「コロッセオ運営委員会常任理事および豢竜院議長、アヴェンタ・レヴェントン・アズラエル と申す。この出会いに感謝を、マレビト殿」 「帝都陸軍、万唯少佐です。ご同胞にお世話になっております」  二人が挨拶するのを、レイズはディルキールと並んで見ている。 (……おかしいのは、確かだ)  疑問。 (鈍亀どもが慌ててやってくるのは道理だよな。一人でいきなり入場してくる。確かに爺はふ ざけが過ぎるタイプだが、しかし今のは多分そういう問題じゃない。少なくとも俺が覚えてい るかぎり、キングスキングでだってスーツ着込んで観覧席の奥に体を押し込んでた。それが、 『竜の盾』、大宰相様のはずだろうよ)  巨体の腰を見る。そこには何もない。 (現役時代はくっそでかい刀を使ってたって兄貴が言ってたな……ソレは持ってきてないわけ だ。いや、持ってきていたら多分もっと大事になってる。鉄も獣も黙ってないはずだ)  そもそも、残りの運営委員会の動きはどうなっているのか。眼前の『竜頭』はどういう立ち 位置として今ここに立っているのか。レイズは今になってその不安を抱いた。 (万さんは、あれを爺に預けるつもりのはずだ)  そこに異論はなかった。あの刀はその辺りのチンピラに振らせていいものではない。いわん やチンピラ以上のものになど。ならば完全な部外者であるマレビトが拾得物として運営委員に 届け出したもの、それが一番収まりがいいはずだ。  まさか自分が持っていようなどとは思わない。 (百年前から、だと? 姐御…………)  世界の均衡。それは少なくとも泥沼の戦いよりはいい。家庭教師から教えられた歴史を眺め る分には、全く疑う余地もない。  眼前の相手は歴史ではないそれを知っているはずだが。 「聞かせていただきたい事あります。アズラエル理事殿」  万の声がする。 「アヴェンタで構わんよ。爺でもなぁ?」  一気に砕けたアズラエル理事の態度に、レイズがしかめっ面を浮かべている。とはいえ、そ れで万の緊張が緩むことはなかった。 (まったく、恐ろしいものだな。話を聞くに、少なくとも極楽院寺宗主のごとき人物。いや、 戦争の英雄でもあるとすれば帝都三俊を兼ねるようなものらしいが)  その偉容が、ただ身体的なものであるならば、どれだけ気楽だったか。兜の内側でじっとり と汗が滲むのを万は感じていた。 (大妖・迫羅でもこれほどの圧力だったかどうか……世界も違えばこういうものか。群雲や錐 矢が今いないのが心細いものだな)  しかし気圧され続けているわけにもいかない。 「私が持っている“これ”を貴方がたはご存知だと聞いている。それが真ならば、危険性の方 も、私たちよりも知っておられると思ってよいのだろうか?」 「うむ、ああ、そうだねえ…………本当に知っているとは、言えるのかねえ」  返ってきたのは答えとは言えそうにない。しかしアズラエル理事の方が先の言葉を続けた。 「リィからは何か聞いたかね」  リィ。アイリーンか。言葉をレイズが受ける。 「それ以上のことは亀に邪魔されたよ。……第一回の優勝者の話もな」  多分レイズは探りを入れたはずで、万もアズラエル理事の顔に注視したが、しかしそこに浮 かんだのは僅かな優しさだけだった。昔を懐かしむような。 「出たんだよな。第一回にも」 「そうさな」 「優勝者は、アンタじゃない」 「残念ながら儂は敗者だったなあ」 「どういう話だ!? 刀は今ここにあるんだぞ!? 一体……」  吠えたレイズをアズラエル理事の声が押しつぶした。 「マレビトの御仁の方が、もうちょっとはわかってるんじゃねえかよ? うん? レイズよ」  アズラエル理事はそう言って笑い、万を見下ろす。 「今、こういうことでしょうね」  万は刀を手に、やや前に出している。それは、預ける意向を示している。しかしそれはまた 別の形でもある。 「私がいることのできる範囲は、運営委員会に空穴区画として封鎖されていると聞いておりま す。運営委員会は、はじめて世界大会を行った時にはまだ手探りだったことでしょう。ところ でエグザディオ君、ベスカリオ君、キングスキングという大会はどれぐらいの開催期間を持つ のかな?」  返答が来るのに少々の時間を要した。多分二人とも質問の意図がよくわからなかったのだろ う。 