雨が全てを濡らしていた。    本当に降っているのかどうか判らないような幽かな雨だった。傘を差していても、布地に 雨滴が弾ける音はしなかったろう。それでいて、狭霧のような水分は何もかもを湿らせてゆ く。  ネオンサインをにじませる街並も、そこに充満した夜そのものも。    皿の中のコンソメスープのようにぼやけて見える雑踏をかき分け、一直線に進むその少女 も同じだった。丈の長い純白の制服は薄っすらと濡れている。  ごく浅い水たまりを踏みそうになり、少女はブーツの靴底をどうにかそらす。      少女は黙々と往く。背の高いビルの谷間では喧騒が弾けている。  宵の口を回ったばかりの繁華街だ。酔っ払いの笑い声、女たちの嬌声、喧嘩の物音――。 全てが常時と変わった所はない。雨脚がささやかな所為もあるのか。  いや、雨はあまり関係ないのだろう。  世情はお世辞にも明るいとは言えない。もう随分と前からその真逆だ。  世界のどこの国々も、絶えず異界の存在――魔物の侵攻にさらされている。今この瞬間、 この場に門≠ェ開き、こちら側≠フ一切を餌としか認識しない捕食者(プレデター) の群れが押し寄せる。そうした可能性もゼロではないのだ。    そんな先の見えない世の中だからこそ、せめて今夜だけは酔っておこうという焦りじみた 想いもあるのかもしれない。  無理やりはしゃいでいる――人も街も。そんな観がないでもない。      そうしたやるせない空気とは、少女の醸し出す雰囲気は一線を画していた。      少女は規則正しく歩を刻む。  純白の制服には金の縁取りが施されており、両手の白手袋と相まって由緒ある礼装用の軍 服にも見える。黒いズボンとブーツが男装めいて、いっそ清々しい。    少女は光をも纏っているようだった。夜の爛れた街が放つのとは違う、清澄な光だ。  長めの黒髪はあまりに艶やかに過ぎて、周囲のどんな微細な光も反射してしまう。それに 小妖精のような黄金(きがね)の瞳。  凛たる顔立ちも、しなやかな肢体の線も、同時に幼げな柔らかさがふんだんにある。精々 十三、四といった年頃か。    腰には妙なものを下げていた。  鞘に納まった剣――に見える。反りのない鞘の先端に象眼された意匠は、孔雀の飾り羽根 を思わせる。  しかもベルト、というより薄く輝く光そのものの帯に、放射状に束ねられたそれが十数本 もある。剣を並べた光の帯は、か細い腰を取り巻くように浮遊していた。      少女は左の耳朶に手を遣る。そこには小型イヤホンのような機器が収まっている。  通信機である。  科学と魔術を止揚させた新たな技術体系――マギナ。少女の属する集団ではごく当たり前 に使われる代物であり、この通信機もそれらの汎用品の一つだ。  夜間や隠密行動の際には念信――精神感応波による遠隔通信魔術――のみに頼るものも多 いが、通常任務ではこうした通信機も広く使われている。  口元にはインカムの類いはないが、唇を形だけ動かすような囁き声でも、ノイズもなく補 正された発声へ変換して相手に届けられる。念信による送受信にも対応している代物だ。   「こちら、ハウンド・ツー」    銀の鈴をふるような声で少女――エルテ=ミュールは、周囲に眼を配りながら自分のパー ソナル・コードを名乗る。   「現在、繁華街中央です。まだ動きはありません」 『ハウンド・ワン。駅前にも異常なし』    耳朶の通信機型マギナから短い応答があった。男性の低い声だ。  少し躊躇う風情の後、エルテはやや自信なさそうに、   「あの……これからの状況は、どういう展開が予想されるでしょうか?」 『煩うな』と、素っ気ない返答があった。『即応できる体勢だけを整えろ』    少し唇を噛み、エルテは「了解しました」と応じる。  