思い切り厭な音を立てて砕けた。    黒きヤオヨロズ、ヨモツイクサの頭部である。外装を粉微塵に破壊され、機械とも何らか の生体ともつかぬ部品と、粘ついた黒い膿汁のような液体が撒き散らされる。  フッと、剥き出しの赤い単眼(モノアイ)から光が消える。  崩れ落ちた。どう、と地面が揺るいだ。  それが最後の一体だった。      ――諏訪部玄一は、岸に打ち上げられた魚のように口を開閉させている。  本人はしたくてしている訳ではない。思うところを言葉にしたいというのが本当らしいが、 如何せん声にならない呻きにしかなっていない。    辺り一面では、彼の麾下にある黒い軍勢悉くが残骸と化していた。  頭部に胴体、手と肢と槍。全てが叩き斬られ、或いは叩き潰されて散乱する阿鼻叫喚の有 り様――ではない。吶喊も悲鳴も上げない神機(ヤオヨロズ)は、ごく静かに大破の時を迎 える。必然的に戦いが済んだ戦場は虚ろな静寂に包まれる。    レイズ=エグザディオは、巨大なる得物をぶんと血振りした。  銃と剣とが合体した剣身から、黒い飛沫が飛ぶ。散々に斬り捨てたヨモツイクサの血―― そう言ってよければ――だ。    最後の一体の頭部を破砕した連接式星球型マギナ『シューティングスター』の鉄球が、灼 けつくような唸りを発して跳ね上がった。  操り手たるコロナ・ストラウトの鎖捌きにより、彼女の足元に落下して止まる。   「誰の手と足を」と、コロナは横目で諏訪部を一瞥する。「どうするんだっけ?」     「ぜ……全滅!? 十二機のヨモツイクサが全滅!? 三分も経たずにか!?」      血走った目で諏訪部は叫ぶ。   「ば、化け物か……!!」        三分ほど、時間を遡る。黄泉の軍団が潰滅する少し前まで――。      ――巨大な銃剣を振り上げたレイズは、ちらと傍らに視線を走らせた。  地面に刺さったヨモツイクサの槍と、コロナとの間に張られた長い鎖。槍先に鉄球ごと鎖 を絡み取られ、身動きの取れない彼女を庇うように、竜人は体勢を動かそうとした。  その意図を読んだのか、コロナは凛然とした声で、   「私は大丈夫! そっちの敵は任せたから」    軽く片目さえつむった。レイズは呆気に取られた顔になり、   「――良し。任された」    きゅっと笑った。力強い笑顔だった。      既にその時、ヨモツイクサたちは二人を押し包むように動き出している。  全十二体の内、諏訪部の直衛についたのが三体。コロナへは鉄鎖を封じた一体を含めて四 体、レイズへは五体の割り当てだ。  コロナへ向かう隊列へ、諏訪部は片手を振った。   「天津八罪ノ陣――串刺(ツェペシュ)=I」    甲高い音を立て、空中で三つの穂先が重ねられる。  一瞬でそれらを翻し、三機のヨモツイクサはコロナに襲いかかった。磔刑の罪人へ引導を 渡す処刑人のように、三つの槍が少女へと肉薄する。  諏訪部は含み笑いを堪えかねる声で、   「くせっ毛、なぁにが大丈夫なんだお前。言ってごらん」 「くせっ毛じゃない」と、コロナは叫んだ。「私の名前はコロナだって……言ったでしょう がぁッ!」    『シューティングスター』のグリップ部分にあるスイッチを押しながら、少女は地を蹴る。    三つの黒い鋼が走り――だが可憐な悲鳴も、凄惨な血飛沫も生じなかった。突き出された 三本の槍が穿ったのは、全て虚空のみだ。  間一髪、刺突をすり抜けたコロナの姿は、傍目には飛行しているように見えた。  地面と平行に、砲弾さながらの速度で飛んでゆく。鎖に引っ張られ、縫い止められた鉄球 目掛けて。    彼女のマギナには、その長い鎖をスイッチ一つで巻き取る機構が搭載されている。本来は 巻き取るべき鉄球の方が槍で固定されている為、その大出力の機構は、『シューティングス ター』本体のみならず、コロナをも鉄球の方へとたぐり寄せる形となったのである。    少女自身が流星(シューティングスター)と化しての突撃を前に、鉄球を押さえ込んだ一 体は、束の間躊躇する動きを見せた。槍を引き抜いて迎撃するか、敵が奪い返しにきた鉄球 を堅守するか。  迷った数瞬が明暗を分けた。コロナは再度グリップ部分のスイッチを入れる。  豊かな胸元を震わせつつ、マギナ使いの少女は空中で体勢をひねる。  巻き取りを停止したのだ。スライディングの要領で爪先から地面に滑り込む。  ヨモツイクサが槍を引き抜く前に、鉄球と鉄鎖は蛇のようにうねり出す。互いに接近した 事で、絡まった鎖が緩んだのである。    コロナは手元の鎖を絞った。  開放された鉄球が、今の今まで己を戒めていたヨモツイクサに牙を剥く。まるでアッパー のように顎の部分を直撃し、黒い顔面を下から砕いた。  鉄球はそのまま天に駆け上った。一回、二回と旋回するや、     「彗星鎚(ツイフォン・アタック)=I」      背後から強襲して来た三機へと、今度は駆け下る。夜闇を切り裂くほうき星の如く。  鉄の彗星の直撃を受け、ヨモツイクサたちの頭が、胴体が、順繰りに破裂した。        五本の黒い長槍は同時に、それぞれ寸分違わぬ仰角を執り、全く同じ速度で進んで来た。    レイズへと襲来する五機のヨモツイクサである。  まるで大量生産の規格品だ。ヨモツイクサたちは、だからこそ軍隊であり、兵士そのもの であると言えた。組織立って運用される有象無象は、一人の英雄を凌駕するのだ。    レイズの左手が柄から離れる。大きな掌は、腰に吊った短剣を一度に七本も抜き払った。  鋼の刃ではなかった。紫水晶を削りだしたそれらは、深みのある光沢を放っている。   「牙紋(ファング・エムブレム)=v    短く鋭い呪言。七本の短剣全てが紫の魔光を強める。  と、レイズは七本全てを手裏剣撃ちに投じた。  七つの閃光がえがく軌跡は直線ではない、稲妻状だ。或いは加速、或いは減速、追い越し 追い越され、上昇し下降する短剣は、回避もあたわぬ横殴りの雨となって黒い軍勢に降り注 ぐ。    そう、これは単なる投擲術ではない。