刀だ。  黒塗りの鞘に金の鍔がついている。鍔の形がZ字になっている以外はとくに何の変哲もなく 見える刀だった。つまり十尺の巨体が持つには小さすぎるということだ。 「元々から君の持ち物には見えんな。ということは今ここで手に入れて持ちだそうとしたとい うことになる」 「…………テメェに何の義理があんだぁ?」 「まあ、ない。しかし君自身が厳密にいえばそれは無法だと喋ったのだし、なるほど、ベスカ リオ君も入ってしまっているからお互い様といっても、危険物に持ち出しはそうではない。そ れに――――」  万はわずかに言葉を切る。 「ある種の者にある種の物をを渡すと面倒になる、と仕事柄良く知っているのでね」  その言葉に答えたのはカロンではなかった。 「そのマレビト殿はよっぽど弁えているぜカロン」  睨み合う双方の横手から、影が一つ現れていた。角のはえたドラゴンと同じ形状をした頭部 と、鱗に覆われ鋭き牙を備える太い四肢のそれが、濃い褐色のゆったりとした服を天井の穴か ら届く光に晒している。  万は黙ったままただ相手を観察するにとどめた。 「チッ」 「…………先輩」  そしてカロンとディルキールの反応を待ち、味方なのだろうと一応の判断を下した。 「コロッセオ内での拾得物は委員会に提出しろ。ただのコレクション趣味なら問題なく与えら れるはずだろう? それがたとえ『誤って空穴区画に入ってしまった時』のものでもな。それ ともそうならないって確信があるのか?」  そう言ったレイズは知った顔を順に見て、最後の一人に視線を移しながら 「俺はレイズ・エグザディオだ。そこのディルキールの先輩ってとこだな。ランキング・バト リングにしてはえらく時間がかかってるから様子を見に来たんだが、こりゃまた面倒なことに なってる」 「万唯だ。帝都の軍人なのだが、私がどういう人間かは説明する必要がないようだ」 「そこの二人より長いんでね。あんたは驚かないから俺やカロンみたいな顔の人間がいる世界 から来たんだろう程度のことはわかる。そうじゃない世界から来るのが案外多いんだが」  とはいえ詳しく説明している時でもないな、とレイズはカロンに向き直った。 「なぁ、俺が言っていることは何か間違ってるか? 何もお前のものは俺のものなんて言って るわけじゃない。コロッセオは基本的に三国間の共有財産ってことになってるし、そこの物を 持ち出すなら運営委員会に許可を貰わにゃならん。そういう決まりだろう、第一回大会を始め た時からのな」  やれやれと小さく首を振る。レイズはこういった状況には慣れている。よくあることだ。こ こは戦いの場だし、試合としてでなくても小競り合い程度はよくある。 「実際、区画侵入だけなら小言ぐらいしか貰わんが持ち出しならペナルティつくぞ。ランキン グ下げたくないだろう? カロン。俺やディルキールと一緒に運営委員会に行くだけでいいん だ」  だからか、レイズは少し見誤った。 「俺様ぁな、テメェらのそういうところが気にいらねぇえんだよぉお〜〜鉄の国の奴らは勿論 気に入らねぇが、テメェらは毎度毎度規則だなんだ、騎士道だなんだ、テメェが正しいツラを しやがる」  カロンの台詞に苦い表情を浮かべつつ、それを流す。 「今は事実正しいってことに何かコメントが欲しいんだがな」 「んなもんはテメェらが決めたことだろうがよォオオオオッ! 知るかァ!!」  ちょっとした意地の張り合い。メンツの守りあいで終わる。そういう当然の予想が裏切られ ていた。カロンの怒声と共に周囲から爆音と炸裂が走る。 (爆弾を……念の為に設置してある、って、そういうことがある可能性を……)  何かあった時、そこまでするつもりでの行動ということだった。カロンは舌打ちと憎まれ口 を叩くだけで終わりにするつもりが最初からないのだ。  爆煙が急速に広がる中、レイズはすぐさま動いた。