(貴方は一体何のために造られたの? 次元を斬るなんて力を何のために?) ≪違うな。この斬伐者Mark−7が求められた仕様はそれではなかった≫ (え…………?) ≪次元干渉では、無号のシュナイデンは再現できていない……≫                               <ある少女と剣の会話>  刀身は鞘と同じく黒かった。  万が使ったのは故郷で葛西派一刀流と呼ばれる剣術流派の抜刀術で、『払斜剣』という術理 である。緩急をつけつつ敵の脇に滑りこむ『雲身』と呼ばれる踏み込みと抜刀を並行して行い、 敵の横腹を薙ぐ。跳ね上げながらそのまま完全に抜刀を終え、再び『雲身』を使いながら後続 の敵目掛けて刀を切り下ろす。この攻撃は振り抜いた後の腕と手首によって行うために浅いが、 刀が落ちれば『流星返し』、相手に止められたならば『巻き尾打ち』で切り込む切り紙伝授の 『虎絡み』というこれまた別の一つの術理でもある。  一人目の脇を切り捨て、二人目へ上段から振り下ろす。『払斜剣』はそれで終わるわけでは なく、いくつかの術理を状況に応じて組み変えて連続で刀を払い抜けるもので、多人数に襲わ れる状況を切り抜ける為に使われる。  抜き放ち、切り下ろす瞬間こそ、万が最初にその刀身を視界に収めた瞬間だった。その視界 では二人目の敵が両手の剣を交差させて切り落としを受けようとしている。これはなかなか厄 介な防御であり、受けられると同時にくるりと手を返して絡むように再度突き込む『巻き尾打 ち』を入れにくい。万の無意識と肉体は、頭部や喉ではなく防御している右の小手を狙って切 り入れ、そのまま『雲身』で密着しながら柔に移行することを選択しようとしていた。  刀が落ちた。  熟練がそのまま『流星返し』を繋げ、敵の右胸から右腕の付け根を抉り抜ける。左半身を右 斜めに踏み出して敵を左に押しのけながら、引き戻してきた左手の鞘を途中で手放し相手にぶ つける。空いた手は刀の柄へ。ついに両手で掴んだ刀を右から左へと大きく袈裟に斬る。  もはやそれらは考えるまでもなく行われるのであり、袈裟斬りがほぼ同時に来た三人目と四 人目を迎え撃った後、更に奥で己を睨みつける銃口に対応すべく、腰を落としてから下・上と 振るように跳躍して左右の敵の間を一気に通り抜ける。はずだった。  『払斜剣』は多くの敵を払う捌きの術理だ。敵の完全なる無害化・殺害を重視しているわけ ではない。あくまで払い抜け、その後はそのまま駆けて逃げるなりするものである。今回の場 合は万が先陣切って敵部隊を切り開くためで、そこを後ろに控えるレイズがすくい取る。一人 目の脇腹も通りぬけながらの交錯のためそれほど深くは入っていないし、二人目は右腕を潰し ただけだ。袈裟斬りもまとめて大きく斬るのが目的で必殺を期されたものではない。  が、万が腰を落とし跳ぼうとしたところで、既に四名はその場に存在しなかった。  乾いた音が連続で放たれ、しかしただそれだけで終わる間、レイズは静止していた。  眼前に虹色の暗黒があった。  脇腹を切り裂かれて体をねじるGS部隊員を狙って放たれるはずだった短剣。それが未だ手 にあるのは、その狙うべきものがどこにも存在しないからだ。万の背中と己の間には奇妙な暗 黒が二つ、ぱっくりと口を開いているに過ぎない。  暗黒は七色の明滅を孕んでおり、それが中空に無理矢理入れたヒビのように走っている。そ れは間違いなく万が薙いだ敵の脇だったし、切り落としからの切り上げ突きの軌跡だった。 (す、吸い込まれた……)  目にも留まらぬ速さで払い抜けた万は見なかったはずだ。だがレイズははっきりと見た。斬 撃から刹那遅れて、二人共斬撃に吸い込まれるようにねじれて消えた。  そして無論、たったいまアサルトライフルの連射が叩きこまれた斬撃の軌跡も、虹色の明滅 と暗黒を描いて三人目と四人目と弾丸をまるごと飲み込んでいった。  連撃の切れ目だった万がようやく動きを止めた。 「【牙壁】……!」  