その顔が、ハッと上がる。  通りの奥の方で騒ぎが生じている。叫び声の激しさは、断じて酔っ払い同士の喧嘩の範疇 ではない。   「魔物出現の模様。現場に急行します!」    そう叫ぶや、エルテは駆け出した。  凄まじい速度だった。さながら急流を泳ぐ若鮎だ。大量に剣を吊った光のベルトは、少女 が体を動かす度にその位置を微妙に変え、不思議と疾走の妨げになっていない。      雑踏の流れに変化が生じていた。通りの奥で発生した騒ぎに押し出されるように、人の波 が殺到してくる。  どの顔も必死だった。猛獣に追いかけられるとしたら、人はこういう表情になるだろう。    流れをすり抜けて走るエルテの目が光った。  金色の瞳が捉えているのは、前方から逃げて来る一人だ。眼鏡の中年男である。脂ぎった 禿頭から汗の珠を飛ばし、わけの判らない悲鳴を上げて両手を振り回している。  腰に下げた剣のひと振りに、右の白手袋がかかる。    雨滴を縫って白光が閃いた。  周囲からも悲鳴が上がった。血しぶきを上げて中年男が地べたに転がる。駆け抜けざま抜 刀したエルテに袈裟懸けにされたのだ。  続く変化一瞬で起こり、完了した。  中年男の全身は、見る間に漆黒と化したのである。  衣服もない。それに皮膚の色が黒いというレベルではない。頭部が肥大し、凹凸のないの っぺりとした形状は、闇が凝集したかのようであった。    ぴちぴちと跳ね踊る体の中央部に、細く赤い線が縦に一条――そこに添って内側から開く。  口だった。  のこぎりのような歯列が苦しげに震えて、すぐに動かなくなる。  と、破裂するように黒い五体は弾けた。肉も骨もないタール状の汚液となり、影のように わだかまる。    人間ではなかった。魔物だった。      黒い魔物を屠った連装剣帯型マギナ――『ブッチャースカート』の一本を血振りした少女 は硬い声で、   「避難民の中に、ニアル・デアが混じっています。正確な数は不明」  『撃ち洩らすな。すぐそちらに行く』    通信機からの応えは短かった。何の抑揚もない。  「了解です」と返し、エルテは刃を舞わせた。群集の中にいる特定の人影に向かって。      オカアサンオカアサンと連呼している太った青年が腰の辺りで輪切りになった。  あ行の母音が入り混じった絶叫を立てている老婆の首が飛んだ。  背中を縦一文字に割られる者がいた。肩口を深々と裂かれる者がいた。      少女が撫で斬りにした者たちは、全てが地面に転がるや、先のものと等しい真っ黒い異形 となり、そして粘液の水たまりに変わる。  ――これらは下級に分類される魔物だ。ニアル・デアという。喰らった人間の断末魔の姿 を模倣する習性がある。  一体を屠る度に、エルテの顔はこわばった。息の根を止めるまでは、相手は泣き叫ぶ人間 そのものなのだ。本当の殺人を重ねているような感覚に陥りかねない。  だが、剣に怯みはなかった。  逃げ惑う群集の中に紛れ、自らが喰らった者の死にざまを真似る魔物を、少女は精確に、 的確に斬り捨ててゆく。   『大妖量反応を複数検出』    変わらぬ口調で、ハウンド・ワンの声がそう告げた。八体目の首を刎ねたエルテは、反射 的に上空を仰ぐ。  風が強くなっている。  高層ビルの谷間を吹き抜けるその風に混じり、小刻みな旋回音が徐々に反響を増していた。   『アストラル波形はロウ・レベル。――来るぞ』    地上二十メートル程の高み、高層ビルの陰から、旋回音の源はゆっくりと姿を現した。    恐竜のような大型動物の骨格というのが、見る者が辛うじて抱ける第一印象だろう。  前後に細長く、各所に腐肉のような体組織を纏わりつかせた全長は十メートルを遥かに超 す。不釣合いに小さな二本の前腕が生え、両側面には翼のような器官が張り出しているが、 後肢はない。  