エージェント・アクス『ザ・ゲイズゲイツ』。  彼はそれは気の良い奴で、話していて飽きが来ないサイボーグである。  タワーとも呼ばれるこの世界を管理する者から、重大な任務を受ける程度には腕も立ち、 困っている者があれば手の空く限りにおいて手助けもする。  彼を冷酷と謗る向きもあるが、少なくともこの界隈に於いて彼を非難する者はいない。  彼の任務はまた、住民の生活、その安全にとって重要だからだ。  それは足の下から這い上がってくる。  イエ、と呼ばれる奇妙な植物である。  それはまったく強靭で、瞬く間に増殖する。有機無機の区別も無く分解しながら。  一切の種子、傀儡を侵入させてはならないのだ。  故に、アクスはゲイズゲイツと呼ばれる。  彼は数多の門に睨みを利かせ、この世界の安寧を守るべく、確として立つ。  お困りならばアイツを呼べ。                            ――此処では誰もが口にする。            正否無くゾロアスタ/                    /BANG THE HERO 「おおい」  金属斧が床を叩く音に続いて、野太い男の声が遠近に反響する。  斧の柄から伸びる白と黒の装甲。如何様、膂力の強そうな肩から、分厚い胸甲。そして、 特徴的なフェイスガードから爪先に到るまで。全身が金属で鎧われたモノが振り返る。  太った腹を揺らせて、湧き出る汗を拭き拭き、よろよろと男がやってきていた。  かっかと靴音を金属床に響かせて、着いたら着いたで金属壁に凭れ掛かる。  ひいひいという彼の悲鳴を聞きながら、斧から手を離してソレは訊ねた。 「まったく、息切れを起こすような狭さでもなかろう」 「運動なんて滅多にしねぇんだ」切れ間から弱音まで漏れる。 「此方はご覧の通りだ。やってられんな」  特徴的な頭部を振ってみせる。天井の配線――金属でカヴァされたそれ――にぶつかる と、きーきーと音が鳴る。凡そ頭頂から扇状に広がったそれが揺れる様は振り子時計を逆 さにしたようだ。 「あんたと一緒にするんじゃあねぇよ、ミスタ・アクス」 「こんな通気に何の用がある」 「それが、あるんだよ。あんたが血気盛んにぶった切っちまったソレにな」  指差す先には太い木の根。金属の隙間からせり出し、もはやそれを歪め、まるで行き場 を探すように宙に根の先を伸ばしている――いた。先刻まで。  アクスは周囲を見回した。表情の見えないその仕草は、まるでナンセンスな提案を聞い て否定しているようだ。それから、向き直って両手を広げる。お手上げ、降参。 「カメラは無いようだな。では、見料でも取るつもりだったのかな。倍速で録画でもして おけば良かろうに。メディアの分だけ上乗せできるし――それなら此方で用意するのもや ぶさかでは無い。言われて見れば面白い見世物になりそうじゃあないか」  今度は男が首を振る番だ。 「まるで違う。そいつは良い茸が取れるんだよ。煮て美味い、焼いても美味い、腹も壊さ ない。病気が治ったなんて言い出す始末だ。あんまり口にゃあできねぇんだよ――取り尽 くされたら元も子も無い」  かん。アクスは腕を組みながら、これはしたりと己の腕を打つ。 「それはすまなかった。しかし、茸なら菌類だろう」  顎を少し上げて、相手の反応を待つ。なんとも判った様な判らん様な顔だ。 「そうだな、此処から向こうに行けば」背の側を親指で示して続ける。「手付かずの木材 プラントがある。合成じゃない、天然ものだ。どうしたものかと考えていたが――そんな 内に苗から種、葉の形まで記憶してしまったよ。私の任務を邪魔をするでもなし」  それから顎に手を当てて、俯く。 「森林浴にも結構と思っていたが、いっそファームにしてしまおう。その茸が生えていた と言うのなら、その根は充分な苗床だろう。そう言えば、プラントの入り口が狭いな―― どれ、吾等が茸農園主を邪魔する悪の不良隔壁を、一太刀に伏してしまうか」 「ひは。