誰しも、無条件に心安らぐにおいというものがある。  彼女にとって、それは彼女の姉≠フ艶やかな毛並みであったり、故郷の山野を渡ってゆ く風の息吹きであったりする。    そうしたにおいに触れた時と同質の安らぎが、今、彼女の総身を満たしている。  どうにも不可解なのは、そのにおいが何故、かくも安らぎを与えてくれるのかということ で――。        レキシー・ウェレクは薄目を開けた。  体全体が揺れている。しばらくその揺れに身を任せていると、自分は誰かに背負われたま ま移動しているということに気づいた。  傍を流れゆく景色を、レキシーはぼんやりと探った。  周囲は夜の街である。大分時間も遅く、ひんやりとした街路に自分達以外の姿はない。  紅い宝石のような瞳が揺れる。  雲間から覗く三日月の光は頼りなさげだが、あちこちに街灯がともっているので、彼女の ように夜目が利く者ならずとも、さほど不自由はしないだろう。    軽装の革鎧の間から大胆に覗く二の腕が、太腿が――搾りたてのミルクを思わせるレキシ ーのすべらかな肌が、そうした夜光を撥ね返す。  新月の夜空からすくい取ってきたような長い黒髪も、それは同じだった。  レキシーは鼻をひくつかせる。  彼女の鼻先と口吻はつんと尖っている。常ならば頭の上で立っている三角形の耳は、今は 力なく垂れていた。これもだらりと垂れたふさふさの尾といい、どれもが狼族のものだ。  人たり、狼たるこの生き物は、そして美しい。    獣化。一時だけではない、恒常的な肉体の変質。  程度の差はあれ、この世界――『獣の国』の住人が等しく備える、それは特性だった。    革鎧はともかく、レキシーは女性にしては上背がある。背に差したふた振りの短槍も併せ れば、並みの男ではすぐ息が切れてしまうだろうが、彼女を背負っている相手はそんな重さ など意に介さぬ足取りで進んでいく。  もっとも、この相手は二メートル近い長身ではあった。      レキシーは少し呻いた。  動悸が激しい。心臓に直接ふいごを差しこまれ、思いきり風を送られでもしているかのよ うで、無闇と苦しい。おまけに頭ときたら、頭蓋の中で石臼がゆっくり回っていると言わん ばかりだ。    尋ねるべきことは色々とあった。どれから問い質すべきか考えが纏まらなかったので、レ キシーは彼女を背負っている男に「……レイズ」と呼びかけた。   「お、醒めたか」    レイズ=エグザディオは歩みを止めずに言った。   「じき、お前達の宿につくぞ。気分はどうだ? 吐き気はないか」 「……どうして、我々が泊まっている宿を知っている?」    しゃがれ声で訊くと、レイズが顎をしゃくる気配がした。「姉上殿の案内さ」    その方向、少し先の石畳をひたひたと歩いているのは、一匹の狼だ。  端々が幽かに赤みがかってはいるが、全体としては灰色の毛並みに覆われた体躯はかなり 大きい。頭の高さは、立ったレキシーの腰の位置まで来るだろう。  話し声が聞こえたのか、歩きながらその狼は首だけを後ろに曲げた。レキシーそっくりの 紅い瞳がじろりと彼女を一瞥して、    ――だらしない子ね。    声に出した訳ではないが、狼――姉≠ナあるアルマにそう叱れたのが、妹≠ナあるレ キシーにはよく判った。   「……面目ありませぬ、姉様」      小声で言い、レキシーは再びレイズの背中に顔を埋めた。レイズが押さえた声で笑う。      彼の長い黒髪がレキシーの尖った鼻先に当たっており、少しくすぐったい。  厳めしく、恐ろしげなその顔の造作は、レキシーとはまた違う意味で人ではなかった。  密生した黒い鱗、尖った歯列、額の一本角。一見すると爬虫類のようでいて、しかし獣の 国には生じる事なき因子、竜の血を継ぐ民の徴(しるし)であった。    ゆったりとした黒い長衣を纏ったその竜人のにおいが――どうしてだか、近しいものと同 じくらいの安らぎを与えてくれている。  