ボディ上部では、紫色の円盤状の光が毒々しく輝いている。回転翼(ローター)のように 旋回するその魔力光は揚力を生じさせ、魔物の巨体を宙に浮かべ、また高速度で飛行させる のだ。  回転翼が起こす強風に黒髪が巻き上がる。エルテは空いた左手で顔を覆った。    ――アポカリプス。そう呼称される魔物である。  知性は高くない故に下級とされるが、攻撃ヘリ(ガンシップ)さながらの外見と等しい火 力は、下界に死を齎(もたら)す妖禽といって過言ではない。  ボディ下部にある、何本も密集した細い管が地面を――正確にはエルテを向いた。  咳き込むような異音と、錆釘のような棘が高速で吐き出される。さながら機関砲だ。まと もに当たれば人体など挽肉となる。    エルテは身を横に躍らせた。濡れた路面が爆発したように抉られる。  跳躍の前から左手が閃いている。五指が痙攣するように動き、複雑な呪印を凄まじい速度 で形作った。     「畏るべき智慧の王へ服する。全方位に存せし苦厄を破障せんことを――火眼睥睨(レッ ドアイ)=I」      奇怪な文言を発するや、エルテの前方に赤々と光り輝く魔法陣が現出した。  少女が惹起した火の魔力だ。細かな呪印や魔術文字(コード)で構成される直径一メート ルの魔法陣は、渦を巻くように一点に収縮して前後に伸びた。  槍――いや、矢だ。紅い火矢だ。    その赤い輝きに何かを感じたのか、アポカリプスは射撃を中断した。急上昇する。  速い。対空機銃で狙い撃ったとしても、難なく避けられただろう。  火矢は噴射音も高らかに撃ち出された。逆向きの放物線を描き、アポカリプスの後を猟犬 のように追って天を駆け上がる。  設定された対象敵のアストラル波形を自動追尾するアストラル・シーカーの術式により、 この火炎系魔術は飛行能力を有する魔物に絶大な効果を誇る。魔物の心臓部である核(コア) を射抜かずとも、燃え盛る魔力はこのサイズの個体にすら痛打を与えるのだ。    火矢はアポカリプスの側面部に吸い込まれ、炸裂した。  不協和音のような絶叫を上げ、魔物の巨体が傾く。すぐ傍のビルに寄りかかる形となり、 魔力光の回転翼が壁面をかすった。  傾きが更に大きくなった。回転翼で壁面を削り落とす凄まじい音響を道連れに、重力に引 かれるままアポカリプスは落ちてゆく。    両足の裏が地面から浮き上がりそうな衝撃に、エルテは何とか耐えた。  数十メートルの垂直落下を経ても、目と鼻の先で横倒しになったアポカリプスはまだ生き ている。側面部の装甲には大孔が穿たれ、人間の頭部ほどもある赤い輝きが不規則に明滅し ている。――核だ。  小刻みに巨体を震わせているが、再度飛び立つ力はないようだ。  だが、エルテは厳しい表情を崩さない。  アポカリプスが総身をよじる。急に腹部で、装甲板のような甲殻が膨らんだ。  外装を押し破り、内部から何かが現れようとしているのだ。    甲殻が内側から引き裂かれた。  どっと溢れるヘドロのような体液に紛れ、幾つもの塊が排出される。十に余るそれらは地 べたに叩きつけられ、のろのろと立ち上がった。  人に似てはいた。墓所の土中から這い出た屍体さながらに全身の肉も皮膚も溶けて爛れ、 魔物特有の紅い瞳を輝かせていても、そいつらはおぞましいまでに人間に酷似していた。    この飛行型魔獣は、体内に蘇生屍(ゾンビ)めいた小型の魔物を多数寄生させている。本 体を倒しても、内部からそいつらが湧き出て来るのだ。まるで空挺作戦(ヘリボーン)に失 敗したレンジャー兵のように。      牛そっくりの野太い唸りが湧き上がる。体勢を前傾させた二足歩行で、或いは四足歩行で、 忌まわしき異形どもは少女へと進み始める。  