流石ゲイズゲイツ。話がとんとん拍子で怖いくらいだぜ」  小躍りする男を眺めながら、アクスは片手を宙に彷徨わせる。突き立ったままの斧に手 が触れた。そうして――  小躍りも止む。疎しげに男が下から見上げ始めた。 「やりすぎた」  彫像のように動かぬまま、アクスが呟く。 「抜けんな」 「うはははは。型ナシだぁな、旦那ぁ」  ひとしきり笑ってから、男が続ける。 「まぁ、前祝いだ。斧は俺がどうにかするとして。ファームは良いが、あんたの口に茸が 合わなかったらどうするよ」 「無論」  現金にも斧から手を離して、言う。 「売れば良いんだろう。お前が捌く前なら値も上げられる。美味いものなら、それで間に 合う。選り取り見取りだ」  しらと言い切るアクスの様に、今度こそ男は転げて笑った。  そうして、ご存知の大ホールである。  ご存知であるかどうかは兎も角、何が大きく、何が穴であるのかはアクスも知らない。  上から下までアクスの巨躯でも引っ掛けるものは何も無い。見上げれば数多の照明で霞 む天井、見下ろせば模型めいて見える多くのガラクタ。この大ホールは何処よりも「高 い」。空を飛ぶような奴から見れば穴のようにも見えるだろう。アクスはそう断じる。  もしかしたら、もともと人間は天井に張り付いていたのかもしれないが。思って、首を 振る。それでは結局見上げる形になる。重さに関係なく張り付けるというのなら、もはや 上も下も無い。廃棄物が落ちてくる廃棄場も近いし――まぁ此処もそうだった、という所 が妥当だろうか。  思いを馳せながら、アクスは通気から身を乗り出す。壁に沿って備え付けられた階段を まるで気にも留めず――一息に、落ちた。  金属の隙間を抜ける風。足先から湧いてくる浮遊感――少しだけ。  間を置かず、アクスは床に音を立てて着地する。耳障りを越えて衝撃に近い衝突音、微 かに沸き起こる砂埃。加えて、悲鳴――悲鳴ときた。  やってしまったかな。さして慌てもせずにアクスが立ち上がる。市を開くのでなければ、 わざわざ大ホールに寄って来る者はいない。下に降りる階段も近い――わざわざアクスを 守り神のように立たせてから開市を叫ぶのだからたまらない。  悲鳴の方を見てやる。  蠢いていた。  数瞬、吾等がゲイズゲイツも何を見ているのかすら考えられなくなっていた。  肢が四本。それも瀟洒に彫り込まれ、まるで芸術品。四角い体躯から伸びたそれが、ゴ ムのようにうねんうねんとそれは縦横無尽に。空を、掻いておる。  自走するコンテナが悲鳴。細工にしたって趣味も悪い。  と、それがふいっと動きを止めた。 「思うが、話し合う時に相手が倒れている事は失礼にあたる」  どうしてか話し合う事が前提になったようなものいいがついた。  よくよく見れば、箱の上からはにゅっとヒトガタの上半身が伸びていた。剥き出しの白 い膚に、末端には芸術的な凹凸。肋骨の僅かな凹凸から不意に山形の膨らみ。首まで辿っ て暗青の髪に行き着き、最後に頭頂に尖った耳。耳とくる。上に向いた長い三角形。  それがぴくりと此方を向く。 「おんしが原因ではない可能性は可能性として、おんしは助けも寄越さんか。倫理は塵か、 飽きたの芥。海砂利水魚にょ水餃子」  噛んでるし。 「お前には立派な腕があるだろう」  言ってやると、耳の動きも止まる。よっほ。巨大な箱が持ち上がった。伸びた肢がピン と立つ。しばらくお待ちください。思わずテロップを付けたくなる。 「ご進言に感謝の念はとめどない所、誠に申し訳ないが、おんしは箱が邪魔をする事など 判っての無礼か」  じゃあやるな。  仕方なく――というより性分か。持ち上がったままのその箱を両の掌で挟み、手首の力 で、ぐるんと回してやる。勢い、耳の生えた頭はアクスの装甲に激突した。 「これは失礼」 「何が失礼だ。