爆破で砕けた床を避けてカロンのいた場 所へと。既に手は上着に備え付けられたホルダーからナイフを取り出している。放たれるのは 竜の国の人間たちが使う『魔力』という生体エネルギーによって遠隔操作される魔剣だ。ディ ルキールの死霊術と同類のもの。  刃が煙のなかを突き抜けていく。尾を引く紫の閃光は一瞬で見えなくなった。 「ぐお、テメェッ」  あがったカロンの声が遠い。 (だが捉えた……!)  レイズが踏み込みとともに第二投を放とうとした、その瞬間、斜め後ろに強烈な力がかかっ た。引っ張られた、と気づいた時には、轟音が重なっている。 「ぉぉぉおおおおっ!?」  更に爆裂が重なる。狂ったかのように爆発が連打され、聴覚嗅覚視覚のすべてが無理やり塗 りつぶされた。  そして。  レイズは落下を知覚した。 (崩落する…………!?)  ようやく収まった混濁の中、した声は兜にくぐもった男のものだった。 「逃げられたようだ」 「ああ、アイツ、ここまでするとは思わなかった…………」  レイズが応じるのを聞いて、彼が自分と同じく掴まれていたことにディルキールは気づく。  あの時、レイズもほぼ同時に動いていたが、自分と同じように引っ張り戻されなければ彼も 爆発が直撃していたのだろうか? と、自分の腕をとっている右手を見た。やや薄いがしっか りした革製らしき手袋をしている。「帝」とはなんだろう? 「…………あの、もう大丈夫です」 「ああ、申し訳ない」  手を離す男を、逆側のレイズもやや見下ろすようにしている。“より純血”のレイズの体躯 は、カロンのようではないにしても竜の国の人間としてはかなり大きい。とはいえ、軍服に包 まれた体は兜込みでレイズとほぼ変わらないぐらいはあるから、こちらも大柄と言えるだろう。  しかし、片手で自分を引き戻しながら、もう片手で引き戻されたのだということに気づいた レイズが瞳を細めるのも当然というものだ。  視線を送ってくるレイズに頷きながら、ディルキールは鎧の下の長衣をはたく。 「…………それで、どうしますか」  周囲には崩落した上の床が散らばっているだけだ。向こうには色々な方向に廊下が接続され ているのが見えるが。 「問題は、ここが空穴区画だってことだ。空間的に不安定らしくてな、実際のところ、カロン が俺たちと同じこの部屋に落ちたとも限らなかったりするんだ」  レイズが万に顔を向け、そして次に上を見上げる。 「ああ見えてはいるが、落ちてきたからって上に戻ったら同じ部屋に出るとも限らんしな」 「では、さっきの御仁はどうやって帰るつもりだったのかな?」 「自分の意志で帰ることに関しては、こればっかりは慣れと感覚としかいえないな。まあ俺た ちは“巻き戻し”でどの道戻れるが……」  ディルキールが空穴区画における“巻き戻し”について話していないことに気づいた時、し かしレイズの方はそのまま慌てるように話を続けている。 「とにかく時間がねえ。あれだけマジになるものとなったら、アンタが言った通り面倒の匂い しかしないしな」 「まぁ、それに関しては同意だが……」 「………………あの」  今訊くかいなか迷うような調子を見せている万にディルキールが言葉を挟もうとする。 「というわけでディルキール、探知だ。急ぐぞ」  挟もうとはした。 「ああ、いわゆる“口寄せ”か」  ディルキールが魔法陣を床に書くのを、万はレイズとともに座って眺めていた。 「まあ俺は死霊術師でも鉄の国の学者でもないからよく判らんのだが、霊っていうのは、地縛 霊なんて言う奴らに関しても、物理的な空間から超越しているものらしい。だから、こっちに とっては一見無茶苦茶で慣れても迷うこの区画の位置に関しても、正確な情報が得られる、と かなんとか」  言って、レイズがディルキールに声をかける。 「しかし思ったんだが、コロッセオで死んだ人間は巻き戻りが起きて復活する。