毫も動揺を見せず、エルテは右手の剣を顔前に上げ、両手で水平に構えた。  神前で祭儀を執り行う巫女のように厳かな声で、     「母なる孔雀に帰命する。穢土(えど)に満つ悪と毒を潅がんことを。成就あれ――孔雀 百眼(メレクタウス・アイ)=I」      ――剣身の中央部に金色の魔法陣が浮かび上がった。  その光が映ったかの如く、少女の瞳も同じ煌たる輝きを帯びる。  レーザー処理による追尾認識装置に匹敵する動体視力と、その捕捉を身体的挙動として最 適化させ得る敏捷性のエンチャント――付与系マギナたる『ブッチャースカート』に備わる 『神眼』のアストラル処理が起動した証だった。      剣をひと振りして魔法陣を消去させるや、エルテは自ら屍者の軍勢に飛び込んだ。  汚怪な牙が、爪が、殺到する。だが猫科の大型肉食獣に匹敵する少女の軽捷さを捉えられ るものではない。  全ての牙と爪をかいくぐり、お返しのように雷鳴なき剣の稲光が走った。  斬る、斬る、斬る。――可憐な、そして苛烈な剣尖が飛ぶ。飛び散る肉片も血しぶきも、 速影と化した純白の制服に一点の染みすらつけ得ない。  刃が躍るところ、顔面を割られ、腕を足を叩き落され、ゾンビどもは瞬く間に数を減らし ていった。    何体目かに斬りつけてから、エルテは動揺したように半歩退いた。  相手の肩から胸までを大きく裂いた筈が、当のゾンビは意に介さぬように両手を伸ばして きたのだ。  再び剣を閃かせる。  左右の腕を肘ごめに断った――と見えたが、まだ切断しきれていない。両腕を皮一枚で垂 れ下がらせ、魔物は雄叫びを上げた。  未だのたうつアポカリプスの叫喚と交じり合い、不協和音の合唱が奏でられる。    エルテは素早く剣を検めた。剣身に血と腐肉がべっとりとこびりつき、斬れ味の鈍ったそ れを無造作に放り捨てる。  地面で澄んだ音を立てるより速く、エルテは腰間の剣を抜き払う。  間を置かず迸った炎のような太刀筋は、今度こそゾンビを地に這わせていた。      最後の一匹を横薙ぎの斬打でし止めたエルテは、剣を振り抜いた姿勢を硬直させる。  雨風に紛れるある音を感知したのだ。闇天の彼方より、頭上より、旋回音の唸りが次第に 降りて来る。  夜空を翳らせて、不意にそれは出現した。  アポカリプスだ。今しがたエルテが墜とした個体とほぼ等しい形状をしている。  少女は眦(まなじり)を決し、乱れた息を噛み殺す。――無線の声は、大妖量反応は複数 と告げていた。空飛ぶ魔物はもう一体いたのだ。    十メートルの上空で空中静止(ホバリング)体勢のまま、死の棘の発射管が眼下の少女を ねめつけた。エルテの手指が再度火眼睥睨≠フ術式を励起しかける。      雷瞬、銃鳴が夜気を裂いた。      アポカリプスは少し身じろぎをした。  下腹部で小さな火花が弾けたのである。銃撃だ。もっとも、堅牢な装甲に損傷はない。  金に輝く『神眼』は、銃弾が撃ち込まれた方を見遣る。その頬が少し紅潮した。    エルテが来たのとは反対方向の路から、近づいてくる人影がある。  痩身の青年だった。贅肉どころか必要な肉もそぎ落としたような長躯には、しかし柔な印 象はない。針金を束ねて絞り上げたような強靭さがある。  ろくに櫛も入れていないと見える頭髪は、全て白かった。  染めている風ではない。精々十七、八らしい青年の髪だけは、数十年分の風雪を先取りし たかのように、ただ、白かった。    俯き加減の顔立ちは整っている部類だが、頬はげっそりとこけている。目元はバンダナで 覆われており、表情も定かではない。  両手には白手袋を嵌め、その右手が構えているのは一挺の拳銃だ。  自動拳銃である。銃身の下部には、レーザーサイトのような紅い光点が灯っている。  俯いたまま、拳銃とそれを握った手だけが持ち上がる。