安らぎつつ、今までは意識したことなどなかったその事実にレキシーは混乱する。  ばらけるばかりの思考をなんとか束ね、考える。――どうしてこうなった、と。        こうなる∴鼾盾ルど前、赤目狼の女戦士たるレキシー・ウェレクは『五色の角笛亭』に いた。    ひとり、カウンター席の隅に陣取ったレキシーは、つまらなそうに酒場の中を眺め遣る。  広い店内はほぼ満員だ。あちこちで杯やジョッキが酌み交わされ、話し声や笑い声が大き く反響する。時折その中に咆哮が混じるのは、いかにも獣の国の都という土地柄だろう。  また、この国では血を分けた兄弟≠スる獣を連れている者も珍しくはない。テーブルの 下を狐が駆け回り、壁を大蛇がのたくるなど日常茶飯事で、混み合う店は足の踏み場もない ――レキシーの周囲を除いては。    もっとも、異なる特徴を備えた者たちもかなり混じっている。  竜族特有の竜眼≠光らせる竜の民、機械仕掛けの義肢でジョッキを掲げる鉄の民。と っくにありふれてはいるが、百年前までは有り得なかった光景だ。    竜の血を継ぎ、剣と魔法をよくする『竜の国』と、鉄と火花を友とし、科学技術に秀でた 『鉄の国』、そして『獣の国』。  あくまで平行(パラレル)たり続け、本来なら決して交わることのなかった三つの別世界 が『コロッセオ』なる巨大建築物をかすがいに門戸を開くようになって百年余が経つ。  それは終わりなき闘技場として、三国の闘士たち――レキシーやレイズのような――が覇 を競う百年紀のはじまりでもあったのだ。      レキシーは視線を自分の前に戻した。  麦酒(エール)のジョッキを持ち上げ、口をつける。  酒には強い方ではない。むしろ逆だ。甘い果汁で割った麦酒を舐めるように、二刻ほどか けてようやく一杯、というのが彼女の酒量の限界だった。    ――あちらから誘った癖に、レイズは何をやっている。     その竜人はと言えば、向こうのテーブルで顔見知りと話しこんでいる。  相手はがっしりとした獅子の獣人だ。鉄のような灰色の毛並みの中で、双眸が滋味のある 知性に輝いている。  レイズも顔に似合わぬ学究肌だが、こちらは本物の教職である。彼、ライオネル=スカイ ウォーカーは、コロッセオの闘士であるより先に、獣の国のさる大学で教鞭を執る考古学者 として知られているのだ。    二人の談義はライオネルの専門分野に及んでいるのか、「西方虎族の青銅器」「蹄族文化 圏」「マレビト」といった言葉が切れ切れに聞こえて来る。  レキシーはため息をついた。  彼女にとってはあまり興味を引かない内容だ。熱っぽく語っている二人の話が終わるまで 待つしかない。    因みに、姉である赤目狼のアルマは店の外だ。彼女は妹以上に騒がしい場所を好まない。 今ごろ、入口の所で山盛りの腸詰めに舌鼓を打っているだろう。      店内の混雑さと比べて、レキシーの周囲にだけは客の姿がない。  常に凛然とした気迫を崩さないこの女戦士には、少なからず他者を怖(お)じさせる所が ある。いかな酔漢や放蕩者でも、そう容易く近寄れるものではない。  厳しさや冷たさに包まれた雌狼(シーウルフ)の優しさ、気高さを知るのは、レイズのよ うに胸襟を開き合った者のみだった。    そんな彼女に、気安い声をかけた者がある。       「いよう、姐さん。楽しんでるかぁい」    馴れ馴れしく呼びかけ、隣の席に腰かけてきた人物を、レキシーはちらりと見た。  若い獣人の男だった。暗灰色の毛並みを持つハイエナの血族で、獣毛が密生した裸の上半 身には赤い半袖のシャツをひっかけている。  これも赤いレンズの丸眼鏡をかけた顔には、見覚えはなかった。  男はひと振りの刀をカウンターに立て掛けながら、   「んなおすまし顔でカウンターに一人ぼっちで、そりゃいけねえよ姐さん。酒場で女が一人 ってえのは、よくないんじゃねえの?」 