なのにコロッ セオでも地縛系の霊に接触する技が使えるのは何故だ?」 「…………過去の死霊術師たちの結論はこうです。巻き戻った瞬間より前にコロッセオで死ん だ存在を喚び出している、と」 「実は巻き戻りが起きてから次に起きるまでに死んだ人間なら喚び出せます…………。ただ、 死んでから巻き戻りが起きて復活したあとに、その人間が死んだ地点にいっても…………霊は 喚べません」 「理屈では確かにそうなるのか。ん? だとするとコロッセオがどういう来歴の存在なのかわ かるんじゃないのか? この巻き戻るコロッセオ以前に生き物がいて、そいつらの記憶が見れ るんだろう?」 「…………見ても普通の異世界の人の記憶でしかないです。だから死霊術師はこう考えていま す。コロッセオはかつてある世界の一部だったが、ある時点で切り離されて今のようになった、 と」  そこでディルキールが言葉を切り、チラチラと万を見てきた。 「…………死霊術をしていると、その、…………そういう念に頻繁に触れるので……、だから マレビトのことを意識していなくて……」  言い訳を混ぜるディルキールに恐らく微笑みながら、レイズが話を切る。 「わかった、急げって言っておいてジャマして悪い」  そうしてレイズとディルキールの会話を眺めていた万は、二人を順に見ながらわずかに頷い た。 「そちらの世界の死霊術というものがどういうものかわかっているわけではないが、彼女は優 秀なのだろうな」 「ああ、位階も牙騎士だが低いぐらいだし、術者としてもコロッセオ闘技者としても優秀さ。 まぁ可愛い後輩というやつかな……」 「私にも部下や幼い娘がいる。わかるよ」 「…………アンタ既婚者なんだな……」  そのコメントの意図を掴みかね、万は一瞬疑問符を浮かべるが、ややあってから 「ああ…………申し訳ないが私はそちらの年齢が判別できないのでね」 「いや俺だって判別できねぇよ……じゃなくて、俺は25だよ」 「34だ、といっても世界が違うとなればあまり意味のある行為ではないかな?」  そういった万にレイズは「いや」と手を振る。 「そうでもないんだな。なんせ“俺たちは会話できている”だろう?」  レイズの言葉に、万はやや躊躇いながら首を動かす。 「…………確かに」 「学者は“可能性の収束”だの“世界の恣意性”だか“必然性”だか言うらしいが、ようはこ こで交錯(オーバーラップ)するということ自体が“そういうもの”だっていう結果論的な考 え方だな。何がなんだか全く相互認識しない混沌とした出会いは起き得ない。あるいは起きて いてもそれぞれが認識しないからありえない……というべきなのか」  レイズが仰ぐように顔を持ち上げた。 「うちの世界のもうちょっと宗教的な言い方をするなら、オーバーラップをなさしめる運命、 神が“そうあるように”しているということさ。だから俺が25であんたが34歳なら、つま りそれはこのオーバーラップを導いたものの物差しということなんだ」 「事実そうなっているというのなら、それが現実的な考え方ということか」 「そのわりに、この区画で会う相手ってのは鉄の国の人間みたいなのが多いんだけどなあ。ア ンタも俺の年齢がわからないってことは……、まあ、その兜に俺の顔は入らんよな」  言われて万は魔法陣の中でせっせと動いているディルキールを見やる。 「彼女と君では顔の作りにかなり大幅な違いがあると思うが……」 「俺たちの世界じゃあ、俺みたいな顔のほうがより祖神に近いと言われている。って実際は結 構怖がられるんだがねこれ。それに我々に力を与えたもうた祖神の血が濃いってことは、力を 持たない『人間』としてはああいう顔だったのかなとも思うが……」  今までとは違いなんとなしに歯切れの悪いレイズの調子と、先のカロンの台詞。万はやや控 えめに、ゆっくりと訊いた。 