レイズの魔力で制御され、全方位(オールレンジ) を自在に飛翔する遠隔誘導弾頭(マジック・ミサイル)なのであった。      一瞬、ヨモツイクサの戦列は止まった。  射ちこまれた短剣が五機全てに突き刺さったのだ。巧みに装甲を避け、関節部だけを狙っ た精密射撃に、さしものヨモツイクサも陣形を乱れさせざるを得ない。    尻尾と服の裾が翻る。  その僅かな乱れへねじ込み、こじ開けるように、レイズは猛然と突入した。  右からの袈裟懸けの一閃。一体を斬って落とすや、摺り上がった刃は合わせて来た二体目 の槍先を弾き、今度は左袈裟に斬った。  三体目が突き入れた槍のけら首を、竜の手は無造作に掴んで止めた。  押してくる力に逆らわず、レイズは槍を引っ張る。思わず引き摺られ、相手の体勢が泳い だ所へ、今度は逆に突き返す。しかも相手の突きよりも速く。  謂わばカウンターとなって襲い掛かった槍の石突きは、使い手たるヨモツイクサの胸部を ぶち抜き、完全に貫通した。    崩れ落ちる三体目から離れ、次に薙ぎつけた刃が止まった。  相手の胴体半ばにまで斬り込んだものの、完全な切断には至らなかったのである。  レイズは素早く片手を剣の柄から離す。痙攣する黒い槍が突き返される前に、竜の指は銃 剣の引き金を絞り込んだ。    紫光が爆ぜた。  零距離から魔力弾の猛射を受け、四体目のヨモツイクサは上体をほとんど二つに千切られ て吹き飛ぶ。  そこから剣身を引き抜く勢いを利して、レイズは振り返りざまに刃を揮った。  背後の、そしてレイズへ襲ってきた最後のヨモツイクサの首が両断された。     「――百人斬り(マス・ゲノツィート)=v      一対多数を制する乱剣技の精髄。その名を静かに呟きつつ、レイズは黒い血脂に濡れた銃 剣を構え直す。  コロナも鉄球を振り上げる。諏訪部の直衛についた三体が、まだ残っていた。        ――そして、現在。      己が軍団の全てを破壊された諏訪部は、ぐらりと体勢をよろめかせた。  口元を押さえて呻く。濁った吐瀉音と共に指の間から滴ったのは鮮血だった。   「ちょ、ちょっと大丈夫!? まだ何もやってないよ!」    コロナは慌てて言った。命のやり取りをしていた相手を気遣うおかしさを、本人は自覚し ていない。  「いや」とレイズは首を横に振る。   「召喚魔法の中には、喚び出す神霊や魔獣と肉体的にも霊的にも直結するタイプの術がある。 召喚された方が傷つき、或いは死亡すれば、召喚した方もその運命を共にする形式だ。  見た所、奴と奴の使役する対象の関係は、これに近いのではないかな。……つまり、我々 がやった所為ではある」  「フィジカル・リンク係数が無闇に上昇してやがる……。糞が」    諏訪部はまた少し血を吐いた。レイズは静かな口調で、   「これで、改めて二対一だ。勝負は決したと俺は見るが」 「は? どこが?」    諏訪部は引き攣ったような血笑を浮かべる。   「ねえ、もう止めようよ……」    哀しげに言いかけたコロナは、背筋へ氷柱でも当てられたかのように硬直した。    レイズの背後――折り重なって倒れている、数機のヨモツイクサの残骸から、黒ずんだ瘴 気が滲み出しているのだ。   「――! レイズ、後ろッ!」    戦慄の叫びより早く、残骸を押しのけて黒い影が飛び出した。      黒影は颶風(ぐふう)の如くレイズに迫る。魔物の迅さだ。  黒い右腕が叩きつけられるのと全く同時に、巨大な銃剣が迎え撃った。    鋼と鋼が激突した。    彼我の攻撃は停止した。寸毫の狂いもなく、銃剣の刃は突いてきた尖端を受け止めたので ある。  レイズは片目をすがめる。  黒影――新たなヨモツイクサが突き入れたのは槍ではない。右腕下膊部の外側に取り付け られた、縦に長い機械装置。そこから鋭く突き出た金属製の杭だった。    今までの機体と基本的な大きさやフォルムは同じだが、細部は異なっていた。  まず、両肩や脛から爪先までを白い装甲が覆っている。背中の左側には片翼のようなユニ ットが一機。身長ほどもある槍のような、黒く長細い棒状のものが二本、並列に伸びている。  左腰に搭載されているのは明らかに火器の類いだ。銃口にしては大きすぎる穴が四つ、不 気味に開いていた。      ――違う。こいつは今までに斃したのとは違う。  コロナは恐怖に近い感情を覚えた。それが放ってくる威圧(プレッシャー)の凄まじさは、 十二機のヨモツイクサ全てを凌駕していた。     「お見事」と、からかうように諏訪部は拍手した。   「だが、避けるべきだったな。防ぐのではなく」    大口径のライフル弾のような爆裂音が、竜人の巨体を跳ね飛ばした。五メートル以上も軽 々と飛び、背後の地面に叩きつけられる。  「レイズ!?」とコロナは叫ぶ。すぐ身を起こしながら当人は「杭射ち機か」と呻いた。  それは高速で射出された杭の仕業だった。その撃発力が、剣ごとレイズを打ち据えたので ある。   「東日本自衛軍特製のシールドバンカーさ。気に入ってくれたか?」    鉄球が飛んだ。  黒白のヨモツイクサは跳躍し、あっさりと上方に避けた。  コロナは目を剥いた。  跳躍ではない。飛び上がったまま落ちてこないのだ。黒白の影は上昇を続けている。  そう、まるで遊弋する巨大怪鳥のように。    「飛んでる!?」    脚部の白い装甲、その足の裏から火炎が尾を曳いていた。ロケット噴射による推力が、本 来は陸戦型の黒いヤオヨロズに翼を与えているのだ。    飛び回るヨモツイクサの腰で噴炎が閃き、炸裂音が弾けた。  続けざまに四つ。銃声ではない、もっと大きい。  砲声だ。白煙の尾を引き、自分達に向かって急速に下降してくる飛翔体を見分けて、コロ ナは蒼褪める。  ――ロケット弾!   「レイズ、逃げて!」    駆け出す二人の鼓膜を、爆発音がつんざいた。  凄まじい炎が立ち上った。  砲弾は猶も連続した。地面で真っ赤な炎が噴き上がる。