「連れはいる」と、レキシーは冷やかに答えた。「それと、私にお前のような弟はおらぬ」 「ヤッベぇ、流石はレキシーの姐さん、コロッセオの外でもコエぇわ」    何の痛痒も感じていないかのように、男はけらけらと笑った。   「何故、私の名を?」 「ここいらであんたを知らねえ奴はモグリっしょ。今日やらかしたレイズの兄貴との一戦も 凄かったつう噂だが、この前の試合だってよ、ホラ。すげえ評判だったじゃんか」    レキシーはちょっと顎を引いた。  男が言っているのは先週の試合のことだ。鉄の国でも強豪として知られるさる闘技者に、 レキシーとアルマが挑んだ一戦である。  さしもの赤目狼にも黒星がつくだろう――そんな前評判を覆し、苦戦の末にレキシー達は 勝利を手にしたのだ。  世俗的な名声には、レキシーは重きを置かない。しかし一方で、そうした箔≠ェ彼女の 目的に欠くべからざる代物であることは理解していた。   「相手の方に大枚張った奴が多かったっぽくてよ、どいつもこいつも大損こいたってこぼし てたぜ。ま、あんたに賭けねえ奴が莫迦なんだよな。マジで」 「そうか」    レキシーはすげなく答えた。コロッセオでの試合に関する賭博行為は、当然ながら各国政 府から禁止されているが、当然の如く後を絶たない。  とはいえ真っ当な闘技者自身には関わり合いのないことであり、レキシーもまた賭けごと には何の興味もなかった。  その態度をどう取ったか、男は慌てたように手を振り、   「いやいやいや、俺は博打なんかやらねえよ、やりませんて。よく運だめしとか言うじゃん、 けど手前ぇの始末を人任せ運任せっつーの、性に合わねえのよ」 「賢明だ」    頷いて相手の言い分を認めはしたものの、レキシーは少し顔をしかめた。  直接的な害意のあるにおいはしないが、意図が読めない。この男は一体何のつもりなのか。     「ま、そんな街で噂の赤目狼の姐さ……じゃねえ、戦士殿にケーイってえやつをヒョウして えと思ったんよ。名乗り遅れたが俺ァ、遊び人のシェーさんで通ってる。以後ヨロシク」 「赤目狼の一族が戦士、レキシー・ウェレク」    律儀に名乗り返したレキシーは、ふと眉をひそめた。   「貴公もコロッセオの闘士か?」 「ぷっ、俺が? いやいや、とんでもねえ。……ああ、こんな段平持ってるからかい」    シェーと名乗る男は噴き出し、傍らの一刀を持ち上げた。  柄も鍔も鞘も、全てが朱色に塗られている。丸眼鏡や衣服の色と合わせているのだとすれ ば、かなりの洒落者と言えた。   「カッコづけに一応の登録だけはしてっけど、ろくに戦ったことねえよ。これだって切れね え模造刀(フェイク)さあ、へへ、へ」 「それは嘘だ」    ごく静かにレキシーは断じた。   「隠しても手並みの程はにおいで判る。それにその得物も、相当血を吸っているな」    肯定も否定もせず、ハイエナの男はにやにやと笑っている。目までもそうなのかどうかは、 赤い眼鏡に隠されて判らない。  レキシーは肩をすくめた。   「単に事実を述べたまでのこと、返事は不要だ。無用の詮索をする気もない故に」 「――こりゃまた、恐れ入ったね」    男も同じように肩をすくめ、   「えらく買い被ってくれた礼だ、一杯おごらせてくれよ、な?」    「要らぬ」と首を横に振りかけたレキシーに被せるように、相手は「甘いやつだよ」と言 った。  ひくっ、とレキシーの両耳が立った。  低い声で「甘いの」と反芻する。  悪戯っぽく笑った男は給仕を呼び、酒の入った小さなグラスを二つ、持ってこさせた。  男は自分の分を持ち上げた。琥珀が溶けたような液体をひと息で飲み干し、「うへッ、甘 ぇや」と歓声を上げる。   「ま、たまにゃあこういうのも悪かねえ。さあさ、遠慮せずやってくれよ」      レキシーは慎重にグラスを取り上げた。  