レイズはあわてて短剣を放った。攻撃の為に用意していたそれを切り替え、万の前、斬撃の 更に前で魔力障壁とする。  五人目の銃撃から遅れて更に後ろから二人分の銃撃が叩きこまれ、レイズの障壁に弾かれて いく。かぶさるように放物線を描いて飛んでくるのは手榴弾だ。  万がこちらを一瞥した。 「万サン!?」  と叫んだ時には彼は既に後方に跳んでいて、そこでレイズは気づく。万は斬撃痕を確認した のだ。  障壁の上を越えて落ちてきた手榴弾の爆発音の最後に、細く高い金属音が混じった。漆黒の 刀身はもう漆黒の鞘の中に戻っている。 「一体…………なんなんだそれは」  レイズの呻きとともに、中空に開いた暗黒の傷口が消えていった。  眼前では残った六人のGS部隊が構えたまま動かない。しかしその三つ目のカメラアイがど れも忙しなく明滅や回転を繰り返しており、彼らがたった今起きたことを高速で分析している のがわかる。 (…………四代目、鋼耶仁鉄(コウヤ ジンテツ)の“厭刃(アキハ)”に似ている)  万は状況把握の為に記憶から近似したものを選び出した。 (空間を割って持ち手を瞬間移動させる刀……しかしこれは斬撃した場所から吸い込んでいる のか? 無差別に? 私は全く普通の刀のようにしか振るわなかった。ならば斬れば絶対にそ うなるのか……? もし…………)  もし斬撃に斬撃者自身が触れても吸い込まれるのだろうか、という疑問の答えは、確認する までもない気がした。 「とんだ快刀乱麻だな……」  空間を一刀両断する剣。 「今の奴らがどこに消えたのか、考えないほうがよさそうだ」  疲れた声のレイズが横に並ぶ。  それを一瞥して、万は目を細めた。レイズが左脇に抱えているディルキールが、眼を開いて いる。よく見ると体が全体的にぼんやりと輝いていて、爆圧を近距離で食らったにしては傷が 少ない。恐らくレイズを回復させたものと同じことをしているのだろう。 「大丈夫か、ベスカリオ君」  視線をGS部隊に戻しながら問うた。が、返事はこなかった。 「今の――――」  ディルキールがうわ言のように零す。 「――――今のは、“最後”です。今のが、“最初”です」 「あん?」  レイズが問い返したのが、爆音に遮られる。  爆発は当然というべきか、テミスの戦闘場所で起こったもので、GS部隊のうち三人が後方 を振り返っている。向こうに立っている影は2つしかない。  矛槍を立てたテミスと、機械の右腕が溶断されたGS部隊長だ。部隊長はいまだ戦闘可能な ようで、テミスも上がった息を荒く吐いたまま不用意に動こうとはしていない。  万の横をレイズが一歩前に出た。 「これは、なんだ姐御!?」  吼える。 「空が割れやがった! 亀が四人も消し飛んだぞ!? こんなものが…………こんなものまで 来るのか!? 貴様らはこれを知っていたのか!?」  その叫びに、ディルキールの頭がわずかに揺れた。 「違い――――」 「違うな」  ディルキールのか細い声に、テミスの咆哮じみた声が重なる。テミスは一度GS部隊長の方 に視線を移してから、ゆっくりこちらに戻して再び口を開いた。 「私は言ったが、それは次元斬りだ。割れたのは空ではない」  テミスの鋭い瞳はまっすぐレイズを射抜いている。 「吸い込まれた奴らはどこか別の次元に跳ばされたのだろう。わかるか? コロッセオは竜と 獣と鉄という別々の世界を、次元を結んでいる。あるいはここは、」  そこでテミスの視線が万を見た。 「更に別の世界も、だ。次元がなんらかの形で重なり合っていると、そう言われているな。わ かったか? そして、ああ、そうだ。我々は知っていたぞ」  テミスの頬がわずかに歪む。それは笑いなのだろうか。 「それは百年の前から、知られていたんだよ。コロッセオ運営委員会にはな」 「百年…………百年前、てのは」 「お前は、第一回の優勝者を知っているか?」  レイズが言葉につまっているのに万は気づいた。勿論、万はテミスの問いかけの意味がわか らない。