国家の統治者である帝(ミカド)……その代理人として実権を握る六家、通称『六道』が非 公式に持つ私兵集団の工作要員。  護影部隊。  非公式――――それは無制限であること。  世論。臣民感情。法。条約。外交儀礼。良識。倫理。人道。  影にあり、公にされなければ、それらに制限されることはない。  彼らが影の中で行う作戦が成功し、国が、帝が護られるのであれば、何も問題はない。  彼らに現在あたえられ、従事しているはずの任務。 『国内において反乱を起こした少数種族を鎮圧するため、彼らを裏で支援している敵対国のタ カ派の一部を、護影部隊の下部集団『人穴(ヒトアナ)』により掣肘する。その完遂まで鎮圧 軍の被害を最小限に止めるべく反乱勢力に対して破壊工作を行え。対象の被害は考慮しない』  黄金の大鎌が高速で踊る。 (驚異的な身体能力の向上だな。降ろしたというのは、つまり神懸かり。個人の身を超えるな にがしかを、ベスカリオ君はしかし御しているようだ)  交錯ののち、開けた距離で少女を見る。大鎌というあまりにも取り回しの悪い武器をもって してそれを問題にもしない。漆黒の翼を広げた死の天使は、わずかの隙でも見せれば万の命を たやすく刈り取っていくだろう。  しかし距離を開けても、立ち止まることはない。横に飛び、ディルキールを中心とした円周 を描くように回りこむ。  すぐさま万がいた位置を巨腕が襲った。半透明な竜の前脚のようなもの。獲物を逃した爪は そのまま霧散する。  地を蹴る。  追うように霊体の爪が来る。それは恐らく、カロンの意識を一瞬止めた攻撃とは次元の違う ものなのだろう。捕まればトドメが来る。  鎌が振られる。数メートル以上を開けた今の距離でそれが触れることはない。しかし切り裂 かれた虚空から、そこに漂う霊が可視のエネルギーとなって飛び出す。一、二、三、四つが万 に殺到する。  更に地を蹴る。  巨腕を躱す。四つの霊弾が追いすがる。  そこで巨腕が増えた。万の行く手を塞ぐように先んじて突き上がる。円周の前後を塞がれた 形だ。  となると、内に踏み込むか、外に逃れるか。無論そこに霊弾が来る。 (……やれるか?)  賭けて、踏み込んだ。  刀は既に腰の佩刀ベルトに吊っている。自由な両手を前にゆるく構え、突っ込んできた霊弾 に向かって振った。  弾ける。  乾いた音とともに霊弾が爆ぜる。二つ、そして二つ。続けて掻き消えて、万は危なげなく着 地。ディルキールを前に見据える。 「対式鬼神用の破術……私の世界の祓いの技だ。君たちの鉄の国のようなものか、体に絡繰を 組み込んだり、霊脳によって情報をやりとりするというような技術が広まっている。ここは故 郷ではないが、肉体の裡は私の世界のままだということだね」  奇妙な停滞がある。 「君は故郷は好きかベスカリオ君。私が軍人になったのは、故郷が好きだったからだ。一つの 戦争があった。君たちにはあまりピンとこない存在かもしれないが、長い戦争だ……幼い頃か ら続いていたそれから、故郷を守りたかった」  その停滞は、隙でもなければ余裕でもない。 「多大な犠牲を払っての停戦は、しかし何の終わりでもなかった。『戦後』という別のものが 続いていくからね」  霊子が走る。 「そして、そこで戦うために、私は軍人だけではなくなった」  視覚拡張。光量補正。超音波反応。痛覚調整。筋繊維強化。神経超霊導。 「敵のいない、戦場ではない場所で、そしてだからこそあらゆる手段を持ってして自分たちす らも相手に戦う……」  第三次央東戦争。不沈計画と雷獣計画。神号作戦。半神計画と六天計画。赤霧事件。 「あらゆる手段だ」  記憶が走り――――そして。 「あらゆる手段だよ、ベスカリオ君」  隠形術印起動。  一六八個の物質化済み吸魂化作用霊撃弾がディルキールから一斉射撃された時、万が消えた。  鉄の国に光学迷彩と呼ばれるものがある。あのミツヨシや、グリーンサムライたちが使うこ ともある。光を迂回させて視覚的に見えなくする技術だ。同時に熱迷彩を施すことで、別種の 知覚も同時に迷彩することも一般的らしい。  これに対する残り二国の対策は臭気と生命力の探知だった。ただし獣の国の人間が得意とす る臭気探知はカモフラージュも容易なため、やや不利なところがある。竜の国の人間が魔法に よって行う生命力探知は、鉄の国がそれを技術的に解析できていないために迷彩効果が非常に 下がる。  