男も口にしているし、狼族の嗅覚が毒ではないことを告げている。――量を過ぎれば何で あろうと毒だ、と心のどこかで自戒する声が聞こえたが、グラスから漂ってくる花のような 芳香に集中していた神経はその声を無視した。  ――酒には弱いが、レキシーは甘いものに殊のほか目がないのである。     ほんの少しだけ、ひと舐めしてみた。  と、レキシーの頬がほころぶ。思わず「……甘露」という呟きが洩れる。  極上のシロップのようだ。それでいて口の中に残る重さはなく、甘みが舌から喉の奥まで をさらりと撫でていく。  ふた口目からは、もう恐る恐るという感じではなくなった。    レキシーは横目だけを隣席に遣った。  ハイエナの男がいない。酒の甘味にレキシーの気が逸れたほんの一瞬を捉えて、男はカウ ンターから姿を消していたのである。  ――おかしな奴。  訝しみはしたが、胡散臭い連中も少なくないコロッセオの周辺では、大同小異のからかい を受けることはざらだ。  取り敢えず、レキシーはかぐわしいグラスを傾けた。男が残していった空のグラスが、灯 火を反射して小さく光った。       「やあ、放っておいて済まんな。すっかり教授につかまってしまった」    レキシーがグラスの酒を味わい終えた頃、レイズがカウンターに戻って来た。  先程まで遊び人のシェー≠ェいた席は、長身痩躯の体重を受けて少し軋む。それなりに 酒は進んでいる様だが、レイズに酔った様子はない。レキシーと違い、元々強いのである。   「レイズ。ひとつ尋ねたいのだが」 「ん、何だな」    空けたグラスをそっとカウンターに置き、狼の女戦士は竜人剣士に向き直る。きちんと背 筋を伸ばした姿勢につられてか、レイズも居住まいを正す。   「お前、なぜ三人いるの?」 「……何?」    レイズは眼を瞬かせた。   「何とはこちらの台詞だ。真ん中とそれぞれ左右に、全部で三人に増えている」    レキシーは全てのレイズを順繰りに指差した。  少なくともレキシーの視界にはそう映っている。その三人のレイズが、同時に同じ角度で 首をかしげた。   「まあ良い。こんなにいるのだから、一人ぐらい我ら一族の同胞となれ。いいや、三人まと めてなれ。そうして――私の背の君となれ。なって」 「……酔っているのか、レキシー。まださほど飲んでいなかった筈だが。――あ」    何かに気づいたのか、レイズはレキシーが干したばかりのグラスを「失礼」と取り上げた。 自分の鼻先に近づけると、すぐに呆れた声で、   「この香りはリリコッタ酒か。確かにお前好みの甘口で飲みやすいが、ひどく強い酒(の) だぞ、これは。普通は割って飲むのだ」 「割ったりしたら、薄まってしまうではないか」    ――何故、こんなにも声がふにゃふにゃしてしまう。  はっきり発音しているつもりなのに、まるで別人が喋っているようだ。己の呂律の回らな さがレキシーには解しかねたが、それでも精々威厳を保った声で、   「甘くなくなってしまうではないか。いかんではないか」 「地竜の金の鱗にかけて」竜人は嗟嘆した。「これは相当きてるぞ」    ――何だ失礼な、と憤慨したのが、最後の明瞭な記憶となった。        そこから先は、はなはだ曖昧である。  頬に感じる、テーブルのひんやりした温度の心地よさ――してみると、カウンターに突っ 伏してしまったらしい――や、今夜はここで寝ると言い張って、何やらなだめられながら抱 え起こされた憶えはある。   「――そんなことがあったような、なかったような……」 「あったような、ではなく確かにあったぞ」    酔い潰れた経緯をぽつぽつと語るレキシーに、レイズは断言した。      二人と一匹がゆくのは、コロッセオにほど近い市場の辺りだ。日中どころか日暮れすぎま で盛況だったこの通りも、今は全ての建物が扉を閉めている。辺りに人の姿が戻るのは店々 が動き出す早朝だろう。  