レイズは第二回と第三回の優勝者は今こちらに向かいつつある管理責任者の一人だと 言っていた。第一回は含まれていない。 「このささやかな協定状態の前にあった戦争で、最前線で戦い続けた英雄たる“ご老体”が、 更には連続で優勝をもぎ取ってなお三国がある程度の均衡状態にある……」  すう、とテミスが息を吸った。 「その理由を、お前は」  言葉は唐突にそこで切れた。  ジェードという個体認識名を持っているGS部隊長の判断はつまりこうだ。  マレビトらしき男が持っている、現在争点となる刀剣については不用意に手を出すには少々 険すぎる。ARアズラエル、ひいてはコロッセオ運営委員会が管理するというのならば、それ はそれで良いだろう。  彼女らを使役しているディーナス・グリーン社は、“ビッグ”の名で呼ばれるだけの影響力 を持つ巨大企業ではあるが、企業としては新参にあたり、CEOのディーナス・アナトミアは 若干27歳だ。これはつまり、三世界合同の運営委員会に対し鉄の国勢力としてDG社があま り深く関われていないということであり、それがまた今回のような任務を行う理由でもあるの だが、情報不足ゆえに慎重にもならなければならない。  今回もまた幾度目かの『一歩』であり、急いては事を仕損じるとも言う。だから、刀剣には 手を出さなくても良い。  ということで上は納得するだろう。  刀剣を現在持っているマレビトと、エグザディオとベスカリオに関しても、アズラエルに引 き渡すつもりのようなので特に問題ない。彼ら自身も状況はよくわかっていないというのが実 態のようなので、あえて衝突を続けなくてもよい。  だから、テミスと名乗っているアイリーン・レヴェントン・アズラエルが唯一の問題なのだ。  一応の最高位である竜騎士位を持ち、名前の通りARアズラエルの親族である彼女が、何ゆ えARアズラエルと敵対し策動することを選んだのか。その理由と経緯は興味深いものがある し、何より彼女は全く同程度ではないのだろうが、運営委員会の持つ情報を知っていることを 匂わせた。ならばDG社がこの先より世界の中枢に食い込んでいくのに有益な情報を、運営委 員会自体と衝突することなく手に入れられる可能性が高い。  万が一表沙汰になったとしても、もとより出奔とされている身だから、保護しただとか建前 をつけてしまえば、むしろ豢竜院に対して貸しが出来る。  よって、テミスが会話しながら呼吸を整えていくのを観察していたジェードは、会話の途中 でテミスが息を吸い、吐き出すところで動き出した。  無論、無線通信によって残るGS部隊員も全て連携している。  テミスは舌打ちしたくなるのを殺した。そんなことをしている暇などない。サイボーグは生 気に乏しく気配を読みづらいところがあるから虚を突かれてしまったが、それでもすかさず咆 哮歩きによって後方に吹き飛び、GS部隊長から距離を開けようとする。  GS部隊長はふくらはぎの後ろあたりから光と熱をまき散らして高速で突撃してくる。直進 でじょじょに速度のあがるGS部隊長のブーストダッシュに比べると、テミスの方が最高速度 は圧倒的に速いのだが、咆哮歩きは断続的な移動手段で一歩の始まりと終わりで速度が落ちる ため完全に引き離すことはできない。  チェイスの開始と同時にGS部隊長の背から、肩の上に展開するものがある。  やや丸みを帯びた箱のようなそれは、GS部隊長の両の肩でそれぞれ前面の蓋を開く。蓋の 中には複数の丸いものが横2列になって頭を並べており、その一番上の2つ、左右で計4つが 轟音と白光を尾に引いて箱から飛び出した。 (……まずい!)  テミスは一歩を着地したところで直角に右折した。高速での急角度な方向転換だったが、放 たれた4つもまた急旋回しテミスを追いかける。  鉄の国の誘導弾が高速で迫り、それと別の軌道を描いてGS部隊長が突進する。 (ええい…………!)  誘導弾を睨みつけたテミスは、まず咆哮歩きを大きく使って高速で壁へと背面から突進。ギ リギリで切り返し、斜め前に跳びだした。 