しかし。 (見えない…………光学迷彩じゃない……)  黒死の弾雨は全て外れている。無数のそれを全て躱して消えたという事実に、ディルキール は未知の力による空間移動も考えたが。 (…………でも、居る。間違いなく……)  研ぎ澄まされた感覚が告げている。姿は見えず、捉えられてはいない。しかし相手はすぐ近 くに居続けていると。  そう、ミツヨシと同じだ。つまり、ニンジャ。  見えない相手を探している時間はない。だからディルキールは万がどこにいようと関係のな い攻撃方法を思いついた。  鎌の刃がぐるりと滑り、再びディルキールの周囲に霊が浮かぶ。その数二九三。  この数の招霊、魂魄衝突だけの非物質化弾ということもあり一秒とかかっていない。今の限 界降霊状態ならばこの程度の芸当はたやすい。  祖竜の魂とのオーバーラップはアズラエル老の言う通り切り札だ。先のミツヨシ戦とは違い、 今のディルキールに可能な限りの憑依深度が与えるものは運動能力の向上に限らない。知覚は 研ぎ澄まされ、魔力充填力も魔法構成力も格段に上昇している。  とれる。  万は無手だ。そして消える直前の動き。明らかに先ほどから鋭さを増していたが、それでも 見えた。  とる。  霊撃弾が一斉に飛ぶ。方向はそれぞれが全て別。ディルキールを中心とした半球全方位。  鉄の国にあるソナーという道具に概念は似る。衝突で相手の位置を掴む。万がこちらに攻撃 可能な距離にいるならば接触は避けられない。  乾いた音が響いた。  霊撃弾の一つが爆ぜて、ディルキールは超速で反応した。  地面から伸ばす細めの霊腕を二本。手元から物質化霊撃弾を更に八。命中率を重視しての炸 裂式暗黒雷光球を重ねる。  コンマ八秒でそれらを撃ち放つ。その瞬間、背後でもう一つ音が爆ぜた。  ディルキールが攻撃を向けた先、先に爆ぜた霊撃弾の跡に何もない。  驚愕を、なんとか押し殺しきった。  何も考えずに最速で鎌を振り回し、背後をなぎ払う。刃に載せた魔力を滞空させる迎撃用の 呪詛斬撃。万を間合いから遠ざけ、攻撃の出足をなんとしても止めるための一閃だ。  はたして、万は背後にいた。鎌の軌跡の、はるか向こうに姿が見えた。 (……凌いだ)  思った瞬間、肩が灼熱する。  衝撃に体がよじれているのを自覚する。  血が飛ぶ。  万の片手が何かを向けている。  すぐさま踏み込む。相手に認識障害を起こさせる隠形術印は、見えているのに見えていると 考えない状態を作り出すものだ。相手が自分の位置を確信してしまえば効果はない。  続けざまに引き金。フルオートのごとく高速。ディルキールが慌てて浮かべた数枚の骨盾が 弾丸を阻み、乾いた音を繰り返す。  それはずっと懐に入っていた。  帝都陸軍制式の四式魔石拳銃「戴勝(ヤツガシラ)」。炸薬式に比べてのメリットは構造上 の機構の安定性があがり弾詰まりが起きにくいこと。また、比較的小型に出来るあるいは装弾 スペースが広くとれることだ。デメリットは高価であること。  撃ち尽くした拳銃は滑らせるように手放され、そのままに右手の拳が前へと唸った。迎える 骨盾は一枚に合体し、分厚い大盾となっている。  砕き抜いた。霊的に強化されたその拳は、場合によっては主力戦車の前面装甲をも破壊しう るのだ。  それで、痛みと防御に動きをとられたディルキールへと既に一足の距離。恐らく、異常強化 されているのであろう治癒力を持ってしても、まだ銃創さえ塞がっていない時間。彼女の身は 後退を選んでいる。そうしつつも払われようとする鎌の刃に構わず、万は詰めに入った。  そこに、更に竜の腕が突き上げられる。  さきほどのものよりは小振りな片腕だった。それは無論、少しでも時間を稼ぐために物質化 済みであると、視認するまでもなく万は理解していた。  だから、捌いた。  斜め下から突いてくる爪を、左手で巻き取るように掬う。勢いに衝突することなく、脇の下 へと逸れるように受け流す。そのまま肘付近を使って押し潰すように引き剥がす。接触可能な 物質であるからこその、前進を止めぬ回避防御。柔の技だ。  それでも遅れた。大鎌の間合い内に入り込み、柄から抑えるのを狙った万だが、大鎌は眼前 で薙ぎ払われながら前へと去っていく。過ぎた空間に残るのは大口を開いた暗黒の瘴気。  避ける手なく、突っ込んだ。  物理的損傷はない。