あちこちでともる水銀灯は、元々は獣の国で生み出された技術ではないが、昨今は三国間 で人と物とが激しく流動している。コロッセオを有する首都は、そうした恩恵を如実に受け ているのだった。    不意に、レキシーは「しまった」と弱々しく顔を起こした。   「私達の勘定を、まだ済ませていない……」 「ああ、それなら心配はいらん。俺の分と一緒に払っておいた」 「かたじけない。宿に着いたら、すぐに払う」 「構わん構わん。大した額ではなかったし」 「構う。金額の多寡ではない」    生真面目に言いつのるレキシーに、レイズは「相変わらず固いなあ」と苦笑した。   「それは兎も角、その遊び人の何がしとやら。俺もよく知らん奴だが、からかわれたのだろ うよ。お前の甘い物好きは、それなりに知られているからな。  そいつも性質が悪いが、強くない癖におごられるお前もよくない」    わう、と先をゆくアルマが小さく吼える。同意を示したのだ。  レキシーは「いつも済まぬ……」と瑞々しい肢体を縮こまらせる。   「全くだぞ。困ったものだ」    レイズの口調は面白がっている風で、非難の色はない。  この竜人と酒席を共にすると、結局最後は介抱して貰う羽目になる。と言っても、今回ほ ど泥酔したのは初めてだった。   「今宵の件は、ひとつ貸しにしておくわ」    レキシーが苦しげな息の中から言うと、レイズはちょっと考え込む様子で、   「……念の為に訊くのだが貸し≠ネのか。普通こういう時は借り≠ニ言いはしないか」 「言い間違えた」と、レキシーは広い背にもたれて目を閉じた。「借りのほう」 「まあ、俺としてはどちらでもいいがな。どちらにせよ、男の甲斐性だ」    レイズは頓着しない様子で笑う。  歩を進める度、かちゃかちゃと小さい金属音がする。  レキシーが背に収めた双槍と、レイズの腰にあるひと振りの長剣、それと何本もの短剣だ。 レイズの背中に顔をつけたまま、レキシーは吐息のようにささやいた。   「お前の短剣――いつもより一本足りぬ隙はつけなかったな」 「俺もだ。お前の双槍を崩しきれなかった」    深い声でレイズは言った。  それきり二人は黙った。互いの刀槍の金具が、代理のように小さく鳴っていた。        ――今日の昼間、レキシーとレイズはコロッセオで烈しい戦いを行っていた。  公式戦ではない。バトリングと呼ばれる、謂わば野試合である。      戦闘時、レイズは大小十八本もの刀剣を使いこなすが、今日に限ってはその数がひとつ少 なかった。  戦う直前にもそのことは訊いたが、戦いを終えて後、『五色の角笛亭』で改めて事情を説 明され、レキシーは大袈裟にいえば衝撃を受けたものだ。    竜、鉄、獣の三国を重ならせるコロッセオが、それら以外の異世界と繋がることがある。  これは『空穴区画』と呼ばれる封鎖区域に限られた現象だ。何らかの切っ掛けで、異世界 からの物品が、人が、そこには漂着する。    そうして訪れる異邦人を『マレビト』と称する。  暫く前に空穴区画を訪れたレイズは、転移してきたマレビトの少女と共に、別のマレビト と戦ったらしい。  どちらもコロッセオでも相当な所までいくだろう、というのはレイズの見立てだった。  共闘したその少女が元いたであろう次元へ帰還する際、レイズは己が愛用する紫水晶の短 剣を一本、彼女に贈ったのだった。    ――らしくもない真似をする。    まるで何かの契り(コンパクト)のような、とレキシーの心はざわめいた。  相手がレイズも一目置くほどの強者であること、それが少女であることもさることながら、 そうした経緯を語るレイズの眼が、ひどく優しい眼をしていたからかもしれない。      沈黙の重みを振り払うように、レキシーは凛たる声で、   「次の勝負こそ、お前を負かしてみせよう。それで貸し借りはなしだ」 「ふむ、そういう返し方も良いぞ。