「カ……ッ」  いかにドラゴン独特の歩法・移動法とはいえ無理矢理な制動には負担がかかる。潰れた息が 吐き出された。  追いすがってきた誘導弾4つはテミスの狙い通りコロッセオの壁に衝突し、立て続けに爆発 を生む。  その光を正面から受けながら、GS部隊長が来た。  左腕から展開した内蔵エクスクラッドブレードを突き入れてくるGS部隊長と斜めに交錯す る瞬間、ハルバードの腹でその突きを受け止める。ハルバードの刀身が抉れるものの、芯近く に使われている緋飛色鋼で食い止められ、そのまま弾き合っていく。  交わった時と同じく高速で離脱していく、テミスのその先を迎えるものがあった。残存して いるGS部隊員から放たれた誘導弾である。それぞれ装備が違うために全てが部隊長の誘導弾 と同じではないが、合計16発が別々の軌道を描いてテミスに迫った。 (ち、いいいいいい)  苛立ちを声にはできず、呼吸と共に体から咆哮のエネルギーを吐き飛ばす。直角に、あるい は鋭角に切り返し、咆哮歩きを連続する。  恐らく部隊全員が兵器の動きを連携させているのであろう。誘導弾は別々にも関わらずそれ ぞれ衝突することなく、網目を描くように複雑に入り組んで突撃してくる。 「ック…………カ…………ハ…………!」  連続して地を蹴り、右、左に、八の字を描いて、またジグザグに、前後に激しく振り、上か ら下へ。  壁を、床を、天井を使い、またタイミングをあわせてハルバードで切り払い、1つずつ切り 離していく。 (く……そ…………アレが……!)  次から次へと起きる爆発がテミスの視界を阻む。  自分たちの前に立っていたGS部隊員が全てテミスへの超小型ミサイル攻撃を始めたことで、 無論万たちにはその無防備な背後を攻撃するという選択子がなかったわけではない。 「いや、いい。よくわからんが姐御の動きはちっと気に食わないしな。逃げられるなら逃げる べきだ」  とレイズが言うので、彼らとしてはそれ以上GS部隊と戦闘を続ける理由はなかった。  GS部隊長の想定通り、誘導弾の爆裂が続く中を三人は離脱にかかる。 「……がすか……ァ!」  だが遠く咆哮がした。  執念だろう。高速で次々と迫る誘導弾を躱しながらも、テミスはドラゴン・ブレスを使うだ けのエネルギーを溜め込んだのだ。大幅に誘導弾との距離を空けたところでもう一つ大きく息 を吸い、一気の開放。  急速旋回して斜線を脱したGS部隊長のすぐ横を貫き、豪炎が三人の方へと真っ直ぐ飛び込 んでくる。  無論殿にいたのは万だった。 「…………オッ!!!!」  レイズと、彼が抱えるディルキールが前に跳ぶのに被さる形で後退。中空で迫り来る炎に対 し空手の右をゆるく前にかざす。掌もまた赤子の手のような形で緊張が極限まで抑えられてい る。  距離を越えて赤が到達する。  本当にギリギリのところだった。あと数秒遅ければ三人は射程外まで逃れていただろう。  だがそうでなかったから、万は右手を振った。前ではない。体の前面に翳した下腕から掌を、 左からやや上がりつつ右へ、頂点から加速して下へ。  先のカロンの砲撃と違い火炎には弾体がない。だから絡みつく強烈な熱を掬い、流し、掴み、 払い、回す。  つまりは、そう、回し受けというものであった。 「大丈夫…………ですか…………?」  という問いに、万は苦笑したらしかった。 「よほど重傷だった君にそう言われるとなんだか申し訳ない。まあ、炎というのは絡み付いて くるものだが……君の治療魔法というので十分だ」  フロアをあちらこちらに移動して一旦GS部隊もアイリーン・テミスも撒いた、とレイズが 言う場所で、三人は一旦休息に入った。と言っても意識が朦朧としていたのでグリーン・サム ライが来たことすら薄ぼんやりとしか覚えていない。  ディルキールが自分を十分に回復させて意識がはっきりしてから、他の二人の治療も行なっ ている。