カロンは恐れや驚きを通り越して呆然としていた。 (……え? は? 拳?)  自分の方に向かって突き出されている手が、あたかも打撃を繰り出したかのような形のため か、自分に対して攻撃が放たれたかのような思いさえ浮かべてしまう。いやいや、しかし彼我 の距離はあまりに遠く、そんなはずはない。ただ、自分が砲撃し、相手が弾き飛ばしたという 事実があまりに突飛すぎ、思考が明白な事実の手前で足踏みしていた。 「カロンッ! “次元斬り”をこっちに渡せッッ!!」 「ハッ!?」  その自失に滑りこんできたのは半透明に輝く死霊だった。  完全に不意打ちを食らい、あわてて戦車砲を振るが、それは完全に失策だ。死霊は物質化し ておらず、金属の塊をすり抜けて体に接触してくる。  視界がぶれた。 (ま、魔法による精神攻撃……か!)  四肢の力が勝手に抜けていく。生物に死霊という別の『意識』をぶつけることで意識混濁に もっていく【ブリンク・バジリスク】だ。  なんとか力を振り絞り、頭を後ろに振り上げながら後退。死霊を引き剥がす。よく使われる 戦闘用魔法に関しての内容と対策はカロンも頭に叩きこんである。鉄の国の爆破工作技術ほど 難解なわけでもない。  だが、その時にはディルキールが鎌の間合いまで接近してきていた。  【バジリスク】を食らった時点で再装填を要する戦車砲は手放している。素手のまま右手を 袈裟に振り上げ殴り飛ばす。華奢な体は、しかしカロンの巨大な腕が生み出す衝撃を完全に殺 した。乾いた破砕音とともにディルキールの身体から光の飛沫が散る。 (【ドラゴンスケイル】か!)  実際にはそれは更に上位の防御魔法である【リバーススケイル】だった。それは衝撃を防ぐ だけではなく、受けた衝撃を魔力に転換するものだ。獣の国の人間でも明らかに読み取れる魔 力の流動で、カロンもまたそれに気づいた。 (あえて、か! コイツ、あえて近距離で身を晒しやがったな……!)  確かに、中距離戦闘型の魔法戦士としては不自然な行動ではあったのだ。  後悔する一瞬にも魔力の流動は暗黒の光となってディルキールの鎌から吹きすさび、振り下 ろされた鎌の先端から地面に弾ける。 「【フィールズ・オブ・デスペア】……!」  少女の声と共に地面に黒光が奔る。瞬時にカロンを取り囲むようバラバラの頂点を描いて広 がった光は、それぞれが末端の地面から空中へと伸びて、カロンの頭上で再び集結する。  檻だ。  カロンはこの魔法を知らなかったが、わざと自分への攻撃を誘い込んで発動させた大技なの は間違いない。今までの霊魂攻撃の比ではない攻撃力が、あと一秒もないうちに完成して自分 の身を包むだろう。  取り囲む縞模様が閉じようとする中、しかし、カロンは声一つ上げず、己の奥歯を噛み砕い た。  獣の国の人間の特徴は、何にもましてタフであるということだった。  鉄の国の様々な兵器に比べて、例外や個人差はあるとはいえ、平均的には魔法はそこまでの 破壊力を持たない。その分、様々な効果を持ち、汎用性の高い魔法は、鉄の国の防護手段や感 知技術に対して有利に立つ。しかし獣の国の高い生命力と耐久力には効果自体が薄い。  そういうわけで、竜の武は鉄の武に強く、鉄の武は獣の武に強く、獣の武は竜の武に強いと いうような大まかな相性もないではない。  だからディルキールは大技に出た。敵の茫然自失で得ていた数呼吸の有利を仕込みに費やし、 敵の攻撃をカウンターで利用しての精密洗脳魔法。精神作用型の魔法は頑強で攻撃魔法や障害 物型魔法に強い獣の国の人間にも比較的有効なものだ。空間包囲のため一度発動点で捉えてい ればほぼ必中・防御不能。動きさえ止めれば、あとはレイズと畳み掛ければいい。  檻が成った時点でカロンの敗北は決した。  カロンが爆発しなければ。 「――――!?」  黒光の檻から溢れだした爆圧と驚愕がディルキールの全身を打ち据える。恐ろしく長い浮遊 感。終わりは地面への落下衝撃だったが、爆圧で意識をほとんど刈り取られたディルキールに はそれが何かも分からない。 「ディルキール!?」  レイズの声と、軽い落下音――――追撃に放たれていたレイズの魔操短剣が爆圧で薙ぎ払わ れたことを知らせる音――――もディルキールにはほとんど聞こえていない。 「がっ…………は、ははは、ヒャ…………」  ただ、唸りのような擦れた笑い声だけが耳に染み込んでいく。  