そうして、俺は晴れてお前の同胞となる訳か」    おどけたようにレイズは言った。    ――レキシーがコロッセオで戦う理由はただ一つ、滅びゆく氏族を再興させる為だ。  彼女ら赤目狼は、相次ぐ戦乱などでその数を大幅に減少させている。氏族に加えるべき心 身ともに強き者を求めて、レキシーとアルマはコロッセオの地を踏んだのである。  赤目狼は子供の受胎率が低い反面、近親種以外でも交配可能だ。この為、積極的に他種の 動物を群れに引き入れ、同族として遇する習性が元々ある。他種族のものでも同胞として迎 えるというレキシーの氏族の慣わしは、この習性を引き継いでいるからに他ならない。    レキシーがコロッセオで戦い、勝ち続けんとするのも、同胞を得る一環だ。  実も名も伴わぬ所に集まって来るのは、所詮よこしまな無頼に過ぎない。そうした手合い では氏族が求める同胞たり得ない。  そして彼女が見出したのが、竜の国でもそれと知られた魔術剣士、レイズ=エグザディオ だったのだ。      ――私が勝てば、我らが赤目狼の氏族の一員となれ。      初めて試合を申し込む前、レキシーはそう宣し、レイズもそれを肯(うべな)った。  そして刃を交えること幾たび、結果は今日と同じように引き分けに終わり、今もってこの 竜人は赤目狼の一族に加わっていないのだった。      「――厭か?」とレキシーは訊いた。  自分でも驚く位、心細げな声が出た。  だからレイズが首を横に振ったのを感じて、レキシーは知らずに固くしていた全身から力 を抜いた。同胞として求める相手に気づかれないよう、そっと。   「厭いはしないよ。昼間も言ったが、魅力的な申し出だとは思っている。ただ、俺にはまだ 成したいこと、成さねばならぬことが――」        不意に、アルマが足を止めた。  ほぼ同時にレイズも立ち止っている。姉と同じようにレキシーの両耳もひくりと立った。    七、八メートルほど先の街灯の下に人影がひとり、立っている。  背面が膨らみ、ずんぐりしたフォルムはアルマジロの獣人のものである。派手さと下品さ の相まったスーツ姿からして堅気の商売ではない。   「こいつは参ったな。竜の旦那が一緒とは聞いてなかった」    アルマジロの男は面倒くさそうにもう一度「参ったな」と言い、苛立たしげに顎を掻いた。  全ての指に宝石と貴金属の指輪を嵌めている。色とりどりの輝きが下品にぎらついた。  レイズは両目を細めた。   「レキシー。お前の知り人か?」 「徒党を組む破落戸(ごろつき)に知己などおらぬ」    顔を伏せたままレキシーは応じる。  その言葉に誘われたかのように、近くの建物の陰から、わらわらと人影が湧いた。  馬、カモノハシ、鰐と、血族は様々だが全て獣人だ。これみよがしに牙や爪をひけらかす 者もいれば、ナイフやブラックジャックをひねくる者もいる。十数人のいずれもが、一様に 荒んだ風情を漂わせていた。      レイズは穏やかに周囲を見渡した。  凶漢の群れに取り囲まれていても、この竜人剣士は飄然たるものだ。   「俺もそちらを知らんが、俺たちに何か用か?」 「用があるのはあんたじゃねえ。あんたが負ぶってる狼女の方でね」    アルマジロの男が尊大な口調で答えた。この男が一団のリーダーらしい。   「単刀直入に言うがね、俺たちは『ローレス』の者さ。近くのカジノを仕切らせて貰ってる」 「ほう――奈落獣の集い≠フお歴々とは、怖いな」    感心したようにレイズは言い、レキシーは「破落戸は破落戸だ」と短く吐き捨てた。      ――『ローレス・コミュニティ』。  通称『ローレス』。獣の国を中心に活動する犯罪組織の名である。  容易く人前に姿を現さないボスに統括されるこの一大勢力は、獣の国で急速に進む発展と 開発を抜きにしては語れない。繁栄の裏には、その輝きを生んだのと同じぐらい汚い金が動 くものだし、彼らはそうした利潤を汲み上げる能力にかけては裏社会随一だった。  