上半身をただ激痛が襲う。体内の痛覚をコントロールしているにもかか わらず、呪詛が感覚を無理矢理押し開き、意識がかきむしられた。  傾けた体がそのままに落ちる。  落ちて、地面を右手で叩き砕いた。勢い全てをぶつけられ、床が砕け粉塵を舞い上げる。万 の体が煙に消えた。  土遁。  地を蹴る。同時に放つ袖に仕込んだ棒手裏剣。  爆発。  だが近い。  化学爆薬を仕込んだそれは恐らくディルキールの手前で骨盾にでも塞がれたのだろう。銃を 受けてなお他の何かがないと考えるほど相手も愚かではない。  炸裂は新たな粉塵を巻き上げて視界を埋めている。  だがその内には留まらない。右に体を転がす。跳ねるように煙から飛び出しながら、同時に 小さな玉を周囲に撒き散らす。  はたして、万のいた場所は黒い豪炎に舐められていった。視界に捉え直したディルキールの 口元が熱を吐いている。  遅れて舞い上がる煙幕玉の煙幕に包まれながら、万は二つの確信を得る。 (ブレスは吐いたか。彼女はやはり咆哮歩きが出来ないな。隠しているわけではない。テミス との戦いの時、知った様子でなかったから恐らくはと思っていたが。そして……煙幕も、有効 なようだ、な)  周囲のあちこちが煙を吹き上げる中、ディルキールはすぐさま大量の霊撃弾を放った。物質 化したそれで万がいるはずの煙幕を突き抜ける。  時間がなかった。  間合いにおいて離そうとしているのはディルキールの方であり、追うのが万ではあったが、 戦闘そのものにおいては彼女こそが追いすがる側である。  憑依(オーバーラップ)には時間制限があるのだから。  膨大な魔力から放たれる攻撃物量で、万の“あらゆる手段”を叩き潰し、その防御を越える まで畳み掛ける。一刻も早く万を捉えなければならなかった。  が、煙を突き破った先に万がいない。  『違う』という意識と振り返りながら骨盾で防御するという無意識はほぼ同時にやってきた。  万の裏拳と盾が衝突する。  攻撃に失敗した万は、しかし追撃を選ばなかった。煙幕玉が煙を噴き出している地点の一つ に飛び退いた。ディルキールがカウンターに放った鎌が空を切る。  姿自体は煙の向こうだ。だがディルキールは万の位置を見失ったわけではない。立ち上る煙 の場所にいて、そこから動けば姿を晒すことになる。  もちろん、ディルキールは物質化済み霊撃弾を放つ。数は五一、前方からと左右に迂回させ て斜めからの三方。  煙に届く寸前だった。先ほどの『違う』という感覚が何かディルキールは理解した。  万が勢いよく煙から飛び出し、別の煙幕に飛び込んだ。  そこまではディルキールも目で追った。  更にそこからどこかへと飛び出した。飛び出したのまではわかったが、向かった先がわから ない。  速い。  と思った時には、背後に気配。 (咆哮歩き…………!?)  間髪入れずに脇腹に拳が突き刺さり、そして鱗のごとき魔力光が弾けた。 (カロン戦で使っていた技か!)  実際には、万の見た魔法は【リバーススケイル】で、今しがたのは【ドラゴンスケイル】と いう簡易版にあたる。ディルキールが前もってかけておいた保険の防御魔法だった。  光が散り終える頃には、万はすでに煙幕箇所を移動している。  ジグザグに複数地点を高速で移動し撹乱するさまは、テミスが使っていた咆哮歩きを、ディ ルキールに思い出させるに違いないだろう。  実際には、咆哮歩きほどのトップスピードは出ていない。万はドラゴンブレスを吐けるわけ でもなければ、そのために吸った息と魔力を体の表面から放出して加速するなどという芸当な どできるはずもない。  だからそれは強化された脚力による疾駆跳躍にすぎない。  それを、両足を同時にも思えるほど間髪入れず駆動して二歩を一歩とする破歩と呼ばれる歩 法とともに用い、更に歩と歩の間を完全に静止することで独特のタイミングを作り出す。そし てランダムに左右に振ることで相手の捕捉を困難とする。  今回はそれに加えて煙幕により方向転換を更に迷彩している。  それ雷霆のごとく進むものなり。  先に万が名乗った、本来率いている護影第二の部隊。  かつて帝都特殊剣客隊と呼ばれていたそれが再編成されるとともに、隊長職に万が就いた際、 それはその名を得たのだ。  いかづち。  ディルキールは霊撃弾で追わなかった。雷の如く回り込んだ万が一撃を放つ。