「色々と三国間には摩擦があるようだな」  レイズは心のなかで舌を巻いた。いい洞察力してやがる。 「ああ…………まぁ獣の国がワリを食ってるのは確かさ」  あまり楽しい話題ではなかった。レイズはそれぞれの国の文化に触れる話題は好きだし、コ ロッセオのことに関しても強い興味を持っていた。だが現実の政治的状況に関してはあまり関 わりたくないという思いがある。 「あの世界は個人主義・一族主義なところがあってね。あんまりまとまりが良くないんだ。個 人主義は、まぁ、むしろ鉄のほうが強いのかもしらんが、あっちは制度が整ってるからな」  とはいえ無知ではない。レイズはそれに触れる機会を十二分に持っているのだ。 「そんでもって、とくに鉄の国の人間は獣の国の人間を蔑視するところがあるんだよな。よそ 者を嫌う事自体はそもそもどこでもある現象だが、鉄の国の世界には獣の国の人間を下等だと みなす思想を持つ一派もある」  言うと、万がしばし考えるような仕草を見せる。そして、ややあってから我に返るように 「自分たちは虐げられていると、体制そのものに攻撃的になる、ということだな。三つの世界 の権力が合同してここを管理しているのだとすれば、まさしくコロッセオは体制の象徴という わけだ」 「…………軍人ってのは騎士みたいなものだと把握してたんだが、あんたは豢竜院の人間みた いなことを言うな」 「君の所の制度がわかるわけではないが、ふむ、その議会かね? も、騎士の、とくに身分を 持つものが参加しているのでは?」 「ああ、まあ、そうかね。だとするとあんたも貴い人なのか? 無礼があったのなら……」 「…………先輩のお兄さんも議員じゃないですか」 「俺の家と俺の兄貴はそうなるんだろうな。が、俺はそうじゃない」  やや声が固くなった、と自覚する。万がすかさず返事を続けてくれたのがありがたい。 「ふむ、あくまで軍人でもそういう政治が分からねば務まらない職務があるというだけだ。私 はただの平民の軍人。それに、ちょうど最近そういうことが身に染みていただけだよ」  突っ込んで訊くべきところでないということぐらいはレイズも弁える。「ふうん」とだけ答 え、声を挟んできたディルキールへと向き直る。 「終わった、みたいだな」 「はい…………追跡できると、思います」  ディルキールが言うと、レイズが満足そうに 「な、こういう時こいつの術はすごく助かるんだ。よく頼りにさせてもらってる」 「こことは事情が違うのだろうが、私たちも有能な霊脳式神の後方援護に助けられているから 何となく分かる気がするよ」 「あ、あの、行きましょう…………」  気恥ずかしくなってディルキールは走りだした。どちらにしろ先行するのは自分の役目にな る。二人も後ろからついてきていた。 「カロンか、一体何のつもりなんだろうな……」  背後でレイズが嘆息した。 「そもそも、この区画には恐らく異世界のわけのわからないものがゴロゴロ湧いてくる。そん な場所でアイツはあれほど警戒心全開でどうしてたんだろうなあ」 「ええと、掘り出し物を裏に流して儲け用としている人がいるって、先輩が前に言ってません でしたか……?」 「そりゃ、あるよ。といっても掘り出し物は絶対ヤミ市行きなわけでもないんだこれが。そも そも大半のものは運営委員会も一応の確認さえとったらそのまま渡してくれるんだから。闘技 場みたいな危険な場所に近づけない一般的なコレクターなんかが買ってくれるわけだ」  レイズの話を万が引き継ぐ。 「彼の個人的敵意を考えても、あれほど必死なのは違和感がある、ということだね? それに 爆弾は我々と出会う前から仕掛けられていたのだから、感情からくる突発的なものではありえ ない」 「まぁ元々あの男はあれでかなり知能犯なところがあるんで、アクシデントを嫌ってあの程度 の備えは普段から、っていう可能性もなくはないが」  判断しきれなさから自信なさげになるレイズに対して、万が「いや」と返した。 