麻薬、賭博、殺人など、およそあらゆる非合法活動に手を染めるばかりか、コロッセオに も何人もの闘士を派遣しているという。   「ひでえ言われようじゃねえか、ああ?」    懐から出した煙草に火を点けながら、アルマジロの男はレキシーたちを睨んだ。   「そこの雌に用があるのは俺らだが、相手をするのは別口でよ。――出番ですぜ、用心棒の 先生がた」    ふう、と男が紫煙をひと噴きした時、全員の頭上が翳った。    地面が揺れた。  レイズらと獣人の一団との間に、巨大な物体が落着したのである。石畳に細かい亀裂が走 った。  傍の建物の屋上から飛び降りたのだろう。レイズたちは判り切っていたことのように身じ ろぎひとつしなかったが、『ローレス』の獣人たちの方が怯えたように後ずさる。  レイズとアルマの足を止めさせた気配の主が、これだった。       精確を期するなら、気配の主達≠セった。  巨大なシルエットは類人猿、それもゴリラのものだ。両拳を地面につき、前傾した姿勢は 直立すれば三メートルはあるだろう。  猫族の耳と尻尾を持つ小柄な影が、その肩にちょこんと腰かけている。    それでいて、どちらも獣人ではなかった。  ゴリラの全身を構成するのは銀灰色に輝く鋼の装甲である。両目はゴーグルタイプの視覚 センサーで、生体部分は一切ない。  頭頂部から首の後ろにかけて、鶏冠(とさか)のような突起が鋭い銀光を放っている。    赤く長い髪の猫族――まだ少女だ――の方は、生身と思しいのは頭部だけだ。  首から下の全身にぴったりと張りついたような黒い衣服は、滑らかだがやはり鋼の光沢を 放っている。衣服ではなく、これも金属装甲なのだろう。  目元は黒いバイザーで覆われている。冷たく整った美貌には、何の表情も浮かんではいな い。    五体のいずれかを、或いは全てを機械に換装した鉄の国の住人――機巧人種(サイボーグ) であった。      ウォッカッカッカ、と機械仕掛けのゴリラは野太い合成音声で大笑した。  「五月蠅いわ、タングステン」と、猫耳の少女は抑揚のない声で言った。     【To Be Continued】       ■オーバーラップ・コロッセオ■ 剣と魔法を操り、騎士と王が収める竜の血を引く国、竜の国 鉄と銃を組み上げ、民主主義という名の支配構造を持つ国、鉄の国 獣と自然と共にあり、自由を愛する獣人達の国、獣の国 本来交わらざる隣の世界にあった三つの世界は、一つの建造物によって結ばれていた コロッセオ――そう呼ばれるそれは誰が、何のために作ったのかも不明なままで、 しかし、三つの世界は正しく闘技場としてそれを利用していた 求めるものは名誉か、金か、それと己の力試しか 三つの世界が邂逅を果たしてから既に100年が過ぎ、 今日も尚、コロッセオの内から歓声が途絶えることはない     ■オーバーラップ・コロッセオ■ レキシー・ウェレク 獣の国出身の若い女戦士で、赤目狼の一族の血を引く 白い肌に黒く長い髪、赤い瞳。耳や尻尾だけでなく鼻も狼のような形状である 属している氏族が戦乱や飢饉の影響でほとんど死に絶えつつあり、氏族を再興するために 同胞に迎えるべき屈強な男女を捜してコロッセオに来た (彼女の氏族は、狼の血を引いたものでなくとも認められれば同胞として扱う習性がある) 左右一対の短い槍と、氏族に代々伝わる先祖の狼の毛皮を使った革鎧を身に着けており 鎧に宿る獣の気の力により、体力の消費と引き換えに超スピードでの近〜中距離戦闘を可能にする 子供の頃から共に育った雌狼のアルマを「姉様」と慕っており、戦闘でも連係プレイが得意 古風な価値観を持ち、自己を律することにかけては人一倍厳しいが ただ一つ甘いものの誘惑だけには抗し難い     ■オーバーラップ・コロッセオ■ レイズ=エグザディオ 性別:男 年齢:27歳 