無礼がブレイドか」  違うそうじゃない。  思いながら、改めて見下ろす。箱だ。確かに。上から見れば中は中空で、中身が無いな ら持ち上がりもするだろう。箱に入った女というのは――まぁ見たことは無いが聞いた事 はある。箱の縁に身体の乗っかった女となると、今、現物を拝見している訳だ。姉妹か。 「ボックスフォックス。フォックスでボックスが申す。此処に線を引きたいと進言する」  いきなりなんだ。顔を上げて叫ぶ。  奇妙な、見た事の無い――見慣れた奴。アクスはそうと判じた。イエだ。知性を持った イエ――もっとも、会話にはならない上に煩いが、何か考えているだろう事は如何にか判 別が付く。千夜一夜に安楽椅子探偵、もっけ、ぽよぽよ、逞羅漢。この界隈で偶に沸く、 妖怪騒ぎの元凶でもある。  傷は無いかと思いながら、アクスはソレの髪を探る。瘤が一つに耳の付け根のふわふわ。 イエの種子が付いている風ではない。  こうも単騎で暢気に事に当たっているのには訳がある。  イエの種子は、小さくても人の頭ほどの大きさがある。発芽も遅い。その上、動く方の イエがこの有様だ。まるで繁茂の意思も無い。草刈り。なんとも間の抜けたイメージ。  これらが単純な植物でなかった事は幸運なのだろうか。動かぬイエも何か考えているの かもしれない。イエとヒトとを橋渡しするハイブリット――その為に産まれたこれら。  その点では、自分も変わらない。僅かの親近感も覚える。中間管理職としての。  アクスは、完全なアーティフィカン――人造種だ。人間にインプラントしたものをサイ ボーグと呼ぶのなら、それですらない。初めからそうあるように組み上げられた。胎児の 段階から身体各所、脊椎、脳の深部に到るまで。それを人間と呼ぶか。少なくともアクス はそうは思わない。  フェイスガードを外せば人間らしい顔もある。それはむしろ仕様上の不良だ。同輩の エージェント、エージェント・ニードルを見れば良い。機械の中に脳が挟まっているとで も表現した方が早い。調整の難しいフルスクラッチから、量産化へ向けての試作機。  アクスは生産計画の面から見ても、中間に挟まれた存在だった。 「アクスだ」なんともさわり心地のよい耳のふわふわをくすぐりながら言う。「ゲイズゲ イツと名乗った方が通りが良いか」 「ふむん、トントンツーの通天閣で、とんと見当も付き申さん。わけわかんねー」  訳が判らんのはお前だ。 「それでお前は、ボックスフォックスと呼べば良いか」 「そうだな、フォックスがボックスでZOC――しかしておんしは話を聞かんな」  聴いてる聴いてるから。ゾーン・オブ・コントロールがなんだって。ZOC無視の能力 な。アレ数値か何かで制限した方が面白いと思うんだよ。狭いけどZOCが強力な奴とか 移動能力低いけどZOCの影響全然受けないとか。それで思わずZOCに足を掬われたり したらたまらんね。電子遊戯っていうのはスッて覚えるんだよアケゲー派なら解ろう? 「ところで線を引きたいと申しておるが」  お前も大概、話聞いてないな。 「サイン・ペンでも持ってきたのか」 「おんしは。サインもコサインもタンジェントの瞳の色に隠された財宝もあるか」  誰だタンジェント。  しかし、無碍にも出来ない。下には潤沢な植物がある。生鮮食品が。コイツがまったく 大人気で、うまくせしめれば暫く遊んでいても良いくらいだ。アクスの経験則が告げる。 理性も手を打って騒ぎ出す。どうせ細かい相談など持ち込んでこない。訳の解らない時は 機を待てば良い。問題が向こうからやってくる。  大洪水で世界崩壊みたいな事を言われた時は蓋を開けてみれば配管の水漏れだったし。 やめてください本当に。なんか土でも枝でも詰めとけよみたいなレベルだった。  にゃーにゃーぎゃーぎゃーわんわんここん。ボックスフォックスは殊更に煩い。腕をペ シペシ叩いてくるわ、肩に手を掛けて懸垂を始めるわ。