レイズはカロンにしたたか殴られたというのでテミスに受けた傷が開きかけていたし、 万は離脱する最後に受けたドラゴン・ブレスで皮膚をやられていた。万の言う通り、服は燃え なくとも入り込む熱が体に少なからぬダメージを与えていたのだ。これでもかなり軽減したと は言っていたが。 「でも…………万さんは、マレビトですし」  霊体のエネルギーを変換して万の体に流し込み終えた後、ディルキールはそう言って顔を伏 せた。長い黒髪が垂れて顔を覆う。 「こんな、私達の問題に巻き込んでしまって…………すみません……」 「そんなに気にしてくれなくていい。最初から今まで君等の意図したことでもないし、君が謝 る理由など無いと思うがね」  それはおよそディルキールが想像した通りの返事だった。しかしだからこそ謝る理由はあっ た。ディルキールが先ほどから気にしていることが。 「も、もう一つ……あって…………謝る理由、“巻き戻り”のことで……」  そこまで言葉が出た時、レイズが声を上げた。 「まさかだろ? 言ってなかったのかディルキール?」  言われて肩が沈むが、言ったレイズの方も何かを思い出したように肩を竦める。 「ああ、そうか。だからあの時……」  ふう、とレイズが息を吐き、万に向き直る。 「申し訳ねぇ万さん、知ってると思ってたんだ。その上で善意で協力してくれてるもんだと」  話がわからず、万が首をかしげる。 「その、言おうと思ってたんです……けど」  そうしてディルキールは先程言い損ねていたことを伝えた。巻き戻りとマレビトに関するこ とだ。つまりは巻き戻りにおいてコロッセオがリセットされる際、空穴区画内の漂流物もまた はじき出され、恐らくは元の世界に戻る。コロッセオを出た物品は当てはまらないものの、マ レビトはそもそも区画を出られない。恐らくは出られないこと自体が元に戻れなくならないよ うにするためではないか? とも考えられている。無論、元世界への帰還を事実として観測し たものは今まで存在しないものの、研究者達が言うには理論上はそうなるのが有力ということ だった。 「戻れなかったじゃないかって怒鳴り込んできたマレビトもいないんで、それ以上はなんとも 保証できないんだが」  レイズの最後に挟んだ言葉がやや自虐じみていると思うのはディルキールの妄想ではないだ ろう。 「ふむ、戻れる目処がついているなら、ありがたいことだ」  聞き終えた万はまず最初にそう言ってから、ディルキールとレイズを交互に見る。 「しかしまぁ、それこそ謝るほどのことではないのでは? 聞くタイミングはあったにしろ、 何かと慌ただしかったのは事実だ。聞きそびれていたことで何か損をしたわけでもない」 「で、でも…………」  と言葉が濁るのはやはり後ろめたさがあるからだ。 「なるほど、今の話の通りならば確かに私はしばらく時間を潰していれば安全に帰ることがで きる。最大でも半日程度なら、まあそうでなくとも携帯食料も水も持っているしな。機雷を受 け止めたり矛槍を捌いたり、突撃銃に狙われたり火炎にまかれたりする必要はなかったのかも しれない」  レイズは特に何も言わなかった。恐らくは彼も似たような思いがあるのだ。彼の性格からし て、普通に向こうの世界の様子を聞き、同意を得られるならば一勝負――コロッセオ的なもの に抵抗があるなら尋常の練習試合形式で――して気持よく別れるというようなものを望んでい たに違いない。あるいはカロンが予想外の強行手段に出なければ、実際にそうしていたと思わ れる。 「知っていれば確かにそういう選択肢が私の前には存在したのだろう――――」  言葉の合間に、ディルキールは万と目があった。兜に覆われた影の中からわずかに見えるそ れは、しかし、それにしては厳しく鋭いものではなかった。視線に力はあるが、刺すようなも のではなく静かな感じがある。 「しかしカロンを制止しようとした君たちの行為は私には順当なもののように感じられたし、 何もすることがないのならば余計それを手伝うことに障りはない。実は元々急いで帰らなけれ ばならない用事の途中でね。