■YAO掌編■       〜 さくら、さくら 〜 「綺麗ですね……」 「お前はもう少しボキャブラリー増やした方が良いと思うよ。何見てもそれしか言わないじゃん」 「だって本当に綺麗なんですもの」 「それ反論になってないからね?」  とまあ、柄にもなく二人で桜見物と洒落込んでいる訳だったりして。  本当は、舞い散る桜の下でインクラインの枕木に二人で腰掛けたいというのが綾川の要望だったのだが、流石にそれは御免こうむるので、 学内の桜並木を軽く歩こうってとこで手を打たせた。  はらはらと散る花びらがしんしんと降る深雪なら、時折吹く風に一気に吹き散らされる様はまさに『桜吹雪』のようだ。  雪を連想したせいか、春だってのに背筋に少し寒気が走った。  迷い桜だの、人を酔わせる魔力があるだの、死体が埋まっているだの。考えてみると桜はむしろ妖しい逸話の方が多い。 「見て見て、先輩! 凄いですよー」  俺の少し前を歩く綾川は、落ちてくる花びらの中で手の平をいっぱいに広げてくるくる回っている。  こいつがこれだけ喜ぶなら、花がまだある内に来れて良かったか。出不精を押した甲斐も少しはあったってもんだ。 「あんま一人で先に行くなー」 「分かってますよー」  風が吹くごとに叫ぶ。  叫ぶたびに綾川は笑い声と一緒に返してくる。 「おーい、綾川さーん?」 「何ですかー? 風が強くてよく聞こえませーん」 「だからー……」  ひと際強い風が吹いて、綾川の声が届かなくなる。ほんのり色づいた白い姿も吹雪の中に見えなくなった様な気がして、思わ ず駆け出して手を伸ばした。  伸ばした手をぎゅっと握り返される。それも指を絡めるようにしてしっかりと。いつの間にか綾川は俺の目の前にいた。  ちゃんと、そこにいた。 「どうしたんですか?」  悪戯っぽいつもりで何も分かってない笑顔。  つい、静かに敵意を込めて睨んでしまう。 「あんま一人で先に行くなって言ったろ。見失ったらどうすんだ」 「そんなに離れてなかったじゃないですか」 「お前はさ」 「え?」 「お前は、本当に……」 桜みたいなんだから。  白い花びらに淡く落ちた薄い紅。  細くしなやかに大きく広がる伸びやかな枝。  薄くて儚げで、目を離すと桜に溶け込んでそのまま雪の様に消えてしまいそうに錯覚してしまう。  もの思いを断ち切る様にまた風が吹き、ビクリと揺れる。いつの間にか指先の感触が無くなっていた。  代わりに腕に温かいものが押し付けられる。  「じゃあ、これなら良いでしょう?」  俺の左腕に腕を絡めて立つ綾川がぷうと頬を膨らませてこちらを見た。 「文句は言わせませんよ。離れるなってうるさく言ったのは先輩なんですから」 「言わないよ。今回だけは」  そんな返しに驚いた様に目を丸くした後、春のように柔らかく笑う。  まあ、今だけは良いか。  この温かさは、こいつが確かにここにいるっていう何よりの証みたいなもんだから。  俺の腕に顔まで埋めるみたいにごろごろとしがみつく綾川と一緒にまた、桜並木をゆっくりと歩き出した。  なあ、王子様。  そう遠くない未来、こいつの隣に立って共に歩む誰かさん。  大丈夫、ちゃんと分かってるから。  あんたがお姫様を迎えに来たら未練がましさなんか見せずに、きちんと手を離すからさ。  だから、今だけはあんたの代わりにこいつを護っているつもりになっていても良いかな。 終