後悔してるのに毎回呼んでくるのは何故なのかしら。  自分は従僕ぐらいが良いと心底思っている人だから、そう扱ってほしいのかもしれないけど、世の中はそんなに甘くありませんよ? 「それやめて、王子様とかマジやめて。ほんともうお願いだから、悪かったから。あ、ドドメキ一旦切ってもらえる?」 「サプライズですか?」 「ってほどでもないけど。まあせっかくだし」 「分かりました」  いちいち飽きさせないこの人に、今度こそくすりと笑って。そして私は一時的に視界を失った。  何も分からない道を先輩の手に引かれて行く。  いつもの帰り道を逸れて、駅の雑踏を抜けて、電車に乗って、数駅を過ぎて、電車を降りて、またしばらく歩く。  自動ドアの音、受付らしき人と先輩のやり取り。どこかの施設だろうか? そして石畳の道をしばし歩いてから、先輩は急に私の鼻をつまんだ。 「ふにゃっ!? ふぁにふるんでふぁ!」 「まあまあ、もう少しだから我慢して」  肝を潰した私の抗議を適当に流しながら更に進み、 「はい、もうドドメキ起動して良いよ」  言われて再び開いた視界に飛び込んできたのは、一面の極彩色だった。  赤、青、白、紫、黄色、オレンジ、ピンク……とにかく色とりどりの花が視界を覆う様に咲き誇っている。  同時に鼻をくすぐる芳香も感じ取って、先輩が私の鼻をつまんだ理由も理解した。これだけ香る匂いなら見る前から分かってしまう。  色彩と芳香をそれぞれの感覚器官で思い切り吸い込むと、その両方が頭の中を感動と喜びで彩った。 「わぁ……ここは……」 「植物園の観覧温室。特にここのは種類と色彩の豊富さでは西日本で一番とか何とか紹介で謳ってる」  私の感嘆に、先輩は味もそっけもない解説を返してきた。今度は私が恨めしげに先輩を睨みつけると、彼はちょっと首を傾げて来た。  気が利いてるのか野暮なのか、この人は本当に分からない。 「お気に召さなかった?」 「いいえ、最高のサプライズです。でも、どうして?」 「花束ってのも考えたんだけどさ。柄じゃないし、貰っても処分に持て余すと思って。お前普段は目見えなかったりするから尚更」 「いえ、そうじゃなくて。何で急にこんな?」  問われて先輩は視線を左上に向けた。自分でもおかしな事だと思っているのだろうか。 「今日、ホワイトデーだしね」 「……お返しなら、もう貰いましたよ? チョコと交換でマシュマロとクッキーの詰め合わせをくれたじゃないですか」 「その後、ワンピースを贈ったり日傘を買ったりねー。  早めに済ませたかったんだけど、当日に何もなしだとそれはそれで引け目感じる気がして結局ね」 「……先輩、実はばかでしょう」  やっとのことで、言葉を紡ぎ出す。知り合って数年経つけれど、この人はいつもこんな感じだ。私は顔を上げて、少し高い位置にある 彼の片目を見上げる。  すると、先輩は左目を覆う様に顔に手を当てた。本気で自己嫌悪してる時に見せる仕草だ。 「言うな。分かってるんだから。性分なんだからしょうがないじゃん」 「褒めてるんですよ。先輩はばかだけど、私にとっては最高のばかです」 「おい……」  バレンタインデー、先輩はチョコを美味しいと褒めてくれたし、お返しもその場でくれた。私はそれだけでもう、満足していたというのに。  こんなに四六時中、私の事を考えていてくれるなんて、人によっては重過ぎるのだろうけど私にとってはストライクのど真ん中だ。  伝わっているのかいないのか、ジト目でこちらを睨む先輩は、またしても視線を左上に上げる。どうやらまだ自分に課した課題は終わ っていないらしい。  人の事を考える自分の都合で動くのが、この人だ。 「あーまあ、なんだ、その、残らないものだけってのも何だしね。こういうものとかどうかなと思ったんだけど、いる?」  そう言って鞄から取り出してきたのは、押し花を使った一枚のしおり。押し花を貼り付けた台紙をアイロンフィルムで包んだシンプルな それは、普通のしおりより大きくてあちこち不格好だけど、だからこそ先輩が一生懸命手作りしたのだという事が伝わってくる。 「いります。是非欲しいです。お願いします」 「いやそこまでお願いされるようなもんでも。丁度ここの植物園が押し花の作成指導教室とか開いてたから作ってみただけだしさ」 「いえ、ありがとうございます。嬉しいです」  そんなありきたりな言葉しか、出てこない。  私はしおりを受け取ると、押し花に顔を埋めるようにうつむいた。  しおりにするには少々大きめの花だ。白い六芒星のような花弁をした分厚い花弁は光沢を持って蝋細工の様にも思え、押し花となっ てフィルムで包まれてなおかすかに香る芳香は、元の香りの豊潤さを残している。  見た事のない花だった。 「これはなんていう花なんですか?」 「アングレカム。別名エレファント・オーキッド。本来なら南アフリカとかマダガスカル辺りに咲いてる洋ランの一種だってさ。お前の趣味 に合ってりゃ良いんだけど」 「たった今、大好きになりました」  涙を流してしおりをぎゅっと抱きしめたい衝動を我慢する。それをするのをこの人はきっと喜ばない。  いつも、いつも、私は彼によって満たされる。……彼が私に何も求めていないと、私に満たされる事はないと知っていても、だから何 かを返したくて一生懸命になるけど、その上を軽々と行かれてしまう。  それがたまらなく悔しい時もあるけれど、この一瞬だけはその事が凄く嬉しくなるんだ。                     ■  時間が遅くなったので、途中で夕食を食べて帰る事にした。  先輩はそこまでは考えていなかったらしくて、入ったのはロマンチックとは程遠いラーメン屋さんだったけど。  完璧なプランよりも詰めが甘い方が先輩らしい。 「ところで、なんでわざわざアングレカムにしたんですか?」 「特に意味は無いんだけどね。偶々薦められたのがそれだっただけ。押し花には難しい花でさ、もっと楽なのにしときゃ良かったかも」 「ばかですね」 「ごもっとも」  顔を見合わせ笑う。  ポケットに入れたしおりから漂う芳香が、店に充満するラーメンの濃い臭いさえもうち消して鼻梁をくすぐるような気がした。                       ■  翌日、みっちゃんに頼んでアングレカムの花言葉をこっそり調べてみた。 「祈り」「いつまでもあなたと一緒」  これは、本当に他意は無いのだろうか。  面倒くさそうで実は分かりやすくて、でもやっぱり肝心な所は掴ませない。  先輩は、本当にずるい人だと思う。 ■終■