むしろこれで憂いも失せたよ。あと、忘れているようだがベスカ リオ君……」  相変わらず万の声は兜に少々くぐもっている重めの落ち着いた声ではあったが、わずかに調 子があがったのは楽しげだということなのだろうか。 「最初に君がコロッセオのことを教えてくれ、そして私の後を追いかけてきたのではなかった かな? それを私がありがたく思いつつ引け目に感じる必要がないのであれば、君も同様に思 うといいだろう」  万は言葉を切った。話は終わったのだ。万の言いたいことはわかったし、多分それがいいの だと思う。だから多分今はありがとうと述べておくべきだ。  と、言う思考を行動に移すのにディルキールが一般的水準よりやや長い時間をかけていると、 ふいに顎に――といっても兜のそれだが――手あてて、万が首を軽くひねる。 「フム」  そして言った。 「君はあまり自分を大事にしないところがあるな」  ディルキールがわずかだが怪訝そうな顔をしている。  怒涛の状況だったので、ここまでそれほど落ち着いて話していない。しかし万は思う。多分 この少女は優しいのだろう、と。  だから、そう言った。 「まあこれは、別にベスカリオ君以外にも当てはまることだが」  レイズをちらと見る。予想外だったのか、レイズも片方の上瞼をクイっと上げた。 「多分コロッセオの性質のせいだろう。今言った巻き戻りのことだな。最初にそれを感じたの は、あの……カロンという御仁との戦いのときだったか」  思い返す。周囲のあちこちで炸裂が起きる様は、なんとなく砲撃を受ける前線に似ていた。 「といってもあの時は、私の行動もそれほど理に適っていたわけではない。君たちの力を知っ ていたわけでもないし、というよりわかっていなかったから単純に癖が出ただけだ。だからつ い引き戻してしまったな。あの時は驚かせてすまなかった」  レイズが首を横に振り、ディルキールがもごもごと何か言おうとした。万は頷いて話を引き 戻す。 「その後、あの君たちに似た女性や、それと、もう一度カロン、ついでにあの女絡繰総身が率 いていた……ああいや、グリーンサムライだったか? と、戦っていてよくわかったのだが、 君たちは驚くほど踏み込みが深いな」 「女サイボーグ、だったのか? いや、それより、アンタがそんな所まで気にしてたとは思わ なかった」 「深い…………ですか?」  言葉を選びつつ万はゆっくりと続ける。 「そうだな。戦った者たちにもそう感じたよ。特にグリーンサムライたちは、見誤って払い抜 けきれないのではないかとも思った。まあ、それほど深く踏み込める者たちが私の周りにいな かったというわけではないのだが…………」  一瞬の回想は置いて、万は眼前の二人に立ち戻る。 「先ほどコロッセオと言ったが、つまりは生き方の違い、ということかな」 「生き方…………ですか」 「私の仕事は何かしらを護ることだ。エグザディオ君には言ったが、さきほどまで使っていた 体術の多くは、武装の持ち込みが禁じられた場所でも重要人物を守るためのものでね。まあ何 故そんなことをと言われると、気づいたら親と同じ道に進んでいただけのことだが」  何となく肩越しに背後を見た。さして意味はない。 「だから、私も自身を犠牲にしてでも戦わねばならないという状況に対する心構えは叩きこま れている。それに、往々にして護るということは攻めることでもある。ただ」  言葉が一瞬切れる。 「重要人物の護衛の話になるが、襲ってくる攻撃は無論自分が受けねばならない。万が一にも 対象が傷つくようなことがあってはならない。しかし、だ。かといって刺客の攻撃をただ受け るのではいけない。自分が一瞬でも早く倒れるということが護りきれないという結果につなが るかもしれないからだ。次の、あるいは更に次の攻撃が存在するかもしれないからだ。といっ て、また、その未来の攻撃を防ぐがために、攻撃は最大の防御と刺客を排除することに偏りす ぎてもいけない。本末転倒なのは言うまでもないだろう」  自分の言葉が、一種の絵だなと万は自覚していた。