爆風が掘り起こした土くれが、ぱ らぱらと大量に降りかかる。    その中をコロナとレイズは馳せる。追い立てられる獣のように。  地獄だ。熱風がうねり、炎と鉄が狂乱する地獄だった。     「まだだぞお前ら。これで終わりだなんて思ってくれるなよ」    小気味良い音を立て、諏訪部は指先を打ち鳴らす(フィンガー・スナップ)。  ヨモツイクサは空中で停止した。仁王立ちのような体勢で下界を睥睨する。  その背面で、搭載された奇怪なユニットが動いた。  アーム状のギミックが下方を指し示す。尖端にコロナ達を捉えた長い二本の棒と、その間 にある空隙に紫電が生じた。   弾ける。細い糸でしかなかった電光は、次第に太さと輝度を増し、眩いロープのようにな ってのたうち回る。    電磁誘導を利用し、弾体を超加速させる砲撃兵装――片翼のようなこのユニットは、実の ところ電磁投射砲(レールガン)なのだった。      その超絶の破壊力を知ってか知らずか、レイズは魔のしろしめす天を見上げた。炎も噴煙 も冷めやらぬ中、息を荒げるコロナをかばうように立つ。  紫水晶の短剣を数本、抜き払う。無造作に投じた。  それらは意思あるかのように撥ね上がり――いいや、あるのだ、レイズの意思が――何も ない宙に一点、その下の地面に四点、計五箇所に突き刺さる。  それぞれを頂点として線で結べば、二人を取り囲む四角錐(ピラミッド)となる地点に。   「牙壁(ファング・ウォンド)=v    低く誦すと共に、二人の体を薄い紫の光が覆った。発光しているのは点で構成された面だ。  結界だ。ピラミッド状の魔法障壁が展開したのである。     「足掻け足掻け」諏訪部は邪悪に笑い、「――小型電磁砲アカフジ=A発射」       忠実なる彼のヤオヨロズはその命令を実行に移した。    鋭角的な残響を上げ、二本のレールの間から何かが発射された。  灼熱のプラズマと化す速度で放たれた火箭は、紫のピラミッドに着弾し――。  世界は震撼した。  恒星が生まれたような爆発の白光は、聴くものの耳を聾しながら空穴区画に轟き渡った。        硬い音を立て、何かが転がってきた。  諏訪部は足元に視線を落とす。つまらなそうに鼻を鳴らした。  得意先へ向けるような微笑で固まったまま、二つに割れた顔面。先程倒した山下鉄兵の頭 部だった。爆発に巻き込まれたのだろう。    抜け目なく後退し、爆風を避けていた諏訪部は、立ち上る噴煙の奥に目を凝らした。  薄っすらと晴れていく煙の向こうに、人影が二つ。    ――言うまでもなく、コロナとレイズの二人である。  どちらも惨憺たる有様だ。衣服はあちこち破れ、体中で大小の傷や火傷が痛々しい有様を 見せている。  コロナは荒い息をついた。  鋼線や鉄板が編みこまれたレイズの導士服ほどではないが、『学園マギア』の制服も見か けよりは頑丈だ。簡易的な帯呪(エンチャント)により、防熱や対衝撃の備えもある。  レイズの結界が電磁砲の威力を大幅に減衰させていたとは言え、そうでなければ負傷程度 では済まなかったろう。    レイズは静かに言った。鋭い眼光には、いささかの翳りも見られない。   「……俺の記憶違いでなければ、お前は我々を連行すると言っていたようだが。連行とは相 手を消し炭にする事か?」 「これ位しのいでくれなけりゃ、わざわざ実験材料にする意味もない」    諏訪部は冷然と言い放つ。  新たに出現したヨモツイクサは、その頭上数メートルをゆっくりと滞空している。   「お前らが散々潰してくれたのは、ただの従機に過ぎん。見るがいい、これこそが帝神の技 術で改修を重ねた、真なる俺のヤオヨロズ――ヤルダバオト計画三號試験機『ヨモツイクサ mk-4』よ!」      右手には接近戦用のシールドバンカー。小型電磁砲アカフジ≠ニ四連装ロケットランチ ャーで、火力は十二分以上に底上げされている。  増加装甲(シグナルアーマー)で防御力をアップさせただけでなく、脚部に装備されたJ (ヤルダバオト)ハクトブースター ――同じ帝神学園の某生徒が持つブーツ型のヤオヨロ ズ『ハクト』を模した推進装置――により、限定的な飛行能力すら有している。  死の世界の鬼どもを統率する魔神に相応しい威容であった。     「――貴様ら、いつまで寝ている。立て! 玉と砕けて花と散ろうが、我が敵を殲滅せよ!」    諏訪部は鋭く叱咤する。    地面で闇色の影が蠢く。――紅く光る眼、眼、眼。  ああ、コロナとレイズによって撃破されたヨモツイクサたちが、再び立ち上がろうとして いるのだ。  損傷が直っている訳ではない。斬られたまま、潰されたまま、それでも見えぬ糸に動かさ れる操り人形のように這いずり出す。    さながら、現し世と幽り世の国境まで逃亡者を追った魔鬼の眷属の如く。   「そんな……!」    コロナは慄然たる声を洩らす。諏訪部は余裕綽々の態で、   「新型増幅統制装置のお陰でな、こいつらのリモート感度は大幅に向上している。例え手足 を落とされようが、その手も足も這いずって敵を引き裂くのさ。――こんな具合にな」    視界の片隅を黒い影がよぎった、と知覚した刹那、コロナは反射的に飛び退る。  下腹部に灼熱を感じて仰け反った。    下から伸びた槍だ。その穂先は血塗られている――コロナの腹部を貫いた血で。    構えているのはヨモツイクサの腕、それも腕だけだった。  コロナ達の攻撃で断たれ、地面に転がっていた腕だけが、幽鬼のように槍を揮ってのけた のである。  コロナは歯を食いしばる。それでも苦鳴はこぼれた。   「う……ぐぅ……ッ!!」 「あーあー、動くなよ馬鹿」と、諏訪部は罵った。「手元が狂っただろうが」 「――!」    物も言わずそちらへ駆け出そうとしたレイズの前方を、黄泉還った軍鬼の群れが遮った。 十重に二十重にと押し寄せる。  牙をぎらつかせて竜人の口は耳まで裂けた。聴く者の魂をどよもすような咆哮。  悪竜の形相だった。      鉄球が飛んだ。  