「彼のあの反応や動きは、不満の爆発によっていつもどおりの攻撃を投入したというようなも のではなかったと思う。というより君に対して怒りを見せたこと自体が爆破の理由づくりに近 いものを感じた。間違いなくムキになって逃げたというものではないだろう。私が見てきた犯 罪者の記憶からの判断でもあるがね」 「あ、ああ……」  言い切る万にレイズがやや気圧されている。その時、ディルキールは一つ言うべきことを思 い出した。 「…………あの、言い忘れていたことが、あるんですけど」  カロンは犯罪者だ。テロ組織プラネタに属する犯罪者。 「…………カロン以外に、近くに一人います」 「プラネタの仲間がいる可能性は、高いな」  レイズは思わず牙を向く。 「プラネタの目的そのものはコロッセオとそこから生まれる世界の関係を断ち切ることだ。だ からコロッセオに絡んで色々と利潤を求めるための犯罪組織はもっと他にある。ただ、プラネ タもそういう関係から金を調達することもあるはずだ。どっちにしたって世界移動の窓口はコ ロッセオだしな」 「念のためそう考えておくべきだろう。仲間でなくとも協力者ということはありえるのではな いかね? さきほど彼は、意図的にコロッセオにいるかのような事を口走っていた」 「おいおい、それは……………………なかなか厄介な話だな?」  レイズは頭を抱えたくなった。しかし、なればこそ余計に急がねばならない。 「……………先に、もう一人の方に接触しますか?」  左目のあたりに霊魂の輝きが重なったままのディルキールが振り返る。  二手に分かれるか、それとも確実性を期すべきか、レイズは数瞬迷った。だが結論を出す必 要はなかった。  ディルキールが何かに気づいたように慌てて前に向き直る。  レイズが目をひそめた時、万が一歩大きく踏み出して、ディルキールが叫ぶ。目の近くの光 が赤くなって散った。 「向こうに、気づかれました…………!」 「魔法使いだと!? “ウチの”か!?」  レイズの言葉とほとんど同時に突っ込んできたのは巨大な火球だ。万がディルキールを抱き 上げて飛ぶのを見ながら、レイズは慌てて立ち止まった。  かなり手前で着弾した火球が床をえぐり熱風と魔素を撒き散らす。破壊力から、レイズはす ぐさま敵の力を推し量った。 (この威力のドラゴン・ブレス!? ……下手すると竜騎士クラスだぞ)  一瞬、レイズが警戒した相手は有名な元竜騎士だった。自分が生まれるよりも前にコロッセ オの戦いに溺れひたすら殺し合いを望むようになって放逐されたという暗黒騎士だ。直接ぶつ かった事はないが、もしそうならばカロンとは関係なく非常に厄介なことになる。恐らくマレ ビトたる万が危ない、と。 「万さん! ディルキール!」  叫んだところで、真っ白い風の中から切っ先が来た。 「うおおおおおおっ!?」  とっさによじった身を矛の刃が滑っていく。わずかに鱗が剥がれて飛んだ。突き抜けていく 矛槍から身を離しながら、腰の長剣は抜かなかった。 「牙紋即応……ッ!」  服のベルトに装着されている短剣が紫色の光を放ちながらひとりでにホルダーを抜けて飛び 出す。即座の反撃のための迎撃用操作魔法であった。これならば突き出された矛槍に抜剣を抑 えられる心配もない。  跳ね起きるような短剣が槍の持ち手たる赤い影に殺到し、 「遅い」  そして宙を貫いた。  赤い影が消えている。 (やばい……!)  レイズはねじった身をそのまま回転させながら長剣を抜き放とうとして、そこで、矛槍の刃 に押しとどめられた。レイズが向き直るより早く、相手が後ろにいる。 (今の、を、俺は、知っている)  刃はそのまま首に押し当てられ、柄がレイズの右手を抑えている。刃を前にさせるだけでは 止まるとは限らない、コロッセオの戦いに慣れた者らしい手際だった。