アクスは面倒になってきて――音。  何かが足元に転がってきていた。丁度、掌に収まるような握りの付いた金属棒。 「あ」  麻や綿や絹。どれも此処らじゃ貴重品。それを纏って、手に手に武装した集団がやって きていた。一人が取り落とした物が転がってきたのだ。  持ち上げて、訊ねる。 「落し物を取りに来た――それで済ますつもりはないかね」  それから、足元に目を向けて、訊ねる。 「さて、ボックスフォックス――線とやらは何処に引く」 「ゴロンと無論、おんしが引くのは」悪戯を思いついた子猫のような顔。「奴らのナマの 生の制。まるごと一切、欲の所為」 「引け」  箱が叫ぶ。 「耕せ」  相手も負けじと張り上げる。  金属棒を左手に持ち変える。慣れぬ武器なら利用して、慣れた利き手は素手が良い。  銀として挙動、貫として構え。アクスは徒手を前に、右半身に腰を落とす。  最初の男がバーナー・バーを突き出してくる。高温の炎を吹き出す長柄の武器。落ち葉 の宙で踊る様にかわす。上半身だけを動かして――引いた左は真一文字。  その上をすり抜けて、一閃。首に受けた男が放物線に飛んでいく。  怒涛は止まらず、次が左右からやってくる。右の逆手のハンマー男を次の一歩で掌打に 伏して、左の太刀を肩で受ける。ご覧の通り、傷一つございません。首を鳴らして、反転。 ソバットが太刀ごと折り飛ばす。そのまま停止――まだやるか。  遠巻きにしつつも、引く気配は無い。  何かある。  轟音を上げて粉塵が舞う。はいドンピシャ何かありました。壁を突き抜け飛び出てきた のはまさかの巨大トラクター。お前らどんだけ畑つくりたいの。  トラクターの横から突き出た二本の豪腕が地を叩く。緑の筋が浮いたナマモノ。  面倒くさくなってきた、と思った所に何かがまた来た。 「ココはアタシに任せな」  轟音と共に降り立ってくる、白と銀の――ご同輩。  両腕にマウントされた荷電粒子砲をちらつかせ、フェイスガードも付けずにやってきた。 エージェント・ブラス。背丈は箱とドングリの、小型・高火力のエージェント。  少女めいた顔で、髪の隙間から白い歯を覗かせる。面倒な弟まで来た。  因みにベースの遺伝子はXX。殆ど首から上しか無いのに性別が何になる。少なくとも アクスはそう思う。じゃじゃ馬で済まされない性格もあって。 「お前、何をしてるんだ」 「デカイ音がしたら、撃って良いんだよな。撃っていいよね、いや撃つね。アレ撃っても 良いんでしょう。このアタシが。至近距離で。直接」 「アレだけな、アレだけ」  妖怪トラクターを指差した瞬間、隣の壁まで吹っ飛んだ。巨大な蜥蜴が目の前を突っ切 っていく。まるい腹部にガチャガチャと鳴る左右二十六対の金属爪。  新しい妖怪伝説が生まれそうだった。 「という事は――」もったいぶってブラスが言う。「――別に、アレを倒してしまっても 構わんのだろう」  変なフラグを立ててきた。  仕方が無い。アクスは足を下ろして、金属棒も放る。お手上げ、降参。  その広げた両手から、何かが滴り落ちてきていた。  それは水銀のような液体だ。重さに従って落ちる――筈のそれが、中空で止まる。  同時に、アクスの装甲の白が、鈍く輝き始める。そうとも、銀へ。  銀の血――流動する金属製のナノマシン。普段は全身を巡り、酸素すら運搬し、身体の バランスから強度の補佐、補修までを行うもの。  だがしかし、一部の手を加えられたそれは、分散した情報を正しく再構築して、強力な 武器を成型する事が出来る。  ゲイズゲイツ。そうでもあるが。  もはや細い糸で吊られている状態のそれらを、腕を一閃に下ろして掴む。  左手に火炎放射器――廃棄場でお馴染み、全部まとめて、塵は塵へ。  右手に戦斧――手に馴染む大きさ、巨躯に似合いの凶暴さ。  アックス。  エージェント・アクス。  ブラスの砲火が照らす中。  銀の戦鬼は静かに獲物を睨めつける。