もっとも標的に顔を向けた所で、 彼の両目がその姿を捉えられる訳もないだろう。  例えバンダナが遮らなくても。  この青年は盲目なのだ。    銃口のすぐ手前には、魔法陣の光が点っている。  エルテの『ブッチャースカート』が発生させたのとよく似た形式の光は、銃口に吸い込ま れるようにしてすぐ消えた。      「水ま……」と言いかけ、エルテは慌てて「梅本先輩!」と呼び直す。  気をつけないと、つい昔と同じように呼びそうになってしまう。    少女の叫びに応えず、ハウンド・ワン――梅本水丸(うめもと みずまる)は歩を進めた。  空飛ぶ魔獣は軽やかに方向転換、射出口の筒先を水丸へと据えた。新たな闖入者を明確に 敵として認識したようだ。    棘が連続で撃ち出された。エルテは反射的に身をすくませる。  地面が抉られ、間欠泉のように噴煙が立ち昇り――だが水丸の歩みは止まっていない。  しっかりとした、やや早めの足取り。それだけだ。  それだけの動作が、天空より襲う棘のことごとく無効としていた。ただの一発もかすらせ もしない。  まるで斉射が次にどこを舐めるか、熟知してでもいるかのように。    再び自動拳銃が火を噴いた。  アポカリプスの下腹部で火花が小さく散った。一発目と同箇所、それも零コンマ単位で寸 分違わぬ位置への被弾と、エルテの『神眼』は捉えた。  もう一発、銃光が弾けた。更に一発、二発。    二匹目のアポカリプスの姿勢が揺らいだ。  口に当たる器官から黒っぽい体液が噴出する。巨体のあちこちでもその滴りは続き、みる みる高度が下がっていく。  梅本水丸が持つ拳銃型マギナ――『プロヴィデンス』。  実弾ではなく、魔力を弾丸として撃ち出す放出系マギナだ。スナイピングの域に達した射 撃は、コンマ一ミリの狂いもなく同一箇所へと攻撃を集中させ、魔物の装甲を抜き、あまつ さえ核すらも撃ち貫いたのであった。      急速に落下するアポカリプスを、だが『プロヴィデンス』の銃口はまだ狙っている。  もう片方の手が銃把(グリップ)に添えられた。     「我が鎚、我が鑿(のみ)を以て、我は汝が神を彫れり。――アロンの金の角=v      紡がれる呪句(プレイヤー)は、ひどくひそやかだった。今までの銃声とは桁が違う、鼓 膜より腹腔を震わせる轟きの代償とでもいうかのように。      紅蓮の花弁が一輪、魔物の下腹部で咲き――。  刹那、幾条もの焔が体表で噴き上がった。荒れ狂う火炎の乱舞は、すぐさま巨影全体を包 み込む。  マギナを介した銃の魔術だ。焼夷弾クラスの燃焼を生む火の魔力を設定された弾丸は、体 内のゾンビごとアポカリプスの臓腑を灼き尽くした。  炎に包まれて墜ちゆく巨大な妖鳥は、地表に激突するより先に虚空元素(エーテル)へと 還元され、粉微塵に砕け散った。      炎と妖気を孕んだ爆風がビルの谷間を揺さぶる中、エルテは眩しいものでも見るような視 線を水丸に送る。鮮やか、というも愚かな戦いぶりだった。  エルテの方へ向けようともしない青年の面には、深い虚無の色がたたえられていた。  戦場に流れた無言の時は一瞬だった。  剣と銃は同時に撥ね上がった。    鋭角的な絶叫が通りに鳴り渡る。  まだ絶命していなかった一匹目のアポカリプスだ。その発射管から大量の棘が発射された のである。エルテのみが直撃を受ける位置目掛けて。  と言っても、狙った攻撃ではない。断末魔による乱射だった。    剣を右手に預けるや、目にも止まらぬ迅さで少女の左手はもうひと振りを抜く。  幾条もの光の軌跡が虚空に走る。  剣戟音と、地面で弾ける硬く小さい音が間断なく続く。――それが、左右の剣が死の棘を 迎撃した成果だと、見る者がいても信じられたかどうか。  