でも恐らくは、今はそれでいいのだろう とも。 「それは『選ぶ』ということ……そう、先に私は選択肢のことを言った。選ぶことに繋がるの は『知る』ことだ。『危険』を――――『恐怖』を。己の身を犠牲にする可能性を『覚悟』す ることと、自分を大事にしないことは、似ているようで違うと私は思っている」  言葉の終わりで、力が入ったのが自分でも分かった。間違った覚悟というものを、万は多く 見た。多すぎるほど。 「戦車砲を叩き落とした後、君の動きは見えていた。まあ、アイリーンだったか、彼女と相対 していたので観察していたわけではないがね。君の戦闘能力は高い。ソレは間違いないし、私 の防御をすぐさま気取って動き出した判断力は素晴らしかった」  思い出す。カロンの捨て身の一撃を。放った側も受けた側も、それは確かに“取り返しのつ くこと”なのだろう。 「……コロッセオに死はないと言う。それは非常に恐ろしいことだベスカリオ君」  自分の身もぶるりと震えたような気がした。ああ確かにここは恐ろしいところだ。万はここ までに強い衝撃を受けていた。 「君たちはそれに慣れているし、確かにコロッセオはここに在る。在り続けるのだろう。だが それでもやはり私は恐ろしいと思うし、そうだな、コロッセオは激しすぎる。だからこそ、君 たちは優しすぎるのかもしれないな……」  黙って聞いていたディルキールが小首を傾げる。最後の言葉を掴みかねたのだろう。 「激しすぎるコロッセオと言う世界で君たちは何もかもを自身で切り拓こうとする。そこがコ ロッセオである以上は、確かにそれはそれで一つの道理なのかもしれない」  ふう、と大きく息を継いだ。 「――――まあつまり何が言いたいのかというと」  どうも話が回りくどくなった、と思った。部下ならばもっと言い切ってしまえばいいし、命 令でも構わない。そういう部下とそういう任務についている。  だが眼前にいるのは、片方はともかく、少女である。だからどう言うべきか、万にも若干の 戸惑いがあった。  今はまだ幼児というべき実娘にも、いつかこうして言葉に困ってグルグルと右往左往する時 が来るのだろうなあ、と胸中で苦笑しつつ、 「これも縁なのだ。遠慮せずに頼ってくれたほうが、私は嬉しいよ」  ディルキールが礼を言うのを見て、レイズは特に言葉を返さないことにした。異世界の話を 聞くのが彼の趣味だが、こういう話をするのも悪くはない。 「自分の身一つっていう面は、確かに影響が強いかもしれない」  それでそういう言葉が出た。 「コロッセオでの試合には、チーム戦も確かにある。とはいえ圧倒的に一対一が多い。そして このチーム戦というやつになると、通信機器とやらを使いこなす鉄の国勢がグッと勝率を上げ るんだ。逆に言えばそういうもののない俺たちはどうも個人個人という風になっているような 気がする」  なんとなく、初めてコロッセオに入る前の気持ちを思い出したような気がした。 「コロッセオ――――確かにここはとてつもないな。俺たちの世界で外から見れば、大きめと いっても所詮は建築物の一つでしかないってのに」  言って、長く息を吐いた。回した視線がそれを捉えたのは偶然だったが、あるいは無意識に 自分がそうしていたのかもしれない。  今は万が手に掴んでいる。 「そのとてつもないコロッセオが吐き出したもの、か」  一度納刀されたあと、万はその鯉口に指をかけていない。火炎が迫り来ていた時にも、あく まで自身の腕で対応していた。 「…………これは安易に抜くには危険すぎるな。自分を滅ぼしかねない」 「こんなものが…………しかも姐御はよくわからない事を言いやがるし」 「ああ、そういえばあれは何の話だね? 優勝者?」 「カロンがここで戦ってる理由が裁判停止ってのは聞いてるかな。ソレを叶えられるのは三年 に一度開催される『キングスキング』というコロッセオ最強を決める三世界大会なのさ。その 優勝者が三世界から与えられるものは莫大だ。