龍の国出身の魔術剣士、複数の龍の血を濃く受け継いでおり龍頭人身、鱗は少なく細身 一角を生やした凶悪な面構えだが物腰も柔らかく理知的で優しい子供好き、自分の顔が怖いので 子供達が怖がることに悩んでおり嘆息する事が多い 剣術と複数の属性を組み合わせた魔術を操る戦闘スタイル 鋼線やプレートなどが編み込まれた導師服と術式によって操る紫水晶製の短剣や中剣など18本を装備 メイン武装として長剣や鉄の国製のチェーンソーブレード・ガンブレードを気分で選択し使用 探究心が強く他国の文化や文明を調べており他国への定住を考えている      ■オーバーラップ・コロッセオ■ ライオネル=スカイウォーカー 獣の国出身、獅子の獣人、三十九才男性 フェドラハットを被り、レザージャケットを羽織っている レオニードの実弟であり、兄に比べて物腰が柔らかく人当たりが良い、自分の好きなものにとことんのめり込む様はそっくり 鉄の国に留学し考古学を学び、現在は大学で考古学の教授として教鞭をふるっている ある日、研究の為に訪れた獣の国の遺跡からコロッセオを描いたと思われる壁画が数点見つかった 何故、五千年前に造られた遺跡にコロッセオが描かれているのか…その謎を解くために彼はコロッセオへの出場を決意する 彼の武器は兄譲りの戦闘スキルと華麗な鞭さばき、そして誰にも負けない知恵と勇気である     ■オーバーラップ・コロッセオ■ 奈落獣の集い『ローレス・コミュニティー』 闇に生きるならず者たちがたむろする組織。通称「ローレス」。 獣の国都心部に本部が設置されているが、構成員は獣だけではなく竜人や人間もいるようだ 獣の国の発展に多大な貢献をしており、都心部にあるカジノやその他の多くの施設はこの組織が支配している これは他国による獣の国の開発を制限するためでもある 環境テロ組織『プラネタ』とは対立の関係 所属する者たちは情報収集を主な仕事とし、裏では暗殺や誘拐、ドーピング薬の開発といった仕事も請け負っている 組織拡大のための資金集めとしてコロッセオに参加     ■オーバーラップ・コロッセオ■ ダマスクス 鉄の国のサイボーグ少女で頭部以外の生身部位が存在しない。 赤の長髪に猫耳を生やし、目元を視野増幅用のバイザーで覆い隠す。性格は機械的で 開発者である狂人マッド・サイエンティスの命令にのみ従順。頭部以外の全身は 猫の尻尾を生やした漆黒の超弾性装甲躯体で、物理は勿論、魔法現象もある程度 弾く程の硬度を誇る。ちなみに猫耳と尻尾は開発者の趣味。武装として両腕に内蔵された リボルバー型炸薬式ガン・パイルバンカー(略称ガイルバンカー)と脚部内蔵の 加速装置による超高速機動によるH&Aを主戦法とし、データ収集の為、 度々コロッセオに投入されている。シングルも強いが、タングステンとのタッグはもっと強く タッグでの登場時はタングステンの肩に乗っている。     ■オーバーラップ・コロッセオ■ タングステン 鉄の国のサイボーグ巨漢。3mもの巨体と圧倒的パワーを誇るゴリラ体型の大男で 脳以外の全てが機械に置き換わっている。頭に輝く銀色のモヒカンとゴーグルアイの頭部を 含めた全身が銀灰色の超硬度装甲躯体となっており、傷付ける事は難しく、特に熱に強い 性格は冷静沈着で開発者のマッド・サイエンティスの命令に忠実だが声が笑い声しか出せず 笑い方や笑い声の抑揚を微妙に変える事により喜怒哀楽を表現している。ちなみに 笑い声しか出せない仕様は開発者の趣味。頭のモヒカンは射出可能な高周波カッターで あらゆる物を切断し、また、十指は一本一本が銃身として構成されており マシンガンやショットガンモードの他、束ねてのガトリングモード等がある。 持ち前の頑丈さとパワーと武装を使い分けての近距離戦を得意とし、データ収集の為 度々コロッセオに投入されている。シングルも強いがダマスクスとのタッグはもっと強く タッグでの登場時はダマスクスを肩に乗せている