『神眼』の秘力を駆使したエルテの二刀流は、機銃掃射に等しい棘の雨の大半を斬り払っ ていた。――正しく神技というべき剣の冴えであった。    同時に『プロヴィデンス』も咆哮している。  射撃モードをフルオートに切り換えての連射だ。水丸はエルテの方を見てもいない。向い ているのは片腕と銃口だけだ。  めくら撃ちにしか思えない動きは、それでいて少女が払い損ね、危うく彼女に命中する所 だった棘を全て撃ち落としていたのである。――これまた神技というしかない。      乱射が止んだ。  棘が撃ち尽されたのだ。流石にエルテは肩で息をしている。  『プロヴィデンス』の銃口が幽かに上下した。我に返ったように、エルテの手は電光の速 さで動いた。  鋭い光芒が流れた。  エルテは片手の剣を投げつけたのだ。十数メートルの距離をひと息で飛び越えた剣は、剥 き出しの魔物の核へと突き立ち、今度こそ致死の絶叫を生じさせ、そして、        そして世界が暗転した。        繁華街が消えた。  逃げ惑う群集も、魔物の死骸もだ。雨も、夜すらも、全てがそれに倣う。  残っているのはエルテと水丸だけだ。エルテの足元には、先程捨てた『ブッチャースカー ト』のひと振りが、寒々しく転がっている。    明かりが点いた。エルテは眩しさに眼を細める。  ――そこはがらんとした空間だった。大き目の会議室がいい所で、とても夜の街などとい う広さはない。  調度品は何もない。壁も床も、室内は白一色に塗られている。同じ色の天井では、照明が 白々と輝いていた。    まだ銃身の熱い拳銃を、水丸は腰のホルスターに滑り込ませた。  呼吸を整えつつ、エルテは床の剣を拾い上げる。剣身から一切の汚れが消失しているそれ らを鞘に収めると、双眸から金色の魔光が消えた。    こつこつと床を叩く、硬い音がする。摺るような音も伴い、エルテ達へ近づいて来る人影 がある。  不意に、照明が月の光に変わったかのようだった。単なる電気の灯りで、俗世界の生き物 がこんなにも玲瓏と輝く筈がない。   霞がかって見えるほど透き通った肌、腰まで流れる黒檀の髪――左眼を黒い眼帯で覆って いても、その美しさには何ら遜色がなかった。男女を問わず陶然となるだろう。    まだ若い。歳は水丸とさして変わらない。  右肘に片手用の杖――ロフストランドクラッチを嵌めている。片足を引き摺っており、挙 措もぎこちない。過去に大病を患ったか、今猶病中にあるかのようだ。  エルテが隻眼の麗人へ駆け寄る様子を、盲(めし)いた眼は無言で追っていた。   「何とか及第点、といった所ね」     特務学園機関『Magina-Academia』所属、バルモア教室指導官補佐――アシュリー・ガッセ ナールは実習授業の終了を告げ、典雅な微笑を浮かべた。        ――今、エルテと水丸が行った戦闘は実際のそれではない。『M-A』の校舎内、トレーニン グルームの一つで行われた実習授業だった。  室内の何処かに設置され、アシュリーによって制御されるプロジェクター型マギナは、限 定的に空間を拡張し、広大な仮想フィールドを造り出す。人も物も、起こり得る状況を精密 に再現したフィールド内へ、学園のデータバンクに情報蓄積された魔物を物理的霊的に魔術 再現――擬似召喚(エミュレート)し、配置する。  もしこれら魔物の攻撃を受ければ、実際に負傷も生じる。実戦そのものの緊張感の中で行 われる、激烈極まりない戦闘訓練であった。    もっとも、本当に致命傷やそれに近い重傷となる攻撃を受けた――と判定された場合は、 即座に実習は停止する。  ゲームオーバー≠ニいう訳だ。その場合、受ける筈だった負傷は生じない。  無傷で演習を終える者は、だから二種類しかない。