金にしろ名誉にしろ、カロンのような超法規的 措置ってやつにしろね」 「君が言っていたな、第二回と第三回は今こちらに向かっているはずの管理者の一人だと。で は第一回は」  万の言葉を待っていたように、レイズはすぐさま応えた。 「そこだ。知らないんだよな」  言って、虚空を睨む。 「たかだか百年前のことだよ。勿論記録が残ってないわけじゃない。というかそれこそ爺だっ て生きてたさ。出場したはずだろう。でも第一回優勝者のことを俺は何もしらない。『誰か』 としか。第一回の優勝者が、最初のキングスキングが『居た』ということしか。竜の国の人間 じゃないだろう。爺が違うんだから。獣の国なのか、鉄の国なのか、それさえ聞いたこともな い」  言って、ディルキールに視線を振る。自分の話を裏付けてもらうためだ。唐突に振られたせ いか一瞬挙動不審になったディルキールだったが、万に頷き――――そこで「あ、」と声を上 げる 「うん?」 「その、剣の、さっきの…………」  しばし考えてたどり着く。万がこの刀を振るった後で、彼女は何か呻いていた。すっかり忘 れていたし、そもそもうわ言だと思っていたが、彼女自身も記憶にあるらしい。 「最後と最初と言っていたね」  万の言葉にディルキールが視線を刀に落とす。 「コロッセオの、『前』のことを……霊から読み取る時…………」  さっきそんな話をしていたな、とレイズは記憶をたどる。コロッセオに残る念とは、コロッ セオが巻き戻る以上はコロッセオが巻き戻しを行う以前…………つまりレイズらの三世界がコ ロッセオに出会う以前の残念だ。 「その、一番最後にあれを見ることが出来るんです。あれを…………さっきの、あの、剣の軌 跡の…………あれを……」  沈黙は何拍あったか。 「……つまり? 最後ってのはあれか、コロッセオがコロッセオではない最後か? つまり」 「最初とは、コロッセオの最初、という意味だったわけか」  万が引き継いだ言葉が終わってからレイズは長く長く息を吐いた。そして吸い直す。  その瞬間に言葉が飛び込んできた。 「やあっぱり」  その言葉はあくまで軽い調子に乗せて放たれたが、アイリーンの刺すよな厳しい声色よりも はるかに響いた。  一瞬息を吸い損ねそうになる。 (くそっ、呼吸にあわせやがって、そういうことするから嫌いなんだよ、この……)  振り向くと、真っ黒な巨体が赤い顔を乗せて立っていた。 「爺!」  コロッセオ運営委員会常任理事、『竜の盾』アヴェンタ・レヴェントン・アズラエル。 「……あやつの言う通りなんだねえ」 補足  こんかいはこんしゅうちゅうにどうしてもだしたかったのでだせてよかったです  いいわけはじごくでいう  以下は本編登場設定です   ■アヴェンタ=レヴェントン=アズラエル■ http://wikiwiki.jp/overlap-c/?%A5%A2%A5%F4%A5%A7%A5%F3%A5%BF%3D%A5%EC%A5%F4%A5%A7%A5%F3%A5%C8%A5%F3%3D%A5%A2%A5%BA%A5%E9%A5%A8%A5%EB 豢竜院において絶大な権力を持つ竜人、コロッセオ運営委員会の常任理事の一人でもある 「血」が濃く、その姿は紛れもない竜 百三十歳の老齢たる歴史の語り部 普段は好好爺然としているが国の為ならば血縁者であっても笑って握りつぶせる、その強烈な愛国心と存在感から『竜の盾』と呼ばれ国民に慕われ、一部からは恐れられている 三国の接続当時に起きた戦争には騎士団長として参加しており前線で勇猛果敢に戦った 若かりし頃は強大な魔力を持ち、その威力は山を一瞬で蒸発させる程であった 刃渡り15mの攻城刀を振るい、強大な魔法を駆使する彼の姿を見て、獣の国の人間は『戦神』、鉄の国の人間は『核兵器』にそれぞれ喩えていた また、キングスキング第二回、第三回大会の覇者でもあるまさに生きる伝説である 一線を退いてもう半世紀以上が過ぎたが、有事の際にはまだ戦えると豪語する豪気なおじいちゃん