【ドラゴンス ケイル】は今しがた失われている。  今度こそ、万の拳が背に叩き込まれる。  覚悟してどうにかなる衝撃ではない。しかしそれでも、ディルキールは意識を手放すことな くそれを迎えた。 「……がっ」 「ぐ……!」  声は双方が上げた。  ディルキールに叩きこまれた万の拳に黒いものがまとわりついている。  触れた相手の意識を混濁させる呪詛霊体を己の肉体の内側に仕込んだのだ。【ドラゴンスケ イル】を再び使って一撃を防いでも、既に一度意識させてしまっている以上今度は間髪入れず に追撃がきて撃ち抜かれるだろう。  だから殴られた。殴られることは甘んじた。それ自体がディルキールの攻撃となれば、万が それを避けることは非常に難しい。攻撃せずにディルキールに余裕を与えてしまえば、それは それで今まで次から次へと攻撃することでディルキールの攻撃規模に限界を強いていた状況を 自ら捨てることになる。だから万も攻撃しないわけにはいかなかった。  そして憑依状態の肉体が、頑強さも回復力も優ることにディルキールは賭けた。  意識を繋ぎ止め、魔力を収束させる。  複雑な魔法は紡げない。半端なダメージで仕留め損なえば、逆に自分が追い詰め返されてし まう。  だからただ押し飛ばす。とにかく残る魔力を吐き出し、暗黒の波動で万の体を後ろへと吹き 飛ばした。  飛びかけた意識をなんとか完全に引き戻す。  振り返れば、押し出された万との間合いは三十歩を超えた。  万が体勢を立て直す間に、ディルキールは魔力を取り込み直せる。  賭けは、勝ちだ。  視界の先で三百を超える物質化霊撃弾が浮かぶ。先ほどは大量射撃の瞬間に意識が外れるの を利用して隠形したが、今度は一瞬も見逃すまいとするだろうから使えないだろう。  だから前に出るしかない。  恐らく相手はひとつでも多く霊撃弾を出すことを選択しただろうが、確実ではない。あるい は防御魔法をひねり出しているかもしれない。もしかしたら存在する絡め手に注意しつつも、 強制的に開けられたこの距離を詰め攻撃を仕掛けられるか。あるいは詰め切る前に相手の弾幕 に叩き潰されるか。  飛び出した。  厳霊。  三三八連複合高速霊撃弾。  一波で全霊撃弾を放てば強行突破されうる。だからもちろんディルキールは続けざまに連続 射撃する。機関銃のごとく叩きつける。  左右の振りで躱し、両腕で叩き落とし、まさに雷の軌道のごとく飛び回り、万が着実に距離 を縮める。一直線というわけにはならない。霊撃弾をぐるぐると回りこんですれ違う。  ディルキールとしてもこの数の霊撃弾など操作しきれるはずもなく、霊魂が追尾するに任せ るしかない。  だが、ディルキールも何の工夫もなく叩きつけているだけではない。  おおよそに分けて四波目の終わりから、霊撃弾に物質化していないものが混ざる。それらは、 万の言う祓いの技を受ければ簡単に防がれてしまうものではあるが、あるいは対応を誤れば意 識・感覚に直接打撃を与えることができる。この大量・高速の連撃の中で途中から突然別のも のを混ぜることで、万を更に追い詰める。  それでも万は来た。  二種の霊撃弾を見切りそれぞれ完璧に対応しきっている。既に直線距離でいえば十歩近くま で縮んだ。  漆黒に輝く霊魂が振り切られ、あたかも暗黒の雷のごとく場を彩る。  だが、それでディルキールは焦りはしない。  残り一波分。約四十の霊撃弾が次々と放たれていくのと同時に、竜の霊腕が伸びる。地面を 突き進みながら物質化していくそれが、遅れて万に襲いかかる。  距離を詰めるのに万が手間取るだけ、追加の攻撃を用意することがディルキールには可能な のだ。三三八発の霊撃弾では済まない。  万の行く手を遮るように四本の霊腕が広がる。腕に対応している間に、打ち落としきれず後 ろに張り付かせている霊撃弾が、万を襲うだろう。  万が霊腕の一つと交錯する。  厳霊の歩法で脇に滑り込んだ万が、今までの捌きと同じような動きで霊腕の攻撃を防ぐ。そ のまま捨ておいて跳ぼうとするが、その頃にディルキールの操作指令を受け直した霊撃弾が花 火のように広がり、万を半球状に取り囲んだ。  物質化・非物質化が入り乱れた残数百の霊撃弾。二本の腕では防ぎきれるわけもない。  直前、レイズはその言葉を聞いた。 「思い違いよったなディルキール」  あらゆる手段と、万は言った。  