刺さった槍を抜き、猶も蠢くヨモツイクサの腕をその槍ごと潰して、コロナは片膝をつく。 煮え立つような激痛よりも、大量の出血が地面を汚す水音に気分が悪くなる。  ――参ったな。ヘマしちゃった。  コロナは片手を傷口に宛がった。風のそよぎのような、不思議なフレーズを唱える。  ひどい出血だった。護法十字の聖句――血止めと苦痛緩和の呪文でも追いつかない深手だ が、専門的な治療呪文など使えないコロナには、これが精一杯だった。    動けなくなるまで五分、いや三分強。  自分の生命力を見積もりながら、コロナは諏訪部を見据えた。   「―― 一体、何をする気なの?」 「あん?」 「私やレイズをさらって、私達の力を得て……それであんたは、どうしようっていうの?」       「新たな国産み=v    一拍の間を置いてから、諏訪部はそう答えた。   「昼と夜の全てを治め、覇する。かつて誰も達した事のない頂から、この俺がな。  先ずはあの戦馬鹿の特攻女を七代目の座から引きずり下ろし、返す刀で親総長派の与太郎 どもも一掃してくれる――」    呪詛じみた言の葉を紡いでいた諏訪部は、我に返ったように、   「……と言っても、お前らには通じないか。まあいい。   こんな面白い場所を知る事ができたのは僥倖だった。一度は来られたんだ、必ずまた来る 手はあるだろう。マギナとやらがある世界へ渡る方法もな」 「私達の世界へ……!?」 「ああそうさ」諏訪部は事も無げに言った。「マギナ使いの力を帝神に組み込む。ゆくゆく は俺個人の戦力としてな。お前達はいい駒になるぞ」 「そんな事、うちの学園が承知する訳……!」 「俺がある≠ニ言えば、それはある≠だ。判るか?」      詳しい事情は判らないものの、それでもコロナは肌が粟立った。  ――こいつ、自分の世界を戦火に塗れさせるだけじゃない。他の平行世界にまで侵略の手 を伸ばす気なんだ。  我欲を満たす為だけに。『学園マギア』が護ってきた、私達の世界にまで。   「――させない」    立ち上がった。  よろめく両足で大地を踏みしめる。戦いを忌避する心優しい少女はそこにはいなかった。  それは、清冽な意思に支えられた戦士の姿だった。   「あんたにも、誰にも、世界をいい様にはさせない――!」 「そうか。ま、やれるもんならやってみれば? 俺は無理だと思うんだがな」      じゃり、とコロナは鎖を鳴らす。  司令塔である諏訪部本人を狙おうにも、ヨモツイクサは常に彼の主人を庇うような構えを 崩さない。叩くなら、先ずは――。    電光のように、コロナは『シューティングスター』を飛ばした。  狙いは斜め上方。ヨモツイクサmk-4だ。    黒い機影は急上昇。速度を落とさず、ひねりを入れた旋回からの急降下。航空機では有り 得ぬ異常な機動(マニューバ)だ。  さかしまの流星は、だがその後ろをぴたりと追いすがっている。  鉄球が片足の踝に巻きついた。天地を繋ぎ、ぴんと鎖が張り詰める。  諏訪部は冷笑した。いくらサイズが縮まっているとはいえ、人の力でヤオヨロズの推力を 繋ぎ止められる筈もない。  が――。   「大妖星鎚(ディープ・ゴラス・インパクト)=I!」    がくん、とヨモツイクサmk-4の姿勢が崩れた。  崩れたどころではない。そのまま垂直に下降する。  否、それは既に墜落だった。    ――『重力』のアストラル処理が発動したのだ。  コロナが放った言霊により、鉄球にかかった重力加速度はおよそ100Gにも及ぶ。その鉄槌 は、さしもの天来魔(あまえびす)をも重力の井戸の底に撃墜せしめたのである。       地響きを上げてヨモツイクサmk-4は地表に叩きつけられた。そのダメージをフィードバッ クされたのか、諏訪部が苦悶の声を上げる。  ――効いてるんだ。  喜びかけたコロナの顔色が変わる。  足に絡まった鉄鎖を蹴散らし、黒い魔神は立ち上がった。装甲は歪み、各部で火花が爆ぜ ているが、まだ健在だ。   「調子づくんじゃない」諏訪部は怒号した。「お前みたいなのが好き勝手やれる程なあ、世 の中ケレン味に溢れちゃいないんだよ」    砲声が炸裂した。腰部のロケットランチャーが連続発射されたのだ。  避けようとしたコロナの足はもつれた。深手の所為である。  ――駄目、殺られる!    出血ではなく、絶望に目が眩んだその時。    コロナの頭上が翳った。  横合いから何かが飛び込んできた、と見定める前に、幾条もの光が駆け抜けた。     「――木っ端微塵斬り(アイネミリオーン・シュレッダー)=I!」      空中で四度、爆発は連続した。コロナは、諏訪部は、口をぽかんと開けた。  レイズだ。  何たる凄絶な剣技か。宙を馳せるレイズの剣は、飛来する成形炸薬弾頭四発を粉々に切り 刻んでいたのである。    レイズはすっくと大地に降り立った。ヨモツイクサの包囲陣を突破し、十二機を再び全壊 させた竜人剣士は、流石に満身創痍の状態だった。  目が合った。  コロナは口を閉じた。無言で頷き合う。  それだけで、消えかけた力が漲っていくのが判る。    鎖を手繰った。鉄球に命が吹き込まれる。   「はあぁぁぁぁぁッ――!」 「……上ッ等だくせっ毛ぇぇぇぇぇ!!」    鉄の流星が殺到し、  黒い魔神が突進し、    そして天が、地が、烈震した。    『シューティングスター』とシールドバンカーが正面から衝突したのである。  そのまま発止と噛み合う。鉄球が軋み、黒い腕がたわむ。凄まじい力のせめぎ合いだ。  単眼が僅かに光を増した。黒い右腕に力が籠められようとしたその瞬間、   「――ッ!」 「何だと!?」    弾かれたのは、だがシールドバンカーの方だった。  撃発(トリガー)の瞬間を先読みし、Gによる一撃を放った『シューティングスター』が 杭の刺突に競り勝ったのだ。    その機を逃さず『シューティングスター』が旋風を巻いた。  鉄球の表面で、鉄鎖の隅々で、うねる竜の如き閃光が脈動する。マギナを駆動させる魔力、 その過剰なまでの発露だ。  