刃は傷を意識させるも のではなく実際的に首の動きを制限するために使われているのだ。  そして突きつけられた刃に、レイズは恐怖でも敵意でもないもので応えた。 「姐、御…………」  ギョロと動かした瞳に映った想定内の相手を見て、レイズ・エグザディオは牙を噛んだ。  真っ赤な長衣の女だった。額に二本角が見えている。  一瞬でレイズを制した女に対して、万に抱き上げられたままのディルキールは迷わず攻撃魔 法を放った。ミツヨシとの戦いでも使っていた霊魂のエネルギーを飛ばして生体にダメージを 与える投射魔法だ。  跳びかかる霊撃を認め、女が短く息を吸った、と思った瞬間、女の姿が消えた。 「ごォっ」  同時にレイズが濁った声を上げる。離れる瞬間に当てていた刃で引き裂いたのだろう。血が 飛び散り、そこをディルキールの飛ばした霊魂が通り過ぎる。 (……っ、治療魔法を……)  死霊魔法には生命力を与えるタイプの技もある。レイズに意識をやった一瞬、赤い影が右を よぎった。 「……ぶれず、う゛ぉおぐだっ、ぃげろっ」  血を混ぜたレイズの声が飛ぶ。だが近接戦闘においてはディルキールより数段上のレイズが 追いつかない動きに、彼女が通常状態で反応できようはずもない。  突風とともに女が左側に現れ、矛槍を振り下ろす。それに対して腰を落としながら柄を左拳 の底で受け、下にかかる力を斜めに逃して前へ滑らせ弾く。その流れのまま抱えたディルキー ルごと身を右回転させ、地を滑るような回し蹴り。  ディルキールが反応できたのは万に振り回されたまま放り投げられた後だった。着地を足で 刈られた女が片手で地に手をつき、もう片手で矛槍を振り上げているのが離れて見えた。 「よろずざんっ いぎを ふがぐずわぜるあ゛ッ」  投げられたディルキールを首から血を流すレイズが受け止める。さすが、その硬い体はそう 簡単に致命傷を受けない。  矛槍をかいくぐり、振りぬかれたその柄を今度の万は掴んだ。しかし巻き起こる風とともに 全身を片手で跳ね上げた女が無理やりそれを振り回す。 「ごほっ…………“咆哮歩き”だ」  ディルキールがあわてて魔法をあてるのに、レイズが呟く。 「ドラゴン・ブレスの、為の、エネルギーを…………口からではなく、全身で使う移動法だ… ………本来ドラゴンは、飛ぶ、ものだからだ…………」  そうしている間にも、女が万に連撃を入れていく。矛槍という長い得物を使っているが、懐 での不利を殆ど感じさせないスピードだ。細かい加速が隙を全て潰している。  それでも、一気に距離を詰めた時のような爆発的加速はない。 「呼の前の深い吸ができていないからだ……深い呼吸させるとやばい」 「……………………そんな技が、あるんですね」  竜の国の人間であり、コロッセオ参加者としてそれなりのキャリアを持つディルキールも、 それを知らなかった。 「そりゃあ、ブレス自体使いこなせる奴がどれだけいる? ああいうのは、竜騎士でも限られ た人間だけが使える技だ。だから間違い無くアレはアイリーンの姉御なんだが」  そうして、とりあえずの出血がふさがったところでレイズが振り返る。 「それが、なんでお前とつるんでるんだカロン……」  ディルキールの追った視線の先、青い巨体が居る。  しかし離れたところからカロンが見ているのはレイズらではなかった。 (おいおい…………マジかよ…………あの野郎、“テミス”の攻撃を凌いでやがるぞ?)  プラネタに竜の国の人間であるテミスがいることを、カロンは好ましく思っているわけでは ない。しかしその戦闘力の高さを彼はよく理解していた。だからこそいけ好かない竜の女だろ うと我慢してやってきているのだ。  そのテミスが放つ矛槍の連撃を無手の男が完全に捌いていた。  遠くからでも視認が困難な突きを腕を回すように受け、引き込む。