それなのに万は二つの拳を構えて名乗った。六道宗主直轄非公式隠形要員・護影部隊。もち ろん、彼の世界を知らないレイズらにはその言葉の意味が正確にはわからない。しかし、それ があらゆる手段を以ってしてもと言わせるそれだということは、わかる。  だから名乗ったあの瞬間から、万は確かにあらゆる手段を以ってしていた。  その存在は、完全に意識から外れていた。万が隠し持った道具を使った後でさえ。  今、気づく。恐らくディルキールもそうだったに違いない。 「あの百を……撃ち落とすのか……!」  言葉が零れた時には、もはや影の色が走っている。  横に薙ぎ、袈裟に斬り、跳ねて上げ、十八の霊撃弾が輝く暗黒に飲み込まれた。  雷の如く滑る。  体を返しながら巻き打ち。二一。後退しながら切り上げる。二六。片腕で一回転しながらな ぎ払い。三二。体のひねりのままに拳で回りこんできた霊撃弾を叩き落とす。三四。  引き戻した刀で放つのは源流初伝の術『紅葉賀』。三九。非物質化霊撃弾を交わしながら物 質化済みだけを蹴り払う。四三。陸軍制流『深明剣』。四九。銘鏡氷斬流『水仙』から、『流 星返し』。七一。  他流の術理すら組み込み、流れるように払い斬る。  葛西派一刀流、雲身払斜剣。  先に半端に終わったその技の真髄がそこにある。漆黒の刃に乗せられて。  そしてその刃が生んだ浮かぶ世界の裂け目が、体捌きで誘導された霊撃弾を飲み込んでいく。  九九が消えた。  間合いだ。  レイズの声が遠く聞こえた気がする。  来る。  上から狙った霊撃弾を真っ二つにしながら、漆黒の刃が振り下ろされる。文字通り何もかも 斬ってしまうそれを受けることなど出来るはずもない。  世界が裂ける。  暗黒が。 「あぁぁあああああああッ!!」  完全に無意識の叫びだった。自分が叫んでいるのだと、ディルキールはわからなかった。自 分がそれほど大きな声を出せるということ自体が、彼女には驚くべきことであったが。  ただただ魔力を絞り出した。さきほどの暗黒波動の比ではない。己がどれぐらい魔力を残し ていて、どれぐらい取り込んでいけるのか、などというものは全く頭の外にあった。ただただ 迫る刃に対して抗おうとした。  ただ呼んだ。  何かを。  目前の、死ですら無いものから逃れようとする想いだけを、叫んだ。  伸ばした腕の、その先から、竜の霊腕が延びる。 「ぁあぁあああ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁあああっッ!!」  黄金に輝くそれが、落ちる刀身を横から抑えた。 「……か、ぁあ…………」  限界など顧みない招霊に、喉が潰れたような音を立てる。憑依している祖霊をそのまま自分 の体外にまで拡張しているのだ。己の体を媒体にすることで為すものを、無理矢理それ無しで 行うなど、意味不明の行為だった。ただ、ディルキールはその時そんなことを考える余裕など なかった。  刀身を弾きながら回し蹴り。同じく拡張された黄金の脚が万を押し飛ばす。 「ぁァあ……か…………っ……!!」  押し飛ばされて着地した万は、しかし追撃に入り直そうとはしなかった。 「かふっ…………っは…………」  血を吐いた少女を見つめ、まっすぐ立つ。そして納刀した。涼やかな音が響かせる。 「恐ろしいかベスカリオ君。恐ろしいようだな。ああ、これは、君たちが、ここで失った“終 わり”というものだからな」  頭を覆う兜の如く、ただただ硬い声で語りかける。 「どうだ――――たとえばこれがあらゆる手段の一部だな。私はそれを行う人間だ。私はこれ を任せうるかね?」  その問いは、確認ではなかった。それは純粋な疑いであった。万の、万自身への。  だから、最後の戦いに応えたのだ。  だから、その名で応えたのだ。  万も、ディルキールも、動かない。  戦う相手を前にして決着へ奔ろうとする体中の滾り。霊子の迸り。その中で火花が散る。  今度は、故郷での記憶ではない。  今しがたまでのこと。この世界に来てからのこと。  カロンの傷だらけの体は、ただ自業の果てにあるものか?  テミスは、なぜ同じアズラエルの名を持つ老人に牙を剥くのか?  あの、己を兵器とした絡繰部隊たちは、いかなるものにその生の全てを横たえているのか?  疲れ果てし老いた巨人は、一体何故に疲れ、一体何故にそれでも立ち留まっているのか?  そして。  