上下左右に前うしろ。躍り狂い、目まぐるしく変化する暴嵐の軌道は締めて七つ、その一 つ一つが必殺必滅の威力を秘めた死の指標に他ならない。    コロナは叫ぶ。死命を司る星々の連なりを模した彼女の絶技。その名も――。     「七星降天(セプテントリオン・バスター)=I!」      鉄球は叩き、砕き、潰し、そして蹂躙した。黒きヤオヨロズの五体を隅々まで。      ヨモツイクサmk-4は、遥か背後の石壁に激突した。  ほとんど石壁にめり込んでいる。辛うじて人型のフォルムは残っているが、半ば分解して いる状態だ。フレームはねじくれ、内部機構は残らず露出していた。    呆けたように突っ立ったまま、諏訪部の両眼から糸のような血の糸が垂れた。   「ペテンだ。まやかしだ。――俺が負ける? こんな所で? 有り得んだろうそれは。こん な、こんな馬鹿が」    熱病にうかされるように呟き、血の塊を吐く。   「あってたまる、か」    諏訪部玄一は前のめりに倒れた。  召喚された方が傷つき、或いは死亡すれば、召喚した方もその運命を共にする=\―。 レイズの推論は正しかったのである。    紫の制服が小刻みな痙攣を止めた時――。  全てのヨモツイクサの単眼から、赤光もまた消失した。        コロナもまた、よろめいた。  体は既に限界だった。目が霞む。未だ出血が続く体を支えられない。  足がもつれた。――地面に顔をぶつけたら痛いだろうな、とぼんやり思う。    そうはならなかった。  薄目の向こうに竜の貌が見えたので、コロナは安堵した。レイズに抱き止められたのだ。  震える声で、   「……あいつは?」 「し止めた」と、レイズは端的に応えた。「見事だったぞ。お前の勝利だ」 「私達の、だよ……」    「そうだな」とレイズは笑い、コロナも微笑んだ。  自分ではその積もりだったが、出血で白茶けた頬の筋肉は痙攣のようにしか動かなかった。   「あんまり……痛くない……。なんか……かえって怖い……よ……」 「かりそめの死だ」    優しく包み込むようにレイズは言った。   「眠りと同じだ。眼を閉じ、開ければまた覚める。本当の死はそこで終わりだが、コロッセ オでの死は違う」 「そう……なんだよね……でも」 「死は心細いものだ。案ずるな。俺がついている」    うん、とコロナは子供のように頷いた。  その時、大地が揺れた。  地面だけではない。大気もゆっくりと鳴動している。何かが、巨大な何かが身動ぎしたか のように。    「巻き戻り≠ェ始まる」    ぽつりとレイズが告げた。  自分の体が淡い燐光のような輝きに包まれているのを、コロナは感じる。  コロナだけではなかった。倒れている諏訪部も、散らばったヨモツイクサたちにも、その 光は宿っていた。  ――ここに来た時も同じ光に包まれていた、と今更のようにコロナは思い出す。   「別れの時間だ。お前が元の世界に還れば、何もかもが元通りになっている」    不意にコロナは痛みを感じた。  胸の奥で生じたそれは、物理的とさえ言える程の感情のうねりだった。  コロナは震える手を竜人の大きな掌に重ねた。そうすれば、胸の奥底に宿った苦しさが消 えるとでもいうかのように。   「レイズ……私達……また、逢えるかなあ……?」 「そう信じるならば、必ず」    そっと、コロナの手に何かが握らされた。硬く小さいもの。   「これは餞別だ。……さらばだ、コロナ・ストラウト。再びまみえる、その時まで――」    瞼を開けている力は、そこが限界だった。  コロナは目を閉じた。意識もまた、その闇の中に呑まれていった。        ――諏訪部玄一が目を開けた時、最初に視界に飛び込んできたのはキラキラと輝くものだ った。    それと人の顔。見知った相手だが、逆さまになっているので誰だか咄嗟に思い出せない。  「あらお寝坊さん」とその顔が笑う。我が子の寝覚めを見守る母親のような台詞とは裏腹 に、その口ぶりは毒々しいまでの悪意に満ちていて――。    諏訪部は飛び起きた。這うように離れる。  相手はクスクスと笑って立ち上がった。   「俺の膝はどうだ。寝心地よかったか?」 「――黄金井千陽(こがねい ちはる)!」    諏訪部は叫んだ。    男のような口調で俺、と言っているがこれは少女だ。諏訪部と同じ紫色の、帝神学園の制 服を纏っている。  怜悧な美貌を彩る豊かな金髪の輝きは、まるで女王の冠のように豪奢だった。  右の瞳は青、左の瞳は赤。それぞれの目の色に対応したように、左右の髪のひと房だけが 青と赤に染められている。    諏訪部は歯噛みした。彼はその少女――帝神学園の下級生である黄金井千陽に膝枕をされ ていたのである。    背後には、千陽の輝く金髪を映したかのような、巨大なシルエットが鎮座している。  二対の翼を折り畳んだ金の鳥――千陽の操る空戦型ヤオヨロズ、『カルラ』であった。  その傍らには、元のサイズを取り戻した黒い巨影――諏訪部のヨモツイクサmk-4がうずく まっている。      辺りは山間部のようだった。密生した木々の間にある開けた草地だ。  上空では、抜けるような青空が広がっている。    ――そうだった、と諏訪部は思い出す。  彼の『ヨモツイクサ』と、千陽の『カルラ』との合体(ドッキング)――『偽黄泉軍金翅 (ヤルダバオト・ヨモツイクサガルーダ)』の極秘起動実験を、二人は行っていたのだ。  高々度でのその最中、突如発生した異常な乱気流に巻き込まれた。両機体のステータスが 危険域に突入し、止む無く諏訪部は合体を解除。ヨモツイクサのみが急速に落下し、そして ――。   「あの妙ちきりんな場所に招かれたか」と、諏訪部は口の中で呟いた。 「何を言っている」    千陽は眉をひそめた。   「全く、無様に墜落したお前の機体を捜すのに、えらい手間がかかったぞ。どこで油を売っ ていた?」    諏訪部はその問いには答えず、   「おい、黄金井。貴様、今の膝枕は一体全体どういう積もりだ?」 