崩されたテミスもすぐさ ま立て直すが、そのために呼吸の“溜め”が費やされているのだ。だから、一気に爆発的加速 を得ることが出来ない。 (言っておいてやった。天井をぶちやぶってきた男がいると言っておいてやった……あのナリ で俺たちにひけをとらねぇパワーがあるんじゃねえかと)  カロンはじっと冷えた眼で戦いを見ている。 (だが違ったな。やべえのは、真にやべぇのは、奴の“護り”だッ!)  気づくと声が漏れていた。 「あの野郎…………一歩後ろに下がることすらしねぇのか」  そうして、カロンは舌打ちとともに歩き出した。 「仕方ねぇなあぁあああ…………」  前にはレイズとディルキールが身構えている。既に紫色の剣と輝く霊魂がその周囲を取り巻 いており、いつでもこちらに対して攻撃をかけられる態勢をとっていた。そちらへと向かって のっそりと進む。先程使った機雷鉄球はもう使ってしまって今のところスペアはない。だから 代わりに金属でできた巨大な筒を肩に担いでゆっくり歩く。 「止まれよカロン」  レイズの声がして、カロンは立ち止まった。 「加勢しにいかねぇのかぁ? んん〜?」 「こっちの2対1でケリをつければ話は終わりだ。だろ……?」  カロンは頭頂部にある鼻孔を鳴らした。 「まあ好きにしろよ、俺様も好きにすっからよおォ」 「動くなカロン! お前の持ってるその剣だかなんだかを渡しておとなしく帰れ! そうした ら委員会には何も言わないでおいてやる!」  レイズの声を無視してカロンは筒を前に向けた。  それは、勿論鉄の国のものだった。戦争の際に、重装甲と高い走破性を備え敵兵の攻撃をも のともせずに突破し蹂躙するという考えのもと作られた車両同士が戦うにあたり、強力な大型 の大砲が必要となった。  コロッセオが中心となった三世界は戦争という存在がやや重みを失った。各世界の中でそれ がないわけではないが、コロッセオではそれは無意味なものでもある。あまり馴染みがないの だ。戦車砲というものは。  前に向けていたそれを、おもむろに少し横に振ってみる。 「どーん♪」  テミスが相手から飛び退いた瞬間、カロンはそれをぶっ放した。  プラネタ幹部アイリーン“テミス”アズラエルにとってそれは確かに予想外の事態ではあっ た。 (カロンめ、適当なことを言う)  小規模な咆哮歩きによる連続加速をもってしても打倒できないその動き。それは腕力の問題 ではない。たとえば獣の国に存在する獅子王流のような『技術』。『武術』だ。眼前の相手の パンチがカロンより衝撃力を持つかといえば恐らくそのようなことはない。だがカロンのパン チを防ぐことができても眼前の相手の拳を防ぐことはできないかもしれない。  レイズとディルキールの二人のみなら自分一人で片が付いた。かつての弟弟子と更にその後 輩だ。おおよそ戦力は計り知れる。更に一人増えても、さほどの違いはあるまい。そう思って いたのは完全に間違いだった。 (だが、まあいい。別に私も一人ではない)  受けから取られるのを警戒し、矛槍を小刻みに滑らせる。突きつつ切るように流しながら前 に出すことで反撃を牽制する。 (今……!)  呼吸の溜めの残りを一気に吐き出しながら、しかし踏み込まない。逆、後方へ飛ぶ。これま では後退で呼吸を使い切った所で追撃が来る危険の為に、距離を開けて呼吸をとることを選ば なかったが、今はカロンの準備が整っている。  攻撃するのが自分である必要はない。 (更に、ダメ押し……だ!)  使いきった呼吸の最後のエネルギーを操作する。移動のための風ではなく、先程放った熱の ブレスと同じ要領で、しかし逆。  敵の右脚に霜が浮かぶ。熱を奪い空気を凍結させることで動きを阻害する魔法だ。  最後の離脱手段として残してあった凍結魔法によって、敵はカロンの砲撃を回避することも 封じられた。  