余程の手練れかそうでないかだ。  エルテと水丸の二人は、明瞭に前者の方だった。      美貌の指導教官は涼しげな声で、   「梅本。ミュールの動きをどう見た?」 「標的へのとどめの怠り」    水丸は淡々と応じた。アシュリーの前で直立したエルテは、恥じ入るように俯く。   「それと、得物の状態把握の甘さ。――六十五点だ」 「概ね正しい評価ではあるけれど、私より採点が厳しいわね」    アシュリーは苦笑した。隻眼の視線がエルテに転じ、   「貴女の『ブッチャースカート』は手数の多さで敵を圧するマギナよ。ひと振りに固執して は駄目。切れ味が落ちたら、すぐに剣を換装すること」 「はい」    顔を上げたエルテは、真摯な声で返事をした。  いかなる陰性の感情も、その生真面目そうな面には浮かんでいない。   「しかし、ミスの後でもすぐ立て直したのは評価できる。その姿勢を忘れず励みなさい」 「了解しました」    居住まいを正すエルテに、アシュリーは頷き返した。   「もうすぐお昼ね。ミュールは先に上がりなさい。私は梅本と話があるから」 「ありがとうございました。――失礼します」    エルテは年長者二人に一礼し、踵を返した。  戦闘の時と変わらず、身のこなしはあくまでも隙がなかった。     「――彼女には特に厳しいのね、君は」    少女が退出した後、アシュリーは水丸に笑いかけた。エルテに対する時と比べると、幾分 砕けた雰囲気である。    ――天才と謳われたマギナ使いだったアシュリーが、最前線から退いて二年が経つ。  死病に冒された身で、それでも後進を育てる道を選んだ彼女は、現在はM-Aの指導官補佐の 任に就いている。現役当時のアシュリーは水丸の一学年先輩であり、戦友でもあったのだ。   「君の申請だから許可したけれど、この実習にしても上級生用のプログラムでしょう。…… もっとも、彼女は十分ついて来ている。流石にあの兄譲りだわ」 「頼まれている」    ぽつりと水丸は言った。   「あいつのことは、ミュールに――あいつの兄に。どれほど恨まれようが、俺は出来ること をするだけだ」 「彼女は恨んでなどいない。寧ろ逆よ」 「どちらでもいい、あいつを鍛えられるなら」    暫く水丸を見つめてから、ふっとアシュリーは微笑んだ。   「やはり、君は教職に向いているわ。私より君が指導官になるべきだったかも」 「俺の柄じゃない」    かぶりを振り、盲目の青年は顔を背けた。  アシュリーは眉をくもらせた。友を気遣う悲痛が、一つきりの瞳に揺れていた。     【To Be Continued】       ■学園マギア■ 魔術と科学が混濁する世界。 人は”マギナ”と呼ばれる武器で魔術を行使し、科学をもってこれを鋳造した。 マギナとはマギ(魔法)とマキナ(機械)が組み合わされた造語である。 人は戦わねばならなかった。 心を持たぬ機械のように無慈悲な殺戮を繰り返し、飢えた獣の如く人間を喰らう異界の魔物達。 そして、それを利用する悪しき人間達と。 魔物の肌は鉛も火薬も通す事無く、ただ、マギナによる攻撃と魔術でのみで駆除する事ができた。 しかしマギナを自在に扱う才を持ち、魔物を駆逐できる力を持つ人間は極わずか。 そして素質ある一握りの子供たちを集め、実戦を経て人を守る教育機関が創られた。 特務学術機関「Magina-Academia」 年端もいかぬ少年少女に高度な魔術とマギナによる戦闘技術を教育し、 形だけの学生生活を味わわせるその機関を、人は『学園マギア』と呼んだ。 社会を守る為の生贄の兵士。彼らは何を思い、何を成すのか。     ■学園マギア■ エルテ=ミュール 14歳の少女。身長145cm。