「いや何、お前はこういう真似をしたら、本気で厭がるだろう?」 「当たり前だ。気色悪い」 「だからだ。まあ嫌がらせの類いと思え」 「類いじゃなく嫌がらせそのものだろうが。貴様の脳味噌は一年三百六十五日、これっぱか しもぶれずに金キランだな」    くく、と輝く少女は笑った。どこか眼前の男とよく似た微笑だった。   「褒めるな。馬鹿の賞賛は耳にこそばゆいよ」 「いや、罵ってるんだよ。判れよ」    意に介さず、千陽は背後を振り返る。   「しかしまた、派手に壊したな。あの高さからの落下で、こうもダメージを受けたのか?」    諏訪部は苦虫を噛み潰したような顔をした。  自分には何の傷も残っていないが、ヨモツイクサmk-4の状態はコロナに斃された時のまま だった。大破しているといっていい。全面的なオーバーホールが必要だろう。   「……あのトカゲ野郎、何が巻き戻り≠ナ一切が元に戻るだ。俺の機体は直ってないだろ うが」 「さっきからうわ言ばかり口にしているが、おお可哀想に、頭を打ったのか。おバカさんな 蟻んこになってしまったのだな」    何の同情も感じさせない口調で嗤笑する千陽を、諏訪部は「黙ってろ騒ぎ鳥(オウム)」 と一蹴した。       諏訪部は天を仰いだ。  空は高い。暫くは晴れの日が続くだろう。   「いつか、礼に戻るぞ」    囁くような声で諏訪部は言った。この世界のどこにもいない、約二名に向かって。   「千倍返しでな。待っていろ、レイズ。それに――コロナ」       「……コロナ。ちょっとコロナってば!」     肩を大きく揺さぶられてコロナ・ストラウトは呻く。  開けるものかとしっかり目を閉じ、「あと五分、もう食べられないよう」と支離滅裂な嘆 願を行ってみる。   「なに寝ぼけてんの。任務中だよ!」 「へ?」と、流石に目を開けた。    怒ったような、心配そうな幼い顔が覗きこんでいる。目を瞬いた。  コロナは横たえていた身を起こす。辺りを見回した。  ――周囲は薄暗い廃墟だ。過去には倉庫だったのだろう、雑多な段ボール箱が山積してい る空間は埃っぽい上に、あちこちの壁が崩れかかっている。遠くの天井には、人が通れそう な大穴さえ開いていた。    コロナは少女に目を移す。か細い体躯にも関わらず、少女はその身長ほどもある大金槌を 所持している。  「――砕子(さいこ)だ」と言うと怒られた。   「まだ寝ぼけてる。しゃきっとしなさいよ、しゃきっと!」    気の強そうな少女だ。コロナと同じM-Aの制服に身を包んでいる。歳は十をようやく越えた ばかりか。  銀髪を肩の辺りまで伸ばし、両のもみあげはそれぞれ赤いリボンで纏められている。    将来は大輪の花として咲き誇るであろう片鱗は感じさせるものの、何を言うにもまだ幼い。 「可愛い子」と大人は頭を撫でてくれるだろう。  ――そんな頑是無い子供も、マギナ適性があれば戦場に駆り出される。そういう世界に、 コロナは生きているのだった。      そう、生きている。そして戻って来たのだ。  右手に下げた『シューティングスター』にも、体にも衣服にも、何の傷もない。    ――そうだった、とコロナは思い出す。  鉄鎚型マギナ『大龍崩(だいりゅうほう)』を引っさげた彼女――M-Aの下級生である真 壁砕子(まかべ さいこ)と、今は別行動を取っているアレクサ・ベルツローブ、ローレア =ウォン=シャリーンの四人で、この地域の哨戒任務中だったのだ。  その途中、老朽化と長年に渡る魔物との戦闘で脆くなっていた床が崩れた。コロナだけが 倒壊に巻き込まれ、そして――。   「落っこちた所を捜しても、どういう訳だかいないし。こんな隅っこの方に倒れてるんだも ん。心配したんだからね!」 「ご、ごめんなさい」    年少者から叱られる情けない状況だが、コロナは素直に謝った。砕子は嘆息する。   「ったく、もう。……っていうか、怪我はないの、怪我」  「ああ、それは大丈夫。巻き戻り≠ナ全部治ったみたい」    きょとんとする砕子に、慌てて「ううん、何でもない」と手を振った。   「それより、私の姿が見えなくなってたのって、どの位の時間だった?」 「へんなコロナ。……そうだなあ、大体二、三分だったよ」    ――約三分、とコロナは脱力した。  コロッセオに滞在したのはそんな短い間ではない。時空間の移動は、相互の時間の流れを 乱すのだろうか。いや、  ひょっとして――全部夢だったんだろうか。    コロナはすぐにかぶりを振る。何も証拠は残っていないが、あれは夢などではない。  巻き戻り≠ナ何もかも元通りになったとしても、死線を共にした者への、そして戦いを 選択した己への想いを消す事はできない。   「それ何? そんなマギナ持ってたっけ?」 「え?」    砕子が指差す先に目を落とす。コロナはようやく、自分の左手が何かを握っている事に気 づいた。  暫くそれを見つめてから、エメラルドの瞳が優しく揺れた。  砕子は訝しそうに、   「何かあったの? 妙に嬉しそうだけど」 「――寮に帰ったら話してあげる。長くなる話だからね」 「ふうん」     左手にあるもの――竜人の剣士より贈られた紫水晶の短剣を見遣り、コロナはふんわりと 微笑んだ。         喧騒が跳ね返っていた。  その石造りの回廊は、まるで目抜き通りのような広さと長さがある。建物の内部とは思え ぬ程である。  あちこちに屋台が並び、無数の人々が移動し、談笑する。健全な流れもあれば、猥雑な流 れもある。長大な祭り行列のようだった。    行き交う人間たちもまた雑多だ。――人となりではない、外見の話だ。  どことなく爬虫類めいた、または直立した爬虫類そのものの者がいる。  体の一部を、またはほぼ全てを、鉄板やらコードやらの機械にすげ換えた者がいる。  爪が、牙が、蹄が生え、或いは獣毛か羽毛、鱗に覆われている者がいる。    ――三つの世界にまたがるコロッセオ。その無数にある闘場と闘場を結ぶ回廊のひとつで あった。      