「…………一週間程度、です」 「1回戦ごとに巻き戻りを挟むんだ。そうすれば試合ごとに負傷も消えてイーヴンだからな」  頷く。 「そうだな。だがあるいは、初期大会においてはより実戦的だったのではないだろうか? 戦 争の終わりとして、戦争を引きずりながら行われた大会では」  視線は先程から一点を動いていない。アズラエル理事の目を一時も離していない。  その目が細くなった。 「一日さな。正確には朝始まって夕方には終わったよ。大体だな、出場者の名簿なんてものさ ら作っとらんかったからな。俺がという奴らをまとめてぶちこんでサバイバルよ。最後に立っ てた奴の勝ち」  アズラエル理事の言葉にレイズが呆れて息を吐く。 「なんつう大雑把な。だが、それが一体どうし…………」 「レイズ、レイズよ、お前さんとディルキールはそんな準備はとってねえよなあ? 儂のこと 良く知っとるもんなあ」  それで、レイズらも多分気づいたのだろう。  万は刀を今すぐ抜くこともできる。  臨戦状態にある。  なぜなら眼前のドラゴンは現れてからずっとそうではないか。  だから万もそうし続けていた。最初は、しかし理由がわかっていなかった。しかし今はわか る。アズラエル理事がそうしている理由が。  そして、放つ。 「優勝者は、マレビトだったのでしょう」 「――――だから儂らは大会を後からキングスキングと名付けた。名も知らぬ来訪者。三世界 それぞれに居た並み居る戦いの王者たちを下した、はじまりの王者(キング)のために」  そうして、その戦いによってどの世界が上に立つのかが決するという可能性は永遠に失われ た。  第一回の、すべての、勝者。それは竜の国でも鉄の国でも獣の国でもない。  それが彼らの『協定』(コンパクト)となった。  それが彼らの『慣習』(プロトコル)となった。 「あやつは、優勝者としてあるものを要求しよった。『運営委員会常任議長の席』を。以後の 大会の開催期間を含む大まかな沿革も、区画の封鎖も、あやつが通した。儂らをぜぇんぶボコ ボコにしたその足で、大会を見届けるためにその場にいざるをえなかった三世界のVIPをま とめて引きずり出してな」  もうアズラエルは万を見ていなかった。  百年の前、ここに居た者。 「そうして残されたものの中に、その者の言葉があった」 「ああ」  万が刀をわずかに上げる。 「これはその者の予言……預言にあったのでしょう。こういうものがもたらされると。理事殿 の言葉からして、全く具体的に指定されているわけではないようですが。恐らくその者は巻き 戻りと漂着について一種の式、理論を残した」 「しかし分からないぜ万さん。齎されるとわかって何の意味がある? そいつは何故そんなこ とをいちいち予言するだけして姿を消した?」  レイズに言葉に、首をふる。 「違うなあ、レイズ。あやつは姿を消したんじゃないだろうよ。消さざるをえなかった。焦っ ていたんだろうなあ。留まれる時間だけはどうにもならんから、名前さえ名乗らずにひたすら やるべきことだけをこなして去っていた……んじゃないかと儂は思う」  万が、ようやく視線を己が持つ刀に落とした。アズラエルはとっくに臨戦態勢を解いていた というのに。 (まあ、好ましいことだがねえ) 「……こういったものが齎される。それはおそらく今回に限った話ではないのでしょう? コ ロッセオはどう考えても人工的に造られたモノだ。そこには恣意がある、意図がある、目的が ある」 「それは……」  万が続け、レイズが戸惑った声で呻く。 「そしてそこに、明確な意図を持って齎されるものがあるとして、不思議ではない」  次元に干渉する刃。  それは三世界のあり方にすら干渉しうるのではないか。  “そうしたらどうなるだろう”と何者かが意図を持って観察しているとしたら。 「ならば第一回優勝者の方の意図は、防ぐことでしょう。“これら”が繋がれた三世界の中で 無用の大嵐を巻き起こすことを、なんとしても防ごうと。予言によりプラネタのような危険人 物たちが狙うことになるとしても、全く予期せぬ状態で危険が野放しにならぬよう。そして、 それが恐らくその者の限界だった」  その言葉の後に続いたしばしの沈黙を、アズラエルはゆっくりと破った。 