吹き飛ばされ仰向けに倒れているその上にかかる影。  カロンだ。 (やりやがった……)  距離の離れていたレイズは全てを見ていた。爆発したのは正確にいえばカロンではない。カ ロンの来ていた上着だ。 (上着に爆弾を仕込んでいたのか! だがいくら向きがあっても、相手を攻撃するために自分 の体に密着した爆発物を使うなんて……)  しかしそれがカロンのとりうる最良の手であったのは確かだ。魔法自体を破ることも、防御 することもできないならば、術師本人を魔法が維持できないほど痛めつけるしかない。それは 檻を超えて一瞬でディルキールの意識を文字通り吹き飛ばす唯一の手だっただろう。  それに、このコロッセオでは負けるぐらいならば何がなんでも相打ち狙いという選択はそれ ほど間違いではないのだ。  が、カロンは炸裂で体の全面を裂傷と火傷まみれにしながらも前に歩み出た。  獣の国の人間であること、カロン個人の巨大な体躯を考えるとしても信じられない動き。本 来ならば激痛でのたうち回っていなければおかしい。 「か、は、ゲボッ、オ、はは、悪ィィが……俺様はガルシア“カロン”ハープーンだ。死河の 向こうに行くのはテメェだけだぁ……まあどうせ一時的な話だがなぁ」  カロンの無痛症が広まるのはいまだ先の話であり、一つはこの出来事がレイズによって語ら れたことによる。  だが今は、判断の付かないことを棚上げして、レイズは走り出していた。  ディルキールがカロンに多大なダメージを与えたことにはかわりない。 (この機を逃しちゃ、面目も立たんよな……!)  竜銀製の長剣は既に抜き放たれている。カロンの近くに転がっている紫水晶の短剣は一度爆 圧で吹き飛ばされているため再び操作魔法を繋げるまでは放置しておくしかない。残る短剣を 抜き放ち、連続で投擲しながら距離を詰める。  短剣はレイズの意識に応えてジグザグの軌道を描きながら、それぞれ別方向からカロンに襲 いかかった。 (防げまい! 押しこむッ!)  はたして、カロンは防げなかった。いや、防がなかった。短剣が刺さるのも構わずに前に飛 び出してきたのだ。 「――――にッ!?」 「オアアアアアアアアアアッ」  攻撃タイミングを外された一瞬の隙を突かれ、カロンが一気に踏み込んでくる。豪腕が唸り、 振り切れていないレイズの剣を押しのけて拳が叩きこまれた。 「がアっ!」  血が濃いために細身ながら比較的頑丈なレイズといえど、圧倒的体格差はいかんともしがた い。ハンマーを叩きつけられたような衝撃をまともに食らって押し戻される。 「ぐ、が……ッ」  追撃に振り下ろされた拳の底を転がりながら避ける。同時に剣が閃いた。離脱しながらカロ ンの拳に刃を当てて引き切ったのだ。  柱のようなカロンの右下腕から血が迸る。  体を跳ねあげたレイズは更に短剣を一本投げ放つ。無論カロンは気にも留めない。右腕の傷 すらなかったかのように再び拳を振るおうとする。  だが今回の短剣はただの刺突ではなかった。 「【連牙……」  短剣が向かったのはカロンの肉体自体ではなく、そこに刺さったままの短剣の一つ。それら 短剣にはいまだレイズの込めた魔法が残留している。そこへ新たに飛んだ短剣に込められた魔 法が作用した。  雷光が瞬く。 「……奏雷】!」  新たな魔法は残留した魔法を変質させ、雷の発生を呼び込む。それは他の短剣にも連繋して いく。四方八方から電撃を受けて、さしものカロンの肉体も痙攣した。  残留していた魔法の力がわずかだったため、魔剣はすぐに力を失い雷は消える。しかしその 間にレイズは深く一呼吸を終えていた。  体内で魔力が激震する。  ロングソードが輝いた。  踏み出す。  振り抜く。  痙攣から復帰して突き出された右腕が紙のように切り裂かれる。その奥にあった右脚までを 通り過ぎて、刃が止まった。 「――――光鱗斬り」  いかなる頑強さも、完全に分断された体を動かすことなど叶わない。支えを失ったカロンは ついに崩れ落ちた。 「ゼ……っは…………はあッ」  荒い息を吐きながら、痛みに悲鳴をあげる体を引っ張ってカロンに更に歩み寄る。 「ぐ、うおお…………くそ、てめぇ…………」  驚くべきことにカロンはまだ息があった。とはいえもはや無事な部分さえ満足に動かす力は ないようだ。次第に声さえ小さくなっていく中、レイズはそれらに構うことなく一つのものを 拾い上げた。  