人ごみの中を、レイズ=エグザディオは悠然と進む。――空穴区画での戦いから、三日が 経過している。巻き戻り≠経て、当然その折に受けた負傷は跡形もない。  どこという当てはないようだ。あちこちに出ている屋台を面白そうに覗き、気ままに散策 している。    ふと、レイズは視線を行く手の奥へ遣った。  雑踏の向こうに、頭二つ程高い影が見える。四つ脚に巨腕、卑屈そうな笑顔が同居した異 形。――コロナと諏訪部、そしてレイズに敗れた鉄の国のサラリーマン、山下鉄兵だ。  何本も生えている右腕それぞれにアタッシュケースを提げ、「失礼致します、はい失礼致 しますです」と人の波を掻き分け、せかせかと雑踏に紛れて行った。      首を振って、レイズは歩みを再開した。  彼を目に留めた人々が一種驚きの視線を送るのは、角の生えた竜相が奇異だからではない。 この魔術剣士が、このコロッセオでもそれと知られた手練れであるからだ。  レイズはまた足を止めた。近くの屋台では売り子が胴間声を張り上げている。目玉商品は 何処かの闘場で行われる試合の入場券らしい。   「――さあ、今日の大一番は見物だよ。竜の国の大物ルーキー、セシル・ボルテクスの前に 立ち塞がるのは同じく竜の国の死霊騎士、ディルキール・ベスカリオ嬢ときたもんだ。  電光石火の二刀流が勝つか、死霊を従えた大鎌が勝つか。さあさあ、早く席に着かないと 始まっちまうぜ! ……あいよお二人さんね、はい毎度どうも! はいこっちの旦那もね」    屋台は盛況のようだ。  興味を引かれたのか、そちらを冷やかそうとしたレイズは、急に後ろから「レイズ=エグ ザディオ」と名を呼ばれた。    振り返る。  背後には美しい生き物が立っていた。――すらりとした長身の女だ。  鼻と口吻が大きく突き出ている。長い黒髪の頭上にある三角形の耳、臀部に生えたふさふ さの尻尾を見るまでもなく出目は獣の国――それも犬族か狼族だ。  そして赤い瞳。至上の宝石のような光沢のその赤。    女の異相は、美貌へのいささかの瑕疵ともなってはいなかった。  異なる世界が入り混じり、時にはっとするような美の混交が生み出されるコロッセオでも、 こんな美しさは稀だろう。    短めの槍を二本、左右それぞれの手に提げ、豊満な肢体に纏うのは軽装の革鎧だ。鎧のあ ちこちには、やや赤味がかった灰色の毛皮が使われている。  女の傍らには、その毛皮と同色の狼が一匹、並んでいた。  通常の狼と比べても堂々たる巨躯だが、毛並みは柔らかく美麗だ。雌だろう。  瞳は、彼女とそっくりの赤色だった。      「レキシー・ウェレク」と、レイズも相手の名を呼び、少し頭を下げた。   「久しいな。姉上殿も息災そうで何よりだ」 「そちらもな」    獣の国の女戦士――レキシー・ウェレクも礼を返す。  物堅い物腰には、何かの修行者のように高潔な趣きがある。どこかレイズと一脈通ずる印 象だ。   「この前の、引き分けの一戦以来になるか」 「正確にはその夜以来だ。いや、そちらは俺の勝ちだったぞ、五色の角笛亭≠フ方はな」 「あれは火酒の飲み比べではないか!」    かっとしたようにレキシーは叫んだ。頬の辺りが朱に染まっている。  レイズは肩をすくめ、   「飲み比べというか、お前は一杯目をほんのちょっぴり舐めて潰れたから、まあ勝負になら なかったと言えば然りだ。……俺は、得手でないなら止すがいいと忠告はしたぞ」 「砂糖漬けの果実の食べ比べなら負けない、と私は言った。お前が嫌がるから」 「ううむ、そちらは勘弁願えんか。歯と胃に悪そうだ」    辟易した顔でレイズは言った。雌狼――レキシーの姉であるアルマも、何となく同じよう な表情になっている。  レキシーは澄んだ笑みを浮かべた。   「ならばこそ、我らはやはりこれで雌雄を決すべきと考えるが、如何だ?」    両手の短槍が、生き物のようにくるりと回転する。  二本とも跳ね上がった。凄愴な輝きを穂先に映し、ぴたりとレイズに向けられる。  周りで推移を見守っていた観衆から、口々に「バトリングだ」の歓声が上がる。  トーナメントやその他の形式で行われる公式試合ではなく、これと思い立った者同士で行 う私的な一戦の事だ。謂わば野試合である。    女戦士は凛然とした声音で、   「改めて言う。私が勝てば、我らが赤目狼の氏族の一員となれ。お前ほどの達者は、他に望 むべくもない。姉様も同じ考えだ」 「勝敗は置いても、その申し出は魅力的ではあるのだがなあ」    眩しそうな顔でレイズは顎を撫でる。――滅亡に瀕している赤目狼の氏族に迎え入れるべ き屈強な男女を、レキシーは求めている。彼女が戦う理由とその切実さを、レイズはよく聞 き知っていた。   「だが今少し、世の様相を見ていたいというのも本音だ。――それはそれとして、バトリン グは受けよう。お前の双槍と姉上殿との連携、攻める工夫もついたところさ」 「そう容易くゆくかな?」と、レキシーは不敵に笑った。「お前の十八本の刃に抗する術も、 こちらにはあると知れ」    「いや」と、レイズは首を横に振る。  どこか遠くに想いを馳せるような表情で、   「今日は十七本だ。……一本、人にやったのでな。まだ替えを都合しておらん」    レキシーは珍しいものでも見るような顔になった。すぐに真顔に戻り、   「ならば、その一本分の隙を衝いてくれよう」 「さて。そう易々とゆくか如何か――試してみるがいい」    レイズは腰の一剣を抜いた。  今日は銃剣ではない。一目で名工の手による業物と知れる、幅広の長剣だ。  双つの槍先をもたげるレキシーの傍には、姉たるアルマが添っている。無駄な唸りも立て ず、だがその牙はいつでも標的の喉笛へ喰らいつくだろう。    何時の間にか出来ていた人垣は、物慣れた様子で後退した。二人が戦うに十分なスペース が出来上がる。    「いざ」とレキシーが切り込むように言葉を発せば、「尋常に」とレイズが後を引き取る。  二人は声を合わせて叫んだ。     