「別にな、戦争をしてたころから、三世界の友好的合一を望む者たちが居なかったわけじゃあ ねえよ。不毛な戦いだものよ」  あるいは、それはアズラエル自身が一番よくわかっていた。見てきていた。 「三世界の和をもとうと、そういう国を作ろうと、そういう試みがあやつの去ったあとにだっ てあったさ」  そしてそれは今もある種続いていると言えよう。そうでない思いとの鍔迫り合いの中で。 「だがそれはやはり、今のところは上手く行っていないし、多分あやつはそれがわかっていた。 もしも第一回大会で勝敗が決してしまっていたとき、儂らはどうなっていただろう」  勝者のもとに、全てが上手くいっただろうか?  コロッセオというあまりにも狭い接合点で、血と肉と熱の金切り声を上げ続ける世界。  今自分たちが得ている小さな小さな協定は、あまりにも巨大なものをギリギリのところで支 えているのではないのか。  敗者と言った。  戦いに負けたことではない。大会に負けたことではない。  アズラエル自身のことだけではない。大会に参加した三世界の人間のことだけではない。  コロッセオで繋がれた三つの世界だ。  それそのものが、すべて敗者なのだ。  そしておそらくは、第一回大会に勝利したあの者すら―――― 「これを、この世界に置いておくわけにはいかないのですね」 「ああ」 「貴方がたはそうしてきたのですね」 「ああ」 「そして貴方がたがとれる方策はひとつしかなかったのですね」 「そうさな。無論、一度は保管することもある。なるべく早く『処理』するようにはしている がね。放置して元の次元に戻ったとしても、もう一度来るだけのことだものなあ」  アズラエルの言葉にレイズが割って入る。 「処理、処理だと? どうするつもりだ? 簡単に破壊できるなんて都合のいいことはないん だよな?」 「エグザディオ君。だから理事殿はここにお越しになったんだ。そして…………」  万の瞳が兜の中で横に滑った。 「…………私はそれだけの評価を貰える人間なのだろうか? ベスカリオ君」  視線の中のディルキールは、わずかに困ったように眉を下げた。 「ディルキール? ちょっと待ってくれ万さん、こいつは」 「まあ、無論ディルキールがその場にいたのは偶然、というか一つの可能性でしかないさな。 他の誰かが接触していたかもしれんね」 「爺? 何を言ってる?」 「おおよその予言は与えられている。時期が計算できる。だとしても確定はその場でなければ 得られないし、かと言って理事殿や、似たような方がウロウロしているわけにはいかない」  レイズの戸惑いを押し流して、万が言葉を続けていく。 「今回は偶然私も居合わせたが、本来誰かが回収していなければならない。少なくともカロン のような人物の手に渡ることを防がなければならない。全てを教えられているわけではないは ずだ。そう、たとえばマレビトを見つけた時だとか、空穴区画から何かを無断で持ち出してい る人間を見つけた時だとか、いろいろな場合に連絡をさせるようにしておいて、状況が合致し た場合のみ、それが上層部に…………理事殿たちに伝わるというようなシステムでいい」  思考が追いつきつつあった。万の言っていることが、レイズにもわかりかけてきた。いや、 もう分かってはいるのだ。 「そして理事殿は今回状況が切迫していることを知った。その上で、先ほどのグリーンサムラ イだったかな? 彼らのような実行部隊を使わなかったのは、恐らくなるべく少ない人間の中 で終わらせておこうとしたことと、また、理事殿自身がその目で確かめるため」 「確かめる……だって?」 「私が、“これ”を預けていい相手かどうかを」  レイズは自分の顔が限界まで歪んでいることを自覚している。しかし万は動かぬ兜の貌のま ま、ゆっくり目を閉じた。 「それは貴方がたの良心ですな」 「そんなことはないよ。次元にまで干渉するのならば、それがまわり回ってもう一度ウチにま で影響を及ぼさないなどと言えるかね? 誰かに押し付けるだけではあまりにも危険すぎるだ ろうよ?」  笑い声。しかしこれほど上滑っているアズラエルの笑いを、レイズは初めて聞いた。  ディルキールを横目で見る。 