刀を。  勝敗など今はどうでもいいのだった。とにかくカロンたちがあれほど必死になるようなヤバ そうなブツを好きにさせないことだ。  専用にあつらえた短剣でなくとも、物質操作の魔法はレイズの十八番だ。魔力を込める。足 元で最後の力を振り絞ったカロンが手榴弾のピンを抜こうとしているのはわかっていたが、と にかくこのブツをこいつらに持たせては何があるかわからない。だから魔法で飛ばす。  万に向かって矢のように飛んでいく刀を見送り、息を吐いた。  爆発が――――こなかった。  足元を見るとカロンは目を見開いて死んでいた。眉間に空いている穴は、無論レイズの空け たものではない。  穴が穿たれたであろう方向を見やる。鉄色と緑の装甲をまとった集団がいる。 「ディーナス・グリーン社の、グリーン・サムライか……」  竜の女の呟きが万にも聞こえている。数にして二十人ほどの装甲服をまとった小部隊だ。  既に刀は自分の手にある。有利を意識して、女に問うた。 「知り合いなのかね」  女も刀から注意を外さぬようにしつつ、万と新手を交互に見る。 「鉄の国の一企業が持つ精鋭部隊だ……コロッセオに部隊で侵入するとはな」  侮蔑を隠すつもりはないらしい声。 「……イデンシとやらを、肉体を、改造し……機械を埋め込んだ者たち。獣の国の人間でなく とも、理解できん」  言葉が終わると同時に「フゥッ」と大きな呼気。次の瞬間には赤い風がレイズの近くまで着 ている。が、万はしばらく女がいた場所から視線を動かさなかった。  まるで彼女が吐き捨てた言葉を反芻するかのように虚空を見ている。 「何でこんなところに来やがったんだ、“亀さん”よ」  レイズが睨めつける先、鋼の集団で一人前に立っていた相手がマスクの下から声を発した。 「…………ミツヨシがベスカリオに敗北した時」 「はん?」  唐突な内容にレイズが言葉に詰まる。 「偶然なのかはしらないがミツヨシの使っている追跡用信号装置がベスカリオについていた」  声はザラザラしていて金属的だ。高低さ自体は高めで女性の声と言えなくもない。 「無論、本来そんな情報に意味はない。ミツヨシはランキング・バトリングの試合においてベ スカリオに敗北したのだし、それ自体はそこで完結している。それにミツヨシの光学カメラが 写した最後の光景が空穴区画のものであるということも、そう珍しいことでもない」  レイズの無言に応じているのか無視しているのか、言葉が続く。 「だがほぼ同時にARアズラエルが突然コロッセオに入場したとなれば、事情は大きくかわる」 「なんだと!? 爺が……ってて……」  慌てたレイズが痛みに咳き込んだ時、風が来た。アイリーンだ。 「姐御……? どういう」 「奴らに渡すぐらいなら“ご老体”のほうがマシだ。無論、そんなつもりはないが」  一方的な台詞だ。視線もレイズを向いてすらいない。 「だから姐御……!」 「紅魔炎竜騎士アイリーン・レヴェントン・アズラエル? 出奔し行方不明とデータに……」  レイズとGS部隊長、双方の言葉を吹き飛ばすように咆哮のような声が響く。 「“テミス”だ、私は――――いくぞ?」  すぐ横手から暴風が吹き抜けた後には、続いてやってくる声がある。 「ここは休戦で満足すべきだろう。ベスカリオ君を頼めるか?」  “テミス”と名乗った知り合いが突撃し、GS部隊も二手に割れる。それを確認しながら、 声の方を一瞥し頷く。と、レイズは万の指が鍔にかかっているのを見た。 (――――刀、を?)  レイズがディルキールを拾い上げている間、それを敵から遮るように万は最後尾に位置取り する。  向こうに銃と鋼の音が聞こえる。テミスと名乗った女とGS部隊が戦闘に入ったのだ。恐ら くテミスを警戒したのだろう、部隊長はとどまりつつ、こちらの追跡には半数以上が来た。迫 る鋼の影たちを見据え、レイズの背で後退する形。 「生体改造と絡繰義肢のハイブリッド……不沈兵団と同じ――――」  切り込んできた一番手を迎えてこぼれた言葉を振り切った。突きこまれてくるモノフィラメ ント・カタナを躱し、前に出た右下腕を手刀で三連打する。白っぽい人工血液と部品が飛び散 る中、体全体を相手の懐に入れ、左肩からぶつかった。  肩の力で敵を返すように跳ね上げる。 「がっ……ガガアアアアアッ」  相手が衝突にくぐもった声を上げたのは一瞬、後には後方からの連続銃撃を受けて痙攣する ように宙を舞う。 