そして、眼前に、こんな少女を立たせてしまっているものは何なのか?  それらの本当のところを、万は知らない。これから先、知ることもないだろう。  しかし、 「私はここではマレビトだ。完全なる外来者。何の務めも、何の責もない人間だ」  しかし―――― 「だが元の世界に戻るというなら、そうではない、私には私の都合がある。思い入れや、守る ものが、ある」  しかし、わかっているはずだった。  それらは同じだ。 「カロンの如く暗躍もするだろう。テミスの如く同胞に刃を向けるだろう。グリーンサムライ の如くただ任務を果たすだろう。そこのご老体の如く、ただ守るためにそれらを行うだろう」  万が見てきたもの、火花が見せる過去の残像と同じだ。 「そして……」  ここは何も変わらない。  ここでも、誰かが生きて、誰かが戦っていた。  マレビトはそれを見た  万唯が迷い、得た、全てがここにもある。  だから、ここは、彼の、マヨイガ。 「そしてその私はこれを、使えてしまうのだぞ?」  だから、問う。  空の右手を強く握りしめる。力は戻っている。息も、ドラゴンブレスを行使しうる心肺機能 によってすぐさま整えられている。  万は彼女に問うた。  アズラエル理事は口を開かない。 「――……はい」  だから、かすれた声で応える。 「万、さんは、多くのものを……見てきたんですね」 「ああ。多く見過ぎたのかも、しれない」  硬い声が、しかし疲れたように聞こえる。 「…………それが、恐ろしいのですね」  その言葉に、万が数瞬の沈黙を見せた。  そして、ゆっくりと声が来る。 「……そう、かもしれない。いや、そう、だな。私は私が恐ろしい。帰って果たさねばならな い務めが恐ろしい」 「だから……です」  長く息を吐いた。 「今、その刀の恐ろしさを一番よくわかっているのは、やっぱり万さんだと思います。そして、 使ってしまえる上に、それを恐れるということ」  言葉がこうも滑らかに出るのは珍しかった。  恐怖。  その単語がディルキールの思考で舞った。  思う。その度にディルキールは己の手足の外にまで延びた憑依の手足に力を感じる。  恐怖。それはつまり生と死。終わりへの本能的な嫌悪感。  それを意識するほど、祖龍との繋がりを感じる。もはや失われたものを思い、そして今ある 自分を思う。それが、ディルキールが死霊術を学び始めたころに強くあったものではなかった か。 「あらゆる手段、だけじゃないですよね? 貴方がそれを使ってみせたのは、これからそれを 預かるからこそのはずです。確かにあえて隠されて、未熟な私はそれにギリギリまで気付きま せんでしたけど、でも元より、この戦いはそうでなければならなかった。あの漂流物は、使わ れなければならなかった……」  万は何も応えない。 「そして貴方は、その凄まじいなにかを秘めた刀をもう一度抜いた上で、やはり恐怖を忘れて はいない。それこそが、私たちが望むべきものだと思います」  思い出す。 「『知って』いる。『恐怖』を。だから――――」 「……『覚悟』」 「を、持っている人、ですよね?」  今、自分は微笑んでいるのだとディルキールは気づいた。 「遠慮せずに頼って欲しい、と……無責任さからだとは思いません」  万が、鞘を持った手下げた。  構えを解いたわけではない。むしろ逆だ。構えたのだ。 「恐ろしいな、これは」 「はい」 「だが、そうだな。これは恐ろしい。だが、これでなくても、恐ろしいものだ」 「はい」  目を閉じる。 「ありがとうございます。私は、思い出せました。失われたものと、在る私と、そしていつか 私の後に来る誰かを。当然だと、忘れてしまっていましたから。私が理事に言われてこういう 務めをしていることは、何故であったかと」  風が巻き起こる。 「私は万さんの言う戦争を知りません。でも私も、私の世界が恐ろしく在って欲しくはありま せんから」  巻く風の中を、万の声が来た。 「…………もう少し……もう少し走ってみようかと思う。いや、そんな格好のいいものではな いな。だがふらふらと彷徨うのではなく、迷い惑うことなく、方方へと……転がってみようと 思う」  もはやそれは鋼のように硬くはない。 「ここに来てよかった」 「――――はい」  祖龍の魂を感じる。  それを自分の肉体を錨として裡に留めておく必要はなくなった。  コントロールに四苦八苦することもない。  