「つまり、あれか、死霊術を使って規定の相手に連絡を入れたわけだ。知らなかったが、それ で爺まで動いたと。なんだっけ、鉄の国でそういう言葉があったな。スパイの、えええと、ア セット? だったか?」 「ま、この連絡システムそのものは鉄の奴らが作ったからねえ。だがレイズよ、ちょいと勘違 いしてやせんか? 御仁は評価と申されたぜ」  口を開きかけて、やめた。万を見る。 「この危険物を預けるというところまでは明言されていないのでしょうが、彼女はマレビトへ の評価も伝えるように言われていたはずです。だからこそ危険物と、その引き取り手候補の両 方が揃っていることを知った理事殿がやってきた」 「人格的評価、そして能力的評価ってやつをある程度はねえ。色々と知らせてもらっているよ、 カロンやリィとの戦いを」  しかしそれは万が言いたいこととは微妙に違う筈だった。 「…………今回は偶然その機会があったと。そういうことですよね万さん」  万は応えない。 「ならば、そうでない時は? 姐御は機械でも便利屋でもねえんだ。毎回律儀に候補者を襲っ てくれたりはしない。人格的に優れているということは、むしろ無益な戦いは避けるものな。 そうじゃなきゃ危険物は託せない…………いや、しかし、何故だ爺」  レイズの言葉にアズラエルが肩を大きく竦めた。真紅の翼が持ち上がる。 「おめーなあ、門外漢だから仕方無いだろうが、死霊術を軽く見過ぎじゃあねえのか? 暗黒 に関わる魔法ってぇのはな、わりとマジなんだぜ? ゴルディーラの小僧にこっちがどれだけ 神経削られてると思うよ? あん?」  竜の国の人間特有の魔法。しかし確かにポピュラーなものは戦闘用の攻撃補助、行動補助用 の直接的なものだ。死霊術もそうだが黄金邪竜に関連する暗黒の魔法は少し気色が違う。 「だが……だが牙騎士だぞ。確かにそりゃ評価が低いとは思ってる。だがアンタらが求めるも のは竜騎士クラスを余裕で前に出来るものじゃねえか、それを…………」 「だから、それが軽く見てるってんだよ。ディルキール」  名を呼ばれて、横に立つディルキールがようやく動いた。 「危険物を見つける人間は極論連絡できれば誰でも構わんわな。しかしそれを預ける人間を探 すことも求められるやつは、そうはいかんわけだ。ああ、その通りだレイズ」  レイズは、一歩引いた。  ディルキールが黒く輝いている。 「実戦でなく、コロッセオのような平等を期した遭遇戦でもない。完全に向かい合った状態か ら戦闘準備をしてのよーいドンなら、こういうことが出来るわな」  レイズは更に一歩引いた。  ディルキールの身を包んでいた黒いオーラが、その背から徐々に広がっていく。圧倒的な奔 流として。 「“降ろした”のか…………」 「全く、後輩だからと緩むんじゃねえぞレイズよお。“今の”そいつは、対ゴルディーラ用の 結構ガチな切り札だぜ」  ディルキールの持つ鎌は、既に元の刃を越えて魔力が黄金色に輝いている。  吹き出した魔力が漆黒の翼のようだ。  レイズが三歩下がって、アズラエルが大きく声を張り上げた。 「マレビトの御仁よ。もしも我々にご協力を頂けるならば、どうか最後に彼女と一試合してい ただけないか。ここはコロッセオ、戦いの場なれば!」  万は何も言わない。ただまっすぐディルキールへと構え直す。 「死盟天竜騎士、ディルキール“G”ベスカリオです」  その名乗りに、万はしばらく硬直した。理由はわからなかった。レイズには何かを考えてい るようにも見える。ただ、彼は結局こう応えた。 「六道宗主直轄非公式隠形要員・護影部隊の第二『厳霊』(イカズチ)隊長、万唯」 「よろしくお願いします」 「――――参る」                                       【続く】 補足  お気づきではないかと思いますが  鉄の国が影薄いって言われた途端DG社が出てきたり  第一回優勝者の話題がそのまま入れてあったり  その週に絵化された関係ない設定をかすらせてたり  一応の枠以外はぶっちゃけその時その時の勢いなので  自分でもどこに着地するか正直全然わからないまま書いていました  また、このシリーズ始まった頃いなかったんで、後追い知識しかない点はご理解ください