「なるほど、貫通しないあたり頼りになる強化装甲服のようだな」 「銃撃は任せな……!」  盾になった敵が地面に伏した直後、万の視線の先、三人の後方を守るように三角錐型の半透 明な壁が浮かぶ。続いた銃撃が乾いた音と共に弾かれた。 「君らの法術か、助かる」 「どうする、空穴区画内で部屋を変えて振りきりたいが……」  追いすがる鋼の影たちは、しかし後方で牽制の銃撃を続ける者を残して散開しはじめた。左 右側から先行し、包囲に入らんとしているのは明らかだ。  しかもGS部隊長が語ったディルキールについた追跡装置とやらは除去できていない。ある いはもう壊れているかもしれないし、そもそもわざわざ告げたことがブラフともとれる。  どこかで追跡者を大きく引き剥がさねばならなかった。 「あんた、格闘しかしないってわけじゃないんだよな?」  レイズの視線が自分の左手に動いた事には気づいている。 「ああ、私のこれは禁中護衛用のものでね。武器を持ちこめない場所で後方を確実に守るため のものだ」  左右の包囲が狭まり、レイズと万はついに足を止めた。 「葛西派の皆伝だ。あとは銘鏡氷斬流と源氏流の術理もいくらか……まあ、ある程度使えると いうところだな」  あえてはっきりと会話を続ける。あえてだ。鯉口を切らんとする左手をやや前に出すように しているのも、周囲のGSに伝えるためだ。  これを万は抜くことが出来る。 (出来る、が――――――――抜いてもいいものか?)  本当のところ、ソレが何なのかわかっていないのだ。拵えからして中々立派な一振りの刀の ようには見受けられるが、カロンとテミスの行動はそれを否定する。未だ話に聞く程度といえ ど、少なくともそれなりの社会を構築した三つの世界があり、そういう中で後暗く行動してま で手に入れたい何かなのだ。 (仮にこちらの尺度にあてはめてみるなら、護影部隊の出撃を考えるレベルの事態、なのだろ うな)  睨み合う鋼たちは自分の世界の感覚と照らしあわせてみても精鋭と呼ばれるに妥当。様子見 なしで一人目を鮮やかに倒してみせたものの、浮き足立たせることは叶わなかったようだ。あ くまで冷徹に包囲を完成させる。  しかし敵方もまた、万の持つそれが何か全くわからないが故に軽々しく動けない。  遠く聞こえる戦闘音。残りのGS部隊が加勢にきた場合形勢は一気に悪化するが、他方のテ ミスも味方でない以上、そちらの天秤の傾きを待つわけにもいかない。 「――――万さん」  今度は小声のレイズが「どうせ奴らには聞こえるだろうが」と前置きする。 「俺たちは時間を稼いだほうがいい、と思う。爺が来るなら……まあそれも“亀ども”の話で はあるんだが……」 「ああ、ご老体とかなんとか…………こちらの加勢と考えても?」 「俺らにってわけじゃないと思うがね。アヴェンタ・レヴェントン・アズラエルはうちの国の お偉いさんなんだ。常任理事としてコロッセオの運営メンバーでもある。身内びいきに見える かもしれないが、少なくとも預けるならここにいる奴らよりはまっとうだよ」  頷く代わりにやや腰を落とす。GS部隊の面々もじりと構えを変えた。 「それは朗報だ。区画の外には出られない以上、最後まで君らの離脱を手伝えないからね。預 けるべき管理者が向かってきてくれるのならば助かる」  受けたレイズがやや砕けた口調になる。視線の向こうではテミスがついに巨大な竜吼を吐き 出さんとしている。 「ついでに言やぁ、コロッセオの国際大会で第二回と第三回で優勝した、三世界最強の一人っ てやつだ。だから奴らはビビってるのさ。俺もビビってるけどね」  レイズの台詞が終わるかどうかで、轟音と豪風が流れ込み、あてられたように鋼たちが飛び 出した。  煌く火炎を背に、鋼を影色にして生化学と機械仕掛けのサムライが迫る。  万がそれを決めたのは、迫る彼らの肩越し――――灼熱の輝きの中に、テミスと跳びかかる GS部隊長を認めたからだ。テミスの高速移動と大火力ブレスをかいくぐり、その牙をかけん としている。  テミスは、あの時、使う気だったろう。 「“次元斬り”、か」  その呟きと抜刀のどちらが速かったのかはわからない。                                       【続く】 ●補足  グリーンサムライは捏造集団です