失われたものは、かつては自分たちと同じものだったのだから。  風がふわりと広がり、ディルキールが眼を開いた。  彼女の横には黄金にゆらめく巨竜の姿が浮かんでいる。  見上げることなく踏み出した。 「では、ここからは――――」 「…………闘技です!」  レイズはコロッセオの外で大きく一息を吐いた。  “巻き戻り”で自動的に外に弾き出されたのだ。  横を見やると、黒を着込んだ赤い巨体が見下ろしていた。 「早く帰らねえのかよ、爺」 「いや、エグザディオのところの放蕩次男も思うところあったかと思ってなぁ。後輩のことも、 あっからなぁ?」  無駄に挑発的な言葉が降る向こうで、ディルキールが身を縮めている。そりゃ、普段の態度 まで急に変わるわけもないのだが。 「……あの“百”斬り。名前も聞けなかったな。カサイハイットウ流とか言ってたが」 「同じ人間が来ることは、ねえだろう。しかし実際んとこマレビト自体はそこそこ来とる。も し接触があるなら、なるべくは把握しておかなきゃなんねえわけだ」 「ディルキールみたいな人材が、か」  上下に視線が衝突する。 「…………兄貴は優秀だろ?」 「お前さんとは比べ物にならんぐらいな」 「俺は兄貴や、ディルキールみたいに、竜騎士ってガラじゃあない」  そこで、言葉を区切る。 「あるいは、姐さんみたいにな」  アズラエルの顔は微動だにしない。 「――――姐さんは何故アンタに歯向かってる?」 「さあ、なんでじゃろうな?」  言う気はないらしかった。  コロッセオには色々なものが秘められているのだろう。レイズはその一端を知った。万とい うマレビトとの出会いを通して、それに触れた。  今はまだ明らかにされない多くのもの。それにレイズは思いを馳せてみる。  頷いた。 「少なくとも姐さんはそうした。ディルキールは、こうしてるし、アンタも、そうしてる。ど れも、別にいい」  アズラエルから視線を外し、歩き出す。巻き戻り直後でその辺に多くの人間がいる。アズラ エルとあまり一緒にいると面倒でもあった。 「だから俺は俺で、俺が見て俺が知り俺が学ぶ先で、俺の道を選ぶ」  腰の柄を手で弄ぶ。 「それが俺の『覚悟』だ」  後輩をおいて、レイズは歩を進めた。  コロッセオを背に、道が延びる。  しかしその先もまた、コロッセオに通ずるのだろう。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  きっかり、あの迷い家にいただけの時間が過ぎていた。  霊場との繋がりが戻ってきているため、体内の術印回路が正確な時刻を教えている。現在位 置も。振り返れば、闇の中に照らされ浮かぶ見慣れた火雷門。  行きと違って混乱はない。帰るべきところに帰ってきただけだ。  そして。 「な、何故ここに…………反乱地域にいるはずではないのか!?」  前方に鋼の軍団が散開している。影たちに関して、視界の中で拡張現世言霊が情報を表示し、 それらの神力反応の低さを指摘。総絡繰義肢だと警告した。  一瞬遅れて、大量の霊感高札が空中に現れ万の周囲を埋め尽くす。 ◆朧ヶ崎:ホワット? 霊場経路閉鎖になってますよ隊長? 返信プリーズ。 ◆神座 :こちら上山式超級演算機三號の式神知能「神座」です。帝都防衛軍が交戦に入りま      した。 ◆神座 :繰り返します。申し訳ありませんが隊長の位置情報を喪失しています。 ◆神座 :隊長の位置を追跡できません。連絡を要求します。 ◆朧ヶ崎:『人穴』が上手くやりやがってたみてーです。暗殺ってのはフィールいいもんじゃ      ないですケド。東国軍の後退情報がこっちにアライヴァル。遠くないうち反乱勢も      諦めるんじゃないですかね? …………あとはそっちだけですリーダー。 ◆神座 :極楽院寺閣下の言、伝達致します。可及的速やかに連絡せよ。――以上。 ◆神座 :第八機甲連隊の戦闘能力喪失を確認。三号戦車四十一輌大破。 ◆神座 :外周正門突破されました。敵戦力の帝都侵入を確認。 ◆神座 :以降、「神座」より随時帝都現況を送信します。連絡を要求します。 ◆神座 :魄引攻檄、効果ありません。敵存在の心入防御は予想等級『八』です。霊脳による      強制握接制御の成功期待を極小と判断。魄引攻檄を中止。 ◆白望 :神座より隊長の位置確認を要求されています。