Magina-Academia所属 金箔散りばめたように所々キラキラ光る黒髪のセミロングに金色のツリ眼 穏やかで礼儀正しく、落ち着いた態度は普段でも戦闘時でも崩さない 凄腕のマギナ使いだった兄に憧れてMagina-Academiaに入った 既にその兄は戦死してしまったが、兄のように強いマギナ使いとして生きるのが目標 ただし兄は強いことを鼻にかけていた所は気にいらないので彼女は謙虚を心掛けている 専用マギナは十数本の刀剣と鞘を放射状を差したベルト型のマギナ「ブッチャースカート」 1、2本ずつ抜刀し切れ味が落ちれば使い捨てる、を繰り返すような戦闘スタイル 使い捨てたぶんの刀剣はあとで回収するか補充する必要がある 人間離れした動体視力とそれに対応出来る素早さを与える「神眼」のアストラルを持つ     ■学園マギア■ 梅本 水丸(うめもと みずまる) 18歳。特務学術機関「Magina-Academia」に所属する盲目の少年 白いボサボサの髪に頬のこけた痩身、目元をバンダナで覆い、白手袋をはめている かつてMAの生徒として魔物との戦いで両目を潰され盲目となるも(バンダナと白手袋は その時のひどい傷跡を隠すため)、黒髪が白く変わるほどの苛烈な再訓練を経て 戦列に復帰した 元々は陽気で熱血な性格だったが、両目だけでなく仲間達をも同時に失った負傷後は 暗く無口になってしまった 専用マギナは拳銃型マギナ「プロヴィデンス」 魔力を弾丸として撃ち出すオートマチックタイプの銃でフルオート射撃もこなせる 「見敵」のアストラル処理を使うことにより敵の位置や急所がダイレクトに使用者の 感覚へ伝わるので盲目である水丸にも射撃戦闘が可能     ■学園マギア■ ニアル・デア ガリガリに痩せた真っ黒な人型の魔物 身長1m〜大きいもので2m程度 顔から腹にかけてが縦に真っ二つに割れて口になる 口には歯がびっしり生えている 人間に飛び掛り、抱きついて食事する 動きが早く集団で現れるため街中に出現すると大惨事になるが、 マギナ使いなら容易に倒せるため低級に分類される この魔物のやっかいな習性は最後に食べた人間の姿に擬態することだ 両目をあさっての方向へ向かわせ最後に食われた人間の断末魔を 壊れたレコードのようにリピートしながら街を徘徊するニアル・デアの集団は 新人のマギナ使いに強烈な不快感を与える      ■学園マギア■ アポカリプス   腐肉と骨で構成された武装ヘリコプターという姿の魔物 飛行速度が速いうえに的確な回避行動もとるため倒しにくい 錆びた五寸釘を撃ちだすガトリング砲っぽい武装を積んでいる 爆薬を詰めたドラム缶を大量に投下してきたりもする さらに撃墜した場合には本体の内部から装甲を食い破って 十数匹のゾンビのような魔物がわらわら出てくる     ■学園マギア■ アシュリー・ガッセナール 『Magina-Academia』所属のマギナ使い。19歳。 色白の肌に腰まで伸びた黒い髪、左目の眼帯が特徴のどこか儚げな雰囲気の女性。 かつては天才マギナ使いと称され、『具現化』のアストラル処理を施したヴァイオリン型 マギナ『クリムゾン・スノウ』を駆使し、一度の出撃で500体もの魔物の群れをたった一人で 殲滅したと言う伝説を持つ記録保持者であったが、17歳の時に不治の病に侵されてしまい 実動部隊からの離脱を余儀なくされてしまう。 ゆっくりではあるが確実に蝕まれ弱っているという事実への苛立ちから一度は絶望し自害を 図るもバルモアに諭され、残された時間を使って自身の経験と知識を活かしてバルモア教室 にて指導官補佐として生きる決意をする。 現在は右腕に装着したロフストランドクラッチ(前腕部支持型杖)型マギナなしでは長時間 立っていられないほど体が弱ってしまっているが、その気高い精神は未だ健在であり 未来のマギナ使いたちの厳しくも優しい教官として活躍している。