「――勝負!!」        鉄の閃光を交差(オーバーラップ)させ――。  竜と獣が奔る。       【The End】       ■オーバーラップ・コロッセオ■ 剣と魔法を操り、騎士と王が収める竜の血を引く国、竜の国 鉄と銃を組み上げ、民主主義という名の支配構造を持つ国、鉄の国 獣と自然と共にあり、自由を愛する獣人達の国、獣の国 本来交わらざる隣の世界にあった三つの世界は、一つの建造物によって結ばれていた コロッセオ――そう呼ばれるそれは誰が、何のために作ったのかも不明なままで、 しかし、三つの世界は正しく闘技場としてそれを利用していた 求めるものは名誉か、金か、それと己の力試しか 三つの世界が邂逅を果たしてから既に100年が過ぎ、 今日も尚、コロッセオの内から歓声が途絶えることはない     ■学園マギア■ コロナ・ストラウト 特務学術機関「Magina-Academia」に所属する少女。16歳。 明るいオレンジ色の外ハネ髪で背は低めだが巨乳なトランジスタグラマー。 笑顔が柔らかい明るい少女だが、マギナの適正を見出され学園マギアに 編入させられたときからその笑顔に陰りが差している。 チェーンが異常に長いモーニングスター型のマギナ「シューティングスター」を振るう。 「重力」のアストラル処理が施された棘鉄球はコロナの思うとおりに飛び回り、 敵に叩きつけるときにはその威力を何倍にも増加させる。     ■日本分断YAOYOROZ■ 諏訪部玄一(すわべ・げんいち) 帝神学園の生徒で、痩せて目つきの悪いメガネ男。18歳。 強烈な上昇志向の持ち主で、元は聖護院学園に所属していたが、更なるトップを目指す為 に帝神学園側に寝返った。 使用するヤオヨロズは「ヨモツイクサMk2」。 直立した黒い蟻のような形状で、武装はヒートランスと背中のシンクロトロンビーム砲。 やや性能の劣る同型の無人機がつき従っており、これら十数体を同時に操る事が可能。 一体一体の性能は高くないものの、徹底した集団戦法には定評がある。     ■オーバーラップ・コロッセオ■ レイズ=エグザディオ 性別:男 年齢:27歳 龍の国出身の魔術剣士、複数の龍の血を濃く受け継いでおり龍頭人身、鱗は少なく細身 一角を生やした凶悪な面構えだが物腰も柔らかく理知的で優しい子供好き、自分の顔が怖いので 子供達が怖がることに悩んでおり嘆息する事が多い 剣術と複数の属性を組み合わせた魔術を操る戦闘スタイル 鋼線やプレートなどが編み込まれた導師服と術式によって操る紫水晶製の短剣や中剣など18本を装備 メイン武装として長剣や鉄の国製のチェーンソーブレード・ガンブレードを気分で選択し使用 探究心が強く他国の文化や文明を調べており他国への定住を考えている      ■オーバーラップ・コロッセオ■ 山下 鉄兵 鉄の国のサラリーマン 自社製品の宣伝のため参戦 相当な社畜     ■学園マギア■ 真壁 砕子(まかべ さいこ) MA所属の11歳のツンツン怪力少女。同MAの真壁信護の妹 肩までの銀髪セミロングで両側のもみあげを赤いリボンで結んでいる 自分の身の丈ほどもあるハンマー型マギナ『大龍崩』(だいりゅうほう)を所持 大龍崩は回転を加えるとインパクトの威力が増す特殊なマギナ ハンマー投げのように回転してから殴るのが主だが、持ち前の怪力で片手でグルングルン回す 回転させた大龍崩と砕子の怪力はHiLevelの怪物にすら致命傷を与える 自分の名前を気にしており下の名前で呼ばれると怒る     ■日本分断YAOYOROZ■ 黄金井 千陽(こがねい ちはる) 帝神学園高等部二年生。十七歳 常に前向き全力全開テンションぶっちぎりの厨二病女子 ビジュアル系っぽい金髪の少女。一人称が「俺」。黙ってれば美人の典型 有力財閥の出だが、普段は本人も周囲もそのことをあまり気に留めていない 自らのヤオヨロズのかっこいい技とか考えて悦に入っているが、実現する実力を持っているので性質が悪い 目標は天下統一。野望は本物で裏で暗躍しているとされるがそれもまた厨二病の一言で片付けられる噂である 所有ヤオヨロズは「カルラ」。輝く四枚の金色の翼を持ち、光の軌跡を刻みながら飛翔する 無限のエネルギーを持ち、その力は決して尽きることはない     ■オーバーラップ・コロッセオ■ レキシー・ウェレク 獣の国出身の若い女戦士で、赤目狼の一族の血を引く 白い肌に黒く長い髪、赤い瞳。耳や尻尾だけでなく鼻も狼のような形状である 属している氏族が戦乱や飢饉の影響でほとんど死に絶えつつあり、氏族を再興するために 同胞に迎えるべき屈強な男女を捜してコロッセオに来た (彼女の氏族は、狼の血を引いたものでなくとも認められれば同胞として扱う習性がある) 左右一対の短い槍と、氏族に代々伝わる先祖の狼の毛皮を使った革鎧を身に着けており 鎧に宿る獣の気の力により、体力の消費と引き換えに超スピードでの近〜中距離戦闘を可能にする 子供の頃から共に育った雌狼のアルマを「姉様」と慕っており、戦闘でも連係プレイが得意 古風な価値観を持ち、自己を律することにかけては人一倍厳しいが ただ一つ甘いものの誘惑だけには抗し難い     ■オーバーラップ・コロッセオ■ 空穴区画 三つの世界が繋がるコロッセオの中でも特に奇妙、かつ空間な不安定な場所である 曰く、時間や空間の連続性そのものが不安定で常に揺らいでいるという その為、下手に足を踏み入れると何処か解らない場所に閉じ込められかねない それが為に封鎖されているが、それは名目上で実際には入り込む者が後を絶たない 何故か?それはこの場所に何処か遠い異界から未知の武具や道具が流れ着くからであり、 また時にどこか別の世界の存在が姿を現すからでもある 最も、根本的に別の世界からの来訪者は存在そのものが不安定である為、 自動的に元いた世界に弾き返される力が働いているらしく、 一定時間以上は存在できず、またこの区画の外に出る事もできない しかしながら、それでも好奇心を抑えきれない者はしばしばこの場所を訪れるようだ