弾丸が空を裂く。  そして空気を叩き潰すような破裂音。  その音が着弾による爆裂音ではないと気づいたのは、ディルキールだった。  ついさっき、彼女はそれと同じような音を聞いている。  だから、レイズよりも早く彼女は動いた。霊魂をカロンに向けて打ち出すとともに、自分の 鎧にまとわせるように別の霊魂を喚ぶ。  晴れた煙の中、万が受けを終えたような、突きのような姿勢のまま立っている。左脚の下に は巨大な亀裂。 「――――まあ、戦車と戦うこともたまにある」  テミスが叫ぶ声がする。 「カロンッ! “次元斬り”をこっちに渡せッッ!!」  そして同じ頃、コロッセオに三世界から入った際にまず目にすることとなる巨大なエントラ ンスホールで一つの騒ぎが起きていた。  三世界の人間全てが波のように引いて、雑踏が真っ二つに割れている。  その中をゆっくり歩いて行く。 「い、一体どういうことなのです? 何故貴方がいらっしゃるのですか?」 「お待ちください! 貴方が入るということが一体どういうことなのかわかっていらっしゃる のですか!?」  声を引き連れながら、一歩一歩と闘技場の戦闘区画へ向かっていく。  左右の人だかりは全てが彼を見ている。鉄の国でも最高級の黒いスーツに身を包んだ体は、 あのカロンよりも更に二回り以上巨大だ。 「貴方のお立場をお忘れではないですか! この通常期間に貴方が……」 「そ、そもそも一般入場というのは……」  くり、と動いた瞳が金色に輝いている。 「じゃあなんだね。儂、運営委員会の常任理事はやめんといかんかねえ?」  子供のようにおどけた声で応える赤い龍に、場内スタッフたちが呆れた声を吐き出した。 「勿論そういうことを言っているのではありません、アズラエル老!」                                       【続く】 捕捉 レイズたちが○騎士とか言ってるのはこの劇中における位階です 尾→爪→牙→翼→咆→竜 レイズの兄の方の称号を見て、そこに色々称号がつくのかなと 魔導+聖+竜みたいに まあ雰囲気雰囲気 ■レイズ=エグザディオ■ http://wikiwiki.jp/overlap-c/?%A5%EC%A5%A4%A5%BA%3D%A5%A8%A5%B0%A5%B6%A5%C7%A5%A3%A5%AA 性別:男 年齢:27歳 龍の国出身の魔術剣士、複数の龍の血を濃く受け継いでおり龍頭人身、鱗は少なく細身 一角を生やした凶悪な面構えだが物腰も柔らかく理知的で優しい子供好き、自分の顔が怖いので 子供達が怖がることに悩んでおり嘆息する事が多い 剣術と複数の属性を組み合わせた魔術を操る戦闘スタイル 鋼線やプレートなどが編み込まれた導師服と術式によって操る紫水晶製の短剣や中剣など18本を装備 メイン武装として長剣や鉄の国製のチェーンソーブレード・ガンブレードを気分で選択し使用 探究心が強く他国の文化や文明を調べており他国への定住を考えている ■アイリーン”テミス”アズラエル■ http://wikiwiki.jp/overlap-c/?%A5%A2%A5%A4%A5%EA%A1%BC%A5%F3%A1%C9%A5%C6%A5%DF%A5%B9%A1%C9%A5%A2%A5%BA%A5%E9%A5%A8%A5%EB 竜の国出身、法衣を着た竜人女性、緑髪のショートカット、二本角が額から生えている。32 歳 プラネタの幹部サテライトの一人、コードネームは『テミス』 竜人である彼女がプラネタに参加した理由や経緯は不明 組織の創設者の正体を知る数少ない人物の一人でもある 完璧主義者で失敗を嫌い病的なまでに潔癖 戦闘力は非常に高く、ハルバードと魔法を駆使して戦う。状態異常に陥らせる魔法と膨大な熱量によって対象を蒸発させる魔法が得意 とある目的の為にコロッセオの占拠を画策している、らしい