一体どうしたのですか? 朧ヶ崎と      は連絡しましたが……。 ◆朧ヶ崎:群雲副長と錐矢さんからベリー突っつかれてるんですケド、ミーはドゥーしたらい      いんですかあー!? ◆神座 :六条防衛線が突破されました。連絡を要求します。  他、己が『ここにいなかった間』の通信文を全て了承で閉じる。間髪入れずに飛び込んでき た鋼の影一つ。  突き出された拳を横からすくうように絡めとり、軍用義肢が生み出す破壊力を逸らしながら 地面へと叩きつける。濁った破砕音ととともに黄色い神力血液が飛び散るが、万の顔には覆っ た兜で届かない。 「や、やはり護影部隊か!? その鉄兜――――万唯!!」 「貴様らは反乱鎮圧軍の援護に出撃しているはずでは…………」  仲間の一人があっさり甚大な損傷を受けたことで他の鋼が驚愕の声を上げる。 (本来なら今頃はまだ道中を駆け抜けている頃か……) 「……ちょっとした贈り物でな」  呟いて、叩き潰した相手を一瞥する。砕き折られた腕からは精緻な絡繰がむき出し、胴体の 装甲が割れて内部の部品が見えている。その所々に見覚えのあるものを認めて万は嘆息を押し 殺した。 「アテ族の反乱に呼応し、軍も護影部隊(われわれ)も出払っている隙を狙って帝都への直接 襲撃を企てる可能性を見過ごすことはできなかった。そして、やはり、不沈兵団計画の。魄引 への高防御も、私を知っていることも、当然だな」  その呟きに鋼の軍団から一人が叫んだ。混乱の感情は引き、代わってそこには怒りがある。 「不沈兵団だと? その名前を、今更、口にするのか! 帝都陸軍の少佐が!!」  万の反応を見る様子もなく、間断なくほとばしるように怒声を上げる。しかしそれは重く暗 く沈み込んでもいた。 「……お前たちが奪ったのだろうが! 我々の名前を奪いながら、墓さえ与えず捨てた!」 「あの戦争の劣勢を取り戻そうと極秘裏に進められた不沈兵団計画は、停戦とともに全ての情 報が抹消され、廃棄された……被験者の戸籍ごと…………」 「そうだ。だから今の我々は覇架守となった! 帝都を覇し、貴様らの骸を架け、我々自身の 墓を守る者だ!」  鋼を響かせ歩を進める影。 「反乱を起こした辺境の妖怪どもだけではないと、貴様らもわかっていたからここに来れたの ではないか。帝都の『影』がどれだけ濃いのか一番知っている貴様らが……」  一見、一人乗りの絡繰二輪にも見えかねない巨大な射撃武器を両腕で構えたまま、その砲口 をぴたりと万に向けて接近してくる。 「いつか、いつかお前たちも裏切られるぞ護影部隊。影を護る貴様らも、結局は影の一つに過 ぎん……、切り捨てられる暗黒にな……。反乱軍に援助を与えて侵攻をはかった東国を、どう やって止めた? 『人穴』は何をした?」  それを、万はただ無言で迎えた。 「アレクサンドルッ!?」 「…………やるのか?」  前に出た鋼に続き、他の者達も意思を決め始める。 「護影部隊の隊長格といえども恐らく今は単身……ここで憂いを断つ」  数にして二十一。各々戦闘態勢に入った鋼の鬼は、一人が陸軍制式戦車を白兵戦によって大 破せしめる戦闘能力を持つ。  その間も万はただじっと立っていた。  そして、中央に陣取ったアレクサンドルと呼ばれる男の兵器が白い光を放ち始めた時、万は ようやく兜の下で眼を開く。  その瞳が見るのは前ではない。視線は手元の刀に落ちている。 「お前たちの怒りは正しいのだろう。そして確かに、私達もまた影の中の暗黒にまみれ過ぎて いる」 「連続誘導砲撃をかける。続けて仕留めろッ!」  万は動いていない己の手をじっと見つめている。 「しかし、だとしても、全てを燃やし尽くそうというのを見過ごすことはできない。それは違 うぞアレクサンドルとやら……」  前を見る。 「“鵺鳴”ィッッ!!!」  鯉口が切れた。 「歪に重なりあった崩れ落ちそうな世界でさえ守る彼らを知らなければ、あるいは、私はこの 刃でお前たちに応えられなかっただろうよ」  そして彼は。                     【了】 補足 ■アレクサンドル■  超能力結社『G』に所属する中世の騎士兜に灰色のスーツの男  超能力は念動力による空間穿孔  呼び名は『醒(めざ)めしアレクサンドル』  というような設定  (※しかしこの魔改造されまくった登場シーンは過去扱いであり、“目覚めていない”アレクサンドルです)